人種や宗教を超えて、人間は他者と分かり合えることができるのか? この重要なテーマに対して、哲学者のイマヌエル・カントは「理性を正しく使えば、分かり合える」とし、最後まで人間の“理性”を信じ続けました。人々が憎しみ合い“分断”が進む現代社会において、カントを学ぶ意義は大いにあるのではないのでしょうか? 今回は、カント哲学の“核”となる部分を分かりやすく解説していきます。
カントに入る前に、デカルトに少し触れたいと思います。理性の考え方に関して、カントはデカルトを継承しているからです。
私たち日本人の感覚からすると、理性とは「合理的に考える能力」と言ったところでしょうか? しかしヨーロッパの人々からすると、理性とはもっと高尚なもの。“神”を意識する能力を意味し、神との関係性の中で語られるのです。
デカルトが活躍した時代は17世紀になります。当時、ヨーロッパ学問の重要なテーマは「神とは何か」について。多くの学者や知識人たちが、様々な主張を繰り広げました。
デカルトの神に対する結論は、以下の通りです。
神は全知全能の存在であり、私たちの世界を制作した。神は、私たち人間も作ったのだから人間は神の一部である。私たちに備わっている考える力、つまり“理性”は神からの贈り物であり、誰にでも平等に分け与えられている。理性を正しく使用できれば、神が作った世界の“真理”を知り、神を理解できる。
デカルトはこのように主張しましたが、同時に次のような疑問が生じます。
①私たちは、世界をどこまで正確に知ることができるのか?
②どうすれば、神を理解できるのか?
デカルトが残した課題を引き継いだのが、18世紀のカントになります。
1724年、カントはケーニヒスベルクという国際的な港町に生まれます。当時はプロイセン(ドイツ)の首都でもありました。家庭教師や講師などをした後、46歳で大学教授に。57歳の時に『純粋理性批判』という有名な本を発表しました。
『純粋理性批判』の目的は、理性の「範囲」を定めることでしたが、結果的に神を否定することにも繋がってしまいます。
デカルトが残した2つの課題について、カントはこう言います。
まず①について。カントは
「理性が把握できる世界」と「できない世界」が存在する。
と言います。
次に②について。デカルトは「神とは何か?」を問いましたが、カントは「『神とは何か?』を問うことは可能か?」と考えました。この問いに対するカントの結論は「ノー」です。
詳しく見ていきましょう。
カントによると、理性とは「アプリ」のようなもの。私たちはホームページを閲覧する際、SafariやGoogle Chromeなどのアプリを使用します。スマホやパソコンから送られてくる情報をアプリは見やすいように“加工”し、ページを表示してくれます。
理性の役割も同じです。私たちは、目の前に広がる世界(情報)を“直接”見ているのではありません。まず最初に世界(情報)は、人間にインストールされている理性を“経由”します。そして次に世界(情報)は理性によって加工され、私たちの目の前に現れます。私たちに入ってくる世界(情報)は、理性によって加工された世界(情報)なのです。
カントは、私たちが住む世界のことを「現象界」と呼びます。現象界の例えとして、カントがあげるのは数学や理科などの自然科学。「1+1=2」は、誰が計算しても導き出せる答えです。また太陽は東から昇り、西に沈む自然現象も否定できません。
自然科学は言語や文化が異なる人間でも、同じ「真理」にたどり着くことができます。私たちには「1+1=2」と認識する理性がすでにインストールされており、その理性は現象界でのみ適応されます。
そして、ここからがカントの重要なところです。理性では「加工できない」世界が存在するというのです。それは「信仰や道徳」の世界です。
例えば「神は存在するのか?」「死後の世界はどうなっているのか?」という問いに対して、理性は対応できません。つまり神や死について「人間は知ることができない」というのです。人間の理性が届かない世界を、カントは「物自体」と呼びました。
カントは神を否定したいわけではありません。自身も熱心なキリスト教徒でした。人間は神についてどれだけ議論しても分からない。だから神のことを考えても無駄だし、意味がないと言っているのです。
「みんなが神の存在をなんとなく信じて、社会が上手く回るなら、それでいいのではないか」とカントは考え、信仰の余地を残すことが目的でした。神について無駄な議論をして、人々が争うことを防ぎたかったのです。
神の存在はよく分からないが、人間には「1+1=2」と認識できる理性が平等に備わっており、現象界に限っては真理を探し出すことができる。カントは「人間は現象界のことだけに集中し、理性を正しく使う方法を考えるべきだ」としました。
なぜ、カントはこのような理論体系を築いたのか? 諸説ありますが、戦争を防ぎたかったことが動機の1つとしてありました。
17世紀には「三十年戦争」という「ドイツの発展を100年遅らせた」と言われる宗教戦争が起きたばかり。18世紀に入っても「七年戦争」など国家間の争いが絶えず、カントは心を痛めていました。
理性の範囲が及ばない問題、例えば「神のために」という良く分からない理由によって、人間が殺し合うことは愚かな行為である。このようにカントは考えました。
『永遠平和のため』という本では、戦争を防ぐための具体的な方法が示されています。
異なる文化や人種であっても、人間には理性が平等に分け与えられている。理性を正しく使用すればお互いを理解し、戦争を防ぐことができる。過去、人類は理性の使い方を知らなかった。そのため戦争を繰り返したが、人類は徐々に理性を学んできた。
カントは、世界中の人々が一堂に集まる「平和のための連合」の設立を提唱。人々が話し合い、理性を行使し合えば、理性がレベルアップする。その結果として、戦争を防ぐことができると考えたのです。カントの平和に対する理念は、現在の国連に受け継がれています。
理性の到達点としてあげられるのは「民主主義」の発明になります。民主主義の誕生は、カントの晩年に起きた1789年の「フランス革命」がきっかけです。フランス革命以前「政治」と「暴力」はセットでした。
ある人物が権力を握る際には必ず暴力が行使されて、時の権力者は打倒されました。フランス革命の最中においても、フランス王であったルイ16世はギロチンで処刑されています。
しかしフランス革命を経験した人類は、暴力を用いない方法を編み出しました。私たちの社会でも馴染みがある「選挙」です。国民の「投票」によって代表者を決めるシステムが導入されることで、平和的に権力者を決めることができるようになりました。
人類の歴史とは、理性によって少しずつ暴力を排除してきた努力の痕跡でもあります。
カントの哲学は「ドイツ観念論」と言われます。
カントは理性によって認識できる世界を「現象界」と呼び、できない世界を「物自体」としました。理性の範囲を明確に定めることで、理性の限界を主張。結果的に、哲学から神を排除しました。
カントは「近代哲学の祖」と呼ばれ、このあとに続くヘーゲルやマルクスにも決定的な影響を与えます。
最後まで、理性の可能性を信じ続けたカント。戦争の恐怖が増し続ける現代社会では、憎しみや怒りの“感情”ばかりが際立ち、人々は理性を見失っている印象を受けます。
「このような時代だからこそ理性的になること、深く考えることが重要ではないか?」。
カントはそう語りかけている気がします。
(参考文献)
カント(中山元訳)(2006)『永遠平和のために/啓蒙とは何か/他3編』光文社
堀川哲(2006年)『エピソードで読む西洋哲学史』PHP研究所
- 著者
- 石川 文康
- 出版日
カントの入門書といえば本書がおすすめ。カント研究の第一人者である石川先生が、難しいカントの哲学をやさしく解説してくれます。当時の歴史的背景を踏まえながら、カントが使う重要な用語を丁寧に説明してくれるため、理解度の“深さ”が違います。カントが気になる方は、ぜひ本書を読んでみてください。
- 著者
- 御子柴 善之
- 出版日
『純粋理性批判』は発表当時から難解と言われ、読者を困らせていました。そこでカントは『純粋理性批判』の入門書を自分で書きました。それが『プロレゴーメナ』。しかし、それでも難しいのが『プロレゴーメナ』。本書は『プロレゴーメナ』を丁寧に解説してくれます。たくさんの引用を使いながら説明してくれる御子柴先生の誠実さを感じながら、『プロレゴーメナ』も一緒に読んでいるような“お得な”感覚になれます。
- 著者
- 冨田 恭彦
- 出版日
著者である冨田先生は、バークリーやヒュームなどの“イギリス経験論”がご専門。難解な哲学用語を分かりやすく解説することに定評がある先生です。経験論の観点からカントを批判的に考察しますが、カントと冨田先生の目指す“方向性”は同じ。「どうすれば他者と分かり合えるのか?」という、長年にわたるカントの課題を乗り越えることが、本書の目的です。タイトルからはネガティブな印象を受けますが、とても前向きな内容になっています。
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