ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を語る連載。幅広い読書遍歴を樹形図のように辿って本を紹介しながら、自身の思うところを綴ります。 #5のテーマはアーティスト・椎名林檎。著者との意外な接点も最後に明かされます(!)。
♪JR新宿駅の東口を出たら 其処はあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町
1998年9月に出た椎名林檎のセカンドシングル『歌舞伎町の女王』の末尾の歌詞です。この頃の僕は私生活で二度目の結婚が全く上手くいっておらず、仕事以外はすべて当時の妻と向かい合わなければならないのもあって、エンタメ業界で仕事をする身としてはあるまじきことでもありますが、流行している歌にまるで疎くなってしまう、という状態に陥っていました。
この歌もたまたまテレビのニュースで、椎名林檎の特集をやっていて、その最後にこのフレーズが流れ、その歌い方、メロディと歌詞になにか身体が火照ってしまったのです。
国鉄が分割民営化された1987年に社会人になった僕にとって、歌詞の中に「JR新宿駅」と出てくるのだけでもまだ新鮮な時期でもあり、また歌舞伎町という街とのコントラストが絶妙で、これは刹那を生きる、新宿の女の歌なのか!と肌にしみいる思いになりました。
それから24年の歳月が流れる中で、そこまでめちゃ好き!とかではないものの、彼女の歌声が聴こえてくると今もつい耳を澄ましてしまいます。
そんな中、この秋、北村匡平という人が書いた『椎名林檎論 乱調の音楽』という本を書店で見つけました。サブタイトルにも何かくるものがあり、購入しました。
- 著者
- 北村 匡平
- 出版日
今さら初めて知ったことではあるのですが、椎名林檎のように日本の歌手として確実なステータスを築いている人でも、一番売れたアルバムは2000年3月に出したセカンドの『勝訴ストリップ』の233万枚が最高で、その後はバンドの東京事変を含めミリオンはおろか、50万枚にも届いていないらしいです。
この本では、椎名林檎が社会の変化にもともなう形で東京事変を結成、中断、再始動も含め、どんな思いで曲作りをし、歌い方を変えてやってきたのかなどが細かく分析されていて、周囲や世間と彼女がどのように折り合いをつけてきたか、ということがとてもよく分かる内容です。
今世紀に入ってたとえばオリコンチャートの2010年トップ10は、すべてAKBと嵐が分け合うという1980年代前半以来のアイドル全盛時代であり、椎名林檎は当時のインタビューで、「たとえばこんなに素晴らしい音楽を作っている人がいる!というのを発見しても、ほとんど誰にも知られずに消えていくことに実に口惜しい思いがした」と語り、自分たちが試行錯誤を繰り返しながら作った曲が、配信などで簡単に聴かれていくことにも違和感を感じていたようです。今のところ、山下達郎のようにサブスク解禁をしないという方針を彼女は取ってはいませんが。
それにしても椎名林檎が、その歌の中で日本語をロックにのせるというのを、洋楽系の音に合わせて軽やかに歌う“渋谷系”とは違って、ある意味土着的な“新宿系”とも呼ぶべき形で探ってきたのも孤高の道のように思えます。
そこでふと出し抜けに思いました。たとえばこれが椎名林檎と同年にデビューしてより一層のブレイクを先に果たした宇多田ヒカルを論じた本だったとしたら自分は手を出しただろうかと。
宇多田ヒカルの歌も、ここ数年のものなどは当時より特に好きだったりもするのですが、なぜかその“論”にはあまり興味がわかないのです。
考えをより進めると、宇多田ヒカルへのある意味カウンターのような存在として、椎名林檎は現れてきたのではないかとさえ思い始めました。
むろん本人やスタッフにはそんなことを思い描いたはずもないとは思うのですが。
あえて乱暴に言えば、宇多田ヒカルは正統で、椎名林檎は異端であったと、当時の状況なら言えなくもない気がします。
そうなると圧倒的に後者の成り行きのほうが、僕などは気になってしまうわけです。
とそんなことを考えていたら、今度は急に、JPOPのことをほとんど一顧だにしない村上春樹のことをふと思い出しました。僕自身ずいぶん前に読んだ『意味がなければスイングはない』というジャズやクラシックについての村上のエッセイ集があり、そうしたジャンルに疎い僕のような人間が読んでも面白かった記憶があって、今回再読しました。
- 著者
- 村上 春樹
- 出版日
そこでやはり、と思ったのですが、村上春樹という人も、先ほど僕が書いた意味での“正統”な人には手をつけないのです。ジャズで言えば僕でさえ知っているマイルス・デイヴィスなどで論は張らず、ある意味“正統のモデル”のような意味で文中に忍び込ませる形にとどめています。
ちなみに村上春樹のジャズに関する文章は、あまりに多岐かつ深すぎて出てくる固有名詞の大半が僕などは分らないのですが、そこを無視して読んでいくと、あーそんなジャズミュージシャンがいるんだ、ということが人間性とともに立ち現れてくるところがあり、そういうところがこんなにマニアックな本を書くくせに村上春樹が“国民的作家”たり得ている由縁なのかもしれません。
この本の中に、たとえば「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」という章があります。
ウィントン・マルサリスは、現在も存命の、村上曰く“天才的な”トランぺッターです。若い頃からその楽器テクもさりながら完璧と言ってもいい理論派で、彼の紡ぎ出すナンバーはある意味完全と言ってもいい出来栄えであるらしいです。しかし何回か聴いているうちに飽きてしまう、と村上氏は言います。
テクニックも完璧で理詰めで作られた音楽。それはしかしジャズという音楽ジャンルにそもそもそぐわないのではないかと村上氏は考えているわけです。
それでもだからと言ってマルサリスを否定したりせず、やっぱり聴かずにはいられない気持ちにさせられるのがこの作家の上手いところですが。
この傾向は、「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」という対照的なピアニスト二人の章でも存分に味わうことができます。
そんなわけでやはり実在する個人の話は、「カウンター的な要素を持つ人について」のもののほうが面白いのではないかと言うのが僕自身の今回の結論でした。
それにしても宇多田ヒカルが去年、自身がノンバイナリーであることを告白し、その一方で椎名林檎は私見では今の用語でいうところの完全なシスジェンダーであるに違いないと思えるところに、ある種の転倒が感じられるのにもまた不思議な興を誘われます。。
そんな椎名林檎。僕は個人的にセカンドアルバムに入っている『ギブス』という歌が一番好きです。
♪あなたはいつも写真を撮りたがる
あたしは何時も其れを厭がるの
だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない
という歌詞の、女の刹那性が何だかとても艶っぽい。
しかしその後の彼女は、そうした刹那性ともある意味距離を置いたりもして、鬱になるほどの苦悩を繰り返していたらしいことを『椎名林檎論』で初めて知りました。思えば椎名林檎のような当時も今もあまり類を見ない個性の歌手は、聴く側からも常に新しい挑戦を期待されるようなところもあり、たとえば同じぐらいの期間ソロシンガーとして活躍しているaikoなどとは置かれた状況は全く違うものなのかもしれません。
1994年の夏、31歳だった僕は、ホリプロタレントスカウトキャラバンの審査員の一人として、全国のカラオケを巡ってそこに集う応募者たちの審査をする、というのをやっていました。その時、福岡のカラオケにやって来た一人が当時15歳の椎名裕美子さんでした。抜きん出て歌が上手く、福岡地区代表に選ばれましたが、東京での本選では別の人がグランプリになりました。でももし彼女をグランプリに選んだとしても、その後のような活躍をうちの会社ですることはなかっただろうし、やはり人間の出会いというのはおつなものだなーと今も思います。
info:ホンシェルジュTwitter
comment:#ダメ業界人の戯れ言
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