【#2】文化放送アナウンサー西川あやのの読書コラム/1番好きな作品なに~?から始まる羞恥心

更新:2022.8.10

好きな本は太宰治『人間失格』! 三木清『人生論ノート』! 好きな曲は尾崎豊『僕が僕であるために』! Cyndi Lauper『True Colors』! この記述自体が、裸を見られるよりも恥ずかしいこの感覚、共感してもらえますか??

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1番好きな作品なに~?から始まる羞恥心

ラジオ番組の魅力の1つに、パーソナリティーとリスナー間の「好きな作品の共有」があると思います。パーソナリティーが「こんな映画を見て…本を読んで…曲を聞いて…」と作品の感想を述べるオープニング、よくありますね。その直後から、「私も見ました!」「私はこう思いました!」など、番組が進んでゆくと共にリスナーの皆様からの感想が届きます。「話を聞いて気になりました、これから見てみます!」などの嬉しい反応も。ラジオなので、勿論その逆もある訳で…私もリスナーの方からオススメの作品を、メールやファックスを通して今までに沢山教えていただきました。

その“作品の共有”作業の素晴らしきこと!お互いの世界が拡がったりするし、感想や解説が乗っかっていることでパーソナリティーとリスナーの距離がより近くなる気もします。ラジオ以外でも「好きな作品の共有」は、人と関わる以上、至るところで行われています。

 

先日、いま担当している「西川あやの おいでよ!クリエイティ部」で芥川賞・直木賞を特集した際、リスナーの方からのメールで「今までの芥川賞受賞作で1番好きな作品を教えてください」と聞かれたのですが、共演者に振っておきながら実は自分は答えることができませんでした。頭の中には思い浮かんでいるのに、一瞬のバトルで自分の中の恥じらいが勝ちました。そのリスナーの方は月曜スタジオ部員の山内マリコさんと重藤暁さんのおすすめ作品を「必ず読みます!」と後からメールも下さっていたので、私はその方との世界拡張チャンスを1度逃してしまったのです……。

番組中に限らず、出会って間もない人と話すときも、なかなか自分の「好き!」を語れません。というのも、裸を見せるような恥ずかしさを伴うから。

 

以前、普段バラエティ番組を制作しているスタッフと飲んでいる時に、弟子づくりの話になり、どうやって新人を育てているのか聞きました。番組作りにおいて、後輩が自分とは異なる意見を持っていたらどう対応するのか。これは私の主観ですが、ニュースや情報を取り扱う番組は、ある程度の事実に基づいて番組が構成されるので番組づくりの正解を見つけやすかったりするのですが、バラエティ番組においては、正解の流れの擦り合わせが難しいのです。

そのスタッフの答えとしては、「番組作りに対する意見に関して、それは違うとは言えない」と。その人の人生から否定してしまうことになるから、だそうです。その新人の後輩が今までに読んできた本・思春期に見ていた番組・バイブルにしている漫画。人生の中でどんな作品を選んで摂取してきたのか、また、選んでこなかったのか。

結局は、大人になってからの感覚が合う・合わないでスタッフを選択していくしかないかも……と言っていました。

 

それだけ「作品の共有」って、大切なことであると思うのです。

だから、今まで読んだ本で1番好きな作品なに?1番好きな曲なに?に対する答えは、頭開いて脳みそを見せているのと同じだし、心をカパっと開いて見せているのと同じだし、自分の人生の走馬灯を相手に見せているのと同じなんです!

冒頭に書いたように、「好きな作品の共有」が素晴らしいことなのは承知しているつもりで、早くできるようになりたいと常々思っているのですが、人間関係でも番組中でもなかなか上手くいかず……。

 

受け手としてすきなもの語りが素晴らしいと改めて感じるときは、やっぱり文豪のエッセイなんかを読んでいるときですね。

著者
["カート・ヴォネガット", "金原 瑞人"]
出版日

 

戦後のアメリカを代表する作家カート・ヴォネガットの遺作となったエッセイ集。このような世界情勢のいま、読むのにふさわしい1冊だとも感じます。

ヴォネガットの主張が直球で飛んでくる心地良さ。世の中の物事に対する斜めの姿勢を伝えてくる垢抜けた筆致にキュンとして仕方がないです。

82歳の時に書かれたエッセイがまとまっているので、国や現代文明批判・文学観・芸術観・人間観などヴォネガットの思考が盛りだくさんですが、特に愛していたのだなあと伝わったのが、音楽。

例えば、

政府や企業やメディアや、宗教団体や慈善団体などが、どれほど堕落し、貪欲で、残酷なものになろうと、音楽はいつも素晴らしい。

もし私が死んだら、墓碑銘はこう刻んでほしい。

彼にとって、神が存在することの証明は音楽一つで十分であった。

この語りの格好良さです。人生を以って音楽を愛し続けて来られたのだなあ。沢山助けられたりしたのだろうなあ。ヴォネガットの人生には常に音楽があったのだろうなあ。

特にお好きなのがブルースだったそうで、全ての音楽のルーツはブルースだと。アメリカに奴隷制があった頃の知人の分析を引き合いに出しながら、こんな表現をしています。

ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、部屋の隅に追いやることはできる。

自分の好きなもの、好きな作品って、確かにこういった効力がある。辛いことがあったとき、絶望を隅に追いやってくれる。この感覚を共有できるから、「好きな作品の共有」は意味があることなのですね。出会ったばかりの人とそれをするのは、やっぱり恥ずかしいけれど、仲良くなると自分たちの好きなものについて語る機会なんて意外とないもの。ずっとその機会を逃すくらいなら、自分の好きな作品はこんなもので、ここが特に愉快だと語り合う方が健全です。自分もヴォネガットのように、これだけお洒落に爽やかに、色の濃い表現で、好きなものを語ってゆきたいものです。


 

このコラムは、毎月更新予定です。更新のお知らせはホンシェルジュTwitterをご覧ください。

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