定年後も読書熱冷めやらぬ元TVプロデューサー・藤原 努のブックレビュー連載、第8回。米津玄師が絶賛し再び脚光を浴びる『教養主義の没落』から、爆笑問題の太田光イチオシの有吉佐和子まで。教養と読書をめぐる自身の原体験や親との記憶をたどりつつ、還暦を越えてなお新たな学びを求める読書人生を綴ります。

8月23日の朝日新聞書評で、シンガーソングライター米津玄師が、「べらぼうに面白かった」と感想を述べたことで爆発的に売れ直している新書があることを知りました。
タイトルは『教養主義の没落 ―変わりゆくエリート学生文化』。
えっ?何それ?と思いましたね。
米津玄師の売れた歌ぐらいはもちろん知っていますが、そのタイトルとカリスマ的超人気歌手のイメージが全く結びつかなかったもので。
そこでまず米津さんの人となりについてChatGPTに聞いてみました。
幼い頃、発達障害を抱えた経験があり、他人とのつき合いも薄く、なおかつ完璧主義であるらしい。なるほど。
僕はこの新書を手に取る前にここで一つ仮説を立てました。
米津氏は「教養主義の没落」と言うタイトルを聞いて、ある意味斜めな、揶揄する気満々の思いで手を出したのではないかと。
しかし僕はこの記事のおかげでこんなテーマで文章を書いた人が20年以上前にいたんだ!と言うことを知り、素直な気持ちで手に取ることができました。
- 著者
- 竹内洋
- 出版日
僕は、教養主義、などと言うものについて語る世代では全くないのですが、ずっと、教養、と言うものにある意味脅かされ続けて生きてきた人間ではあります。
父親が英語、母親が音楽の教師だったと言うのもあってなのか、物心ついた頃から、勉強というものを毎日欠かさずしなくてはいけない、という刷り込みのようなものが僕にはありました。何時間以上参考書やドリルに向かわなくてはならない、と言うような強迫観念があって机に向かっていた記憶があります。しかしクラスでの成績はいつも上の中ぐらいで、一番になることは義務教育から高校時代まで一度もありませんでした。
一浪して大学に入って一人住まいもし始めた時、周囲にそれまで物凄い量の読書をしてきた、という同級生がいて、そういう人間と初めての酒を飲みながら哲学や文学の話などをするようになったのですが、その時僕は自分の中に完全に欠如しているものがあって、それが一般に何と呼ばれるものであるかを知りました。それが<教養>だったのです。
高校、予備校まであんなに勉強していたのに、僕には教養というものが何もついていなかったのです。受験や試験のための勉強ばかりを繰り返し、いわゆる、本を読む、という行為をほとんどしてこなかったツケが回ってきたのだとその時気づきました。
小説家でも思想家でもあるいはさまざまな学者などでも、いわゆるインテリと言われる人たちの子どもの頃の回想などを読むと、勉強はしなくても親の目を盗んでこういう本だけは読んでいた、などと言ってたりするじゃないですか。
ああ、何てカッコいいんだろう、と思いました。
世間というものを知らない僕は、何も考えずに、親の期待通り、勉強ばかりしていたのです。
だから自分の考え、思想などというものは持ち合わせていませんでした。
そんなわけで20歳でやっとそれに気づいた僕は、当時流行ったモラトリアムという言葉通りの時間があることを頼りに、とにかく本を読み倒して、友人たちと話す、を一番にここからの4年間を過ごしていこうと思ったのです。
大学に入学した1983年という年は、ちょうど浅田彰や中沢新一などが活躍する<ポストモダン>の時代でした。まだ京都大学の助手だった浅田が、書店の床に座り込んで本を漁っている写真なんかを見て、あーこういうことをするのが知的新人類なんだと思ったりしたものです。
一年生の夏に実家の京都に里帰りした時に、付け焼き刃の知的かぶれになりつつあった僕は、父に浅田彰の思想の面白さについて話しました。すると父は極めて冷静に、そんな形而上学的なことを言っていられるのは学生のうちだけで、社会人になったらそんなこと言っていられなくなるよ、と言いました。父からまさか、形而上学的、などと言う言葉が出てくると思っていなかった僕は、そこで僕とは違ってこの人は教養というものをきちんと身につけてきた人なのかもしれない、と瞬間に思いました。
それならもっと幼い時から、僕にもそんな勉強はしなくていいから、もっと本を読め、と言って欲しかった。
この時、すでに母親は亡くなっていたのですが、この夏の父との会話を通して結果的に、僕は20歳にしてやっと親離れができたのではないかと思います。
今回の本を読んで、<教養>とはそもそも何なのか、について自分なりに考えてみました。それは<知識>とは違って、たとえば自分なりの物の考え方を作らせるための土台となる一つの枠組みのようなものではないのか。
僕にとって10代までの勉強は、知識はそれなりに詰め込んだけど、それを系統づけるもの(小説などがある意味その宝庫だと今なら分かるけど)が欠けていたのだとわかりました。唯一歴史の授業だけが、今考えると教養であったようにも思いますが、当時はそういう意識も当然なかったわけです。
でも高校から始まった現代国語という授業の副読本として「日本文学史」という本を学校から買わされ、それだけが米津さんの言い分じゃないけどべらぼうに面白かったので、主に日本の近代文学と呼ばれるものにより一層惹かれる理由はそこだけ系統が何となく分かってしまうせいかな、と思うこともあります。
しかし本のタイトルは<教養主義の没落>です。
岩波書店という出版社が、講談社などと違って言わば、教養の殿堂、となっていった流れなど、この本で初めて知って個人的にすごく面白かったりもしたのですが、こんな本が20年前には出版されていたんだよ、というそのこと自体が米津さんにはべらぼうに面白かったのではないだろうか、と思いました。
今の新しい世代は、教養などと言うものを重視せずともエリートと言われる人でさえ生きていける時代になりました。20年前と違って、今はAIもあるし、大時代的な<教養>なんて、いよいよ必要なくなってきているのでしょう。
それにしてもこの本の中で、東京の山の手と下町の文化を比べて、前者にハイカラな西欧的教養主義があるのに対して、後者には江戸趣味の粋があって、それはある意味両極限だとされているのにはグッときました。それなら僕は絶対後者の人でありたいと思いました。住んでいるのは目黒区なんだけれども。
- 著者
- 有吉 佐和子
- 出版日
ところで、有吉佐和子の小説『青い壺』がバカ売れしております。最初に出版されたのは1977年ということでもう48年前、その7年後作者も亡くなり、文庫も90年代に絶版になって読む人もいなくなり、それでも2011年に文藝春秋の編集者がこの小説を会社の倉庫で読んで面白い!となって再刊が実現、その後一定の読者を得ていたものの、今年、爆笑問題の太田光が、信じられないぐらいに面白い!と言ったことで大ブレイクしました。
有吉の小説は『複合汚染』も『華岡青洲の妻』も読んだことないのですが、そんなに太田氏が言うのなら読んでみるかと僕も思いました。
ふつう過ぎる感想で申し訳ないのですが、とても読みやすい小説でした。
京都の職人が自分でも稀だと思えるほど美しい青い壺が焼けたと家族と小さな喜びに浸る第1章から始まり、その壺が、すべて偶然の出来事の流れでさまざまな人たちの手に渡り、最後の第13章で作った本人がその壺と再会することになるまでを綴る話です。確かにその中に出てくる人たちのお話は今では少し古い体裁はあるものの、現代の社会問題などとも地続きの感があり、一気読みしてしまう面白さがあるのは事実です。
その中で、自分の中に濃密な記憶として残りそうなエピソードが2つあったので簡単にお話ししてみようと思います。
年老いた母が両眼を失明し、娘が介護を兼ねて一緒に住もうとなって、試しに病院に連れて行ったら片方の目は白内障だから手術すれば見えるようになると言われ、手術の結果、片目が見えるようになる話があります。
この時、老人医療の保険が効いて、娘は母にこの手術料が無料だったことを喜んで母に伝えます。しかし目が見えるようになったのに料金がタダであるということに母はどうしても納得せず、何か医者に返さないといけないと言い始めて娘が困ることになる話なのですが、僕はこの話を読んで、子どもの頃親に言われた<タダほど高いものはない>と言う言葉を思い出しました。
今ならこれが無料なのは、たとえば自分の個人情報を少し渡すから無料なのね、みたいな納得がいくと思うのですが、昔の人は確かにそんなこと言ってたなと思いました。日本人はとりわけ見返りと言うものを期待しがちな民族だったことを思い出し、印象に残りました。
もう一つは、東京に住む年老いた女性が、半世紀ぶりぐらいの感じで京都での女性ばかりの同窓会旅行に参加する話です。14人もの同級生が集まるのですが、もはや顔も何も覚えていない人が、自分のプラン通りにその旅行を成立させようとするせいで、主人公の女性はせかせかして一つも面白く感じられない旅行になってしまうという話です。
その仕切り屋の女性は、子どもの頃もそんな性格だったと言うことを主人公は思い出していくのですが、この話には自分の同窓会記憶とも重なるところもあってハッとしました。
僕自身、40歳を越えたあたりから、急に中学高校の同窓会が開かれてその度に京都にいくことが増えたのですが、よく言われるように学生時代の感覚に戻ってすぐ同級生たちと話せるようになるというようなことがある一方で、なぜかその時代にあったヒエラルキーみたいなものがそのまま再現されていくような感じを強く覚えたこともありました。だからたとえばいじめられっ子だったような人は何十年もたったからと言って同窓会に安易に参加しない方がいい場合も僕はある気がします。不快な気持ちになることがあるかもしれません。そんなことを思い出させるお話でした。
2つと言っておきながらなのですが、この小説で僕が何よりもハッとさせられたのは最後の第13章でした。主題となる青い壺を手にした鑑定家が、それを作った職人とは知らずに、当人に向かってこれは間違いなく12世紀頃の唐物だなどと言うのです。当然その職人は絶句します。
僕はこれを読んだ時に、急に今年静嘉堂文庫美術館で見た「曜変天目茶碗」と言う国宝のことを思い出しました。かつて中国で焼かれた物であるけれども本国には実在するものがなく、日本に渡ったものが3つあり、それが東京と大阪と京都に一点ずつあり、いずれも国宝に認定されている逸品です。
この茶碗、虹のような色味に特徴があり、現代の陶工のすごい人が焼いてもどうしても同じ色が出ないと言われている物です。この茶碗を最近見たせいもあってふと、有吉佐和子は、曜変天目茶碗の存在を知って、この小説を書いたのではないかという気がしたのです。
まあ僕の考え過ぎかもしれませんが、個人的に2年半前から急に茶道を習い始めていまして、還暦になって初めて興味のわいた茶碗というものを見に行った結果、こんなことを思いました。
もしかしたらこの年にして茶道を習い始めたことも、僕にとって新しい教養を少しだけ加えるきっかけになったということなのかもしれません。
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info:ホンシェルジュX(Twitter)
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