本好きなら誰しも「センスがある」と思われたいもの。元TVプロデューサー・藤原 努による連載第16回は、そんな人間の“いやらしさ”を自白しつつ、作家の人生を巡ります。漫画『本なら売るほど』を機に森茉莉や久世光彦のダンディズムに浸り、村上春樹の原稿流出事件の裏側にあった嫉妬に震え、最後はカフカの強烈な自我に辿り着く——。ミーハー心をスパイスに、表現者のバックボーンへ迫る読書エッセイです。

個人的な話ですが、東急目黒線と大井町線が重なる大岡山という駅を住まいの最寄りにしてかれこれ20年になります。駅前に東京科学大(旧東京工業大)のキャンパスが広がる街です。ある意味文教地区といっても差し支えないところなのに、いっとき書店が一軒もなくなってしまい、茫漠とした気持ちになったことがありました。
しかし2年ほど前、駅から少し入った住宅街に、40代ぐらいのご夫婦が経営する小さな書店が開店し、もうそのことだけで本好きの僕には日々のテンションが一段上がる出来事になりました。
その店舗はかつては年配の女性が一人で珈琲を淹れるこれもなかなか粋な喫茶店だったのですが、それが居抜きのような形で『青熊書店』に変わりました。
店名から想像される通り、ご夫婦の出身が青森県と熊本県なのです。
本の数は多くないけど、一度入るとついいろいろ見てしまい、ほとんど毎回何か買ってしまいます。店舗が狭い分、限られた平置きのスペースに置かれる本の並びにこだわりが感じられ、そのセンスみたいなものが、僕のどこかに共鳴するところがあるのかもしれません。
漫画はまず買わない僕が、ここで見つけて買ったのも『本なら売るほど』の1巻2巻3巻でした。
- 著者
- 児島 青
- 出版日
いやあハマりましたね。
この漫画の若い主人公男性は、本好きのあまり脱サラして古本屋を開業するのですが、その本棚は、本好きの“伝わる人には伝わる”センスのものになっていく。決して彼がそれを狙っているようには見えないのだけど、どんな本を置くことが肝要なのか、本の市場価値に対する知識はもちろん申し分ないのだけど、それだけじゃなくてやっぱり自分がいいと思う作家の本を並べていきたい。その結果、たとえば彼と話し込んでいく“書狂”のような老人客もいれば、どこかイケてる空気も発散している彼に、お薦めの本を教えて欲しいと言ってくる若い女性客もいるという状態になるのです。
小さな古書店や新刊書店を営もうとする人の中には、ある意味この主人公のような自らの姿を想像しているところがあるのかもしれない。
漠然と本を読みたいと思う人の心の中には、センスのある本を読みたい、という思いがそこそこあるのではないかと想像します。
かく言う僕も、結局のところ、自分的にこの読書本選びセンスあるじゃん、と自分で悦に入りたい、といういやらしい感じがあるのを否定することができません。
この漫画の中で、主人公が若い女子高生にお薦めの作家を教えて欲しいと言われ、さんざん考えたあげく、森茉莉を薦める場面があります。
僕はこの場面で、「あ」と思ってこの漫画に沼っていくきっかけになりました。
この森茉莉という作家、小説のほうはそんなにきちんと読んでいないのですが、人物に僕自身ずっと惹かれてきたのです。
文豪・森鷗外の長女として生まれた彼女は、対外的にはとても厳しい顔を持つ父・鷗外にとても甘やかして育てられ、子どもの頃何かいたずらをしても「おマリのやったことならいいよ」と許されるような感じで、結果だいぶわがままなお嬢様として育ちました。
おとなになって父のつてで高級官僚と結婚することになり、仙台に転居した時も「この街には三越がなくて退屈」という理由ですぐ離婚して東京に戻り、その後も父の財もあってお金に困ることもなく一人で84歳まで生きました。
そんなに豪勢な暮らしをしたとかではないようですが、父に知的なお嬢様として育てられた彼女は、ある種特有の美的感覚を身につけ、50歳を超えてから小説家デビューを果たし、受け入れられるようになっていきます。
森茉莉は小説の他に週刊誌で『ドッキリチャンネル』と言う、人気エッセイも書いていてちょっと辛口のコラムニスト的な側面も持っていました。晩年はずっと一人だった様子で、下北沢のアパートでひっそりと亡くなっているのを編集者に発見されるのですが、今も存在する近くの『邪宗門』と言う喫茶店で執筆することも多かったらしく、僕も一度この店を訪ねて、森茉莉がいつも座っていたテーブルを教えてもらったことがあります。
『本なら売るほど』の女子高生はそれまで澁澤龍彦や三島由紀夫を読んでいて、それもヒントにしながら主人公は彼女に森茉莉を薦めることになるのですが、ここにこの主人公の、ひいては漫画原作者の児島青氏のセンスを僕は受け取りました。
やっぱり、自分が棚を作っている古書店に何度か来てくれている客から、オススメの本を教えて欲しい、と言われれば、センスある!と思われる選書をしないではいられないでしょう。
でも、センスある本てつまりはどのようなものなのか、ここからは僕の勝手な仮説になるのですが、やや乱暴に言うと、作家・著者自身の生活や人生にすでになんらかの物語があって、それが背景に感じられつつ、書かれたもの、みたいな本が多いことになるのではないか。
もちろん面白いに越したことはないと思うのですが、どこに面白さを見出すかは結局のところ読者次第という側面もあるし、そうでなければタイトルそのものに得もいわれぬ惹きを感じる、と言う場合もあるかもしれません。
それで思い出すのは、随分前に森茉莉絡みでふと手をつけた、随筆家・山本夏彦の『最後のひと』と言う本でした。
この中で、山本は、森茉莉と全く同時代を生きた女性作家・幸田文を比較しながら書いています。
幸田露伴の娘である文も、茉莉と同じく文豪の二世作家とも言えるのですが、こちらは父・露伴に厳しく育てられ、女中奉公などで苦労する日々も過ごすことで幸田文独自の文学が出来上がっていく経緯があります。森茉莉とは、人生としても対照的な構図です。森茉莉と幸田文は、年齢も一年違い、没年も三年違いで、いずれも80年以上生き、なおかつ生まれ育った場所も目と鼻の先であるにも関わらず、一度も二人が交流した形跡がないことに山本夏彦は目をつけたのでした。
一体『最後のひと』と言うタイトルは、そこから何を見出そうとしたのか。随筆家の腕の冴えを感じさせる本でした。
- 著者
- 山本 夏彦
- 出版日
『本なら売るほど』を読み進むと、出版社の女性がたまたま主人公の営む古書店で『一九三四年冬―乱歩』という本を見つけて読み進む場面が出てきます。
この本の著者は、テレビドラマなどの演出家でもあった久世光彦。ほんとに偶然なのですが、僕も20年ほど前この本を書店でたまたま見つけて読んだことがありました。
一つには、江戸川乱歩の短編に当時ハマっていたと言うのもあったのですが、乱歩がスランプに陥って一時行方不明になっていた時期を小説にしたらしい、と言うのを文庫の裏表紙の紹介で知って手に取りました。
この著者は、筆致も研ぎ澄まされていて何となくダンディな空気もあり、僕、今シャレオツな小説読んでるなあ、と思ったりしたものです。
しかし演出家・久世光彦と言えば、作家・向田邦子との関係を抜きにしては語れません。
昭和のある時代の連続ドラマの黄金期を築いた二人でありましたが、そこには向田の脚本と久世の演出が、第三者には入っていけない阿吽の呼吸のようなものがあった、とこれは多くの人が語っていることで、一説には二人に恋愛関係があったのではないかとも言われています。
しかし1981年に向田邦子が飛行機事故で亡くなり、久世の喪失感は相当なものであったらしく、それを自分でも書いていますが、決して恋愛関係にあったとかは書かない。それも久世のダンディズムのようなものかもしれません。向田が亡くなった後に、50歳を過ぎてから作家デビューしたのも、ドラマというジャンルでの唯一無二の伴走者を失った久世が、自分一人で完結できるものを見出したのでしょう。久世は70歳で亡くなりましたが、終生飛行機は嫌って乗ろうとしなかったとか。でも何かこの人のイケてる感じは、2026年の今も残っている、そんな感じが僕はしています。
- 著者
- 久世 光彦
- 出版日
- 2013-01-19
ところで、この漫画に出てくる話ではないのですが、古書の流通に関連して20年前に起きた社会的事件で、自分自身衝撃を受けて今もどうにも忘れられないものがあり、ご記憶の方も多いかと思いますが、あえてここでおさらいのように書かせていただきます。
それは、作家・村上春樹の生原稿が、古書市場に高値で売り出された事件です。スコット・フィッツジェラルドの『氷の宮殿』という作品を村上が翻訳した生の原稿が、神保町の古書店で100万円を越える金額で売られていました。
村上春樹本人からするとその原稿は担当編集者から流出したものと考えざるを得ず、月刊文藝春秋2006年6月号誌上に、村上は『ある編集者の生と死―安原顯氏のこと』という長文手記を掲載しました。
村上春樹の作家活動初期の頃、“スーパー編集者”などと呼ばれていた安原顯は、一時期自分は担当編集者として村上春樹の育ての親、などと広言していました。しかしある時突然、村上春樹を激しく批判する側に転じ、90年代前半には雑誌で村上の『ねじまき鳥クロニクル』を徹底的に批判する文章などを掲載しました。
第三者的に見れば、それは自分が育てたと思っていた村上春樹が全く手に届かない存在にまで大きくなってしまったことへの激しい嫉妬とそれに基づくどうしようもない怒りのような感情だったのではないかと思われます。
安原は、これぐらいの小説よりすごいものを自分は書けるとうそぶき、実際に小説を書いて出版もするのですが、それは鳴かず飛ばすに終わります。
村上は文春での手記で、その小説を読んで、安原さんなら実際素晴らしい小説を書けるだろうと思ったけど、出来上がったものはしごく凡庸でどうにもならないものだったというような趣旨の感想を綴っています。
しかしそうして袂を分かった編集者が、作家本人から担当として受け取った原稿を商品として古書市場に流出させてしまったことについて、村上はとても丁寧にしかし完膚なきまでに批判しました。
その時点で安原はすでに故人でしたが、その手記は、カリスマ編集者で毀誉褒貶も激しかったこの人物へのあまりにも苦すぎる惜別の辞のようにも感じられました。
安原顯が今の時代に編集者として生きていたら、何らかのハラスメントで一発アウトになるところでしょう。若い頃には、巨匠・大江健三郎を徹底批判したこともある安原の人生は、おそらく細木数子などとも匹敵するドラマ的魅力があると思います。
今回この事件のことを思い出して調べてみたら、安原の中央公論での先輩に当たる村松友視が書いた『ヤスケンの海』という評伝があることを知りました。
先ほど思わずamazonで検索したら、中古の出品が僅かにあったので思わずポチった次第です。
- 著者
- 村松 友視
- 出版日
この漫画を読んだせいで、ちょっとセンスあると一般的に思われそうな小説を未読の中から選んで読んでみようという少しいやらしい気持ちになりました。
いろいろ考えて、カフカの『城』を読んでみることにしました。
学生の時に『変身』を読んだきりだったのですが、それにしてもどうしてカフカには数多い海外作家の中でも、どこかイケてる感があるのはなぜなのかとずっと思ってきました。
しかしこの欄でも以前少し触れた、身体の痛みと戦い続けている頭木弘樹という<文学紹介者>を名乗る人が編訳をつとめた『絶望名人カフカの人生論』というのをつまみ読みしているうちに、強いて言うならカフカは太宰治なのかもと思うようになりました。
『城』は、カフカ最大の長編小説で、男がいつまで経っても城にたどり着けない話、という情報だけ耳にしていて、きっと一生読むことはないかもと思っていたのですが、今回センスある読書のためにと思って、延々と続く愚痴と非難の会話の応酬とも思えるこの小説を全部読みました。
ちょっと疲れました。
測量士として城のある街へやってきた主人公Kは、さまざまな人と出会う中で、何とか城の中に勤める役人と会おうと画策するのですが、なかなか会うことができません。この街や城にはそこに住む者ならみな知っている取り決めや慣習のようなものがあり、それを全く知らないKはなかなか受け入れてもらえない、という構図です。
なのに会いたいと思っている城の役人のクラムという人の恋人であるフリーダという女性をうまくかどわかしたのか、そこもよくわからないのですが、Kはその人を自分のいいなずけにしてしまうのです。
一方で城の側から与えられた男性助手2人は、Kの言う通りに働こうとするのですが、Kはこの2人に何度もひどい言動を続けたりもし、挙句の果てに逃げられたりもします。
もしかするとこの主人公Kは、自身会社員もしていたカフカがたとえば会社というものに対して持っている官僚的組織への不合理不条理な違和感のようなものをベースにしたキャラクターなのかもとも思えてくるのですが、だとすればカフカは相当嫌なやつであったに相違ないと思われます。
日本語訳はとても平易なのですが、読んでるうちに、おまえは一体何を言っているのだ!?(怒)みたいな気持ちを、僕はKに対して何度も感じました。
しかしそうしたクールさみたいなものが、カフカをイケてる作家と思わしめている要因であるのかもしれません。
太宰と同様、あるいはそれ以上に、微動だにしない自我の強烈さのようなものを感じました。
- 著者
- フランツ・カフカ
- 出版日
- 1971-05-04
でもそうやって考えるとやっぱり僕は、作家や著者のバックボーンを常に意識しながら読む性(しょう)になっているということかもしれません。
ほんとうはそんなこと考えずに文学にも純粋に触れられたほうがきっといいのでしょうが、汚れちまった僕のような人間にはもう無理な相談です。
原作モノの映画化について|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#15
社会不適合な後輩から薦められたのは、苦手なSF大作でした。元TVプロデューサー・藤原 努による連載第15回は、原作と映画のあいだに漂う「割り切れぬもの」がテーマ。寝落ちした映画館で覚えた嫉妬を原動力に、アンディ・ウィアーから濱口竜介、旧知の監督による直木賞作の映画化まで——元プロデューサーとしてのプライドと複雑な胸中を抱え、表現の真髄へ迫ります。
info:ホンシェルジュX(Twitter)
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