未解決事件と聞くと、そのミステリアスな響きに興味をそそられる人も多いのではないでしょうか。真実が分からないゆえに、さまざまな憶測、推理、噂話やウソが交錯し続け、ますます私たちの心を惹きつけます。 今回は、昭和最大の未解決事件とも呼ばれる「グリコ・森永事件」をモデルにした小説『罪の声』をご紹介。事件そのもののミステリアスさはもちろんのこと、それに作者の推察や心理描写がまじりあって読者をどんどん引き込んでくる作品です。 この記事では、作品の見所や、そもそも実際の未解決事件はどんなものだったのかなどについて説明していきます。
真相よりも真相らしいリアリティーと説得力で話題を集めた一冊、『罪の声』。
三億円事件と並び、日本の戦後最大の未解決事件のひとつといわれる「グリコ・森永事件」がモデルです。社長誘拐、複数企業への脅迫、菓子への毒物混入、警察をからかうような挑戦状、似顔絵となったキツネ目の男……。そのドラマチックな展開は、劇場型犯罪とまでいわれました。
『罪の声』は、その事件に新聞記者出身の作者ならではの綿密な取材、斬新な推理に加えた内容です。時間設定など実際の事件に揃えた部分も多いため、これが事件の真相なのではないかと信じてしまいそうになります。
この記事では、本作のミステリーとしての面白さや、人間ドラマとしての見所をご紹介。映画化についても触れさせていただきます。
このあとはあらすじ、そもそもの事件の説明をしていきます。作品の見所から読みたい、という方は目次などをご利用くださいね。
まずは『罪の声』のあらすじをご紹介しましょう。本作は、グリコ・森永事件を想像させる「ギンガ・萬堂事件」発生から約30年を経た現代を舞台としています。
物語の主人公は2人。1人目は、京都市内で地味なテーラーを営む曽根俊也。彼は偶然、この大事件で企業を脅したテープの声が、幼少時の自分の声だと知ってしまいます。
もう一人は、大日新聞大阪本社の新聞記者、阿久津英士。彼は、時効をとうに過ぎたこの事件を掘り起こす新聞社の年末企画に、畑違いの文化部から応援要員として駆り出されます。
この曽根と阿久津が、まったく異なる目的と、別々のアプローチで、犯人グループの陣容、テープの声の謎などに迫る様子が、リアルな筆致で描かれます。
本作は映画化もされ、キャストは、阿久津役に小栗旬、曽根役に星野源のダブル主演。2人の共演は初めてです。
監督は、それぞれ映画の『麒麟の翼~劇場版・新参者~』『ビリギャル』などを手がけた土井裕泰。プロデューサーの那須田淳、脚本の野木亜紀子は、星野源と大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』でトリオを組んだ仲です。
2020年全国東宝系にて公開。星野源主演ということで、主題歌にも注目が集まります。
つづいて本作のモデルとなっている「グリコ・森永事件」について説明していきます。
ストーリーは、日本を代表する製菓メーカーのギンガ、萬堂など、複数の食品・製菓メーカーが恐喝された大事件「ギン萬事件」を背景に、ストーリーが展開します。そのモデルとなった実在の事件が「グリコ・森永事件」です。
1984年3月、大阪に本社を置く有名な食品メーカー江崎グリコの社長が誘拐されました。グリコ・森永事件とは、この誘拐・身代金要求事件を発端として、翌年1985年まで続いた、関西を中心とする一連の企業脅迫事件です。江崎グリコのほか、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家などの食品会社が標的にされました。
犯人グループは「かい人21面相」と名乗り、誘拐・脅迫のほかにも、会社施設への放火、お菓子への毒物混入などを行い、世の中は騒然となります。また、企業への脅迫状とは別に、新聞社や週刊誌に挑戦状が送られ、警察を小ばかにするような文面も話題になりました。
1985年8月、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終結宣言が届き、以後犯人の動きがなくなります。
2000年2月、事件にかかわるすべてが控訴時効となり、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件として、多くの謎を残したまま完全犯罪が成立しました。
本作最大の魅力は、これが真実なのではないかと読者に思わせるようなリアルさ。作者の塩田武士が、神戸新聞社記者だったこともあり、そこで培われた取材力が生かされています。
作者は「グリコ・森永事件」をモデルにしたと明言しており、事件の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事件報道について、極力史実通りに再現したそうです。
巻末の謝辞には、「ミスター・グリ森」と呼ばれ、今でも事件の真相を追う元読売新聞記者加藤譲の名前が挙がっています。株価操作が事件の目的ともいわれることから、経済ジャーナリスト、元証券会社社員への取材も綿密に行ったそう。
また、有識者だけにとどまらず、自身の足で情報を稼ぎにいっているのも本作をより現実味あるものにしています。
主人公のひとり、阿久津が事件のカギを握る人物を追ってイギリスに渡り、ヨークやシェフィールドを回る様子は、作者の実体験がベース。阿久津と同じく英検準一級を取得しイギリス取材を進めたそうです。
さらにもうひとりの主人公曽根がテーラーに務めているということで、そこでもじっくり話を聞いたそう。さすがの念の入れようです。
本作では、山田風太郎賞を受賞しています。さらに2016年版の「週刊文春ミステリーベスト10」では第1位に輝き、その内容がお墨付きなことがうかがえるでしょう。
- 著者
- 塩田 武士
- 出版日
- 2019-05-15
本作は、主人公のひとりであり、事件に自分の幼少期の肉声を使われた曽根の揺れる心にも惹きつけられます。この部分が見所になったのは書籍化されるまでの経緯が関係あります。
もともと「小説現代」電子版に連載された小説がもとになっている本作。そのときのタイトルは『最果ての碑』でした。そこから、大幅に加筆修正され、『罪の声』と改題して出版されることになります。
出版にあたっては、作者についていた3人の歴代担当編集者から意見をもらったそうです。指摘の多くは、曽根に関するもの。電子版では、犯人グループの割り出しにウエイトが置かれ、新聞記者の阿久津とは別ルートで真相を追う曽根の心理描写が弱かったという内容だったそうです。
改稿のプレッシャーは相当大きかったようですが、曽根の描き直しが奏功し、本作では、そのパートが作品のひとつの見所になるほど深く描かれています。
事件の闇が深ければ深いほど、曽根はどこまで真相を知っていいのか、怖さを感じるようになります。世間を騒がせた事件の片棒を担いでいたと明らかになってしまうのではないか、という怖さです。
曽根は決して、悪者を退治するヒーローではないので、その恐怖に果敢に立ち向かう、という風に彼の生きざまは描かれません。しかし、知ることよりも大切な、守るべきものがあることに気づく様子は、共感できるところが多く、現実にありそうな落としどころだと感じる人も多いのではないでしょうか。
自分の声が自分の知らないところで大変な事件に使われ、それによって、30年後にまで自分の生活が揺さぶられることになる……。彼の葛藤が深いほど、『罪の声』というタイトルも効いてきます。
主人公それぞれのストーリーが進んでいく本作。阿久津のパートでは、ミステリーらしい謎解きの面白さが味わえます。
当初、畑違いの部署から回された阿久津は、真相追及にむけてのやる気が今一つでした。しかし事件にかかわった多くの人々のその後の人生を知るにつれ、しだいに本気になっていきます。
やがて彼は、事件の関係者から見せてもらった一枚の集合写真で真相に一気に近づきます。そこに写っていたひとりは、まぎれもなくキツネ目の男。事件の中心にいたはずの彼が、単なる目撃証言や似顔絵でなく、リアルな存在となるのです。
ひとりひとり、犯人グループ「くら魔天狗」のメンバーの素性が明かされていく、読者をじらすような展開にどんどん引き込まれることでしょう。読み進めるうちに、阿久津と一緒に取材の現場を歩いているような気持ちになっていくようです。取材が空振りに終わればがっかりし、新たな発見にどきっとさせられます。
曽根が心理描写で読者を引き込んでくるパートなら、阿久津のパートは謎が明かされていくミステリーの王道の面白さ。想像していたのとは違う展開に、「え、本当に?」と驚かされる連続で、ページを繰る手が止まらなくなります。
最後に、結末の見所をご紹介しましょう。
本作の大きな特徴は、この事件に巻き込まれた子どもたちへの視線が常にある点です。さまざまな人の証言から真実が現れるとともに、そこに翻弄された人たち、特に立場の弱い子どもたちが負った苦労も明らかになるのです。
実は「ギン萬事件」で犯人が録音テープに使ったとされる子どもは3人いました。このうちひとりが曽根です。残りの2人は、当時十代の少女と小学校低学年くらいの男児。
終盤にかけては、どうして彼らが、その声を吹き込むことになったのか、というのが最大の見所です。曽根以外の2人の子どもたちの現在にも注目してみてください。
結末は、それぞれの立場になんとも胸が痛くなるもの。事件当時大人だった登場人物たちに共感できるところもありますが、やはり子供たちの未来を変えてしまったことは事実。事件によって変えられてしまった未来、作中の結末では現在に思いが馳せられます。
その内容は、ぜひご自身でご覧ください。
- 著者
- 塩田 武士
- 出版日
- 2019-05-15
今回記事でご紹介しなかった本作の魅力のひとつに、社会を揺るがした大事件にかかわった人々の、事件後30年間が丹念に描かれている点があります。一市民から、犯罪者、犯罪者の知人、マスコミまで、それぞれの人物にそれぞれ納得できる人生があることが、フィクションでありながら真実のように見える秘訣なのかもしれません。
映画作品でも、事件が発生した1980年代半ばの空気、30年以上にわたり関係者が抱いてきた思いなどをどこまでリアルに、エンターテインメント性を保ちながら描けるかが見所でしょう。
文化部の記者であることから、最初はなかなか過去の事件の掘り起こしに真剣になれない阿久津、紳士服の仕立てに真摯に取り組みながら、事件の真相を知ることが家族の幸せにつながるのか戸惑う曽根を、小栗旬と星野源が演じます。
阿久津が事件に本気となるスイッチの切り替わり、平凡だった曽根が突如事件に巻き込まれていたことを知るの日常と非日常のコントラストを、それぞれの俳優がどう演じるかに期待が高まります。
プロデューサーの那須田淳は、脅迫テープに自分の声が使われたことを30年後に知るという原作の「着想の凄み」に圧倒されたそう。原作者も、自分の予想を超える配役、考えうる限り最高のプロが集ったと、映画化に期待を寄せています。
中身の濃い一冊だからこそ、クリエイターたちも本気になるのでしょう。多くの人を巻き込みながらいまだに解決していない事件が題材ということで、半端な気持ちでかかわってはいけない作品だともいえます。
映画を見る前に一読、見終わったら精読したい一冊と言えそうです。
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今回紹介した塩田武士『罪の声』は、難事件の解決編とさえいえる迫力のある一冊といえるでしょう。本作を入り口に、戦後昭和の闇を描いた小説・ノンフィクションなどを読んでいくのも、楽しい読書体験になるのではないでしょうか。