「警察」と聞くと、小さな頃は街の正義を守るヒーローなんかを思い浮かべたりしましたよね。しかしその実態は、超過勤務に苦しみながら市民に悪口を言われる、超ブラックな職業!漫画「ハコヅメ」は、新人女性警官の川合麻依と指導員の藤聖子の日常業務を中心に、警察官のリアルな現場を時にコミカル、時にシニカルに描くブラックユーモアに溢れた漫画となっています。 今回はそんな「ハコヅメ」の裏話や伏線解説を交えて、作品の魅力をご紹介していきます。
警察は日本の治安を守る正義の職業……と、多くの人がそう思っているでしょう。主人公の川合麻依は、収入が安定しそうというだけ理由で、大義もなく警察になった新人巡査です。
川合は物語開始早々、激務に嫌気が差して警察を辞めようとしますが、そんな時に新しい指導員がやってきます。元刑事課のエース、藤聖子です。良くも悪くも警察官らしくない藤の仕事振りを見て、川合はあらためて警察の職務に取り組んでいくようになります。
「ハコヅメ」は交番勤務の日常をコメディタッチで描く異色作。面白さの中に奇妙なリアリティを感じられるのが本作の魅力。それもそのはずで、作者は10年間警察に勤めていた元女性警官で、作中の内容のほとんどが体験談だというのです。
なぜ作者は警察官から漫画家になったのか?どうして、いい意味でおかしい「ハコヅメ」を連載することになったのか。
作者の面白エピソードを交えながら、「ハコヅメ」の見所をご紹介していきます。
「ハコヅメ」の面白さは、登場人物があくまでも普通の人間という点。古い刑事ドラマでよくある熱血でもなければ、なんでもズバリ言い当てる頭脳派でもなく、「市民感覚が身についた警察官」というのがリアルです。
まず川合の志望動機が、あまりにも緩いのが物語としては斬新。父親のブラック企業勤めを反面教師として、安定収入の公務員を志望したというのです。しかもそのなかで警察を選んだのは、他はすべて落ちて選択肢がなかったからという適当さ。
現代日本でも、安定した公務員を目指す人は少なくありません。そう考えると川合の志望動機は現代人らしいと言えばらしいのですが、警察官がそんなことでいいのかと疑問に思ってしまいます……。
実は読者がそんな疑問を持つことこそ、作者・泰三子の狙いです。
泰はインタビューで、警察官時代に広報として学生の社会科見学を担当したことを語っています。その時彼女は、警察官を諦めた男子高校生と出会いました。
彼は、「警察官は立派な人がやる仕事」だと親に言われ、「自分はそうではないから」とあきらめてしまったそう。確かにそう思う人も多いのかもしれませんが、警察にいるのは「一生懸命働く、普通の人」ばかりだと泰は話します。警察官とは、結果的に、立派に見えるだけ。
泰はその男子高校生に、そのことをうまく伝えることができず、悔しい思いをしたそうです。
一般に知られていない警察の本当の姿を、どうすれば誰にでもわかりやすく伝えられるのかと悩んだ結果、漫画で紹介することを思いつきます。
そして「ハコヅメ」が生まれました。本当の警察の姿をわかりやすく見せる。川合の言動が緩いのに妙にリアルなのは、こんな理由があるからなのです。
- 著者
- 泰 三子
- 出版日
- 2018-04-23
公務員は安定職。事件事故を扱っていても、警察官も公務員だから安定しているはず……と思いきや、そんなことはありません。「ハコヅメ」でもたびたびブラックな仕事環境が取り上げられますが、実際の現場はさらに過酷。
単調で代わり映えしない業務、うんざりするような研修、拘束時間がひたすら長い勤務……などなど、数え始めれば切りがありません。泰によると、新人時代は仮眠4時間で実質24時間勤務だったとか。
指導員・藤は、警察官の仕事を「サンドバッグ」に例えています。
警察官の仕事は、犯人を追いかけるような派手な事件ばかりを扱うわけではなく、普段は法律違反の取り締まりなどで恨まれることの方が多いといいます。どれだけ悪口を言われても、立場上言い返せない…そのやるせなさは作者の実体験でもあるようです。
また第2話では川合が、スピード違反をしたお婆さんの取り締まりで罪悪感を覚えています。これも警察官はよく経験することのようで、図々しく逆ギレする違反者の方が、後腐れなくスッキリ対処できて助かったとのことです。
この他にも、作者の体験したブラックな環境が、作品のそこかしこに反映されています。
「ハコヅメ」はかなりぶっ飛んだ警察漫画ですが、その作者たる泰三子も相当な変わり者です。本作が生まれたきっかけはさきほどご紹介しましたが、なんと漫画を描こうと実際に行動し始めてから、1年そこそこでデビューしたというのだから驚きます。
警察を広く知ってもらうのは、警察広報の仕事です。しかし泰は当初から「立派じゃないし、大したことない」を強調するつもりだったので、イメージ向上が基本の広報でそんなことは絶対にできません。
そこで雑誌投稿を思いつき、たまたま送ったのが現在「ハコヅメ」の連載されている青年誌「モーニング」でした。この時点では、ほとんど素人にもかかわらず、構成の巧みさと作業の速さや連載漫画の穴埋めにも活用できる1話の短さが評価されて、またたく間に雑誌に掲載されることが決まったのです。
漫画を描こうと一念発起してから数ヶ月で短編『交番女子』が数回誌面に載り、2017年11月からは「ハコヅメ」の連載が始まりました。泰は元々似顔絵は得意だったとのことですが、それでも漫画は完全に素人。ネット上のイラストや漫画を参考にし、めきめき上達したそうです。それにしてもたった1年でゼロから連載デビューはまさに異例といえるでしょう。
昨今はネット発のアマチュアがプロデビューする例が増えていますが、それにしてもこのスピード感は尋常ではありません。泰三子には天性の漫画の才能があるのでしょう。
本作は実体験に基づく警察の日常が魅力的な漫画ですが、作品の面白さは作者・泰三子の力によるところが大きいです。なぜこんなに面白いのかというと、それは本人が面白い人物だからに他なりません。
すでに少し触れましたが、泰は作品構成の上手い作家です。ところが学生時代は実家が貧乏だったこともあって、漫画はほとんど読んでいなかったそうです。身近にあったのは学習漫画の『まんが日本の歴史』ぐらいだったとか。
漫画にまつわる他の話に、警察になるよりさらに前、泰三子の高校時代のエピソードがあります。当時から絵の上手かった泰三子は、なんとなく漫画家になると母親に言ったところ、「じゃあ医者を目指さないと」などとわけのわからない言葉を返されました。これは母親が手塚治虫(医師免許を持っていたことで有名)しか漫画家を知らなかったせいで起こった、「笑撃」のすれ違いです。
また泰は自分も含めて家族はみんな要領がよく、パートリーダーを輩出する家系だともインタビューで語っています。仕事はなんでもこなすし、指示もできてパートなどでもほどほどに出世する……ということだそう。周りにいたら、思わず頼りたくなるような存在なのでしょう。
ただとにかく前向きで、当たって砕けろ精神があることだけは伝わってきます。思い切りと要領がいいからこそ、警察を辞めて漫画家になれた。新しいことしか考えないから、常に読者を飽きさせないのでしょう。
「ハコヅメ」自体もそうですが、作者の泰三子が非常に味のある作家なので、作品を通して愉快な作者の面白い体験をもっと知りたくなってきます。
- 著者
- 泰 三子
- 出版日
本作は基本的に1話完結のショート漫画ですが、実はストーリー漫画としてもよくできた作品です。ここからは「ハコヅメ」本編に巧妙に隠された伏線から、作品の面白さをご紹介していきます。伏線の関係上どうしてもネタバレになってしまうので、未読の方はご注意ください。
そもそもタイトルの「ハコヅメ」とは、一体なんなのでしょうか。第1話で交番が「ハコ」と呼ばれていたことから、長らく「ハコヅメ」=「交番(ハコ)勤務」だと思われていました。しかし10巻で突然、秘められた真の意味が明かされたのです。
藤は初登場の際、ダンボールを抱えていました。この中身が実は異動で持ってきた荷物ではなく、ある未解決事件の資料だったことが発覚します。
つまり「ハコヅメ」とはダンボールの中に入った資料、すなわち「未解決事件」を意味するタイトルでもあったのです。
藤が交番勤務にまで持ち込む、未解決事件とは……。
藤が交番勤務になった理由は当初、後輩へのパワハラで左遷されたためと説明されていました。しかし後に、この異動は藤が未解決事件のために、自ら望んだことがわかってきます。
この未解決事件とは、過去編「同期の桜」で重傷を負った桜のひき逃げ事件のことです。事件に「守護天使」なる人物が関係していると睨んだ藤は、独自に捜査していました。そんな時、藤は桜によく似た雰囲気の川合を署内で偶然見かけて、「守護天使」が彼女の前に現れるのではないかと思って近づいたのです。
また川合自身も似顔絵のうまさが評価され、捜査一課の源誠二によって「守護天使」捜査に知らず知らずに関わっていくことになります。
似顔絵がうまい……というと、もともと似顔絵がうまかったことから漫画家としての上達もあっという間だった作者自身のことを思い出しますね。作者のエピソードも重ね合わせると、作品の見方が変わってくるでしょう。
似顔絵が得意な警察官が主人公の「This Man」を紹介したこちらの記事もおすすめです。
【ネタバレ注意】漫画「This Man」不気味さに惹かれるサイコサスペンス。全巻の見所を紹介
「This Man」とは、アメリカの都市伝説です。さまざまな人の夢に共通して登場する不気味な男のことを刺します。『This Man その顔を見たものには死を』は、そんな「謎の男」を中心としたサイコサスペンス漫画。その男は次々と事件を起こし、警察官の主人公ととある少女が巻き込まれていき……。その不気味さと、先の読めない展開が話題の本作は、サスペンス好きに絶対オススメの作品です。 原作を担当するのは、本作でデビューを果たした花林(かりん)ソラ。作画は、『BLOODY MONDAY』の作者として有名な、恵広史(めぐみこうじ)が担当しています。
- 著者
- 泰 三子
- 出版日
「ハコヅメ」は「交番女子の逆襲」というサブタイトルの方も謎でした。実質的な前身の1ページ漫画が『交番女子』だったので、その続編という意味としか思われていませんでした。ところが藤の過去を描く「同期の桜」シリーズを経て、第104話でついにサブタイトルが回収されたのです。
「同期の桜」は藤と仲の良かった桜という同期の女性警察官が、事件で負った障害をはね除けて、復活する感動的エピソードでした。
その中で桜が藤に出遅れた分、仕事量で見返して「逆襲」するという目標が語られたのです。この「逆襲」とは藤に追いついて、藤の負担を減らして活躍することを意味します。そして桜の「逆襲」を知った川合は、自分も「逆襲」しようと心に決めるのでした。
つまり「交番女子の逆襲」とは、交番女子=川合が藤に恩返ししていく物語だと解釈可能になったのです。お見事なサブタイトル回収としか言えません。
- 著者
- 泰 三子
- 出版日
1話ずつの完結ストーリーとしても楽しめながら、徐々に伏線が回収されていくなど全体をとおしても味わいのある本作。謎がすべて明かされてしまうと、作品自体が終盤に差し掛かっているのではないかと不安になりますが、まだまだここから「逆襲」が始まるところ。
ぜひ、作者の魅力も知ったうえで「ハコヅメ」を手に取ってみてください。
いかがでしたか? 本作はあまり馴染みのない警察、それも交番勤務という題材だけでも非常に興味深いです。実体験を元にしたエピソードの数々はどれも面白いので、ぜひ実際に読んでみてください。