樹川さとみの世界|読んでおきたいおすすめの作品5選

更新:2022.6.9

 集英社のコバルト文庫を中心に活躍し、『楽園の魔女たち』シリーズのヒットで知られる作家の樹川さとみ。その樹川が2022年5月4日に亡くなったことが公表され、大きな話題を呼びました。読者や作家仲間からも、その早すぎる死を悼む声が寄せられています。  ファンタジーというジャンルを中心に、シリアスからコメディまで多彩な物語世界を紡ぎ、数々の愛おしいキャラクターを生み出してきた樹川さとみ。この記事では、そんな樹川の仕事を振り返りながら、代表作を中心に5作品を取り上げてご紹介します。5作のうち、電子書籍があって現在も購入可能なものが3作品。そして電子書籍がなく、古本でしか入手できないけれど、今後の復刊に期待したいおすすめが2作品です。ぜひこの機会に、樹川さとみの世界に触れてみてください。

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樹川さとみの人物像|経歴やその世界観について

 樹川さとみは1967年、鹿児島県に生まれました。佐賀大学教育学部特別教科教員養成課程で美術を学び、大学在学中の1988年、「環」で第1回ウイングス小説大賞に入選し、作家デビューします。初の単行本は、1992年に大陸書房から刊行された『月の女神スゥール・ファルム 永遠の誓い』。こちらはのちに、中央公論新社のC★NOVELSから加筆やリライトを加え、『女神の刻印』シリーズとして再刊されました。

 多くの作品を送り出すことになるコバルト文庫に初めて登場したのは、1993年の『雪月の花嫁』から。その後、1996年にスタートした『楽園の魔女たち』がヒットし、全21巻にわたる長編シリーズとして書き続けられます。この作品で独自のコメディ路線を確立した樹川は、2007年から『グランドマスター!』シリーズを開始。こちらは全11巻の物語となりました。

 2010年に発売された『グランドマスター!』の最終巻が、樹川さとみの紙媒体での最後の新刊です。本人が公表していたように、樹川は2013年に世界でも珍しい奇病にかかり、闘病生活に入ります。そして治療をめぐる顛末をまとめた闘病エッセイ『入院してみた 血の海です、と医者が言い。』を、2016年に電子書籍として刊行。壮絶な闘病をテーマにしながら、ユーモアを失わずに闘病体験を綴るその語り口には、樹川の鋭い観察眼やコメディセンスが発揮されています。

 大学時代に美術を学んでいた樹川は、「仁さとる」名義のイラストレーターとしての顔もありました。前田珠子の『ジェスの契約』や、同じく前田の『トラブル・コンビネーション』(いずれもコバルト文庫)のカバーと挿絵は、実は樹川さとみによるものなのです。スタイリッシュな絵柄で描かれたキャラクターは、男性だけでなく女性も格好良く、小説家だけではない樹川の一面が楽しめます。

 今回の記事では取り上げられませんが、コバルト文庫以外の作品としては、『女神の刻印』シリーズ(C★NOVELS)、『星とともに時を超えて』(集英社ファンタジー文庫)、『東方幻神異聞』シリーズ(新書館ウィングズ・ノヴェルス)、『緋面都市』(角川スニーカー文庫)、『風の翼』(小学館キャンバス文庫)、『千の翼の都 翡翠の怪盗ミオン』(角川ビーンズ文庫)などもあります。気になる方は、こちらもぜひチェックしてみてください。

樹川さとみおすすめ作品その1 『楽園の魔女たち』(コバルト文庫・電子書籍あり)

 『楽園の魔女たち』は、樹川さとみの代表作として知られるシリーズです。イラストを担当するのは、むっちりむうにい。男性ファンが多い作品としても知られ、普段は少年向けラノベを読んでいる読者にも入りやすい世界観に仕上がっています。男女を問わず、女の子が活躍するファンタジーコメディ好きにおすすめしたい小説です。

 魔術師の塔“楽園”の当主・エイザードから、魔術師見習い募集の広告文を送りつけられ、彼の元に集った4人の訳あり少女たち。美少年にしか見えない剣士のファリス、帝国皇帝の孫娘で王女のダナティア、百年に一度と言われる秀才で風変わりな性格のサラ、童顔で1番年下だが実は人妻マリア。変わり者の師匠のもとで、彼女たちは修行に励みながら魔術師を目指し、さまざまな騒動に巻き込まれていきます。

 本作の最大の魅力は、個性豊かなキャラクター造型と、軽快かつユーモラスなやり取りの数々。コメディとシリアスを絶妙なバランスで織り交ぜながら、物語は進んでいきます。登場するキャラクターも曲者揃いで、人を食ったような性格の魔術師エイザードや、問題児ばかりな彼の弟子に加え、“楽園”の料理番を務めるマッチョ剣士ナハトールや、エイザードの使い魔で、キュートな外見だが大食らいのごくつぶしこと“ごくちゃん”なども活躍。エイザードが属する魔術師組合の、一筋縄でいかない面々にも注目です。

 『楽園の魔女たち』全21巻は、すべて電子書籍化されています。細かい伏線がはられているので、過去に読んだことのある読者もまとめて読み直すと、新たな発見があることでしょう。第17巻の短編集『楽園の魔女たち ~天使のふりこ~』には、電子版限定の書き下ろし「それはまるで水晶のような」も収録されており、必見です。

著者
樹川 さとみ
出版日

樹川さとみおすすめ作品その2 『時の竜と水の指輪』(コバルト文庫・電子書籍あり)

  『時の竜と水の指輪』は、コメディ路線が花開いた『楽園の魔女たち』とはまた違ったシリアスな作風を味わえる、しっとりとしたファンタジーロマンです。上下巻とコンパクトにまとまっているため、手に取りやすいのもおすすめポイントとなっています。

 ノーマ・カーの森に住む少女アイリは、とある事情から亡き兄アインの名を名乗り、男と偽って家業である薬師ローグの地位を引き継いでいました。孤独に暮らす彼女の元に、ある夜突然騎士ク・オルティスが訪れ、怪我をした従者を治療しろと領地の館にむりやり連れていきます。最悪な出会い方をした二人ですが、のちにク・オルティスの正義感や優しさに触れ、アイリは徐々に彼に惹かれていくのでした。けれども彼女は兄のアインの身代わりで、素性を明かすわけにはいかない。アイリは“湖の魔法使い”と呼ばれる魔術士サイの元を訪れ、彼から「水の指環」を渡されます。この指輪を使えば、アイリは三回だけ正体を知られずに女性の姿になれるという。一方、ク・オルティスをめぐる政治的陰謀が動き出し、彼に卑劣な罠が仕掛けられていくのでした――。

 男装女子、身分違いの恋、ケルト文化を彷彿させる幻想的な妖精や魔術士、そして変身の代償として声が出なくなるという人魚姫的なモチーフ……。クラシックな要素をベースにしつつ、独自の物語を生み出し幻想ロマンを紡ぐ『時の竜と水の指輪』は、樹川さとみのファンタジー世界を堪能できる作品です。物語のトーンはシリアスですが、魔術士サイの造型には、のちのヒット作『楽園の魔女たち』に通じるユーモラスな要素が感じられ、作品に独特の明るさを添えています。内気で気弱だけれど健気な主人公アイリの選択と、恋の結末をぜひ見届けてください。

著者
["樹川 さとみ", "桃栗 みかん"]
出版日

樹川さとみおすすめ作品その3 『入院してみた 血の海です、と医者が言い。』(電子書籍あり)

 今回取り上げる5作品の中で、『入院してみた 血の海です、と医者が言い。』は唯一のエッセイ本です。壮絶な闘病の記録を軽やかかつユーモラスな筆致と、冷静な観察眼で綴ったノンフィクションは、闘病エッセイとしても一級品。樹川さとみファンはもちろんですが、闘病中の方や身内に闘病者がいる人などにも、ぜひ読んでほしい一冊となっています。

 2013年、ひどい胃痛がきっかけで病院を受診した46歳の樹川さとみは、「胸腺腫」という珍しい病気にかかっていることを告げられます。けれどもそれだけでは説明できない不調が続き、胃カメラを飲んだところ、医者が「こんな症状は見たことはありません」と驚くほど胃の中が血の海と化し、緊急入院が決まる。入院した日から24時間点滴に繋がれて、絶食期間は9ヶ月にもおよびました。

 ひたすら嘔吐し、貧血や感染症、脱毛などさまざまな病状に見舞われる樹川。どの治療も効果がなく、打つ手がなくなった医者はついに胃の全摘出を勧めます。ですが樹川は、原因不明のままでは胃は取れない、まだ可能性が残っているなら苦しくても治療を続けると摘出を拒否。医師に全てを委ねず、先例にとらわれない樹川の判断は、その後に奇跡を生みました。胸腺腫を取り除く手術をしたところ、胃の粘膜が急激に回復。結局、胸腺腫が原因の胃粘膜障害という、日本で第一例目と診断された、前例のない病気であったことが判明します。

 あとがきで樹川は物書きとしての習性や業に言及し、「自分自身が観察の対象だったから、冷静でいられた部分は大きい」と語っています。自分の症状や取り巻く状況を客観視し、悲壮感を漂わせることなくその体験をユーモラスに語ることで、闘病記とエンターテインメントを高度なレベルで融合する。今こそ、多くの人に読んでほしいと願わずにはいられない一冊です。

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樹川さとみおすすめ作品その4 『グランドマスター!』(コバルト文庫・電子書籍なし)

 『グランドマスター!』は、『楽園の魔女たち』に続く樹川さとみの代表作です。『楽園の魔女たち』のようなコメディ路線や、アクの強いキャラクターが活躍するファンタジー小説好きにおすすめしたいシリーズとなっています。

 僧兵集団ミトラーダに、93年ぶりにシーカという女総長が誕生した。ミトラーダ修練会本部から指令を受けたハルセイデスことハルは、〈黎明の使者団〉を率いたシーカの護衛と、世直しの旅を命じられます。ところが、一般市民の寄せ集めで作られた〈黎明の使者団〉にいるのは、一癖も二癖もある不真面目な連中ばかり。おまけにシーカも見かけこそ美少女ですが、異常な大食らいで、他にもさまざまな奇癖をもっている。カタブツで苦労人の青年団長ハルは、シーカや〈黎明の使者団〉相手に苦労が絶えないのでした……。

 『楽園の魔女たち』に負けず劣らず、個性的なキャラクターたちが登場する『グランドマスター!』。シーカはハルの尻に執着するという、ぶっ飛んだ設定の変態ヒロインです。変態シーカとカタブツ団長ハルの掛け合いは、本作の一番の読みどころ。世直しの旅を命じられた〈黎明の使者団〉の珍道中を通じて、シーカが抱える秘密も徐々に明かされ、さまざまな事件を経ながらハルとシーカの関係も変化していきます。

著者
["樹川 さとみ", "松本 テマリ"]
出版日

樹川さとみおすすめ作品その5『箱のなかの海』(コバルト文庫・電子書籍なし)

 最後に紹介する『箱のなかの海』は、これまで紹介してきた異世界ファンタジー小説とはやや毛色が異なる作品です。9作の連作短編が収録された『箱のなかの海』は、現代日本を舞台にしています。少年が手に入れた古いラジオが、異世界への扉を開く鍵となる。珠玉のメルヘン集は隠れた名作との評判が高く、根強いファンが多い作品としても知られています。

 中学生の折原雅之は、ボトルシップ作りが趣味な、ちょっとオタクな男の子。ある日彼は、建築家で風変りなカズおじさんから、黒くて不格好な古いラジオを譲り受けます。そのラジオは、なぜか番組欄にはない周波数を受信し、雅之に不思議な物語を聴かせるのでした――。

 物語は雅之を主人公にしたパートと、別世界の物語が流れるラジオパートとに分かれています。ラジオ放送が始まると突如異世界の物語が流れ込み、平凡な日常と非日常のコントラストがページの上に描かれていく。読者のイマジネーションを刺激する仕掛けは、小説の構成だけに留まりません。久下じゅんこによる幻想的なイラストや、本の上下を彩る飾線、日常とラジオパートで異なるフォントなど、オブジェ的な魅力をもつ造本も、本書の箱庭的な世界観を視覚面から印象づけています。この作り込まれたデザインは、紙の本でしか味わえない醍醐味です。古本や図書館で手に取る機会があれば、ぜひページを開いてみてください。

著者
["樹川 さとみ", "久下 じゅんこ"]
出版日

おわりに|樹川さとみの訃報を受けて

 ファンタジー作家として活躍し、多彩な物語とキャラクターを生み出してきた樹川さとみ。この記事では『楽園の魔女たち』をはじめ、樹川さとみ入門としておすすめの5作品を紹介しました。彼女の早すぎる死を悼みつつ、遺された作品たちがより多くの人々に永く愛されることを願っています。

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