5分でわかる!世界最恐と名高いホラー短編の傑作 W・W・ジェイコブズ「猿の手」あらすじ解説

更新:2023.10.15

皆さんは世界最恐のホラー小説と聞いて何を思い浮かべますか? エドガー・アラン・ポー「黒猫」、シャーロット・パーキンス・ギルマン「黄色い壁紙」、メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」など諸説ありますが、W・W・ジェイコブズの「猿の手」は、短編にもかかわらずその完成度の高さと戦慄の結末で、幅広い層の支持を獲得しています。 今回はゴースト大国イギリスの古典的ホラー小説、「猿の手」のあらすじや魅力をわかりやすく解説していきます。

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「猿の手」の簡単なあらすじ・登場人物紹介(ネタバレあり)

物語はイギリスの片田舎、雨の夜の家族団欒シーンから幕を開けます。

老いた元軍人・ホワイト氏は、自宅の居間にて息子のハーバートとチェスをさしていました。そばにはホワイト夫人がおり、夫と息子が囲む盤面の成り行きを見守っています。ホワイト邸は村外れの辺鄙な場所に建っている為、ホワイト氏は雨脚の激しさを嘆き、ホワイト夫人がそれを宥めました。

数刻後、モリス上級曹長がホワイト邸に訪ねてきました。モリス曹長はホワイト氏の元部下で、二十年来の昔馴染みでした。ホワイト氏はモリス曹長が長い間滞在していたインドの話を聞き、「一度行ってみたい」と憧れ、以前彼が口にした猿の手の話題を持ち出します。

するとモリス曹長は急にそわそわし、「アレは何でもありません」と言うではありませんか。ホワイト氏がなおも食い下がると、仕方なく干乾びた猿の手を出し、世にも奇妙な由来を説明し始めました。

曰く、猿の手とはインドの霊験あらたかな行者がまじないをかけた呪いのアイテムで、どんな願いも三つまで叶えてくれるというのです。宿命が定める人間の一生に介入した者は、必ずや報いを受けると教えるのが、猿の手を作り出した行者の意図でした。

猿の手は最初の持ち主の願いを叶えたものの、その男は最後に死を望み、現在の持ち主のモリス曹長も持て余している様子でした。モリス曹長の話を聞いたホワイト氏は大いに興味を示し、ぜひ欲しいと申し出ます。

ホワイト氏の嘆願に負けたモリス曹長は、猿の手を譲ることを渋々了承し、「願いを掛ける際はくれぐれも分別を働かせることです」と忠告します。

モリス曹長が辞した後、ホワイト氏はハーバートに唆され、家のローン二百ポンドの支払いを済ませたいと願いました。すると猿の手がくねり、ホワイト氏は驚倒します。さらには暖炉の火の中に猿のように卑しい笑い顔が浮かび、不吉な予感が駆け巡ります。

翌朝……朝食のテーブルを囲んだホワイト一家は猿の手の話を蒸し返し、モリス曹長に担がれたのだろうと笑い合います。何故なら家のどこにも二百ポンドの大金は見当たらず、異変が起こってないのです。

朝食後、ハーバートは職場であるモー・アンド・メギンズ社の工場に出かけていきました。

そして昼。ハーバート夫妻は息子が工場で事故に巻き込まれ、命を落としたと知らされます。結果として補償金の二百ポンドが下り、ホワイト氏は自分の愚かさに打ちのめされます。

ハーバートを墓地に埋葬後、夫妻は悲嘆に暮れていました。特にホワイト夫人の落胆は激しく、ホワイト氏の慰めの言葉も耳に入りません。やがてホワイト夫人は狂気に駆られ、「ハーバートを生き返らせて」と猿の手に縋ります。あれから十日経ってるとホワイト氏が反対しても無駄でした。

禁断の願いを掛けてからしばらくして、誰かが扉をノックしました。息子が帰ってきたと喜び、玄関に駆け出すホワイト夫人を、ホワイト氏は必死に引き止めます。

深夜の来訪者は閂をガチャガチャ揺らし続け、追い詰められたホワイト氏は、最後の願いを口にしました。途端にノックが止み、開け放たれた扉の向こうには、夜の闇だけが広がっていました。

著者
["富安 陽子", "ウィリアム・ワイマーク・ジェイコブズ", "ヘンリー・カットナー", "H.G.ウェルズ", "アン マサコ"]
出版日

万能の願望器、猿の手に秘められた恐怖の真髄

以上がW・W・ジェイコブズの傑作ホラー短編、「猿の手」の概要です。本作は古典ホラーの傑作と名高く、ホラー小説のアンソロジーには必ず収録される程、根強い人気を誇っています。

本作で注目すべきは、人々の運命を狂わせ破滅へ導く、猿の手の不気味な存在感。生産地が当時イギリスの植民地だったインドであり、行者が戒めとして作り出したというのも、闇の深さを感じさせますね。

「猿の手」はただ怖いだけの話ではありません。

起承転結の起・承部分にあたる序盤では、ホワイト一家のユーモラスな団欒風景が描かれており、少々気難しいものの愛妻家のホワイト氏、心配症でやや口うるさいホワイト夫人、剽軽なハーバートの掛け合いには微笑ましい気持ちになります。

愛すべきホワイト一家の運命が暗転するのは中盤、息子の訃報から。ここで初めてモリス曹長や最初の持ち主が、猿の手を忌み嫌い、厄介払いしようとした真相が明かされるのです。

モリス曹長や最初の持ち主の願いの内容は不明ですが、沈鬱な話しぶりから推し量るに、ホワイト夫妻と同じ願いを掛けたのかもしれません。そう仮定すれば、最初の持ち主が絶望から死を願ったのも頷けます。

愛する人を生き返らせたい、帰ってきてほしいと望むエゴイズムが、死者への冒涜と表裏一体だったら……最大の禁忌を犯し、良心の呵責に苦しみながら生きるのは、大きすぎる代償ではないでしょうか。

ほのぼのした前半とシリアスな後半の落差が、「猿の手」を一読忘れ難い名作に押し上げているのは間違いありません。皮肉すぎる二百ポンドの入手方法など、英国特有のブラックユーモアが漂っているのも特筆に値します。

物語の序盤にて、モリス曹長から猿の手を貰い受けたホワイト氏は、「ほしいものはもう何だって揃っとるような気がするしな」と発言しました。愛する妻と息子に恵まれ、ローンの返済義務はあれど、立派な持ち家に暮らすホワイト氏はこれといった不満や叶えたい願いなどなかったのです。

全部揃っていたにもかかわらず、より多くを望んでしまったが故に、一番の宝物を失ってしまったホワイト夫妻。猿の手が人間の一生に介入した者に戒めを与える装置であり、強欲の報いを受けさせる呪物なら……ホワイト一家もまた、猿の手の餌食にされたのかもしれません。

著者
["W.W. ジェイコブズ", "浩, 大久保", "浩三郎, 矢野"]
出版日

禁断の願いの代償とは?息子への愛が招いた戦慄のラスト

さて、ここで疑問が浮上します。

猿の手は本当に戒めの為に作られたのでしょうか?そこに一切の悪意は介在しなかったのでしょうか?

モリス曹長の発言を信じるなら、猿の手が作られた目的は「強欲への戒め」「人の運命に介入する傲慢への警鐘」であるはずです。だとすると、ホワイト氏が暖炉の中に見た、猿のように卑しく不気味な顔は何なのでしょうか?

ホワイト氏の心を映す鏡なのか。

人の不幸は蜜の味とほくそ笑む、行者の悪意の結晶なのか。

「猿の手」の憎い所は、このアイテムが人の善意から生み出された物にあらず、その対極の存在である所。人への戒めの為、早い話が罰を与える為に作り出された猿の手が、ストレートに願いを叶えるわけがありません。

二百ポンド入手の叶え方を引用するまでもなく、猿の手はとても底意地悪く、人々を陥れ不幸にするために作られた呪物と見なすのが正しいです。

「猿の手」はグリム童話「漁師とおかみ」、ペロー童話「おろかな願い」を下敷きにした作品です。世界各地の昔話において、エゴイスティックな願いを叶える代償としての喪失体験は、繰り返し描かれ続けてきました。

叶えられる願いが三つというのもポイント。一つ目二つ目で間違えても、三つならリカバリーが利くのです。最初の願いを受けた次の願い、それを経た最後の願いこそ、人間の本性を浮き彫りにする試練なのです。

ホワイト夫人は息子の復活を願うも、ホワイト氏に土壇場で打ち消されます。前者は母の愛が恐怖に打ち勝った美談でしょうか?この時点のホワイト夫人は、ハーバートの死のショックで既に心を壊していたとも読み取れます。

仮にホワイト氏が取り消さなければ、ゾンビに成り下がったハーバートとホワイト夫人が、感動の再会を果たす結末もあったかもしれません。一体どちらが幸せなのか……合理性と感情論どちらをとるか、読者に解釈を委ねるのも、「猿の手」の意地悪い所です。

「ギャシュリークラムのちびっ子たち または遠出のあとで」「うろんな客」「おぞましい二人」など、ダークな絵本で人気のエドワード・ゴーリーも、W・W・ジェイコブズ「猿の手」を偏愛し自薦アンソロジーに組み込んでいます。こちらもぜひチェックしてください。

エドワード・ゴーリーのおすすめ絵本10選!大人こそハマるダークな世界観

エドワード・ゴーリーのおすすめ絵本10選!大人こそハマるダークな世界観

大人向け絵本の先駆けともいえるエドワード・ゴーリーの作品は、独特のダークな世界観をもった手強い作品ばかり。奇妙な作品という印象が深くて、苦手かも……という読まず嫌いの人も、この機会に一冊手に取り、ゴーリーの世界の一端を覗いてみては?

著者
エドワード ゴーリー
出版日
著者
["ディケンズ", "ストーカー", "エドワード ゴーリー", "柴田 元幸"]
出版日

「猿の手」を読んだ人におすすめの本

W・W・ジェイコブズ「猿の手」を読んだ人には、エドガー・アラン・ポー「黒猫」をおすすめします。

本作は「猿の手」から遡ること五十年前に執筆された、古典的ホラー小説。酒癖の悪い男がプルートーと名付けた愛猫の片目を抉って嬲り殺し、その呪いで破滅する話です。

因果応報の末路を辿る主人公の狂的な精神状態や、黒猫の不気味な存在感が印象的です。青空文庫で無料公開されているのでぜひどうぞ。

著者
["ポオ,E.A.(エドガー・アラン)", "中野 好夫"]
出版日
著者
エドガー・アラン ポー
出版日
2009-03-28

続いておすすめするのはCLAMPの漫画「XXXHOLiC」。本作は怪異を引き寄せる体質の高校生・四月一日君尋が、怪しい店の女主人・壱原侑子と出会い、様々な体験をしていくオムニバス。

侑子のミセで猿の手の実物を買った女性が、数奇な運命に翻弄される辿るエピソードが収録されています。白と黒のメリハリを利かせた美麗な絵柄で綴られる、悲喜こもごもな怪奇譚は中毒性高し。

著者
CLAMP
出版日
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