嵯峨景子の「今月の一冊」|第十五回目は『休館日の彼女たち』|人と女神像とのシスターフッド小説

更新:2023.7.27

少女小説研究家の第一人者、嵯峨景子先生に、その月気になった本を紹介していただく『今月の一冊』。第15回目となる7月号は筑摩書房から2023年3月に刊行された『休館日の彼女たち』をお届けします。主人公と女神像という異色の関係性が生み出すシスターフッド小説の魅力を語っていただきました。

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「嵯峨景子の今月の一冊」も第15回目を迎えました。今月は2023年3月刊行の八木詠美『休館日の彼女たち』(筑摩書房)をご紹介します。

 今年3月に『少女小説を知るための100冊』(星海社)が発売、そして6月には『氷室冴子とその時代 増補版』(河出書房新社)も刊行と、ここのところ私にしては珍しいハイペースで新刊(一冊は増補版ですが)を出しました。諸々の作業が一段落し、久しぶりにゆっくりと読書を楽しむ幸せを噛み締めています。買い込んだものの読む時間を作れず、積み上がっていた本の山を一冊一冊崩していくのは至福のひとときです。ずっと読みたかった『休館日の彼女たち』もようやく手に取ることができました。

 著者の八木詠美は2020年に『空芯手帳』で第36回太宰治賞を受賞しデビューした作家で、『休館日の彼女たち』は二作目の長編小説にあたります。紙管会社で働く女性社員が女性差別的な職場にうんざりして偽装妊娠を企てる様を描いた『空芯手帳』は、世界各国で翻訳が進行し、英語版はニューヨーク・タイムズの今年の収穫に取り上げられるなど、海外でも話題を呼んでいます。

 世界から注目を集める気鋭の小説家の第二作『休館日の彼女たち』は、なんとも不思議な読み口の作品です。小学時代に算数で「平行」を習ったときから、他の人には見えない黄色のレインコートに体を包まれるようになったホラウチリカ。通気性の悪いレインコートが薄い膜のように張りつき、体臭や汗や湿疹に悩まされるようになった彼女はそれ以来、他者とのコミュニケーションを極力避けながら生きています。

著者
八木 詠美
出版日

ホラウチは大学でラテン語という、今ではもうほとんど話されることのなくなった古典言語に出会います。コミュニケーションが苦手な彼女は、ラテン語で会話をする時だけはレインコートから開放されてその存在を忘れることができたのです。大学卒業後は冷凍倉庫の派遣社員として働く彼女の元に、かつてラテン語を習った教授からアルバイトの話が持ち込まれました。その仕事とは週に一度博物館の休館日に、ラテン語で古代ローマのヴィーナス像の話し相手をするというもの。ヴィーナスは彼女をホーラと呼び、やがて二人の間には特別な感情が生まれていくのですが……。

 コミュニケーション不全や現代社会の生きづらさ、そして女性同士の連帯を密やかかつ幻想的なタッチで描く『休館日の彼女たち』。本作は私の大好きなジャンルであるシスターフッド小説としても楽しめる一冊ですが、作中で描かれるのは大理石の女神と人間の女性の関係性という大変ユニークなものです。2000年の時を生きていたヴィーナスが抱える孤独や諦め、そして臆病なホーラがみせる変化と最後の大決断。二人の親密性が少しずつ増していく様や、作中に漂う官能的な雰囲気がなんとも魅力的で、とりわけ爽快なラストに心を鷲掴みにされました。

 ホーラとヴィーナスを中心に、二人を取り巻くキャラクターも個性的でした。中でも強烈なインパクトを残すのが、学芸員のハシバミです。人間よりも彫刻を愛するハシバミは、ヴィーナスと会話をするためにラテン語を学んだという男で、彼女に対して強い執着を見せ続けます。けれどもその愛は一方的で、ヴィーナスを美の対象として崇めるだけ。自ら望んだわけではないのに展示され、ひたすら眺められるだけの日々を過ごすヴィーナスの声をハシバミは聞こうともせず、彼女を博物館の中に閉じ込めようとします。ハシバミは家父長制を象徴するキャラクターであり、ヴィーナスとの関係性は現代社会の縮図ともいえるでしょう。作中に込められたフェミニズム的なテーマも八木作品の魅力のひとつとなっています。『休館日の彼女たち』ではヴィーナスとホーラ、そして恋敵ハシバミという奇妙な三角関係も楽しめます

他にも、ホーラが暮らすアパートの大家である老女のセリコさんや、ネグレクト疑惑のある少年のトウマも作中で重要な役割を果たします。物語で取り扱われるテーマは切実かつ深刻なものだけれど、決してシリアス一辺倒ではなく、クスリと笑えるユーモアや毒が織り込まれているのが八木作品の特徴です。髪の毛にインナーカラーを入れようとホーラが意を決して予約した美容室が葬儀屋で、普段はご遺体の髪のセットや化粧を担当する美容師が友引の日だけ生きた人間の髪の毛を切っている……というエピソードには思わず笑ってしまいました。

 ヴィーナスと出会ったことで動き出すホーラの世界。人と人はどうしようもなく分け隔てられているけど、その寂しさや孤独を受け止めて前に進もうとするホーラの姿に背中を押される思いがしました。『空芯手帳』もよかったけれど、『休館日の彼女たち』をきっかけに八木詠美の世界にすっかりはまってしまいました。新作が出たら必ず買う作家がまた一人増えたのが嬉しいです。これからの作品も楽しみにしています。

著者
八木 詠美
出版日
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