少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく『今月の一冊』。22回目にお届けするのは2024年4月に国書刊行会から発売された『ロリータ・ファッション』です。ロリータのカリスマ・嶽本野ばらによる、ロリータ・ファッションの歴史をあますことなく体感できる一冊を、熱く語っていただきました。
「嵯峨景子の今月の一冊」、第22回です。今月は2024年4月に刊行された嶽本野ばら『ロリータ・ファッション』(国書刊行会)をご紹介します。
- 著者
- 嶽本野ばら
- 出版日
先月の連載で取り上げた吉見俊哉先生に引き続き、嶽本野ばらも「書評家・嵯峨景子の転換点となった5冊」(下記参照)で紹介した作家のひとりです。
書評家・嵯峨景子の「転換点となった5冊」
悩んでいる時や苦しい時、そっと心に寄り添い、あるいは新しい一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのは、いつだって本でした。ひと一倍ジグザクな人生を歩んでいる私ですが、振り返ってみればさまざまな局面で出会った本に背中を押され、自分なりの信念を掲げながら生きてきたように思います。 今回は、そんな私の「転換点となった5冊」をご紹介します。将来の方向性を決定づけた一冊や、己の美意識に輪郭を与えてくれた本、進学のきっかけや新しい仕事の手がかりとなった本……。ここで紹介するのは、パーソナルな基準で選ばれた本と、それにまつわる思い出ばなしです。 ごく私的な軌跡ではありますが、何かしらの悩みを抱えた人や、将来の方向性に迷っている人へのヒントとなれば幸いです。
嶽本野ばらとの出会いは2000年頃、国書刊行会版のエッセイ『それいぬ 正しい乙女になるために』でした。このデビュー作を読んだ少し後に小学館から初小説『ミシン』が発売され、こちらはリアルタイムで購入。当時の私は北池袋に住んでいて、池袋西武にあった書店のリブロに足繁く通っていました。リブロの地下の新刊コーナーで平積みになっていた『ミシン』の青いカバーが目に入り、吸い寄せられるように手に取った日の記憶は今も鮮明です。今はもうない書店の記憶とともに、忘れられない思い出となっています。
(参考:リブロ池袋本店40年の歴史に幕)
『ミシン』以降も次々と新作を発表し、2002年刊行の『下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん』は深田恭子と土屋アンナというキャストで映画化されてヒット。本作でロリータ・ファッションの世界を知ったという人も少なくないでしょう。目覚ましい活躍を続ける嶽本でしたが、薬物による二度の逮捕劇は作家を取り巻く状況を大きく変えました。2015年には実家のある京都に拠点を戻し、以後は自主企画を中心に活動。そんな嶽本野ばらにとって、復活の年ともいえるのが2024年です。小説『ハピネス』が映画化され5月17日より公開、先立つ4月には雑誌『ユリイカ』で嶽本野ばら特集が組まれ、そして新刊の『ロリータ・ファッション』も刊行されました。
『ロリータ・ファッション』は、ロリータの黎明期である1980年代からその当事者として生きてきた嶽本野ばらによる、集大成的なファッション・エッセイ集です。ロリータ・ファッションの流れをリアルタイムで経験できなかった人たちのために、まとまった資料を遺しておきたい。そんな使命感からロリータ・ファッションの歴史を総括した本書では、『VOUGE』や『FIGARO』などの正統なファッション史では見過ごされてきた系譜やメゾンに光が当てられています。この仕事はリアルタイムでジャンルの歴史に立ち会ってきた嶽本野ばらにしかできないものであり、資料としても一級品です。“飾欲”{しょくよく}が強い洋服オタクである著者が綴るテキストには、ロリータ・ファション好きのみならず、服飾史やモードに関心のある人にとっても発見があるでしょう。
本書に登場するメゾンの一部をご紹介します。MILK、Jane Marple、Vivienne Westwood、coup-de-pied、田園詩、PINK HOUSE、ATSUKI ONISHI、VIVA YOU、KEITA MARUYAMA、BABY, THE STARS SHINE BRIGHT、Victorian maiden、Shiery Temple、Melody Basket、alice auaa、rurumu:などなど……。他にも、私が全然触れてこなかったSIMONE ROCHAやWalter Van Beirendonckなどのロンドン・コレクション系のメゾンや、ディオールにエルメス、ヴィトンなどのラグジュアリーブランドなども、嶽本野ばらの視点から語られています。
本の中で説明されているように、80年代にロリータという用語がファッションと結びつき、ロリータ・ファッションが花開きました。ところが90年代になるとメゾンが「ロリータ」という語を嫌がり始め、ファッション誌ではガーリーという差し障りのない表現に置き換えられていきます。さまざまな意味でロリータが不遇だった90年代を、嶽本は「ロリータ氷河期」と名付けています。この冬の時代が終わるきっかけとなったのが、2000年に雑誌『KERA』が別冊として刊行した『ゴシック&ロリータバイブル』なのです。
私は2001年頃にロリータ・ファッションと呼ばれるジャンルを知り(初めてリアルタイムで購入した『ゴシック&ロリータバイブル』は第3号あたりだったと記憶しています)、以後は雑誌やインターネットの個人サイトなどを中心に、ロリータ・ファッションの情報を集めていました。ラフォーレ原宿や新宿のマルイのロリータ系ショップも時々覗いて、本格的に服を買い始めたのは2004年のことです。ですから2000年以降の動向は、ある程度は肌感覚でわかります。自分が多少なりとも触れていた時代も、リアルテイムでは知らない80年代90年代もそれぞれが面白く、よくぞこの歴史をまとめてくださったと心から喜んでいます。
中でも重要だと思ったのが、ATSUKI ONISHIが果たした役割の指摘でした。ロリータ系メゾンで繰り返し用いられるモチーフである、不思議の国のアリスやテディベア。これを初めて洋服に取り入れたのが、デザイナーの大西厚樹です。このようにロリータ・ファッションに大きな影響を与えたメゾンであるにもかかわらず、大西厚樹が2004年に早逝したことも重なって、ATSUKI ONISHIの重要性はこれまであまり語られてきていません。モードの文脈で語られるDCブランドや、ファンが個人HPや同人誌で情報発信していたPINK HOUSE系と比べても、ATSUKI ONISHIはまとまった資料がなく、それだけに本書での記述は貴重に感じました。私の手元には、1985年に刊行された『ATSUKI ONISHIのニット絵本』があります。赤ずきんちゃんや不思議の国のアリスをモチーフにしたヴィジュアルブックは、今見ても新鮮でかわいいです。
他にも、ラフォーレ原宿などでロリータの商品を取り扱うセレクトショップのATELIER PIERROTの歴史や、『ゴシック&ロリータマガジン』の創刊前に新しい潮流を察知して、積極的にゴシック&ロリータ系のメゾンを誘致したマルイなど、ショップな商業施設についてもまとめられています。商業施設はどんどんとお店が入れ替わるため、メゾンの情報以上に店舗情報は記録として残りにくい。そこにも目配りをして、ロリータ・ファッションの歴史として語られていることは、きわめて重要です。
『ロリータ・ファッション』といえば、ロリータのエッセンスを散りばめた凝りに凝った造本も印象的でした。ロリータの最重要アイテムともいえるレースをモチーフにしたカバーは、遠目には一見シンプルに見えながら、手に取るとエンボス加工による繊細なレースの模様が浮かび上がる。ピンクと白のポップなストライプに仕上げられたポップな小口には、可愛いリボンがあしらわれており、カバーを外すとがらりと雰囲気が変わってブルーのタータンチェック柄が顔を出す。長年嶽本とタッグを組んでいるグラフィック・デザイナーの松田行正による、実験的かつキュートな本をぜひ多くの人に見ていただけたらと思っています。
- 著者
- 嶽本野ばら
- 出版日