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初心者におすすめの阿川弘之作品5選!キーワード「旅」から入る

更新:2020.12.2 作成:2016.12.19

作家・阿川弘之をひも解くうえで、知っておきたいキーワードがあります。それは、帝国海軍出身、志賀直哉の弟子、旅好き、以上3つのキーワードです。今回は初心者でも分かりやすい「旅」に焦点をあて、「旅」に関連した阿川弘之作品のおすすめエッセイ5選をご紹介します。

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阿川弘之ってどんな人?

大正9年、広島県で生まれた阿川弘之は、旧制広島高等学校を卒業後、東京帝国大学文学部国文科に入学します。大学卒業後は、海軍予備学生として海軍に入り、中国の漢口で終戦を向かえます。復員後は、「小説の神様」と謳われた“志賀直哉”に師事。昭和30年には、ロックフェラー財団のフェローとしてアメリカに留学。以後、その生涯を閉じるまで、多くの作品を発表しました。

主な作品には、学徒出陣の経験に材を取った『雲の墓標』、『山本五十六』、『米内光政』、『井上成美』の海軍提督三部作をはじめ、評伝『志賀直哉』やエッセイ『食味風々録』などがあります。

また旅好きでも知られており、『お早く乗車お願いします』や『南蛮阿房列車』などの旅関連の著作も多数。日本芸術院会員で、文化功労者、文化勲章受章者でもあります、2015年に亡くなりました。享年94歳。エッセイスト・タレント活動を行う阿川佐和子は、阿川弘之の長女にあたります。

昭和30年代の国内の交通事情をうかがい知れる貴重な一冊!

作者が航空機、船舶、汽車、自動車に搭乗して旅のレポートを綴る、昭和30年代に刊行された乗り物エッセイ集です。ある一家が三代にわたり電車運転士を務めたという設定をもとに、各時代の列車事情を綴ってゆく「機関士三代」や、ある航空会社に勤めていた元スチュワーデスの口を借り、敗戦後からの航空事情を記す「スチュワーデスの話」など、日本の高度経済成長期の入り口にあたる国内の交通事情が伺い知れる一冊です。

また本書は国内に限らず、本書には太平洋定期航路のアメリカの客船で、ハワイに到着するまでの船内での日々を記録した「ホノルルまで」という随筆など、海外を往く旅のエッセイもあわせて収録します。

著者
阿川 弘之
出版日
2014-12-20

なかでも特質すべきは、作者が東北を周回する自動車旅行の様子を記した「一級国道を往く」という旅行記です。これは東京から福島経由で青森まで往き、日本海側へ抜けて東北を南下、長野経由で帰路につく、全走行距離1800キロ、7日間にわたる旅の行程を記すレポートになります。

扉絵には、著者の運転する車が、ぬかるんだ道の真ん中で立ち往生した際の写真が収められています。当時はいまだ各地の道路整備が行き届かず、ワニの背を思わせるこうしたぬかるんだ道が、全国各地に存在したのです。

この旅には後日談があります。本書の最後に収録された「二十二年目の東北道」は、著者がふたたびこのルートをたどる旅をレポートするものです。東京オリンピックが開催されて、高度成長期を経た日本において、インフラ整備がどの程度進み、交通事情がどう改善されたか、このレポートに触れるとお分かりいただけると思います。

後に鉄道文学の大家となる2人がコラボレーションした奇跡の一冊!

昭和30年代の鉄道関連の著作を中心に編まれたエッセイ集です。当時の最新鋭の特急列車に搭乗した著者の体験記や、当時の鉄道事情が覗く「駅弁と食堂車」、観光立国を目指すにあたっての提言をまとめた「埃の日本・騒動の日本」といった19本のエッセイを収録しています。

またこの本では当時の鉄道ファンの裏事情も知ることができます。この時代は、鉄オタや鉄ちゃんという用語があるはずもなく、当然のことながら鉄道愛好者の市民権は世に確立していませんでした。鉄道愛好者は、周囲から理解を得られず、肩身のせまい思いをしていたのです。まして著者は、志賀直哉の直弟子にあたる小説家であり、時刻表を愛読したりすると、子ども染みた慣習として周囲から馬鹿にされる始末でした。

著者
阿川 弘之
出版日
2011-09-22

「特急かもめ」の冒頭の箇所で、著者はある先輩作家に尊敬の念を覚えていることを告白します。すなわち「小説家の中で汽車のことに異常な関心を持っているのは、百閒先生を除いては、おそらく自分ひとりだろうという、いわばそういう親近感である」と述べるのです。それはこの本が生まれた背景には、鉄道文学のパイオニア内田百閒の記念すべき随筆集『第一阿房列車』があるからです。

それだけに留まりません。この本を手掛けた編集者こそ、後に百閒、阿川弘之につづく、鉄道文学の御三家に挙げられ、国鉄全線の完全乗車を成し遂げた、宮脇俊三その人です。本書は、高度成長期の門口にあたる国内の交通事情を伺い知れるだけではなく、若き日の宮脇が、その筋の大家となる以前に編集を手掛けた珠玉の一冊なのです。

文筆生活の集大成を凝縮したような阿川弘之の最晩年の随筆集

本書は70年近くの文筆生活を向かえた著者による最晩年の随筆集です。師と仰ぐ志賀直哉の長編小説「『暗夜行路』の解説」をはじめ、第三の世代として文壇を盛り上げた作家で友人の吉行淳之介、狐狸庵先生こと遠藤周作をめぐっての座談会、北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』の航路をなぞる旅行記と、バラエティーに富んだ随筆を収録しています。

著者
阿川 弘之
出版日
2015-08-28

なかでも小品「鮨」は、印象の強い作品です。地方でのセミナー終了後、東京行きの特急列車で帰路につく私は、関係者から会に参加したお礼に、当代わりの鮨をもらい受けます。中身を取りだすと、胡瓜巻きや玉子巻きなどの品が、きっちりと折り詰めの容器に収まっていました。

もらい受けた鮨の処置に私は悩むことになります。東京で友人と夕食の約束があるのですが、かつて飢えに苦しんだ体験を忘れられないため鮨を無碍に放るわけにもいかず、私は考えめぐらせた末にあることを思いつきます。それは果たして……。

地方でのセミナーを終えて列車で帰路につく私が、折り詰めの鮨をもらい受けたことから、その措置をめぐって筋を展開してゆく随筆風の作品です。筋立てで読者をひっぱるのではなく、志賀直哉風の端正な文章で、淡々と話を展開するその筆致が印象的です。飢餓に苦しんだ経験をもち、好意にもらい受けた鮨を無碍にできない男の心情は、作者の戦中から戦後にかけての体験と心情が下敷きになったものでしょうか。心象小説風の、どこか懐かしい香りのする小品です。

阿川弘之と娘の佐和子の書面のやり取りを収録する往復書簡集

決められたキーワードをもとに、阿川弘之と娘の佐和子が文面でのやり取りを展開する往復書簡集です。「手紙」や「仕事」などの身近なテーマから、「孤独」や「愛」といったちょっと扱いづらい重たいテーマまで、幅広い内容を取りあげています。

実の父娘が、あらためて文面でやり取りを行うのはどこか気恥ずかしさが伴うのでしょうか。まえがきを務めた娘の佐和子は、本書の冒頭で「まさか父と手紙をやりとりすることになろうとは、思ってもいなかった。」と、戸惑いを正直に述べます。

著者
["阿川 弘之", "阿川 佐和子"]
出版日
2000-06-07

文面には、ふたりの性格の違いや思考方法の違いなどが随所に現れています。たとえば「旅」についての書簡のやり取りを見てみましょう。

娘の佐和子は、父宛に自らの体験を下敷きにした旅のエピソードを綴ります。旅先のマジョルカ島での経験から、計画通りに物事が運ぶ旅よりも、その場の思い付きや行く先々の出来事によって、目的地の変更を余儀なくされる旅の方が、自分の性にあった旅だと述べるのです。そうした行き当たりの方が、父(弘之)にとっても、旅の性分に合うのではないか、と。

そんな佐和子の「旅」の捉え方を、阿川弘之は良しとはしません。そもそも旅とは、と疑問を呈したあとに、「旅」の定義をわざわざ辞書から引用して書きつけてゆきます。自らの体験を下敷きに説く佐和子に対して、娘宛ての文面にもかかわらず、わざわざ旅の定義から、文を書き起こす阿川弘之。さすが旅好きで知られた作家です。旅の文面の書き方をひとつ取っても、両者の違いは色濃く表れてきます。本書の読みどころは、そうしたふたりの違いが随所に見られる点にあると言えるでしょう。

阿川弘之、かく語りけり……

阿川弘之が8人の識者と意見を交わす座談集です。たとえば小中学校の国語教科書の問題をめぐっては斎藤考、好物の食をめぐって向田邦子、開高健と、師の志賀直哉については井上ひさし、小森陽一といった、一流の識者と対談を行います。なかでも「贅沢な旅」と題して行われた沢木耕太郎との対談は必見です。

この対談では、ふたりがこれまで経験した「最高の旅」と「最低の旅」についての意見を交わしたり、数々の船旅を経験してきた阿川が、ヨーロッパの船旅を沢木へすすめたりと、ふたりによる縦横無尽の旅談義を味わうことができます。

著者
阿川 弘之
出版日
2015-08-31

興味深いのは、沢木耕太郎が「旅が旅であるためには」の章で、「昔の文士が書いたものを読むと、国内での文士の旅って独特の豊かさというか贅沢があるような気がするんですが。」と阿川弘之に問いかける箇所にあります。海外旅行ばかりが持てはやされる近年の傾向を見るにつけ、国内旅行はどこかおろそかにされているのではないか、と沢木は指摘するのです。

かつて文士が残した旅行記のような風情が、国内旅行からは消えてしまったのではないか、との沢木の問いかけに、阿川弘之は「貧しいし、わりに無視されているようなところがあるかもしれませんね」と受け合います。

情報の行き渡った時代においても、情趣あふれる旅は可能なのでしょうか。読書の旅を振り返りながら、ふたりの問いかけを考えてみることも悪くないのかもしれません。

以上の5作品をご紹介しました。阿川弘之には、「旅」に関する著作や座談集などが数多くあります。旅関連の著作から手に取ると、初心者でも読みやすく作品に入りやすいのではないでしょうか。この機会を利用して、ぜひ阿川弘之の著作を読んでみてください。