恋愛ができないので、「愛」について学べないか本に聞いてみた

更新:2021.12.12

唐突ですが「愛」ってなんでしょう。よくわかりません。気軽に恋愛など出来ればいいのでしょうが、残念ながらそう簡単にもいきません。何か、他の方法で「愛」について学べないだろうか。せっかく本が沢山あるので、試してみました。

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そもそも「愛」って何なのか。

『ゆっくり、いそげ』(影山知明、大和書房)は西国分寺にあるカフェ、クルミドコーヒー店主の影山知明さんが書いた、エッセイ、ビジネス書…あるいは生き方の本だ。いろんなエッセンスがあるのだけれど一つだけ紹介すると、クルミドコーヒーでは、基本的にポイントカードや値引きをしない。それは「自己利益を最大化させる人格」をお互いに刺激しないためだという。

もっと安く、もっと利益を。そういう経済の形を認めながらも、逆に「贈る」ものを増やす。「give」の姿勢で取り組む。例えばそれは長野までくるみを摘みにいったり、そのくるみの皮を一つ一つ剥きながら手作りの商品を提供したりすることに繋がる。それを感じてお客さんも駅前の安いチェーン店ではなく、少し高いコーヒーをクルミドコーヒーに飲みにきてくれる。これはお客さんへの信頼と愛であるなぁと思う。

そう。 愛は「与えること」なのだ。

著者
影山知明
出版日
2015-03-21
与えるといっても様々な形があるが、やはり最たるものは食事だろう。暖かみのある食事は、みんなに安らぎを与える。たとえ、その相手がバッタでも。

『孤独なバッタが群れるとき』(前野ウルド浩太郎、東海大学出版会)は由緒正しきバッタの研究書である。小さなころ「自分もバッタに食べられたい」と思った著者が、バッタとともに成長していく青春物語だ(だが、研究書だ)。その中でバッタの飼育エピソードが出てくる。学生であった著者は研究用のバッタの世話のため、えさ用の畑(!)に行き、50グラム以上の草を刈る。このとき、えさ用の瓶に差し込みやすいように、切った草の方向を揃えておくのが出来る男の心遣いなのだそうだ(やはり出来る男は違う)。

これを愛と呼ばすして、なんと呼ぼうか。なお、この本の末尾はバッタへの感謝の言葉で締めくくられている。完全に純愛である。

そう。愛とは「飼育」である。

著者
前野 ウルド浩太郎
出版日
『競馬漂流記』(高橋源一郎、集英社)は、作家、高橋源一郎が書いた競馬エッセイだ。90年代初頭、競馬誌に連載されていた。著者は世界の競馬場を旅し、そこで歩き、人と話し、馬を見る。その一つ一つに物語がある。騎手でも、関係者でもない。コースの外から、「観戦者」としてしか見られない光景。それが極上ともいえる文章で記されている。本文の中で著者が、ある調教師が書いた競馬とは無関係の話が多い、一見すると冗長な新聞エッセイを読んで語る場面がある。

「彼が書こうとしたのは、この国の競馬の底に流れているものだ。それは「金」や「経済」ではなく、「勝敗」や「名誉」でもない。 (中略) この国の競馬の「底」にあるもの。それは競馬という、その半身が自然によって、別の半身が文化によって作られた不思議な「営み」そのものである。」

この本自身も、まさに“そういうもの”だと思う。それは僕なりに理解すると、馬、競馬場、そしてそれに関わるすべての人への愛なのだ。

そう。愛とは「観戦」である。

著者
高橋 源一郎
出版日
2013-09-20
「観戦」、というと僕が一番身近なのは野球だったりする。テレビもあるがやはり最高なのは球場観戦だろう。

『球場ラヴァーズ』(石田敦子、少年画報社)は、球場観戦マンガだ。なお、このマンガでのひいきの球団は広島東洋カープ(余談だが、僕は別球団を応援している)。球場の応援席を舞台に、登場人物の成長が描かれる。野球を知らない方には「?」だろうか。しかし野球場で、応援で、人は成長するのである。印象的なエピソードを一つ。

ある女性が不倫をしている。相手は妊娠中の奥さんがいる男性。不倫をごまかすために野球場を待ち合わせ場所にしている(家に帰らない口実、的な)。球場に入っても一度も野球は見ていない。しかしもちろん、相手は割といい加減な男なのでだんだん約束をすっぽかされ、一人球場で待つことが多くなる。そこで一人の選手の名前を耳にする。

−−黒田博樹

2006年。当時、予算もなく優勝からも長く遠ざかっていたカープ。その中で孤軍奮闘を続けていたエースピッチャー。移籍が確実視されていた中で、黒田はあえてカープに残り、野球ファンに感動を与えた。

そして2007年。海外のメジャーリーグへの移籍が確実視される中で、球場のファンはこう言うのだ。「20年もない投手生活。短い短い選手生命の1年をカープにくれた。それだけでもういいなぁ」、と。
「黒田は出て行くだろうね。でも感謝しかないや」、と。

そして彼女は思う。
「ああ、愛されるってこういうことだ。だれも見返りを受け取ろうとしない」

彼女は一人球場に残り、初めてちゃんと野球を見た。
まぁおそらく、これが本当の「愛」なのだ。

そう。愛とは「無償」である。

著者
石田 敦子
出版日
2010-08-23
先ほどのファンの言葉には続きがある。
「願わくばカープで優勝して胴上げされる黒田をみたかった」
黒田博樹は2015年。海外での推定1500万ドル以上のオファーを蹴って、広島東洋カープに復帰した。

著者
石田敦子
出版日
2015-06-30

ときには、恋愛と全く関係ない本の方が雄弁に愛を語っていることもある、と思うのです。

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