定年後も読書熱冷めやらぬ元TVプロデューサー・藤原 努のブックレビュー連載、第6回。NHKから“まさかの出禁”を受けたことを機に、未読だったトーマス・マン『魔の山』に挑戦。登場人物のたちの異様な人間模様、論争、恋心に引き込まれながら、1500ページを読破した還暦読書の興奮と余韻を語ります。

今年の1月まで僕はホリプロと言う会社に37年10ヵ月勤めましたが、実は最後の7年間は、NHKへ出入り禁止の処分を受けておりました。
民放のあるドキュメンタリーを制作していた時に、NHKホール内の動線が少しだけ映り込んだことがきっかけで、NHK上層部の逆鱗に触れ、何度も呼び出され聴取された末に、NHKとしてはホリプロさんとは今後のこともあるので今まで通りのおつき合いをしますが、藤原努さん個人にはNHKは関連団体も含めて未来永劫出入り禁止とします、と宣言されたのです。
で僕は今回そのことを糾弾したいとかそう言うのではもちろんなくて、その処分以降、むしろNHKのいい視聴者としてここまで過ごしてきて、結果としてこれまでの人生で一度も手を出そうともしていなかったトーマス・マン『魔の山』に手を出し、人間というもの個人や関係性についての圧倒的な物語の嵐に飲み込まれそうになりながら読了しました!と言う報告をしたいと思ったのです。
この小説を読もうと思ったきっかけは、この5月末にルキノ・ヴィスコンティ監督『ベニスに死す』というクラシックな映画を『早稲田松竹』に見に行ったことでした。この映画館は首都圏在住の映画好きの人ならご存知の方もいるかと思いますが、僕はここ数年、未見で何となく興味を持っている映画をここで上映しているとちょいちょい見に行くようになっています。
『ベニスに死す』もこの時が初見だったのですが、こう言うお話だったのかあと言う深い感想に囚われ、いろいろ調べてこの映画の原作が誰なのかを調べたらそれがトーマス・マンだったのです。
え?トーマス・マン?
読んだことないけど『魔の山』と言うタイトルは知っている。
こう言う物語を書く人が書いたのが、あの有名な小説なのか!
ここから僕のNHKのいい視聴者たる所以になっていくのですが、あの名作のことならNHKEテレで放送している『100分de名著』で取り上げているのではないかと考えました。これは知る人ぞ知る人気番組でして、毎月古今東西の名著と呼ばれる文学作品を一つ選んで、それを4回に渡って25分ずつ解き明かしていってくれます。
僕は有料のNHKオンデマンドと言う配信にも登録していてこの『名著』はさかのぼって全部見られるので探しました。
ありました。『魔の山』。
たまにこの番組をチェックしてはいるのですが、『魔の山』を取り上げたこの4回は、ゲストで出演していたドイツ文学者の人の一種異様な熱量と、それに呼応して自らのことを喋り倒すMC側の芸人・伊集院光の熱量がこれまたいつもより物凄かったのです。伊集院氏は、元が落語の修行をしていた人でもあり、その結果として人間の言動を見る目線についてはある意味達人の領域に近づいている人ではないかと個人的に思っていたりするのですが、番組を見ているうちに『魔の山』を読まずして僕は死ぬわけにはいかないんじゃないか、とまで突き詰めた思いになりました。
で買ったのは、新潮文庫版『魔の山』上下巻。日本語訳はドイツ文学者の高橋義孝と言う人で、僕はこの人のことを意外なことに子どもの頃から知っていました。なぜならかつて大相撲の横綱審議委員長を勤めた人だったから。北の湖と輪島が横綱を張り、やがて千代の富士という男が現れてこようかというあの時代にその職にあった高橋は、本職は全然関係ない学者なのに、横綱への注文がとても多い人で、なんやこのおっさんめちゃ感じ悪いな、と思ってたりしてたのでよく覚えているのです。
そんな子ども時代の記憶がある人の翻訳で、この世界的名作を読む機会が62歳にもなって巡ってくるなんて。
- 著者
- トーマス・マン
- 出版日
- 1969-02-25
- 著者
- ["トーマス・マン", "義孝, 高橋"]
- 出版日
『魔の山』をそうは言ってもきちんと読み切った人はそこまで多くないのではないかと思うので、物語の大枠をまずは非常に大ざっぱに言いますと、
時代背景は1910年代、舞台は山の上にある結核療養所で、そこに入所しているいとこを見舞いにある夏やって来るハンス・ガストルプという青年を主人公にした物語です。
最初は一週間でこの場所を去る予定だった彼ですが、ずっとそこを去ることができなくなり、日本語の使い古された慣用句で言えば、ミイラ取りがミイラになる、みたいな流れで、療養所にいる患者や医師たちとの人間関係の中で、精神が何度も揺さぶられ、ありていに言えば成長していく物語だと、言えないこともありません。
しかしもう、こういう言い方はどうか、とも思うのですが、あえて言うならトーマス・マンはさすがドイツ人、さすがゲルマン民族、と言う感じで、それぞれの人物描写が微に入り細を穿ち、もう執拗かとも言ってしまいそうなレベルで、またとても嫌な感じの人物とかハッとさせられる人物とかも次々に登場してくるので、その徹底した描写を読み進むのが、いつの間にか癖になってきている自分に途中で気づきました。次はどんなやつが出てきて、何を言い出したりするんだ、と言うような。
中でも前半戦に出てくる人物で特筆すべきなのは、セテムブリーニと言うイタリアからやって来た人文学者の男です。この男が、何かと言うと若いハンス・カストルプに、小難しい教訓を垂れようとしたりする。現代ならこれも間違いなく何ハラかにはなるような感じなのですが、これがまた執拗なまでに教条主義的なので、こいつ絶対いい死に方しないぞ、などと予想してしまうのですが、後半になって出てくるナフタと言う人物がそれに輪をかけて理屈ぽいのであります。あまっさえ、セテムブリーニとナフタの考え方が180度違うこともあって、この二人が顔を合わせば、モラハラも厭わない論争、罵倒を繰り返すようになり、これを見ている主人公はどうしていいか分からないような心理状態に追い込まれていきます。ここだけでも想像を絶する展開で、いつの間にかあんなに嫌なやつだと思っていたセテムブリーニに肩入れし始めていることに読者=僕は気づくという塩梅でした。
もう一人前半で気になるのは、ハンス・ガストルプが恋心を抱くロシアからやって来たクラウディア・ショーシャ夫人です。
食堂で初めて見た時から、主人公は彼女に惹かれているのですが、なかなか言葉を交わすタイミングもありません。しかし前半の最後に謝肉祭を祝う言わば無礼講的な一日があり、そこでお酒に酔ったのもあって、主人公はクラウディアと二人だけで話す機会を得ることになるのです。ここは未読の人には是非読んでほしいのですが、僕にはとりわけえも言われぬような読書時間になりました。ドイツ人のハンスとロシア人のクラウディアは、なぜかお互いにとっての母国語ではないフランス語で話し合うのです。どこか訥々とした交情を、高橋義孝の訳は漢字とカタカナ入り混じりで描きます。これやっぱり原作はここだけフランス語なのかな、といらぬことも考えながら、なぜそうなのか、ではなく、こう言う言語のやり取りに生じる切なさと言うものもあるのだなーと僕は思いました。
しかしクラウディアは、次の日ここを去ってしまうと言う告白をし、また戻ってくるけどあなたはその時にはもういないわね、みたいなことを言うのです。
後半に入って、一度療養所を出て戦争に赴いたいとこのヨーアヒムがたどる人生や、このサナトリウムを経営するベーレンスと言う人物の不思議さなども気になるのですが、やがてかなりの時間が経過してクラウディアが、ペーペルコルンと言う白髪、大柄の見知らぬ老人男性と一緒に戻ってきます。あの無礼講の夜のクラウディアとの関係性を取り戻すことができず暗い気持ちになるハンス・ガストルプ。一方老人ペーペルコルンは、べらぼうに金払いが良く、話す言葉が何となく周囲を惹きつけ、何を語っているのか実はよく分からないのにみんないつの間にか彼の喋りに耽溺していく、と言うようなカリスマ性を持った人物なのでした。
最初、ハンス・ガストルプは、どうしてこんなじじいをクラウディアは連れて戻ってきたのだろうと嫉妬風な感じもあるのですが、やがてそのカリスマ性に自分も惹かれはじめ、相変わらず理屈ばかりの大喧嘩をし続けているセテムブリーニとナフタを横目に、自分を導き教えてくれるのはこのペーペルコルンのような人じゃないかと思い始めるのです。
えっ?そんな展開!?
そんな風に、この小説の中の人間たちは、僕のような読者の予想をことごとく裏切って、あさって、のような行動、言動に出て、やがてやって来るこのカリスマ老人の運命や、理屈中年男二人の大喧嘩の行方も相まって、人間存在やその関係性にページをめくる手が止められぬままに文庫で合計1500ページほどのこの長編を読み切ってしまいました。
いやいろいろ言ってますが、読んでよかったなと心から思います。
62歳にして、『魔の山』を読んでなかった自分と読み終わった自分に何か一つの分水嶺のようなものが生まれたーそんな気持ちさえ今はしています。
『魔の山』を読もうと思うより少し前、NHKEテレの『心おどるあの人の本棚』と言う番組で探検家の角幡唯介さんの回をたまたま見ました。その中で氏は自分の本棚の中でも選りすぐりの一冊というのでサマセット・モーム『月と六ペンス』をあげていました。これは画家のゴーギャンをモデルにした小説なのですが、と言う氏の説明から、西洋近代絵画好きの僕としては「えっ?ゴーギャン?」となり、この小説にも手を出すことになったのですが、それについてはまたの機会に。NHKやっぱり侮れません。
- 著者
- サマセット モーム
- 出版日
- 2014-03-28
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