『ドラえもん』の生みの親、藤子・F・不二雄。『ドラえもん』以外にも『異色短編集』シリーズなどをはじめとして、大人が読んでこそ面白い名作が盛りだくさんなのをご存知でしたか?今回は、SF、皮肉、哀愁など彼が描く様々な世界をのぞいてみましょう。
1933年に富山県で生まれた藤子・F・不二雄は、もともと藤子不二雄Aとともに、藤子不二雄というペンネームで活躍した漫画家でした。二人は小学校時代に漫画を通して仲良くなります。その後、手塚治虫の漫画に影響を受け、コンビで漫画家を目指します。二人の名前を有名にしたのが『オバケのQ太郎』でした。アニメにもなった同作は児童向けです。
藤子不二雄Aは『笑ゥせぇるすまん』など、大人向けのブラックな漫画を描きだします。一方、藤子・F・不二雄は、子ども向け作品を描き続けました。路線が分かれた二人はコンビを解消し、藤子不二雄Aは藤子・F・不二雄へ名前を変えます。
『ドラえもん』で子どもから爆発的人気を得た藤子・F・不二雄ですが、年長の読者を想定した作品も描いています。藤子不二雄Aの作品がダークな雰囲気に満ち溢れているのに比べ、藤子・F・不二雄の作品はバットエンドを書いてもどこかマイルドでした。
元気な女子中学生超能力者・佐倉魔美と、同級生で彼女の理解者・高畑和夫が遭遇する数々の事件を扱った作品です。
便利な魔美の超能力ですが、未知数な力なため、いろいろな弱点があります。それをサポートしてくれるのが、教科書を一度読めば試験で100点が取れる男・高畑です。ドラえもんとのび太のような良き相棒関係の二人ですが、『ドラえもん』に比べてシリアスな話が随所に見られ、大人でも読みごたえある作品です。
- 著者
- 藤子・F・不二雄
- 出版日
- 2009-08-25
本作の代表作品の一つに『サマー・ドック』があります。
魔美のお父さんの貸別荘へやってきた、魔美と高畑。山奥のこの場所では、野犬が増えて人を襲っていました。それは夏に別荘にやってきた人々が、帰るとき飼い犬を山に捨てて、都会に戻った結果なのだと高畑は語ります。それを聞いた伸一という少年は、可愛がっていた犬のチビを山に捨て、東京に戻ったことを思い出します。野犬の中にチビがいるのではないかと考えた伸一は、一人でチビを探しに行ってしまうのです。
魔美と高畑は、伸一を探します。二人は、野犬に襲われて血まみれの男に遭遇します。近くの小屋に逃げ込んだものの、周りを犬に取り囲まれ大ピンチに。魔美はテレパスにより、犬の中にあふれる憎悪を感じ取るのです。
「近づいてくる…人間に対する激しい敵意…」「愛する人間に捨てられた悲しみ…」「飢えに泣いた苦しみ…」「追い立てられた恐れと怒り…」「犬たちの凄まじい情念が、渦になって小屋を取り巻いて…今にもなだれ込んでこようとしているわ」
犬の悲哀がひしひしと伝わってくる名シーンです。
血をテレポートさせることで怪我人への輸血を成功させる魔美でしたが、貧血で動けなくなります。高畑は、一人野犬に立ち向かいます。そこに飛び込んできたのは、伸一でした。野犬のボスは、成長したチビだったのです。チビの名前を呼びながら、狂犬と化したチビを抱きしめる伸一。そのときチビは……。
泣ける話ではありますが、ラストでは残酷な現実が突き付けられます。人の身勝手さとともに、犬を思う魔美や、魔美を気遣う高畑の温かさも感じられる傑作です。
藤子・F・不二雄短編集の中でも、どす黒い狂気を感じる作品群。
表題作『ミノタウロスの皿』は、男が宇宙空間で遭難するシーンから始まります。急な事故によって乗組員は全滅します。救助艇が出発したものの、到着は23日後と告げられます。しかし船には水も食料も残っていませんでした。
- 著者
- 藤子・F・不二雄
- 出版日
命からがら不時着したイノックス星は、地球に環境が似た星でした。そこで彼は、美少女・ミノアに助けられます。食べ物が木の実や草ばかりで、ビーフステーキが好きな主人公は少しばかり不満でしたが、美しいミノアとの生活は楽しいものでした。
ある日、彼は衝撃の事実を知ります。この星は、言語を話す牛にそっくりの生き物「ズン類」支配され、ミノアたちは彼らの「ウス」と呼ばれる家畜だったのです。その上、ミノアは食用種であり、大祭の最高料理「ミノタウロスの皿」の材料として使われることが決定していたのでした。
牛が人間を食べるなんて!憤る主人公は、ミノアに一緒に地球まで逃げようと誘います。しかし「ミノタウロスの皿」になることを最大の栄誉と考える彼女には、強く拒否されます。地球では人が食べられることはないと言う主人公に、ミノアは「かわいそう」と言います。
「ただ死ぬだけなんて、何のために生まれてきたのかわからないじゃないの」
「あたしたちの死はそんな無駄なもんじゃないわ」
主人公は、ズン類にミノアを食べることの残虐性を説いて回りますが、「地球ではズン類はウスを食わんのですか?」と返されます。主人公の常識は、この星では誰にも通じないのです。そして大祭の日、喝采とともにミノアは皿の上に並びます。
残酷な話ですが、食肉や、生きることを問われているような作品です。ラストの「待望のステーキをほおばりながら、俺は泣いた」というセリフが胸に迫ってきます。
表題作『箱舟はいっぱい』は、世界の終末を扱った話です。彗星の尾が地球をかすめ、地球の生命が滅亡するという噂が街に広がり、街はパニックに陥ります。しかしこれは「ノア機構」を名乗る詐欺団体の陰謀だと明らかにされ、人々は安堵するのです。ところが、その裏では……。
本短編集には他にも世界の終末を描く作品が、いくつか収められています。その中の傑作が『カンビュセスの籤』という短編です。
砂漠をさまよえる一人の男の名前は、サルク。彼は、ペルシア王・カンビュセスのエチオペア遠征のために派兵された兵士でした。放浪の果て、やっと見つけた奇妙な建物に入ります。中には少女が一人いました。二人は言葉が通じませんが、少女は疲れ果てたサルクを介抱し、食料を与えます。
回復したサルクは、都に帰ろうと食料と水を求めます。ところが少女はそれを拒否。勝手に食べ物を持ち出そうとしたサルクは、少女に見つかり、電子銃で止められます。拘束されたサルクは脱出の機会をうかがいますが、少女の悲しげな振る舞いを慰めるうちに、いつしか心を通わせるように。そして少女が修理していた翻訳機が作動し、二人が話せる日がやってきます。
- 著者
- 藤子・F・不二雄
- 出版日
サルクが少女に語った話は、恐ろしいものでした。
エチオピア遠征の四分の一の行程を進んだところで、食料は枯渇し、兵士たちは飢えで倒れていきます。動物から草まで食べつくし、彼らは籤(くじ)を引き、当たりを引いた人間を食べることにしたのです。当たりを引いたのは、サルクでした。彼らから砂漠を逃げまどううちに霧の中に迷い込んだという彼の言葉に、少女はうなずきます。その霧は次元の不連続地帯であり、タイムトラベル効果をもたらしていたのです。
少女は、未来人でした。週末戦争中、シェルターに逃げ込み、生き残ったメンバーの一人でした。しかし放射能に汚染された世界は、シェルター設計者の想定を超えていました。草一本ない外世界で食料の生産はできず、備蓄の食料も底をつきます。彼らは地球外文明へのSOS信号を最後の希望に、少しでも長く種を残すことを選びました。応答を待ちながら、人口冬眠を繰り返す彼ら。しかし冬眠には体力をつけるため、食事をとらなくてはなりません。その食料の正体は、図らずもサルクの仲間が選択したものと同じだったのです。
「籤引きでね、二十三回冬眠したわ…。残っているのは私だけ。」
物語最後に、サルクに笑顔で話しかける少女の姿は切ないものです。
『ミノタウロスの皿』と『カンビュセスの籤』、ともにカニバリズム色の濃い作品ですが、作品の雰囲気は違います。前者の作品ではブラックジョークが添えられていたのに対して、後者の作品は悲劇と哀愁の物語となっています。
道徳や良識が覆った奇妙な世界を描く話です。
世界がおかしく見えるのだと、医者に話を聞いてもらう主人公。いきさつはこうです。ある日、彼が目覚め、新聞を取りに行こうとした矢先、激痛を感じます。痛みは収まったものの、日常生活で違和感を感じ始めます。
- 著者
- 藤子・F・不二雄
- 出版日
初めはちょっとした違和感でした。会社に遅れそうな時刻なのに、朝食の支度ができていません。妻に大声で「早く飯にしろ!」とどなると、「あなたっ。ご近所に聞こえるじゃありませんか!」と真っ赤になって恥ずかしがります。「メシの催促がなぜ悪い?」と不思議がる主人公。用意された食事を、カーテンを閉め切ってこそこそと食べる妻と子ども。
あるときには、主人公が娘にシンデレラの絵本を読もうとします。しかしエンディングシーンで仰天。なんとシンデレラと王子様が、裸でベットインしている絵が載っているのです。とんでもない絵本だと憤慨する彼に妻はしらっとしています。
この話を聞いた医者は、主人公にこう言います。食欲も性欲もともに大切な欲望、しかし「食欲とは何か!?個体を維持するためのものである」「個人的、閉鎖的、独善的欲望といえますな」「性欲とは!?種の存続を目的とする欲望である!」「公共的、社会的、発展的性格を有しておるわけです」。だから食欲を隠し、性欲をおおっぴらにしてなにがおかしいのか、というわけです。なんとなく説得力のある説ですね。
さらにこの世界では、殺人の権利も公に認められているのでした。医者の説得により、この世界を受け入れる主人公。すっかりこの世界の住人となった彼は、殺人の権利を行使しようしますが……。
藤子不二雄作品によくみられる、価値観の逆転。たくみなせりふ回しによって「こんな世界もありかも?」と思わせるところに恐怖を感じます。
「隣の芝生は青い」ということわざを現したような作品です。ある大企業の社長のもとに、一通の同窓会通知が届きます。
「パラレル同窓会のおしらせ 日時 その時、 場所その時 」
社長は不思議に思ったものの、はがきを捨てます。ところがその日から、奇妙なことが起こり始めます。SMショーで見かけたと言われたり、昔の恋人に「昨夜はどうも」と意味深な電話をもらったり……。
- 著者
- 藤子・F・不二雄
- 出版日
彼に身に覚えはなく、首をかしげるばかりです。家に帰ると妻が腰を抜かします。なんとすでに自分が帰宅しているというのです。部屋にいたのはもう一人の自分、パラレルワールドの自分でした。人生の選択の数だけ世界があり、その世界の別の自分同士が一堂に会す「パラレル同窓会」に主人公を誘いにきたと言います。
同窓会で会ったのは、様々な自分。出世コースを外れた自分、社会革命家というかテロリストとして活躍する自分。社長という立場の主人公は、みんなから羨ましがられるのですが、彼が一番羨ましかったのは昔の夢である小説家を目指し続ける自分でした。やめておけという彼の言葉を聞かず、半ば強引に自分の生活との交換を迫る社長ですが……。
価値観は人それぞれですが、どうやら人間には自分が持っていないものに憧れる性質があるようです。しかし、いざ本当にその憧れを手に入れたとき、人は満足できるのでしょうか。
児童向け漫画家としてイメージが強い藤子・F・不二雄ですが、『ドラえもん』をはじめとして、大人になった今読み返しても面白い作品が多くあります。『どらえもん』で育った大人にもう一度、藤子・F・不二雄による、SFを含む世界を楽しんでもらいたいと思います。