5分で分かるサルトルの人生|恋人ボーヴォワールとの奇妙な関係性とは?|元教員が解説

更新:2024.12.29

ジャン=ポール・サルトルは、20世紀を代表するフランスの実存主義の哲学者です。 文学者としても優れた才能を発揮し、1964年にはノーベル文学賞の受賞候補に選ばれています。 サルトルの人生と思想は、様々な逸話やエピソードに彩られています。 「世紀の恋人」と呼ばれたシモーヌ・ド・ボーヴォワールとの奇妙な関係。 金銭感覚のない浪費家ぶり。 他者を見下すエリート意識。 そして「自由結婚」と名付けた独自の愛の形。 今回の記事では、二人の驚くべきエピソードを交えながら、サルトルのカラフルな人生と思想の核心に迫ります。

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サルトルの生涯と高級知識人の世界

フランスの哲学者、また作家でもあるジャン=ポール・サルトルは、1905年にパリで生まれ、1980年に同地で亡くなりました。74年に及ぶその生涯は、活発な思想活動と多彩な人生体験に彩られています。

1964年、文学界の最高峰と言えるノーベル文学賞の受賞者に選ばれましたが「作家を序列化することは不合理だ」として受賞を拒否します。この選択は世界中を驚かせるとともに、ノーベル賞委員会に対して大きな衝撃を与えました。

それ以来、受賞の意思を事前に確認する慣習が生まれています。

一方でサルトルの小説や戯曲、エッセイは国際的な人気を博し、世界中から様々な招待を受けるようになります。1966年には永遠の恋人であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールとともに来日しており、これがサルトルの全盛期と言える時期でした。

サルトルの生涯は、フランスを代表する知識人の在り方を示すと同時に、愛と性の世界について深く考えることができる貴重な資料です。

サルトルのエリート家系と浪費家ぶり

エリート家系の出身だったサルトル。父親は海軍の士官で理工科学校を卒業した超エリート、母親はノーベル賞受賞者のアルベルト・シュヴァイツァーの従妹に当たる、上流階級の一員でした。

ところがサルトルが1歳のときに父が亡くなり、母の実家で育てられることに。裕福なドイツ語の教授である母の父のもと、決して苦しい思いをすることなく育ちました。晩年のサルトルも「お金の心配をしたことがない」と語っています。

そのためかサルトルには浪費家の一面があり、小遣いの多くを使い切る生活ぶりでした。

1930年には、母方の祖父母から1600万円に相当する遺産を相続しましたが、恋人のボーヴォワールとの旅行で2、3年で使い切ってしまいました。20代半ばとは思えないほどの金遣いぶりです。

フランスの大学は無料が当たり前

18歳になったサルトルが入学したのは、パリの高等師範学校になります。フランスの知識人社会を理解する上で欠かせない重要な大学です。

フランスでは高校卒業後、進学する生徒は「バカロレア」という全国統一テストを受けます。日本でいうと全国共通テスト(旧センター試験)のようなものです。

これに合格すると、全国にある大学への入学資格が得られます。パリにあるソルボンヌを含む10数校からなるパリ大学もそのひとつです。

フランスやヨーロッパ大陸にある大学のメリットは、授業料がほぼ無料であるという点です。ソルボンヌ大学でも年間2万円弱の登録料だけで済みます。アメリカの私立大学の年間250万円とは対照的です。

授業料収入が見込めないため、フランスには私立大学自体がほとんど存在しません。私学を設立するには、高額な授業料と他の大学に劣らない内容が不可欠になってきます。

フランス式エリート養成校「高等師範学校」

フランスの優秀な高校生が本当に目指すのは、ソルボンヌなどの大学ではなく、高等専門学校(グランゼコール)への入学です。その中でもパリにある高等師範学校は超エリート校で、数多くの大物学者を輩出しています。哲学・文学と並んで理系も充実しており、ハーバードやオックスフォードにも匹敵する教育水準を誇ります。

ただし合格のハードルをとても高いと言われています。通常の勉強だけでは不十分で、専門の予備校での訓練が必要不可欠です。合格者はフランスの要職を独占する官僚国家の次期エリートとして、無料で公務員並みの奨学金を受給できます。学生のほとんどが上流階級出身で、他者を見下すような高級意識を持ち合わせているのだそうです。

サルトルとボーヴォワールの「世紀の恋」

高等師範学校修了後のサルトルが出会ったのが、のちに「永遠の恋人」と呼ばれるシモーヌ・ド・ボーヴォワールです。1908年パリ生まれのボーヴォワールはサルトルより3歳年下で、没落しつつある中産階級の出身でした。

ソルボンヌ大学で哲学を学んだボーヴォワールは、1921年、21歳という驚異的な年齢で哲学の教授資格試験に合格します。女性としては史上8人目の快挙でした。この試験でボーヴォワールは2位、サルトルが1位でした。

二人は恋に落ちるのですが、サルトルは一夫多妻制を宣言し、なぜかボーヴォワールはそれを受け入れます。

こうして二人の奇妙な関係は、サルトルの死去する1980年まで続くことになります。

ザザの悲劇 エリートゆえの儚さ

サルトルと同じ時代を生きたフランスの哲学者、モーリス・メルロー・ポンティがいます。一時はサルトルと行動を共にしましたが、すぐに共産主義から離れました。文学的な才能は及びませんが、哲学の領域ではサルトルをも凌駕する才能の持ち主でした。

そんなメルロー・ポンティは、サルトルより以前にボーヴォワールと交際していたことがあります。しかし、二人とも真剣な関係でありながら肉体的な関係は持ちませんでした。交際が終わった後、ボーヴォワールはメルロー・ポンティに親友のザザを紹介します。ザザも上流階級の家庭に生まれた人で、二人はすぐに熱い恋に落ちます。

しかし、ザザの両親は彼らの結婚に反対。さらに、メルロー・ポンティもザザとの接触を避けようになります。ショックを受けたザザは心身の病を抱え、亡くなってしまいました。

そのためボーヴォワールは、メルロー・ポンティを長年恨み続けていました。

ところが30年後、ザザの姉から衝撃の真相が明かされます。

当初、ザザの両親は二人の結婚を喜んでいました。しかし、メルロー・ポンティ家の調査により、彼は父親の実子ではないことが判明します。母親と大学教授の不倫の結果だったのです。

この事実を知らされたメルロー・ポンティは戸惑います。また同じ時期に婚約を勧めていた妹のために、ザザとの関係を秘密にしてほしいと頼んでいました。それがザザへの冷たい態度の理由だったのです。

サルトルとボーヴォワールの「自由結婚」

教授資格取得後、サルトルとボーヴォワールはともに地方の高等学校で教鞭をとる。これは高等師範出身者にとって一般的なキャリアパスで、

二人が生涯同居することは一度もなく、サルトルはアパート借りかホテル暮らしを貫いた。同じホテルにいても部屋は別。夕食やセックスのために会うという、特殊な形式の関係であった。

二人の契約としてはお互いに他の異性との関係も自由とされており、「自由結婚」的な状況であったといえる。

教授資格を取得した後、サルトルとボーヴォワールは両方とも地方の高等学校で教鞭を執りました。これは高等師範出身者にとって一般的なキャリアパスであり、のちに大学などに移ることが一般的です

二人は生涯において一度も同棲することはなく、サルトルはアパートを借りたり、ホテルに住み続けました。同じホテルに宿泊しても別々の部屋でした。

彼らは夕食やセックスのために会うという特殊な関係を続けます。

二人の契約では、お互いに他の異性との関係も自由でした。「自由結婚」のような状況だったと言えるでしょう。

醜い自分と複雑な女性関係

サルトルは自身の容姿にコンプレックスを持っており、「醜い」と思いこんでいた。160cmとフランス人平均より低く、斜視のため正面を写した写真が少ない。「醜い自分と美人では目立つ」として、美女ばかりを追いかけたという。

しかし女性からの人気は高く、18歳で医者の奥さんと初体験を果たすと、その後も多くの女性と関係を持った。ボーヴォワールと付き合ってからも続き、愛人の愛人、愛人の妹とも関係になるなど、非常に複雑な人間関係を築いている。

サルトルは自分自身の容姿にコンプレックスを持っており、長年「醜い」と思い込んでいました。フランス人の平均よりも低い身長(160cm)で、また斜視のため正面を写した写真が少なかったそうです。「醜い自分と美人では目立つ」という理由で、美女ばかりに興味を持っていたと言われています。

しかし彼は女性からの人気が高く、18歳で医者の奥さんと初体験をし、そのあとも多くの女性と関係を持ちました。ボーヴォワールとの関係後も続き、愛人の愛人や愛人の妹など、とても複雑な人間関係を築いていきます。

異常なのはサルトルがボーヴォワールに対して、女性とのセックス場面を手紙で詳しく報告していたことです。恋人のボーヴォワールには、このような大量の「不倫報告書」を送りつけていました。

ボーヴォワールもこれらの手紙を大切に保管し、サルトルの死後に出版します。

そのため私たちはサルトルの女性関係を知ることができるのですが、ボーヴォワールには非難の声も上がりました。しかしボーヴォワールも「偶然の関係」を楽しんできたと反論します。二人は本来、結婚制度そのものを嫌悪していたのです。

ボーヴォワールの屈折した愛と、サルトルの「絶対的自信」

ボーヴォワールは、アメリカ人作家のネルソン・オルグレンと激しい恋に落ち、数ヶ月にわたってシカゴで同居生活を送ったことがあります。オルグレンも独身で年齢も近く、互いに熱い情熱を抱えていました。

当然ながらオルグレンは、ボーヴォワールとの結婚を考えるようになります。しかしボーヴォワールにとって、サルトルとの別れは絶対にありえず、呼び戻されれば躊躇なくフランスに戻っていきました。

我慢の限界となったオルグレンは手紙で別れを告げます。「君はいつもサルトルを優先させる。そんな君を生涯のパートナーにすることはできない」という内容でした。

44歳のボーヴォワールが17歳年下のクロード・ランズマンと熱愛し、同棲生活を始めます。サルトルとの同棲経験はないが、クロードとの生活を選択したのです。

昼の仕事はサルトルとともにこなし、夜はクロードのアパートに帰るという日々。サルトルとの休暇の際にもクロードを連れていったと言います。

ボーヴォワールがサルトルの嫉妬心を訊ねてみると、サルトルは「他の男性が現れても、自分が女性にとっての絶対であるという確信が揺るがない」と断言します。ボーヴォワールも、サルトルにとって自分がNo.1であることを信じていた。この「絶対的自信」が、複雑な人間関係を可能にしたのでしょう。

晩年のサルトルとボーヴォワール

晩年のサルトルは、愛人で養女のアルレット・エル・カイムと同棲しました。1956年に出会った時、アルレットは17歳の女子高等師範の学生で、サルトルは51歳でした。

1965年、60歳のサルトルはアルレットを養女とし、遺言の執行人にも指名します。これがボーヴォワールとの関係を複雑にさせ、対立はあったものの、二人の関係が崩れることはありませんでした。

その一方、55歳のボーヴォワールも、33歳年下のシルヴィ・ルボンを養女としています。のちにボーヴォワールは母と娘の関係というより、同性愛的な関係だと述べています。

サルトルを理解するためのオススメ書籍

熊野純彦(2022)『サルトル − 全世界を獲得するために(極限の思想)』講談社

著者
["熊野 純彦", "大澤 真幸", "熊野 純彦"]
出版日

21世紀という困難な時代を生き抜く思想を求めているなら、ぜひジャン=ポール・サルトルに注目してほしいと思います。『存在と無』に代表されるように、サルトルの思想は「存在」と「無」といった人類の根源的な問いに真正面から取り組むものでした。

しかしながら、サルトルは戦後徐々に忘れられていく運命をたどります。本書では、サルトルの主要な著作を「思考の極限」と位置づけ直し、21世紀の今こそサルトルこそが必要不可欠な思想家であることを訴えかけます。

サルトルの思想は決して難解なものばかりではありません。『聖ジュネ』などの文学作品からも、サルトルの人間理解の深さを見出すことができるのです。

ぜひ本書でサルトルと向き合い、現代を照らす思想の光を手に入れてください。

シャルル・ペパン(2023)『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』(永田千奈訳)草思社

著者
["シャルル・ペパン", "永田 千奈"]
出版日

フランスの高校では文系理系問わず、哲学が必修科目として位置づけられています。大学入学資格試験「バカロレア」でも哲学の筆記試験が課されるほど、欧米の知的エリートにとって欠かすことができない学問なのです。

フランスの高校で実際に使用されている教科書を、日本語に翻訳したものが本書です。ソクラテスからサルトルまで、西洋哲学の歴史を60人以上の哲学者が紡いできました。日常生活に役立つ思考法や論理的議論の手法を体得することができるでしょう。

欧米のエリート教育を支える哲学的思考力を身につけるチャンスです。ぜひフランスの教科書を通じて哲学的センスを磨いてみてください。

堤久美子(2018)『超解釈 サルトルの教え』光文社

著者
堤 久美子
出版日

20世紀を代表する哲学者であるジャン=ポール・サルトル。その思想は決して難解なものばかりではありません。むしろ実践的で効果の高い人生の指針となる部分が多くあります。

本書では、サルトルの思想に基づいた「人生塾」が開かれます。様々な悩みや問題を抱えた塾生たちが、塾長のサルトル先生から直接アドバイスを受けていきます。

本書を通じて「人生が変わった」「自分らしい生き方が見つかった」、そう実感する人も続出しています。

「会社や学業で結果を出したい」「失敗から立ち直りたい」など、実践的な目的にもサルトルの知恵は有効です。

深遠な哲学として敬遠しがちなサルトルですが、ぜひ本書で人生の処世術への理解を深めてみてください。きっと生き方のヒントが得られるはずです。

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