少女小説研究の第一人者である嵯峨景子先生に、その月に読んだ印象的な一冊を紹介していただく『今月の一冊』。29回目にお届けするのは2025年1月に文藝春秋から発売された『PRIZE-プライズー』です。ホラーやサスペンスのような緊張感や恐怖すら感じることができる本作の魅力を、嵯峨先生に語っていただきます。
「嵯峨景子の今月の一冊」、第29回です。今月は2025年1月刊行の村山由佳『PRIZE-プライズー』(文藝春秋)をご紹介します。
作者の村山由佳は1993年にデビューし、2003年に『星々の舟』で直木賞を受賞した作家です。以後も2009年には『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞・島清恋愛文学賞・柴田錬三郎賞を受賞、2021年には『風よあらしよ』で吉川英治文学賞を受賞するなど、数々の文学賞に輝いています。
そんな“直木賞作家”の村上由佳がおくる最新作は、“どうしても直木賞が欲しい本屋大賞作家”を主人公にした物語。設定の時点で大反響を巻き起こした本作は、生々しい出版業界の内輪ネタも満載で発売前から話題が沸騰。私もあらすじを知って発売を楽しみにしていた一人でした。
『PRIZE』の主人公は、人気作家の天羽カイン。カインはライトノベル作家の登竜門〈サザンクロス新人賞〉を受賞してデビューし、三年後に上梓した初の一般小説で本屋大賞を受賞します。本を出せばすべてベストセラーになる彼女は、今や大人気作家として活躍中で、誰もが羨むような成功と人気を手に入れました。それにもかかわらず、カインの心は満たされていないのです。
天羽カインが喉から手が出るほど欲しいもの。それは、直木賞なのでした。カインが受賞した本屋大賞は、全国の書店員の投票で決まる文学賞です。それに対して直木賞は、作家たちが選考委員を務める大衆文学最高の文学賞で、文壇の権威から評価されるという一面ももちます。これまでに二度直木賞にノミネートされながら落選したカインは、一部では「無冠の帝王」とあだ名されていました。こうした事情もあって彼女は直木賞に対して並々ならぬ執着を見せているのです。
「売れる、というだけではもう足りないのだった。身体じゅうの全細胞が、正当に評価される栄誉に飢えて餓えている。世間や書店のお墨付きを得た、あとは文壇から、同業者から、作家としての実力を認められたい。いや、認めさせたい。これ以上〈天羽カイン〉を軽んじることは許さない。夫にも、誰にもだ。」
承認欲求に満ち溢れたカインの魂の叫びは強烈で、読者はその姿にたじろぎつつも、不思議と彼女の言動から目が離せなくなってしまいます。物語は冒頭からアクセル全開で、サイン会からの打ち上げというわずか二十数ページの流れの中で、読者にカインの強烈なキャラクターを刻み付けます。サイン会では徹底的に読者サービスを行うカインは、打ち上げの席では“反省会”と称し、編集者や営業関係者に徹底的なダメ出しをして追い詰めます。その対比がなんとも恐ろしく、どこかいたたまれない気持ちになりながら読み進めていきました。その後もカインがみせる直木賞への執着と行動はホラーじみていて、薄ら寒さを感じるほどです。
このように物語のスタートの時点では、カインは決して好感度の高いキャラクターではありません。それなのに『PRIZE』を読み進めていくと、真剣すぎるほど小説に向き合う姿にいつの間にか心を動かされて、どんどんとカインが好きになっている自分に気づきます。作家という仕事に全身全霊で打ち込む彼女の姿は、不器用なほどにひたむきでどこまでもまばゆい。決して手放しで好きになれるわけではないはずのカインが放つ、一筋縄ではいかない人間的魅力こそが、本作の何よりの肝なのです。
物語にはカインを筆頭に、さまざまな出版関係者が登場します。小説誌『南十字星』の千紘は、もともとカインのファンだったという来歴をもつ若手女性編集者。カインの信頼を見事に勝ち取りますが、その信頼を独占しようとする姿には何やら危うさが漂います。雑誌『文藝春秋』編集長の石田三成は、直木賞に関わる版元ということもあってカインからプレッシャーをかけられ、少しずつ心をすり減らしていきます。当初は一番恐ろしく見えたカインが霞むほどに歪んだ行動を取るキャラクターも登場するなど、サスペンス小説としても秀逸です。最後の最後まで目が離せない展開に、エンターテイナー・村上由佳の真骨頂をみた気がしました。
作中には、本づくりにまつわる工程や作家の収入の話、文学賞の選考にまつわるプロセスなど、本にまつわる内輪話が詳しく書き込まれています。出版業界の裏側への鋭い切り込みやリアリティも、本作の大きな魅力です。作中には「馳川周」や「南方権三」や「宮野みゆき」など、モデルがバレバレな作家名も登場して笑いを誘います。物語を愛する人のみならず、本に関わるすべての人に読んでほしい、スリリングかつ魅惑的な出版業界小説でした。