芸能プロデューサー×直木賞“物語を紡ぐ”|ダメ業界人の戯れ言#8

更新:2023.3.7

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を主軸としたカルチャーコラム。幅広い読書遍歴を樹形図のように辿って本を紹介しながら、自身の思うところを綴ります。 今回ピックアップするのは直木賞を受賞した小川哲の『地図と拳』。直木賞という文学賞について、あらためて見つめ直してみませんか。

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物語を紡ぐ

毎年1月と7月に芥川賞と直木賞が発表されますが、その候補作が発表されると気になってしまいます。この2つはやはり日本文学の最大権威だから仕方ないですね。

前者は純文学なので、えっ?そんな人が?と思うような人が候補になって実際に受賞することもあるのですが、後者は一応大衆文学と言う建てつけなので、イメージとしてはある意味職人肌、と言うか、たまにこんな重鎮みたいな人が直木賞受けるの?と言うことが起きるのも直木賞の特質だなあ、といつも思ったりしています。

で、この1月は、それぞれ2人ずつ受賞者が出ました。

だいたいどちらか一冊は読もうぐらいの思いはいつも持っているのですが、今回は4作もあるので悩みました。そして一番長い小川哲『地図と拳』を読むことにしました。一つには前回のこの欄でも書いた『君のクイズ』の作者であることもありましたが、この小川さんと言う人が何となく変な人そう、という純粋な興味に誘われました

著者
小川 哲
出版日

全623ページの大作を何とか一週間で読了しました。遅読で申し訳ないのですが堪能しました。

ざっくり言うと日露戦争から関東大震災、満州事変、日中戦争、太平洋戦争を経て終戦までの満州を舞台にした“空想”歴史小説なのですが、この、空想、と言うところがなかなか難しいところですね。著者が人生最初に影響を受けた小説が筒井康隆の『農協月へ行く』ということでそれもなんか分る気がしました。

著者
筒井 康隆
出版日

歴史小説であるので実在する人物や事件もベースとしては踏まえられています。

張作霖が爆殺される、とか、石原莞爾が満州事変を起こしたらしい、とかは実話ですね。でもこの時代のことを背景にした小説なんてそもそも売れるのか?と根が単なるエンタメ志向の僕などはつい思ってしまうのですが、結果売れてるのですから、世の読書人もまだまだ捨てたものではないんだなと思いました。

ちなみに誤解があるといけないので言っておくと、僕自身は1920年代から終戦にいたるぐらいまでの日本を中心とする世界の話にかなり興味を持っているほうです。これはいわゆるバブル世代と言われる僕のような人間が若い頃は、歴史の授業で昭和の話にたどり着くまでに学期が終わってしまって、しかも受験などであまり近現代が大事にされていなかった時代でもあって、そこに詳しくなくなってしまうということがあり、その反動でもあります。

僕など、日本とアメリカが戦争したことは知っていても、日本と中国が戦争したことを知ったのは高校卒業してからでしたからね、正味な話。

僕はこれではさすがにいけないと思って、大人になってからこの時代についての本を折に触れて読み続け、現在にいたっております。

そういうこともあって、『地図と拳』の背景についても個人的にはそこそこ興味がありました。しかし歴史を踏まえつつ、空想の翼を広げてここまでの物語にしていく、というのは一体どういう了見なのか?

いや、批判の意味を込めた了見ではなくて、素朴にどのようにしてこの物語を作っていったのか?ということなのですが。だってSFなどとは違って、少なくとも当時の社会的環境などを考えながら、あり得たかもしれない物語として慎重に紡いでいかないとこんな話を書くことはできませんから。思うにこの作家は書き進める中で相当周到なルールを自らに設けているのでしょう。

そのあたり、小川哲氏が子どものころ親の影響もあって百科事典を丸暗記した、とインタビューで答えていたのにも理由があるかもとも思いましたが、いや、それにしても、数々の制約のある中で想像の翼を広げるとはどのような感覚なのか。

ほんとうはこの本のタイトルを『建築と戦争』にしたいと作家本人は思っていたらしいですが、それでは新書のタイトルみたいという指摘を受けて、それぞれの言葉を置き換えて『地図と拳』にしたということで、その語彙力もよく考えると凄いです。

建築も地図も、ある意味、骨格を定めるという概念では同じで、それを小説にまで敷衍させているのがたぶんこの作家のやり方なのでしょうが、それだけに、これだけ多くの登場人物を出すとどうしてもフリに対してオチが伴わない人が出てくる。ミステリーなどで良くある伏線回収などもそれに当たると思いますが、『地図と拳』は小説全体が圧巻である一方で、枝葉末節の事柄までは収拾がつけられなかったのではないか、とも推察しました。具体的には、メインの登場人物である須野明男と丞琳の間にはもう少しロマンスのようなものがオチとしてあってもよかったのではないか、前半重く出てくるロシア人神父クラスニコフの運命が何だか尻切れトンボになっていないか、この2点についてちょっと不満が残りました。しかしいずれも物語の骨格には影響しないところでもあるので、小説を建築や地図と同様のものと見なすと、最後は捨てられてしまう要素なのかもしれません。うーん。

直木賞作品は、おおむねその特性から言って、芥川賞作品より長くなりがちですが、読者として単純に「面白い!」と言えるのは、どちらかと言うと前者に多いのではないかと個人的に思っています。だから、受賞作品にもさらなる面白さを追求してほしいと言うか。

芥川賞がある意味「文学表現のきらめき」を目指すなら、直木賞は「物語を紡ぐ」ことを目指すものに授賞すべきと言うか。乱暴過ぎますかね。

ちなみにここ数年の直木賞作品。一覧を見直して自分が読んだのは

恩田陸『蜜蜂と遠雷』、佐藤正午『月の満ち欠け』、門井慶喜『銀河鉄道の父』、川越宗一『熱源』、馳星周『少年と犬』、西條奈加『心淋し川』、澤田瞳子『星落ちて、なお』、窪美澄『夜に星を放つ』でした。

それより少し前に木内昇が受賞した『漂砂のうたう』に感動して、時代物人情物に惹かれるようになったり、もっと昔は車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』にやられて私小説の世界にはまるような読書傾向を持つようにもなった僕ですが、直木賞作品を読む時は鳥肌が立つような感動、みたいなものをどこか期待してしまいます

著者
木内 昇
出版日
著者
車谷 長吉
出版日

でも芥川賞作家に興味がないと言うことではありません。金原ひとみと川上未映子は新作が出るとチェックしたくなるし、最近では高瀬隼子さんがだいぶ気になりますし。

とそんなことを思ってたら、ずいぶん昔にホリプロをやめて今もつき合いのある後輩の男(現在、統合失調症の人などがいる職場で介護に従事している)から、「藤原さん、絶対、佐藤究の『テスカトリポカ』を読むべきです。読まないと人生損しますぜ」と言われ、ふと見るとこれも直木賞なのに完全ノーマークだったので、早速Amazonで購入しました。この後輩、だいぶ非人間的なやつなのですが、その鑑賞眼などには信頼おけそうなので、推薦されると手をつけないではいられません。

僕はそのようにして、いろんな権威や人から影響ばかり受けながら、日々の読書生活を送っています。

著者
佐藤 究
出版日

info:ホンシェルジュTwitter

comment:#ダメ業界人の戯れ言

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