文芸

窪美澄のおすすめ本ランキングベスト5!性と真正面から向き合い、描き続ける

更新:2020.11.30 作成:2016.12.5

女性の身体や性の在り方というのは神秘的なものです。人の生命をどう捉えるか、という問い掛けがそこにあるからです。今回は、妊娠や出産にまつわる「性」を真摯に追求し続ける女性作家、窪美澄の作品を5作ご紹介します。

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日常感覚に根ざした性意識を描き出す作家、窪美澄

窪美澄は1965年東京生まれの作家です。短大中退後、様々なアルバイトを経て広告会社に勤務。出産後、フリーの編集ライターとして活動。2009年に短篇「ミクマリ」で、女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞し、作家デビューしました。

窪美澄の短篇集『ふがいない僕は空を見た』は、2011年の本屋大賞第2位、山本周五郎賞を共に受賞。同作品は、2012年に映画化。さらに、第二作の長篇『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞しました。

育児雑誌でのライター経験もある窪美澄は、女性の「性」というものを秘すべき特殊なものとして捉えるのではなく、女性の日常に寄り添うものとして描きます。

作中で扱われる生理や妊娠、出産といった事柄は、決して特殊であったり異常であったりするものではないのです。それゆえ、性交のシーンが具体的に描写されていても、イヤらしさはあまり感じさせません。

窪美澄は性のエピソードについて書く時、「『これを書いちゃいけない』と思わないようにしよう」ということを意識する、とインタビューで語っています。タブー意識が逆に性の在り方を仄暗いものに仕立て上げるという側面がある、と考えているようです。窪美澄のこうした姿勢は誠実さの表れともいえるでしょう。

作中で扱われるテーマも次第に幅が出てきており、今後の作品にも着目したい作家です。

5位:やっかいなものを抱えて生きていく人々の物語 『ふがいない僕は空を見た』

本書は、窪美澄のデビュー作の「ミクマリ」を始めとする下記の5作からなる連作短編です。

・年上の主婦との情交を高校生の少年の視点から描いた「ミクマリ」。

・年上の主婦視点から描いた「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」。

・少年の同級生のガールフレンドの視点から語られる「2035年のオーガズム」。

・少年の級友の視点で語られる「セイタカアワダチソウの空」。

・助産師である少年の母親の視点から語られる「花粉・受粉」。

同一世界・同一時間軸で、それぞれ関係性のある5名の登場人物の視点によって、物語が紡がれています。

一つの大きな事件を異なる視点から多角的に描く、というのとは違いますが、幾つかの共通する出来事について、それぞれの人物の考えや思いが語られており、立体的に浮かび上がるようなお話になっています。

著者
窪 美澄
出版日
2012-09-28

窪美澄の文庫版の解説にもありますが、各短篇に登場する人物たちは必ずしも自ら望んだわけではない「やっかいなもの」を抱えています。彼(女)らは、それがために苦しみ、生き辛さも感じています。ですが窪美澄は、それでも真っ直ぐに生き続けるしかない、というエールを送るのです。

不倫や性交、出産というのは、ともすれば重くドロドロしがちな題材です。けれども、本作は性愛絡みのネガティブさに主眼が置かれているのではなく、少年が年上の女性に恋をする延長としての性交や、家庭を築いた女性の不妊の悩みといった問題を描き出すことに力点が置かれているので、あまり生臭さのようなものは感じられないと思います。

R-18文学賞の受賞作ではありますが、男女間のエロティシズムを前面に押し出すような物語というのではなく、人間の肉体や精神に伴う様々な問題を、衒わずあるがままに描いてみせた窪美澄の秀作です。

4位:震災を経て結び付く、異なる世代の二人の女性 『アニバーサリー』

東日本大震災を背景として、マタニティスイミングの指導員である70代の晶子と、カメラマンである30代の真菜の繋がりを描いた窪美澄の作品です。

晶子はいわゆるおせっかいなおばあさんであり、真菜は家庭の事情から愛に飢えています。二人の背景がそれぞれの幼少期から丁寧に描かれているため、どういう来歴をもつ人間なのかということが伝わってきて、人物像に厚みが出ています。

生まれ育った時代が違うということは、関わってきた人も、文化や技術も、全てが異なるということです。その違いは、晶子と真菜の距離感として表れます。二人は、手作りの食べ物を食べるかどうか、原発事故による放射能にどう対処するか、といった点で対立しながらも、次第に心を通わせていくのです。

著者
窪 美澄
出版日
2015-07-29

晶子と真菜に共通するのは、一度世界が終わっているという背景です。晶子は終戦と共にそれまでの社会の崩壊を体験していますし、真菜は1999年7月の終末の予言を漠然と信じる中で生きてきて、やはり滅びなかった世界を生きています。

そんな二人が、東日本大震災でまたも自らを取り巻く社会の変化や崩壊を目の当たりにし、次世代に命を繋いでいくということについて考えるのです。

敗戦後の混乱期や東日本大震災、原発事故といった事件、母との関係性、食の問題といった様々なテーマを絡め、纏め上げたこの物語の重量感は凄まじく、各要素を言葉で説明するのは難しいものです。ただ、全ての要素が関係しながら作中のテーマに繋がるシーンは、読んでいて唸らせられます。

時代を超えても受け継がれるものとは何なのか、窪美澄のこの作品を是非読んでみて頂きたく思います。

3位:ごく普通の家庭の苦しみと救いについて 『水やりはいつも深夜だけど』

窪美澄の本作は、同じ幼稚園に子供を通わせる家々の苦しみと、その救いを描く短篇集です。

・セレブママとしての仮面でブログを更新する反面、ママ友同士の関係に思い悩む主婦を描いた「ちらめくポーチュラカ」。

・仕事に忙殺されて育児に参加できず、妻や義両親とも険悪になり掛けてしまう夫を描く「サボテンの咆哮」。

・障害をもっていた妹の記憶に囚われ、自分の娘の発達障害をも疑ってしまう主婦を描く「ゲンノショウコ」。

・子供を産んだことで変化した妻とすれ違い、若い女によろめいてしまう夫を描く「砂のないテラリウム」。

・父の再婚によって義理の母と妹ができた女子高校生の戸惑いを描く「かそけきサンカヨウ」。

どの短篇作品も不穏な緊張感に満ちていて、読んでいてドキドキします。しかも、扱われる問題や確執が、どの家庭にも起こり得るような日常的なものだけに、虚構というには生々しいものを感じてしまうのです。

著者
窪 美澄
出版日
2014-11-14

たとえばママ友同士のイジメであったり、子育てを「手伝う」と表現してしまって妻に反発される夫であったり、自分の娘の成長は遅いのではないかと疑ってみたり。ごく普通の家庭にも訪れるような悩みですが、当事者にとっては決して軽いものではありません。

また、「サボテンの咆哮」の中に、育児に疲れて職場に復帰するのを諦めた妻が実家に入り浸り、子供が自分になついている実感が湧かない、という夫が描かれます。

子供は、仕事で忙しい自分よりも妻や義父母に笑顔を見せるけれど、どう育児に関わればいいのかわからない、という悩みです。子育てに対するこうした悩みを持つ父親も多いのではないでしょうか。そういった描写に、窪美澄の丁寧な目線が感じられます。

ありがちで、だけど辛く苦しい家庭の悩みにも、優しい救いは与えられます。家庭の中で思い悩んでいるという方におススメしたい窪美澄の一冊です。

2位:思春期を生きる三人の大人たちのお話 『よるのふくらみ』

29歳のみひろ、その婚約者の圭祐、圭祐の弟でみひろの同級生の裕太は、同じ商店街で生まれ育った幼馴染です。窪美澄の本作は、彼(女)らの三角関係が6つの短篇によって、順にみひろ、裕太、圭祐の視点で綴られます。

三角関係と言ってもメロドラマ風の要素が強いものではありません。それぞれの葛藤や苦悩が窪美澄一流の淡々とした筆致で描かれます。三者三様の性欲と愛情との交錯が、読んでいて胸苦しさを覚えさせます。

圭祐は性的不能に悩まされ、みひろは性欲と愛情の狭間で揺れ動き、裕太は別の子持ち女性との交際を考えます。幸せであるはずなのに、すれ違いが孤独を生み、愛情が信じられなくなっていく……そんなみひろと圭祐に対し、みひろに好意を寄せていた裕太も思い悩みます。

著者
窪 美澄
出版日
2016-09-28

大人になっても、恋愛や性欲というのは割り切ったり完全にコントロールできたりするものではなく、常に人を思い悩ませるものだということを、この窪美澄の今作は示してくれます。

例えば、みひろは婚約相手の圭祐に抱かれたいと思っていますが、自分からそれを言い出すのは恥ずかしいことだと思い、胸に秘めてしまいます。一方で圭祐は、みひろが自分と寝たがるのを、性欲からではなく単に子供が欲しいからだと誤解するのです。

男女間の悩みというものは、幾つになっても変わらないものなのかも知れません。年齢を重ねても好きな相手に会うと胸が高鳴りますし、想いが通じなければ落胆するものです。大人だからと冷静な素振りでいられたとしても、内心は思春期と大差ありません。

自分は大人だけれど大人という気がしない、という人は、窪美澄の本書を一読してみてはいかがでしょうか。恋愛をする誰もが、きっと同じような悩みを抱えているのだとわかりますよ。

1位:窪美澄の最高傑作! 『晴天の迷いクジラ』

田舎から上京してきて零細デザイン事務所に勤め、多忙ゆえ鬱になり、恋人にも振られてしまったデザイナーの由人。故郷と子供を捨て、女であることも捨てて零細デザイン事務所を切り盛りしてきた社長の野乃花。長女を幼くして亡くしたがため過干渉となった母親に振り回され、友人をも病で喪った引きこもりのリストカット少女の正子。

この三人が不思議な巡り合わせによって出会い、湾に迷い込んだクジラを眺めるうちに、自らの過去と向き合いながら心を整理していく窪美澄の作品です。

由人は現在に苦しみ、野乃花は過去に囚われ、正子は未来を見失っています。そんな三人が、「迷い込んだクジラを見に行く」という一つの目先の目的によって同行することになり、生きるということを見つめ直します。

著者
窪 美澄
出版日
2014-06-27

辛く苦しい時、ふと「死にたい」と思うのは、誰しもあることだと思います。ですが、他者との交流の温かさによって救われるというのもまた、よくあることです。それぞれに生き辛さを抱えた三人だからこそ、支え合うことができたのかも知れません。

三人が見に行ったクジラは、大海から小さな湾に閉じ込められ、座礁しています。生きるためにもがくクジラの姿は、置かれた状況に閉じ込められながらも懸命に生き抜こうとするものの象徴だとも読むことができるでしょう。

全てが一件落着するハッピーエンドというわけではありませんが、読み終えて心に小さく温かい灯がともるような、これはそんな窪美澄の小説です。


性というのは、覆い隠されるべきものとして扱われるものですが、そこには常に切実な問題が存在しています。窪美澄は、そういったテーマに正面から向き合うことで、男と女である人間の悩みや苦しみを描き出そうとします。

人間を描く上で避けて通れない性という問題。そこに当たり前のものとして付随する様々な想いを、窪美澄の作品から受け取ってみませんか。