嵯峨景子の『今月の一冊』|第十四回は『少女マンガはどこからきたの?』|マンガ家たちが語る、少女マンガの黎明期

更新:2023.6.29

少女小説研究家の第一人者、嵯峨景子先生に、その月気になった本を紹介していただく『今月の一冊』。第14回目となる6月号は青土社から2023年6月2日に刊行された『少女マンガはどこからきたの? ――「少女マンガを語る会」全記録』をお届けします。少女マンガの貴重な記録がついに書籍化した『少女マンガはどこからきたの?』、その貴重さと魅力を語っていただきました。

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「嵯峨景子の今月の一冊」、第14回目。今回は2023年5月刊行の『少女マンガはどこからきたの? ――「少女マンガを語る会」全記録』(青土社)を取り上げます。

著者
["水野英子", "上田トシコ", "むれあきこ", "わたなべまさこ", "巴里夫", "高橋真琴", "今村洋子", "ちばてつや", "牧美也子", "望月あきら", "花村えい子", "北島洋子", "ヤマダトモコ", "増田のぞみ", "小西優里", "想田四"]
出版日

みなさんは少女マンガは好きですか? 私は小学生の時に雑誌『りぼん』や『なかよし』などに触れ、中学以降は『花とゆめ』などの白泉社系に傾倒と、小説と同じくらい少女マンガを読む生活を過ごしました。大人になった今でも10代の頃ほどではないにせよ、少女マンガを読み続けています。

趣味の読書として長年触れてきた少女マンガですが、それとは別にこのジャンルの歴史についても興味をもっています。少女マンガの影響は多方面に及び、私が専門とする少女小説や、かつて研究者時代に専門だった近代少女雑誌とも深い繋がりがあるのです。少女マンガの歴史について知ることは、自分の研究にとっても欠かせない要素で、資料として手元に置いておきたい本は極力買うよう心がけてきました。

今回ご紹介する『少女マンガはどこからきたの?』は、これまで記録が少なかった少女マンガの黎明期について、当事者であるマンガ家たち自身が語った画期的な証言集です。もともと少女マンガの歴史の中では、黄金期と呼ばれる1970年代が脚光を浴びてきました。少女マンガを革新した萩尾望都や竹宮惠子・大島弓子・山岸凉子ら「24年組」と称された少女マンガ家たちを中心に、その仕事が語られてきた歴史があります。ところがそれ以前の時代、手塚治虫が1953年に『リボンの騎士』を描いてストーリーマンガを確立し、池田理代子が1972年に『ベルサイユのばら』を描いたまでのおよそ20年のことは、ほとんど明らかにされてきませんでした。

こうした状況に対して、作家たち自身が自らの歩みを語ることで、少女マンガ黎明期の記録を残そうとする動きが生まれました。「初期の少女マンガに関する記録を、当事者として残しておきたい」――トキワ荘に居住した唯一の女性マンガ家であり、『星のたてごと』『白いトロイカ』『ファイヤー!』などで知られる水野英子が発起人となり、呼びかけに賛同した作家たちが集まります。1999年から2000年にかけて4回行われた座談会では、「少女マンガを語る会」メンバーの12名に加え、ゲスト作家や雑誌の編集者たち、さらには貸本マンガなどの関係者も参加。1950年代~60年代にかけて作家たちがいかにして少女マンガの世界を切り拓いていったのか、その実態が詳細に語られました。

そして座談会の開催から20年後の2020年。全4回の記録が科学研究費のプロジェクトとしてまとめられ、報告書が作られました。貴重な記録が活字になったことを喜びつつも、報告書ゆえに私は手に入れることができず、どこかの大学の図書館で閲覧するしかないのかなと思いつつ数年が経ちました。そんな時にこの証言集が青土社から商業出版されると発表されたのです。本書は発売前から予約が殺到し、即重版だったとか。きっと私のように、手に入れるのを心待ちにしている人が多かったのでしょう。こうした良書が売れ行き好調なのは嬉しい限りです。

時とともに時代の証言者は減り、貴重な記憶と記録は失われていきます。だからこそ、その証言を残して次の世代に手渡す必要があるし、そのために一番有効な手段は活字として出版することなのです。『少女マンガはどこからきたの?』を商業出版で発売してくれたのは本当にありがたく、こだわりが詰まった詳細な注釈(注釈の充実ぶりは本書の目玉です)や図版の作業を思うと、関係者の方々には頭が下がります。

本の中身についても見ていきましょう。全4回の座談会のタイトルは「少女マンガ家の誕生」、「少女マンガはいかに編集されてきたか」、「少女マンガが読者の手にわたるとき」、「「少女マンガ」というジャンルの成立」です。第1回の「少女マンガ家の誕生」はとりわけ自分の関心と重なるパートで、抒情画の衰退とストーリーマンガの台頭、少女マンガにおけるタブーの存在(初潮や男女の恋愛感情の描写等)とそこからのロマンス解禁への流れ、著作権概念が薄かった時期における原稿の扱いなど、さまざまなトピックを興味深く読みました。

第2回の「少女マンガはいかに編集されてきたか」は、少女マンガ家に加えて講談社・光文社・集英社・小学館・秋田書店の編集者も座談会に参加しています。中でも印象的だったのが、1955年頃にあった「悪書追放運動」という、マンガバッシングにまつわる証言。当時はいかにマンガの地位が低かったのか、その中でマンガ家たちがどのように闘っていたのかを、マンガを当たり前のように享受している私たちこそが知らなければいけない歴史だと思いました。

第3回の「少女マンガが読者の手にわたるとき」は、私自身が触れたことがない貸本時代の少女マンガがテーマでした。90年代に思春期を過ごした私にとって、マンガは雑誌連載後にコミック化されて当然というイメージがあったのですが、こうしたシステムがまだ出来上がっていなかった時期の赤本や貸本時代のマンガの世界について勉強になりました。第4回「「少女マンガ」というジャンルの成立」では、クレームやタブーにまつわる証言がとりわけ胸に刺さります。

『少女マンガはどこからきたの?』が伝える少女マンガ黎明期の回想と実態は、読んでいて興味が尽きません。このコラムをきっかけに、一人でも本書を手に取っていただけると嬉しいです。なお明治大学の米沢嘉博記念図書館のサイトにある「少女マンガはどこからきたの? web展」(https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/exh-syoudoko.html)では、貴重な資料が多数公開されています。ぜひこちらにもアクセスしてみてください。

著者
["水野英子", "上田トシコ", "むれあきこ", "わたなべまさこ", "巴里夫", "高橋真琴", "今村洋子", "ちばてつや", "牧美也子", "望月あきら", "花村えい子", "北島洋子", "ヤマダトモコ", "増田のぞみ", "小西優里", "想田四"]
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