大人になった私と魔法の話【荒井沙織】

大人になった私と魔法の話【荒井沙織】

更新:2021.11.21

杖を一振りするとカボチャは馬車になり、箒に跨れば空を飛べる。そんな王道はもちろん、悪役が使いこなすような恐ろしいものまで、 “魔法でできること” の様々なイメージを、私は本や映画を通じて蓄積してきた。誰でも人生のどこかに、使ってみたい魔法が一つはあったはずだ。最近、とあるドラマから影響を受けたことで、再びそんな世界を覗いてみたくなった。「魔法なんてないさ。」なんて言わずに、大人になった今だからこそ、新たな捉え方で魔法に触れてみませんか?

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ふたつの世界

いつかは自分も魔法を使えるようになると思っていた。

これを改めて文字にすると、読者の皆さんに、荒井沙織は必要以上に夢見心地な人間なのではないかという印象を与えてしまいそうで、デリートキーを連打したい衝動に襲われた。子どもの頃の可愛らしいエピソードでしょう、と片付けたいけれど、たしか中学生まではそんな願望があったはずで、そうなると当時もまぁまぁ成長した子どもなのだ。できれば、令和時代の大人びたティーンエイジャーには知られたくない過去だ。

このことは家族にも友人にも、話したことはない。心のどこかで、人に話せば馬鹿にされそうだと当時も思っていたのだろう。それに、本や映画の中に登場する新人魔法使い達は、世襲の場合を除けば、《ある日突然、思いもかけず、魔法が使えることを知る》というケースが多かった。だから《魔法が使えるようになること》を期待して待ち構えるのはなんだか違うような気がして、せめて騒がず静かに待つことに決めていたのだった。

そうして密かに魔法を待ちながら、耳をすませて目を凝らせば、既に身の周りでは不思議な出来事が起こっているかもしれない、と思っていた。きっとその世界への扉を開くカギは、いざという時に現れる “サイン” に気づくことだったりするのかなとも考えて、静かな部屋で一人ぎゅっと目を閉じ「今なら気持ちの準備ができています!サインをくれるなら今どうぞ!」と念じてみる、なんてこともやった憶えがある。

小学校の図書館で見つけてから、卒業まで毎年読んでいた魔女の本。

著者
角野 栄子
出版日
2003-06-20

夜を徹して読んだ大ヒットシリーズ。

著者
J.K.ローリング
出版日
1999-12-01

成長の過程で、私もそれなりに学校に行きたくないなと思う日があった。

そんな気持ちの時には特に、同時に進行しているかもしれない別の世界に意識を遣ることは、流れ続ける日常をほんの少し離れたところから眺める、良い息抜きになっていたはずだ。

今でも小説や映画に没頭することが好きなのは、自分の中にパラレルな世界を持つ感覚によってリフレッシュできる、というのが大きな理由の一つになっていると思う。

魔法はどこから?

諸説あるうちの一つだが、魔法というものの起源を辿れば、古代において偶発的な自然現象を受け入れ、その不安や恐れに対抗するために興った、という見方があるようだ。これは、現代に続く様々な信仰の起源にも通じているように思える。

ところで魔法使いというと、私はなんとなく中世ヨーロッパの雰囲気をイメージする。明らかに文学作品や映画で目にしてきたものの影響を受けてのことだが、なぜこういった印象が現代にまで継続し根付いているのか、その一端として納得させられる記述に出会った。

魔女とも聖人とも言われたジャンヌ・ダルクについて書かれた一冊『ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女』によると、フランスでは、たとえ脱神話や近代化への動きのさなかにあった時代にも、「神の声」を聞き国を動かしたとされるジャンヌ・ダルクの、超常的な部分の否定や解明は積極的に行われなかったそうだ。

“フランスは「神秘」を温存したばかりではなく、そこから積極的に神話を創りあげてきた ”
“ヨーロッパの国々では、今でもそこかしこに「神」が、「神秘」が、「中世」が息づいているのが感じられる ”(『ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女』より引用)

魔法というものに中世を感じるのは、「神秘」が尊重される社会が脈々と続いてきた証だ。中世の頃より今日まで、神秘に惹かれる感性や信仰心と、学術的・政治的な調和を図り続けてきたという土壌があったからこそ、ヨーロッパで、魔法はすくすくと育ってきたのだろう。

著者
竹下 節子
出版日
2019-06-12

小説やゲームに登場する魔法の元ネタがわかるかも!?

著者
オーブリー・シャーマン
出版日
2019-10-25

30歳、善い魔女と出会う。

30歳、善い魔女と出会う。

Netflixが好きで、何かしらの作品を観ない日は無い。そんな視聴生活で、昨年末に出会ったのがドラマ『グッド・ウィッチ』だった。

舞台はアメリカの小さな田舎町、高校生の娘を育てる母親が主人公だ。彼女は雑貨店と民宿を営みながら、家族や民宿のゲストに留まらず、町中の人たちを手助けしている。個性豊かな住人たちの日常にはどこか愛らしさがあり、心の揺らぎや葛藤、喜びといった様々な感情を、丁寧に描いている。しかしこのドラマの本当の魅力は、穏やかな田舎町の生活を見せる、単なるヒューマンドラマではないということだ。

主人公・キャシーは、魔女の血を引いている女性だ。彼女はその不思議な力を使って、人々をより良い方向に導いているのだ。つまり、このドラマは分類すればファンタジーという区分になる。「あぁ、ファンタジーか。」と、その時点で関心が薄れてしまう人もいるだろうが、このドラマは例外的に考えてみてほしい。

キャシーの魔法はさりげない。助けられた人たちは、なんだか不思議だとは思いながらも、彼女の図らいが直接的に作用したから物事がうまく運んだ、ということには、ほとんど気付かない。ここに登場する魔法は、当事者からすれば “ラッキーな偶然” としてごく自然に受け入れられるようなものなのだ。

何の気なしに観始めたこのドラマに、自分がどこか懐かしい嬉しさを感じていると気付いたのは、2、3話ほど観進めた頃だった。それは、ファンタジー好きだからでも、田舎町への郷愁を感じたからでもない。見つけたのは、現実世界と調和した魔法。子ども時代に憧れた魔法の世界が、最も有り得そうな形で目の前に現れたと感じたからだった。

杖の先から光を出して呪文を唱えたりするのではなく、12歳の私が部屋の中で一人ぎゅっと目を瞑って探したような、ささやかな “サイン” のような魔法。もしかしたら、大人になった今だからこそ気付ける、魔法のような出来事は多いのかもしれない。グッド・ウィッチを観ていると、キャシーの魔法の2割くらいは自分にもできそうな気がしてくる。思いやりと、優しい想像力を持てたなら、きっと。だから30歳の私は、誰かのキャシーになれたらいいなと思う。

ホリスティック

ドラマの中のキャシーの影響で、興味を持ったものがある。それが、ホリスティックだ。

日本ホリスティック医学協会のWEBサイトによると、 “全的” という意味を持つ ホリスティックについて、“人間を「体・心・気・霊性」等の有機的総合体ととらえ、社会・自然・宇宙との調和にもとづく全体的な健康観に立脚する” と説明している。

具体的には、西洋医学の利点を生かしながら、そこに中国医学やインド医学といった各国の伝統医学、さらには心理療法や栄養療法なども取り入れることで、総合的に健康を目指す、という考え方のようだ。

ドラマの中では、頭痛がすると言って雑貨店を訪れた客に、キャシーがハーブティーや精油を奨めている、というようなシーンが多く見られる。それが私にはなんとも “現実に存在する本物の魔女” っぽく見えて、そんな知識を持つのも楽しそうだと思ったのだった。

お気付きの通り、私は好きな映画や本の世界から、積極的に影響を受けるタイプなのだ。だから、ホリスティックの知識はないけれど、今日はキャシーの真似をしてハーブティーを飲んでみようかなと思う。それで気持ちがホッと緩んだら、私も癒しの魔法を使った気分になれそうだ。

撮影: 荒井沙織
著者
グレアム トービン
出版日
2014-01-28
著者
出版日
2014-07-10

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