日本史上最も有名な武士の一人、坂本龍馬。彼はどんなことを考えて、どんな風に生きていったのか。今回はそんな龍馬に近づけるような作品を5冊ご紹介していきます。
坂本龍馬は1836年に土佐の裕福な商売人の家に生まれました。少年の頃の龍馬は泣き虫でよく寝小便をし、勉強もできませんでした。諸説ありますが、彼は幼少期にいじめにも遭い、抜刀騒ぎを起こしたこともあるのだとか。
そんな龍馬でしたが、父の後妻の前夫の実家を姉とよく訪れ、海外への憧れを強めていたのだとか。そこには当時土佐藩の御船蔵があり、九州や近県からやってくる話や異国のお土産など、多くのものが集まってきました。開国を訴えた坂本龍馬を造ったのはそんな幼少期の影響もあるのかもしれません。
そして彼は剣術の修行として親元を離れ江戸に向かいます。ペリー来航の際に異国の大きな船を見てさらに龍馬の心の中は変化していきます。土佐藩への入藩、脱藩、薩長同盟の仲介などの激動の幕末を駆け足で走り抜け、33歳の若さで亡くなっています。
1:「りゅうま」かそれとも「りょうま」か?
「竜」や「龍」は普通「りゅう」と読みますが、坂本龍馬の場合は「りょうま」と読みます。このことは、高知市にある資料館からわかりました。手紙には、周りの人が間違えないように「良」と書いているのです。また、竜馬が姪に宛てて自分の名前を「りよふ」と書いていた手紙も残っています。
2: 坂本龍馬がいないと三菱財閥はなかった
三菱財閥の創始者である岩崎与太郎は海援隊の会計役でした。その海援隊は坂本龍馬が土佐藩ををスポンサーとして運営しており、坂本龍馬が暗殺されると経営がうまくいかなくなりました。三菱財閥にとって、坂本龍馬がいかに大切な存在であったかがわかります。
3:坂本龍馬の暗殺の真相
殺されたのは、実は坂本龍馬の影武者だったとされています。そのため、あの有名な坂本龍馬の写真も本人ではないかもしれません。
4:坂本龍馬の手紙は非常に長かった
当時は筆まめな人が多く、150通近くもの手紙を送りあったといいます。龍馬もそんな筆まめの一人でしたが、龍馬の手紙は非常に長く、最長記録はなんと5mです。また、普通の人であれば手紙は残っていませんが、龍馬の手紙は現代も残されており、人物としての重要さが伺えます。
5:坂本龍馬が成功したのはフリーメイソンのおかげ
フリーメイソンとは、16世紀後半から17世紀初めに判然としない起源から起きた慈善団体です。坂本龍馬が行ってきたことは坂本龍馬自身が考えたことではなくフリーメイソンが裏で操っていたといわれています。
6:キリンビールのロゴマークは龍馬を想像させるもの
皆さんはよくキリンビールの表面に描かれている麒麟のマークを見かけると思います。そのマークですが、実は坂本龍馬を連想させるデザインとなっているのです。その絵をよく見てみると、坂本龍馬の「龍」と「馬」をあらわす文字に見えます。
7:坂本龍馬が日本で初めて写真を名刺代わりに使った
坂本龍馬は。全国を回っている間に自分の顔と名前を覚えてもらうことが大事であると思いつき、撮影した自分の写真を焼き増しして出会った武士たちに配っていったそうです。
坂本龍馬が幼い頃から亡くなるまでを歴史の流れに沿ってドラマティックに描いた歴史小説です。本作品では彼の性格の変化が事細かく描かれています。
生まれた時の龍馬は、のちに薩長同盟や大政奉還といった大仕事を起こすような人物とは到底思えないようないわゆる「どんくさい」子供でした。どんくさいのか大物なのか、それはまだ幼い頃には分からないものだったようです。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1998-09-10
大人になってからも竜馬の発想は奇抜でなかなか受け入れてもらえないものばかりですが、誰にも流されることなく独自の考えを貫いていきます。時にはその壮大な計画が打ち崩されてしまうシーンもありますが、最後まで優しく、男らしく生きて行く姿がなんとも魅力的に描かれています。
坂本竜馬は時には世間の笑い物になろうとも気にしない男です。友人を大切にし、決して無駄な血を流すことなく、自分の進むべき道を見誤らずに信念を持って突き進みます。
優しさに満ち溢れた魅力的な男性だということがこの本を読むとわかります。歴史上の出来事は変えることはできませんが、竜馬とともに時代の難問の答えを見つけながら読み進めていくような冒険劇を疑似体験できます。
そして竜馬の死後、大政奉還は実現し明治維新へと時代は大きく変化します。全巻読み終えた後はなんとも言えない爽快感と達成感を感じることだと思います。
歴史上もっとも大きな謎とされている龍馬暗殺の犯人について考察した論考集です。
こちらの作品は、龍馬の書いた手紙を元に龍馬がどんな人物なのかを探っていきます。龍馬は実に沢山の手紙を書いていてその手紙から魅力的な人柄が伝わってきます。
- 著者
- ["道史, 磯田"]
- 出版日
その中ではあまりしられていない龍馬の一面も垣間見ることができます。家族に書いた多くの手紙の中で「たぶん龍馬という人は、思ったことは全部口にしないと気が済まない人だったと思います」との内容があります。激動の時代の立役者であるイメージとは異なる彼の素顔ではないでしょうか。
寺田屋で襲われた時のことについて書かれた手紙については、「幕府の襲撃から逃れた本人が、その様子をこれほど詳細に書いた書簡は見たことがない。」(『龍馬史』より引用)と作者は書いています。この辺りの内容がまさに龍馬が暗殺された理由のヒントになる部分ではないでしょうか。
「最大の長所が最大の欠点になるように、結局彼の長所が彼の命を奪うことにもなりました」(『龍馬史』より引用)
彼が殺されなければならなかった長所であり、短所でもある性格が現れた手紙とは一体どんなものなのでしょか?
また、最後の章では暗殺の謎に迫っていきます。犯人は誰だったのか、誰が龍馬を斬ったのか。坂本龍馬にまつわる最大のミステリーのヒントを読んでみませんか?
こちらの作品も坂本龍馬が家族や知人にあてた手紙が原文のまま収められている書簡集です。
坂本龍馬が書いた手紙は膨大で、最初にそのことに驚きます。歴史の事実として知られていることが、そのまま手紙に書かれています。面会する相手の名前や日時が記載されてあり、これらを読むことで人物が生き生きと動き出し、出来事がリアルに感じられます。
- 著者
- 宮地 佐一郎
- 出版日
- 2003-12-11
手紙そのものの写真があり、読みやすく印刷し直して、さらに現代文に訳されたものが記載されています。原文のままでは読みづらいので現代文を読み、大体の意味を把握してから原文を読むのがおすすめ。龍馬の手紙を読んでいるという実感が湧いてきます。慣れてくると原文から読めるようになるので難しそうだと敬遠せずによんでいただきたい作品です。
乙女姉さんに書いた手紙は本当にたくさんあり、信頼し合い仲の良い兄弟だという様子が伺えます。例えばお龍との新婚旅行のことを報告する手紙にはなど図入りで書いている面白いシーンが。
「女ノ足ニハむつかしかりけれども」助けながら霧島山に登り「おもいもよらぬ天狗の面があり、大いニ二人が笑」(『龍馬の手紙 44 慶応2年12月4日 坂本 乙女あて』から引用)
当時の書簡にはあまり見られない構成などは坂本龍馬が型にとらわれない人物だということが窺えるのではないでしょうか。原文ならではのリアルな坂本龍馬の顔がみられる作品です。
アメリカ人の作者が書いた坂本龍馬と明治維新 についての歴史書です。1の司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を書くときに参考にしたと言われています。龍馬の伝記とも言えるのではないでしょうか。
- 著者
- マリアス・B. ジャンセン
- 出版日
歴史書と聞くと難しそうな印象がありますが、専門用語などが使われているという訳でもなく比較的読みやすい1冊です。坂本龍馬という人物、そして彼の最大の功績の一つ・大政奉還までをも冷静に解説しています。
龍馬ファンはそれぞれ龍馬に対する思い入れがありますが、幕末という激動の時代を生きた坂本龍馬という人物を等身大に見ることができる、史実に忠実な1冊です。今まで見なかった新たな彼の一面から、想像が膨らむ内容になっています。
坂本龍馬の活躍は必ずしも本人の意思だけではなく、運命に導かれていったのだと感じる1冊です。坂本龍馬はこれまでにたくさんの人々を魅了してきました。幕末という激動の時代を生きた英雄です。この本のはじめにそれを表す言葉があります。
- 著者
- 河合 敦
- 出版日
「最初から龍馬がヒーローであったわけではない。龍馬をして英雄に仕立て上げた人びとが存在するのである」(『誰が坂本龍馬を作ったか』から引用)
例えば龍馬に脱藩を決意させたと言われている人物・久坂玄瑞大や、西郷隆盛が龍馬を側面からサポートしたのではないかなど、周囲の人物と坂本龍馬の様子が書かれています。
たくさんの人たちによって龍馬は薩長同盟を実現させ、大政奉還を成し遂げたのでしょう。坂本龍馬を取り巻く多くの人により結果として、彼は「英雄・龍馬」として生きていくことになったのだと感じる1冊です。
たくさんの写真と、資料が出ているので学生さんなどでも読みやす作品。一見、中学生や高校生の時に社会の授業で使用した資料集を思い出させられます。
- 著者
- 小椋 克己
- 出版日
この本はカラーのページも多く写真もたくさんあるので社会や歴史が苦手な人も見ることができそうです。読まずに写真を見ていくだけでも幕末のことが理解できるのではないでしょうか。
この本ではジョン万次郎と言われている中浜万次郎の写真と解説も見どころです。おそらく多くの人がうろ覚えであろう中浜万次郎ですが、彼の功績の素晴らしさを再確認させられます。貧しい漁師の家に生まれ、海で遭難したことがきっかけで日米和親条約の際には通訳まで務めるという考えられないような出世ぶりの人物です。
龍馬のたどった足跡なども紹介されているので、この本を片手に旅行などで訪れてみるのも良いかもしれません。