自分という存在は何者なのか、何のために生きているのか……誰しもこんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。人間が「存在」に抱く漠然とした不安に対し、真っ向から立ち向かったのが哲学者マルティン・ハイデガーです。この記事では、彼の思想や名言、また『存在と時間』をはじめとするおすすめ本を紹介していきます。
ドイツの哲学者として知られるマルティン・ハイデガー。1889年、聖マルティン教会で働く家庭に生まれました。
高等学校の授業で初めて哲学に触れ、プラトンやアリストテレスを知ります。大学ではキリスト教神学を学んだほか、現象学や実存主義、古代ギリシア哲学などの研究をとおして自身の哲学を固めていきました。
ハイデガーの思想の中核にあるのは、「存在とは何か」という問いに答えること。1927年に発表した著作『存在と時間』でも、冒頭には次のように記されています。
「「存在」の意味に対する問いを具体的に仕上げることが、以下本書の論述の意図にほかならない。あらゆる存在了解内容一般を可能にする地平として時間を学的に解釈することが、以下の論述のさしあたっての目標なのである」(『存在と時間』より引用)
ハイデガー以前の哲学では、存在しているものを認識の対象としてきましたが、ハイデガーは新しく「存在の問い」を打ち立てようとしました。
「存在そのもの」の意味を問うべきだと考えて現象学的に分析し、人間が存在に働きかけるのではなく、存在が人間に働きかけるのであって、人間は存在に対して受け身であると説いたのです。
またハイデガーは、「存在」と相反するもののように思える「死」についても現存在分析をしています。誕生から死までの全体像をとらえなければ、「存在」の本質に近づくことができないと考えました。
ハイデガーが説いた「存在」とは、固定された状態ではなく、たとえば植物が芽吹き花を咲かせ、やがて枯れていくような動的な概念です。彼が新しく示した存在論は、20世紀思想の礎石とされ、世界中の哲学者や思想家に影響を与えました。
哲学というと難解なイメージがありますが、ハイデガーの著作には名言も多数収録されています。現代に生きる私たちが生きていくうえでも、役立てることができるでしょう。
「偉大に思索する者は偉大に迷うに違いない」
小さな悩みを抱えている者は、小さな迷いで終わるもの。一方で、悩みの規模が大きければ大きいほど、迷いの規模も大きくなるのです。
大きな成果をあげる者は、その成果と同じくらい悩んだり失敗を重ねたり苦労をしています。しかしその苦労から目をそらさず、たくさん悩んだ者こそが成功できるのです。
「経験を積んだ人は、物事がこうであるということを知っているが、なぜそうであるかということを知らない」
自分が経験したことを他人から説明されると「そんなことは知っている」と聞き流してしまいがち。しかし本質を深堀りせずに、あたかも理解している気になってしまうと思考は止まってしまうものです。何をもって「知っている」というのか、本質は何なのか、あらためて考える必要があるでしょう。
「単純なものこそ、変わらないもの、偉大なるものの謎を宿している」
シンプルイズベストという言葉があるように、単純なものこそ時代を経ても変化することなく存在し続けているものです。
「良心は、ただただ常に沈黙という形で語る」
良心はそこかしこに存在していますが、直接語り掛けることはせずに眼差しだけを向けて佇んでいます。それが、良心という存在です。ハイデガーは、人間に当たり前のように備わっているもので、その存在を無視しなければ自然とよいおこないができるといいました。
「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」
存在の分析には、死への自覚が必要。「存在の終わり」を自覚してこそ「生」を実感できるのです。死を意識してこそ、有意義な生き方ができるのではないでしょうか。
「存在」は時間の流れのなかにあり、過去があるから現在があって、現在によって未来が決まる……。時間を抱えて存在しているなかで、未来の可能性に自らを駆り立てて生きることを「実在的生き方」といいます。
また「死とは何か」を問うことで実存の本質を探る「死の現存在分析」では、「死」との関わり方が現在の在り方を規定し、死を捉えることが人間の生き方についての探求であると論じます。
- 著者
- マルティン ハイデッガー
- 出版日
1927年に発表された『存在と時間』。ハイデガーの代表作で、彼の思想を読み解くためには必要不可欠な一冊です。発表と同時に大きな反響を呼び、実存主義の思想に影響を与えました。
本書の主題は、「存在を時間によって理解すること」。しかし実は本書は前半部のみで、後半で考察される予定だった「時間性」は発表されることなく、未完のままとなってしまいました。
非常に難解だといわれる作品ですが、それはハイデガー特有の言葉づかいによるものでしょう。哲学を厳密に語ろうとするがゆえに難しい言い回しになっていますが、決して内容が理解できないわけではありません。また翻訳も適格な言葉を選択してくれているので、初心者でも大丈夫です。
何かが存在するとは、一体どういうことなのか。20世紀の哲学史を語るうえで必読の作品でしょう。
ハイデガーが従来の存在論を解体しようとした目的や、彼が説いた現存在、配慮的気遣い、死への先駆などを解説した作品です。
20世紀最大の哲学書『存在と時間』はなぜ現在も多くの哲学者を魅了するのか、哲学界におけるハイデガーの重要性についても探っています。
- 著者
- 仲正 昌樹
- 出版日
2015年に刊行された仲正昌樹の作品。作者は文学や政治、法学、歴史など幅広いジャンルで言論活動を展開している人物です。
本書では、癖のあるハイデガーの言い回しを、身近な例や言葉に置き換えながら、丁寧に説明してくれています。
一般的な解説書は哲学者が生きた時代に沿って読解していくのが主流ですが、本書ではハイデガーの思想を現代に転送し、空談や好奇心、曖昧さなどの概念を駆使しながら現代人がハイデガーを読む意義を示してくれているのが魅力的。
また、ほかの哲学者の思想や現代の研究とも関連づけたり、ハイデガー哲学の是非が論じられている点も偏りなく考察しているのが興味深いところでしょう。ハイデガー哲学の優れた入門書として、『存在と時間』を読む際に手元に置いておきたい一冊です。
人間中心主義である「ヒューマニズム」を、存在忘却であり悪であると批判したハイデガー。存在そのものについて思索することが肝心だと主張しました。「存在者」の解釈にもとづいて人間らしさを考える「ヒューマニズム」は、すべて形而上学にすぎず、それは克服する必要があるというのです。
本書には、「存在」とは人間が定立するのではなく、存在が人間を与えるのだという考え方が綴られています。
- 著者
- ["マルティン ハイデッガー", "Heidegger,Martin", "二郎, 渡邊"]
- 出版日
『「ヒューマニズム」に関する書簡』というタイトルでハイデガーが1947年に発表した作品。戦後のハイデガーの思想を象徴するものです。
フランスの哲学者であるジャン・ボーフレから届いた熱烈な手紙に対する返答として執筆された、書簡体形式になっています。
短い文章のなかに、詩のような謎めいた表現が登場するのが特徴。抽象的に思える文章からは、世の中に熱く哲学を説いていた戦前のハイデガーの姿はなく、大切なことを静かに訴えようとする切迫感のようなものを感じます。
ヒトラーが首相となった1933年。ハイデガーがフライブルク大学の総長に就任した際、ナチズムを支持すると受け取れる演説をしたことは大きなスキャンダルとなりました。近年では、「黒ノート」と題されたハイデガーの遺稿が刊行され、反ユダヤ主義的な内容に批判が再燃しています。
彼はなぜナチスに加担したのでしょうか。本書では、「黒ノート」の詳細を検討しながらその謎を解き明かしていきます。
- 著者
- 轟 孝夫
- 出版日
2020年に刊行された轟孝夫の作品。作者はハイデガー研究の第一人者として知られています。
本書では、ハイデガーとナチスの関わりを時系列で解説していきます。そのうえで、ハイデガーへの批判は重大な点を見落としていると主張。彼の哲学は、国家を超えて人間の共同性を基礎づけようとする「超政治」の試みであったことを指摘し、「存在の問い」の政治性を解明していくのです。
ハイデガーにとって、ナチズムの人種主義や全体主義も、対する自由主義も、西洋哲学を支配してきた形而上学の内にとどまっていることが問題であり、世界を構成するあらゆるものを支配しようとする力の問題性に他ならないのだといいます。
「存在の思索」に秘められた政治的メッセージを読み解く「ハイデガー・ナチズム論」の決定版。ハイデガーの後半生の思想を知る入門書としても役立つでしょう。