世界の歴史を振り返ってみると、大きな転換点にはナショナリズムの高まりがあったことがわかります。一体どのような考え方なのでしょうか。この記事では、フランス、ナチスドイツ、日本を例にあげながらその歴史を振り返り、メリットや問題点をわかりやすく解説していきます。
歴史学者であり哲学者のアーネスト・ゲルナーは、「ナショナリズム」について、「政治的な単位と、文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義しています。
名称の由来である英語の「nation」の語源は、ラテン語の「natio」で、「生まれ」という意味です。そこから転じて、「人々」「親族」「部族」「階級」「群衆」などを指す言葉となりました。
日本語ではさまざまな立場や解釈にもとづいて「国家主義」「国民主義」「民族主義」などと訳されています。また日本ではナショナリズムを「愛国心」と結びつけることがありますが、ヨーロッパでは愛国心を「パトリオティズム」と呼んでいて、ナショナリズムとは別のものと考えるのが一般的です。
ナショナリズムの基本となる考え方は、18世紀に起きた「フランス革命」で始まりました。その後19世紀のイタリアやドイツの統一運動、第一次世界大戦後のオーストリア=ハンガリー帝国やロシア帝国の解体を経て、第二次世界大戦後にアジアやアフリカの植民地による宗主国からの独立運動で全盛期を迎えています。
ではナショナリズムという理念が勃興したといわれているフランスの歴史をみてみましょう。
もともとフランスでは、聖職者で構成される第一身分、貴族で構成される第二身分、それ以外の第三身分と人々が分類されていました。そして第三身分の者は、「自分はフランス国民である」という概念をもっていなかったようです。
しかし「フランス革命」が起きたことで身分制社会が解体され、国家の主権が君主から国民に代わると、「フランスの地に生まれ、フランス語を話す人は、身分に関わりなくフランス国民である」という考え方が広がります。
この風潮に脅威を感じた他のヨーロッパの君主国は、「対仏大同盟」を結成。しかしナポレオンが率いる「国民」によって構成された国民軍は、ヨーロッパ各国の軍隊を圧倒し、自由・平等・博愛の精神を広めていきました。
その後、ヨーロッパの君主たちは「ウィーン体制」を構築し、ナショナリズムを抑え込もうとしましたが、フランス、イタリア、オーストリア、ドイツをはじめとする各国で起こった「1848年革命」によって崩壊。抑圧されてきた民族がナショナリズムに目覚め、次々に独立運動を起こす「諸国民の春」が到来するのです。
フランスのナポレオン3世は「ナショナリズムの擁護者」を自認し、イギリスでは自由主義的改革が進行、ドイツやイタリアはそれぞれ国土の統一を実現しました。
その後フランスのナショナリズムは、1870年に始まった普仏戦争に敗れてアルザス=ロレーヌ地方を奪われたことで、ドイツに対する復讐心と結びつき、第一次世界大戦が勃発する大きな要因に繋がっていきます。
ナショナリズムという言葉が否定的に用いられるようになった最大の要因は、多くの戦争を引き起こした点にあります。その代表格ともいえるのがドイツのナチスであり、そのイデオロギーであるナチズムです。
ナチズムとは、ナチスと呼ばれる「国家社会主義ドイツ労働者党」を代表するイデオロギーのこと。ナチスが政権を掌握していた1933年から1945年までは、国家としてのドイツが掲げる公式イデオロギーとされていました。
1894年の「ドレフュス事件」をきっかけに結成されたフランスの王党派組織「アクション・フランセーズ」や、1904年にフランス社会党のピエール・ビエトリーが考案した「黄色社会主義」、イギリスの政治家ヘンリー・ハインドマンの「国家社会主義」などに影響を受けたとされています。
ナチスが台頭していた時代にドイツを統治していたのは、「世界でもっとも民主的」だといわれたワイマール憲法にもとづくワイマール共和制です。しかし民主主義を根幹に置いた政治はドイツ国民には受け入れられず、ナチスが唱える「反民主主義」「反議会主義」「反国際主義」「反平和主義」「反社会主義」「反合理主義」などの政策が民衆の支持を集めていきました。
さらに、後にホロコーストを遂行していく反ユダヤの精神は、当時のヨーロッパにおいては一般的なもの。ナチスが台頭するうえで障害にはなりませんでした。
1933年に首相に就任したアドルフ・ヒトラーは、「この地球は人種戦争の勝利者に贈られる持ち回りの優勝カップに過ぎない」と語り、白色人種、なかでもドイツ人を含むアーリア人こそが「他のすべての世界を支配する権利」を与えられていると主張。
世界の支配者であるべきドイツが第一次世界大戦で敗れた要因は、「マルクス主義の浸透」と「ユダヤ人ら劣等民族との混血による血の汚濁」によって「ドイツ民族が内面的に堕落してしまった」からだとし、この2つを取り除くことで「ドイツ民族を再び世界の支配者」にすることを目標とするのです。
そして第二次世界大戦の悲劇へと繋がっていきました。
日本でナショナリズムが形成されたのは、明治維新以降です。江戸時代までは幕藩体制のもと、人々の帰属意識は国ではなく、藩に向けられていました。
明治維新が起こり中央集権国家へと姿を変え、日本は急速に近代化を果たします。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と勝利を重ね、世界の五大国に名を連ねたことで、国民の間には「日本人は他のアジア民族よりも優れている」という意識が芽生えていきました。それは「アジアの盟主」として「ヨーロッパからアジアを解放する使命」を負っているという考えに変化をし、中国や東南アジアへの侵略を正当化する口実となります。
その後、第二次世界大戦に敗れた日本は戦後復興を遂げることで自信を取り戻し、世界第2位の経済大国になりますが、バブル崩壊とともに経済は停滞。2010年には中国にGDPを抜かれ、国際社会における日本の存在感は年々希薄化しているのが現状です。
国家の力は「経済力」「軍事力」「情報力」「文化力」というタイヤで駆動する四輪自動車に例えられることがありますが、現在の日本は「クールジャパン」に代表される「文化力」だけに頼らざるを得ない状況だといえるでしょう。ただ世界的に見ても、日本の文化が必ずしももっとも優れているわけではありません。
もしも世界に誇れるものがなくなった時、ナショナリズムが最終的に行き着くのは、歴史的に見て「日本人である」という事実そのものです。
グローバル化がすすみ、海外にルーツをもつ日本国籍のアスリートが活躍する姿も多く見かけるようになりました。「日本人による快挙」が賞賛される背景には、日本人が抱くナショナリズムも少なからず影響していると考えられるでしょう。
日本では否定的な意味で捉えられがちなナショナリズムのメリットと、問題点があります。
ナショナリズムには大きく2つの作用があるといわれています。ひとつ目は、同じ文化を共有する範囲を広げようとする「拡大」。ふたつ目は国内に存在する複数の文化を支配的な文化に同化しようとする「統一」です。これらが適切にはたらくと、ナショナリズムは国民が団結する接着剤の役割を果たします。
特に農耕を中心とした中世的な封建社会から、産業を中心とする近代国家へと発展するうえで大きく作用しました。イギリスやフランスで産業革命が進んだ際も、日本で「富国強兵」というスローガンのもと国家づくりがされ、近代化を成し遂げています。たとえば日本では、藩や地域ごとに異なっていた言語を、学校教育を通じて「日本語」として統一しました。これらはナショナリズムのメリットだといえるでしょう。
しかし、2つの作用のバランスが崩れると、かつてのフランスやドイツ、日本がおこなったような周辺国家への侵略に繋がりかねません。また独自の文化をもつ少数民族に対する差別や抑圧、最悪の場合は民族浄化などに繋がる可能性もあります。
また近年では、2つの作用がある程度満たされることで、「国家が閉鎖的になる」という問題も指摘されています。これは他国と国境を接していない島国で起こりやすいもの。日本の「ガラパゴス化」やイギリスの「ブレグジット」、島国ではないですがアメリカの「アメリカ・ファースト」という考え方も例として挙げられています。
- 著者
- アントニー・D. スミス
- 出版日
- 2018-06-08
オリンピックやワールドカップで自国の選手が活躍すると嬉しいように、誰しもが多かれ少なかれナショナリズムを抱いているといえるでしょう。
そんなナショナリズムについてよく議論されるのが、人為的に作られたものなのか、自然発生したものなのか。そして今後残り続けるものなのか、消えるものなのか、という点です。
本書はナショナリズム研究の大家として知られる作者が長年の議論を整理し、その全貌と積年の問いへの答えを提示したもの。ナショナリズムの概念、解釈、論争などを解説し、最終章では「将来展望」と題し、議論のすえに作者が辿り着いたナショナリズムの未来がまとめられています。
入門書といいつつもその内容は濃く、一朝一夕で読み切れるわけではないですが、ナショナリズムについて考えを深めたい方は読んでおきたい一冊です。