今日、私は演劇を見るために劇場へ行きます。どんな服で行こうか、靴はどれにしようか3日くらい前からわくわくしています。やっぱり私は演劇が好きです。見るのも、出るのも。外の世界から、真っ暗になり、お芝居の世界に変わり、ひととき全てを忘れさせてくれる。少しずつ公演が始まってきました。私もそろそろ皆様に良いお知らせができそうです。
この間、「アートにエールを」という企画で、初めて動画を作った。
内容は、女優・石飛愛が「アートにエールを」で作品を制作する、その創作過程を描いたフェイクドキュメンタリーだ。
構成、演出、撮影、出演、編集を青年団の同期の石渡愛と一緒に、全て自分たちで行った。出来は、初めて子どもがお母さんのために作ったグチャグチャのオムライスみたいだった。だけど愛ちゃんと二人で作るのはめちゃくちゃ楽しかったし、終始ずっと笑って作った。楽しかったから、また作ろうと思う。
今回、一番難しかったのは、なんといっても、自分のやりたいことを相手に伝えつつ、相手のやりたいことも受け入れるということだ。愛ちゃんと私は同期で同い年という共通点があるものの、当たり前だけど、考えや好みは違う。全く違う!っていうことは無かったけど、「服は赤か青か」くらいの違いはあった。
例えば、今回の役名に関して、少し意見が食い違った。
私は役名をつけずに本名でいった方がリアリティが出るし、フェイクドキュメンタリーとしての面白さも引き立つのではないか?という考えだった。愛ちゃんは役名をつけることで「これはフィクションですよ」とフィルターをかけた方が観る人も見やすいのではないか?ということだった。
結果的に、役名にしたのが良かった。
17分という長い動画になったし、「フィクションですよ」という提示がなければ、誤解を生んでしまう表現がいくつかあったと思う。
私は頭が悪く、頑なな部分があり、人の意見を理解するまでに時間がかかる。愛ちゃんに「役名でいこう」と言われなければ、その考えにならなかったし、言ってもらったことで、この作品を違う角度から捉えることができた。たった少しの要因なんだけど、それだけで作品がより豊かになることを知った。
今までは、舞台でも映像でも演出家や監督に言われたことをやるということが大事で、ビビッてそこを守ることに一生懸命だったけど、これからはそれ以上のことを考えたり、作品に奥行きを持たせていきたい。もちろん、言われたことができた上での話なんだけど。こんな当たり前のことを実感するのに時間がかかってしまったなぁ。
構成や演出、撮影、編集する側に立って初めて別の風景を見た。見えた部分は一部分だけだし、それだけで監督業の全てを理解できたわけじゃない。だけど、今までの自分とは別の側に立つことで、自分がやってきたことを少しだけ別の角度から感じることができた。それがとても嬉しかった。
人から教えてもらって初めて知る世界がある。言語化されなければ、その世界はずっと埋もれたままになっていたのかもしれない。自分の考えの及ばない世界を知るということ。相手が知らない世界を伝えるということ。例えば、役の名前のこと。あるいは、75年前に起こった惨事のこと。私は75年前に生きていなかった。ここは日本で、遠い国で起こったことは知らない。知らなくても生きていける。だけど、紛れもなく、それは実際にあったことで、多くの人が悲しみ、辛い思いをし、亡くなった。その渦中、一人の心理学者がその出来事を体験し、学術的に考察し、本にまとめた。
ホンシェルジュは面白い本を紹介するサイトだし、今まで私が面白いと思った本を紹介してきたけど、今回は面白いとか面白くないとかではなく、より多くの人に知ってもらいたいと思った本をご紹介しようと思います。
- 著者
- ヴィクトール・E・フランクル
- 出版日
- 2002-11-06
これは強制収容所に入った心理学者が、そこで起こったことを心理学の立場から論考した一冊だ。強制収容所というのは、第二次世界大戦下、ナチス党政権下のドイツがユダヤ人、反ナチ、同性愛者、反社会分子(浮浪者、労働忌避者など)といった人たちを収容するために設置された施設である。アウシュヴィッツと聞いたら、ピンとくる人も多いだろう。
はじめに、伝えておきたいことは、作者が心理学者として何かしらの研究目的で収容されたわけではなく、多くの人と同じようにただユダヤ人というだけで収容されたということ。そして彼は、医師や学者としてではなく、最後の何カ月かを除いて、土木作業や鉄道建設の重労働者として働いていた。環境は最悪で、板敷きの狭いベッドにすし詰めになって寝かされ、食事は粗末で水のようなスープとパンが一日に一回あるのみ。氷点下の中、ボロボロの靴と服で何キロも歩かされ、作業場へ赴いた。過酷と一言で表現するのは簡単だ。たった一日の作業で何人もの方が亡くなっていったそうだ。
ここまでだったら、情報として知っている人も多いのではないだろうか。私も昔、アンネ・フランクの伝記で強制収容所の生活について読んだことがある。だけど、これは心理学者が書いた本。その生活の最中の人間心理が事細かに描かれている。
まず、収容所へ入るときに「とはいいつつ、自分だけは助かるだろう」という恩赦妄想にとりつかれるらしい。そして、身ぐるみを剥がされ、持ってきた荷物を取られ、例え大切な人の形見の指輪であっても、没収される。そこで現実に気付くのだ。
読みながら、私は自分がもし収容所に入ったら?と想像した。大切な人たちと離れ離れになり、死に怯え、いつここから出られるのかも分からない。体力も精神力も限界に達し、それでもなお「生きよう」と思えるのだろうか。
作者のフランクルさんは生きる意味について、哲学者の言葉や被収容者のエピソードを交えながら、この本の大半のページを使っている。
“わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたしたちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかへと救いあげられている。それらもいつかは過去のものになるのだが、まさに過去のなかで、永遠に保存されるのだ。なぜなら、過去であることも、一種のあることであり、おそらくはもっとも確実なあることなのだ。”
“具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。(中略)だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。”
今、私の周りで苦しんでいる人たちが何人もいる。ニュースの中にも外にも、大変な思いをしている人たちがたくさんいる。私にできることは何だろうかと考える日々を送っていた。「大丈夫だよ」「心配してます」「何か出来ることがあったら言ってください」と伝えることは相手の負担にならないかな。「山中に言われても……」と更に落ち込んだりしないだろうか。ほっとくのが良いのかな……と模索していて、この二つの言葉に出会ったときに、「私が伝えたいのはこれだ!」と思ったのだった。だから、もし運良く、今、苦しんでいるあなたが、これを読んでくれていたのであれば、この言葉を送りたいと思います。
フランクルさんは偶然が重なり、解放された。だけど、収容所生活の中で心の支えにしていたご両親や奥様はこの世からいなくなっていた。
当事者の多くは「経験など語りたくない。収容所にいた人には説明するまでもないし、収容所にいたことのない人には、わかってもらえるように話すなど、とうてい無理だからだ。わたしたちがどんな気持ちでいたのかも、今どんな気持ちでいるのかも」と言う。だからこそ、フランクルさんはこの本を書いた経緯として、収容所で経験したことを科学で説き明かすことで当事者を救うことができ、収容所に入ったことのない人たちにはこの経験を理解できるようにするためと語っている。
フランクルさんが書いてくれたことで、75年後、私はこの本を読むことができた。愛ちゃんが私に役名のことを伝えてくれたように、私はこの本を読むことで、もう一度世界を捉え直すことができた。収容所にいた人たちの悲しみを全て理解できたわけではないし、理解できたと言えてしまうことに恐れを感じる。傲慢なんじゃないか、と思う。だけど、やっぱり歩み寄りたい。フランクルさんはフランクルさんにしかできないことをやったように、私も無力ながらも自分にできることとはなんぞやと考え続けたい。両手で掬っても零れ落ちてしまう、見て見ぬふりをされる小さな思いや祈りを演劇や映像で込めていきたい。私がやらないといけないのはやっぱりそこだと思う。