嵯峨景子の『今月の一冊』|第二十回は『小公女たちのしあわせレシピ』|本とレシピがつなぐ人の縁

更新:2023.12.27

少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく『今月の一冊』。2023年最後となった20回目にお届けするのは『小公女たちのしあわせレシピ』です。本探しとお菓子作りに関する6つの連作が描く「切なくてやさしいヒューマンドラマ(記事中より)」の魅力を語っていただきました。

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「嵯峨景子の今月の一冊」も第20回を迎えました。今年最後の連載では、2023年10月に刊行された谷瑞恵『小公女たちのしあわせレシピ』(新潮社)をご紹介します。

著者
谷 瑞恵
出版日

集英社ロマン大賞の佳作に入選し、1997年に『パラダイスルネッサンス―楽園再生―』でデビューした谷瑞恵。代表作の『伯爵と妖精』(コバルト文庫)は、ヴィクトリア時代を舞台に、妖精が見える少女リディアと、謎の男エドガーが繰り広げる恋の駆け引きを描いたロマンスファンタジーです。本作は2008年にテレビアニメ化もされ、2000年代のコバルト文庫を代表する人気シリーズのひとつとなりました。2012年刊行の『思い出のとき修理します』(集英社文庫)のヒット以降は、少女小説から一般文芸にも活躍の場を広げ、さまざまな作品を発表しています。

 『小公女たちのしあわせレシピ』というタイトルを初めて目にしたとき、懐かしくて甘やかな記憶がよみがえり、胸がぎゅっとせつなくなりました。わくわくしながら読みふけった児童文学や、心をときめかせたお菓子の数々……。きっとこの本の中には、私の好きな世界が広がっている。そう確信して本を購入したことをよく覚えています。

 今年33歳になる野花つぐみは、菓子パンメーカーで働く契約社員。実家は祖父の代から続くビジネスホテル“ホテルのはな”を経営し、今は両親と兄夫婦が家業を引き継いでいます。30代独身で契約社員、おまけにルームシェアをしている友人の結婚が決まり、心が揺れるつぐみに追い打ちをかけるように、実家を二世帯住宅にリフォームするという報告が。荷物整理のために久しぶりに帰省をして自室に足を踏み入れると、本棚に見慣れない函入りの『小公女』が置いてあることに気づきます。不思議に思って手に取ると、あるページに手書きされたお菓子のレシピが挟まっていて……。

 やがてこの『小公女』は、ホテルの常連客であった老女メアリさんが残した本だと判明します。先日亡くなったメアリさんは、10年ほど“ホテルのはな”で暮らしていた常連客でした。一年中麦わら帽子をかぶり、いつもピンク色の服を身につけていたメアリさんは死後、身元不明の行旅死亡人として葬られました。お金には困っていなかったけれど、身元も過去も一切不明な謎めいたメアリさんにまつわる手がかりは、遺品となった空っぽの革のキャリーカートと、世話をしていたミニブタのムシャムシャだけです。

偶然手に入れた『小公女』とお菓子のレシピをきっかけに、つぐみは痛みをともなう過去の記憶や、心に巣食う不安や寂しさと向き合います。メアリさんの残した本とお菓子のレシピは、人と人との縁を結び、誰かの心を引き上げてくれる――。思いがけないかたちで本とお菓子に心を救われたつぐみは、ミステリアスなメアリさんに対する興味を深めていくのでした。かつて彼女のキャリーには本がぎっしりと詰まっていたことを知ったつぐみは、残りの本とレシピを探し始め――。

街のあちこちに散らばったメアリさんの本とレシピをめぐる6つの連作短編が収録された『小公女たちのしあわせレシピ』。物語では実在する翻訳児童書と、その作品に登場するお菓子が重要な役割を果たします。そのセレクトが絶妙で、少し長くなりますが、各話のキーアイテムとなる作品とお菓子を紹介していきましょう。

30代独身女性の心の迷いがリアルな「奇跡のぶどうパン」では、フランシス・ホジソン・バーネットの『小公女』とチェルシーバンズ。家族や友人関係に悩む中学生の理菜を主人公にした「最高のつまらないもの」では、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』とトライフル。夫や子どもに対する不満が爆発し、衝動的に家出をした主婦・詠子の鬱屈を綴る「わたしをお食べ」では、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』とトリークルタルト。挫折を味わった獣医・皆川蒼とメアリさんの交流を描く「遠い日のプディング」では、ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』とスエット・プディング。50代の看護師・和佳子と幼年期のお菓子をめぐる記憶が魅惑的な「星のスパイス」では、P・L・トラヴァースの『風にのってきたメアリー・ポピンズ』とジンジャー・パンス。そしてつぐみの義姉千枝を中心とした「からす麦の花咲く」では、フランシス・ホジソン・バーネットの『秘密の花園』とオーツケーキ。

名作児童書のストーリーと、各話の展開がリンクする仕掛けも楽しく、おいしそうなお菓子の描写の数々にも心が踊ります。嬉しいことに各話の最後には、英国菓子研究家・砂古玉緒が監修したお菓子のレシピも掲載されています。レシピブックとしても楽しめる小説に仕上がっているのが、スイーツ好きにはたまりません。

児童文学とお菓子のことばかり書いてしまいましたが、谷瑞恵作品の魅力である繊細な心理描写や、切なくてやさしいヒューマンドラマは本作でも健在です。メアリさんの本とお菓子を通じて広がる人の縁と、前に進み出す人たちの姿を描いた物語は、心のなかにあたたかな感情を残します。児童文学好きのみならず、何かしらの悩みを抱えた人にもぜひ読んでほしい一冊です。

著者
谷 瑞恵
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