人間の精神は同じ感情ばかり刺激されると感受性が摩耗し、刺激に対して鈍感になります。たまには趣向を変えて、刺激的な作品を鑑賞してみませんか?飛びきりの鬱展開を見せる5作品をご紹介します。
主人公野咲春花は半年前に大津馬中学校に転校してきた中学3年生です。東京から来た彼女は「よそ者」としてイジメの標的になります。靴を隠される、机を彫刻刀で落書きされる、ゴミ溜めに突き落とされる……。狭い村社会の陰惨な連帯が春花を襲います。
春花にとって家族が心の拠り所でした。優しい父と母、自分を慕う妹。そしてクラスで唯一、春花に好意的な相場晄(みつる)だけが彼女の味方です。晄は春花をミスミソウのようだと言います。厳冬を耐えて小さな花を付ける、その草の花言葉は「はにかみや」。そう言われた春花は初めて顔を綻ばせ、卒業までの2ヶ月を堪え忍ぶ決意をします。
一方、娘の異常に気付いた父の和夫は、学校に訴えます。ところが担任の南京子は、卒業間近に波風を立てたくないと一切取り合いません。和夫は春花に不登校を勧めます。
……後日、野咲家は何者かに放火されました。父母は焼死、かろうじて一命を取り留めた妹は意識不明。イジメグループの仕業であることを確信した春花は、復讐を心に誓います。
- 著者
- 押切 蓮介
- 出版日
ミスミソウと言われたように、本来の春花は優しく控えめな性格の少女です。家族に迷惑をかけたくない、心配をかけたくない一心でイジメに耐えてきましたが、最愛の家族を奪われてからは、その怒りを胸に首謀者への報復を始めます。そこには草花のような儚い姿はありません。しかし、生来の性格から、復讐の無意味さや良心の呵責を感じてもいます。
春花のたった一人の味方、晄。彼も元々は転校生で、可憐な春花に好意を抱いている少年です。そのためなのか、クラスでも決してイジメに荷担せず、また恐れることなく諫めようとします。そんな彼にも隠している一面があり……。
本作に登場する中学生達、そして成熟しきれていない大人は、それぞれが事情を抱えています。不和、諍い、無理解。未熟な精神は現実とのズレで摩耗し、分散した責任は罪悪感を薄め、イジメをエスカレートさせました。些細な出来事から始まり、悪化した狂気、その負の連鎖が導く結末は?
『ミスミソウ』については<『ミスミソウ』の見所を最終回までネタバレ紹介!傑作ホラー漫画の鬱展開…>の記事で紹介しています。気になる方はぜひご覧ください。
主人公小川今日子は自分に自信が持てないネガティブな性格の女性です。吃音の気があり、幼い頃から人前で緊張すると挙動不審になっていました。そのため付いたあだ名が「キョドコ」。大学生時代の交際相手にトラウマを持っています。下着メーカー「ワンナナコール」材料課に勤務する彼女は、その目利きに関しては一目置かれた存在。
デザイン課に勤める同僚堀田の発案で、今日子のための合コンが開かれます。堀田は今日子の手腕を買っていますが、一皮剥けない原因が過去の男のせいだと見抜いている人物。今日子も変わろうとするもパニックに陥って暴走。男性陣の吉崎はそんな今日子の主体性のなさを看破、説教します。あろうことか今日子は吉崎にアピールして手酷く振られます。
初対面の経緯こそ酷い有様だったものの、吉崎とは少しずつ交流を重ねる今日子。今日子がようやく新たな恋を始められると前向きに考え始めた矢先、最悪の男が現れます。学生時代の交際相手、星名蓮がワンナナコールに転勤してきました。
- 著者
- 天堂 きりん
- 出版日
- 2012-01-13
ポップなデザインの表紙、キュートな絵柄に反して、小川今日子の異常な内面が描かれる漫画です。今日子は吃音持ちの挙動不審者で、家族からも厄介者扱いされています。他人の顔色を伺うネガティブな性格はそうして培われました。本人は変化を望んでいますが、過去の男である星名が彼女を呪縛します。
星名は人当たりの良い好青年を演じていますが、裏の顔は肉体的にも精神的にも今日子を苦しめるサディストです。主体性のない今日子の承認欲求を満たし、コントロールしています。星名もかつては周囲から冷遇される子供でした。今日子への仕打ちは歪んだ心を埋める行為で、彼女とは共依存の関係にあると言えるかもしれません。
吉崎は実直な男で、今日子へも誠意を持って応じるようになります。しかし、今日子は星名との関係が負い目になって踏ん切りが付きません。改善するかに見えた兆しが隠れ、職場でも追い込まれ、結果最悪の相手である星名に行き着く負の連鎖に陥ります。悪い方へ悪い方へ向かってしまう今日子は、負の連鎖を断ち切ることは出来るのでしょうか。
日々をつましく生きる孤児院の少女は皆、ある夢を支えにしています。年に一度観劇出来るブラッドハーレー聖公女歌劇団。その素晴らしい演劇は元より、少女達を惹きつけてやまない噂がありました。劇団員は全てブラッドハーレー公爵が引き取った孤児ばかりだということです。少女達は養女に召し上げられ、華やかな舞台に立つ日を夢見ています。
今日も一人、孤児院から少女が巣立っていきます。孤児達は別れを惜しみながら、ブラッドハーレー家の養女になる彼女を祝福します。夢と希望を小さな胸に抱いて、少女はブラッドハーレーに遣わされた馬車に揺られます。優雅な生活、憧れの歌劇団への入団を想像して。彼女が連れられて行ったのは……高い高い塀の刑務所の中でした。
この国ではかつて死者37名を出した囚人の騒ぎがありました。同様の騒動を未然に防ぐため、長期・無期受刑者のガス抜きが立案されます。毎年一回、孤児院の少女一人を彼らに与える計画です。発案及び責任者こそが貴族院議員のニコラ・A・ブラッドハーレー公爵。
そして今日もまた、ブラッドハーレーの使いの馬車が孤児院を訪れます。
- 著者
- 沙村 広明
- 出版日
- 2007-12-18
近代ヨーロッパのいずこかの国が舞台ですが、その背景が細かく語られることはありません。話は淡々と進んでいきます。孤児院の少女が心の支えとするブラッドハーレー家への養子入り、そこから晴れ舞台で活躍するという夢。そんな儚い夢は一瞬で崩れ去り、地獄のような現実が少女たちに容赦なく突き付けられます。彼女達がどれだけ泣いても叫んでも運命は変わりません。
本作はオムニバス短編集となっています。基本的に各話で登場人物が異なりますが、ブラッドハーレーの馬車によって孤児院から連れ出された少女が話の軸。世の中は移ろい、孤児の少女達は翻弄されます。そこには三者三様の苦しみがあります。孤児院の先生を始めとして、周囲の大人達も懊悩するのです。けれど、誰も止めることが出来ません。
これは作者、沙村広明の繊細で緻密な筆致が描き出す残酷な少女物語と言えます。少女達の過酷な運命は、目を覆いたくなるほど酷い有様です。しかし、同時に目が惹き付けられ、離せなくなります。ちょうど少女達が聖公女歌劇団に心奪われるように、沙村広明の描く美しくも惨たらしい絵は必見。残忍で美しい物語をご覧ください。
『少女椿』は1984年に刊行されました。現代にはそぐわない表現が多数ありますが、可能な限り時代性を尊重してご紹介します。
主人公みどりは病気の母親と二人暮らし。ある日、花売りに出かけていたみどりが家に戻ると、ネズミに内蔵を食い破られた母親が亡くなっていました。天涯孤独となったみどりは、花を買ってくれた親切な山高帽の客を頼ります。
山高帽の男は見世物小屋「赤猫座」の座長でした。みどりは下働きとしてこき使われることになります。一座の芸人は肉体的にも精神的にも癖のある者ばかり。新入りのみどりをイジメ抜きます。みどりは酷い仕打ちを受けながらも彼らを化け物と罵倒して耐えるのです。
そんなみどりに転機が訪れます。瓶の中に入れるという手品芸を持った小人症の男、ワンダー正光。東京から一座に呼び寄せられたこの中年男だけは、みどりに優しく接します。例の漏れずワンダー正光も一筋縄では行かない醜男の奇人ですが、みどりはもう彼をよすがにする他ありませんでした。
- 著者
- 丸尾 末広
- 出版日
話は昭和初期を舞台にしており、みどり自身も彼女の周囲にも差別や偏見が満ちています。およそタブーとされることが平気で描かれた本作。それもそのはず、作者の丸尾末広は先鋭的な画風を売りとした雑誌『ガロ』で活躍した作家なのです。劇画ブームのただ中で高い年齢層の支持を集めた『ガロ』は、今日のサブカルチャーの走りでもありました。
本作の作風を一言で言えば、エログロナンセンス。みどりは犬食い女の芸と称して豚の内臓を食べさせられたり、寒風吹きすさぶ真冬に全裸で水責めをされたりします。両腕のない鞭棄(むちすて)という芸人から言い寄られ、処女を散らされる場面も。みどりも負けじと、自分を省いてうどんを食す芸人達にサナダムシの話をして仕返しします。
度を超えた不条理はナンセンスギャグに思えます。終始みどりの悲惨さが描写されても、どこか滑稽に感じるのはそのためでしょう。救われない話なのになぜか惹き付けられます。昭和レトロな絵柄が退廃的なエロスを漂わせていることも一因かも知れません。現代ではなかなか見ない尖った作品です。
『少女椿』をもっと詳しく知りたい方は<漫画『少女椿』の魅力をネタバレ考察!グロくて悲惨なのに、どこか美しい?>の記事をご覧ください。。
舞台は架空の現代イタリア。政府直轄の公益法人「社会福祉公社」を中心にして話は進みます。表向きは障害者支援を行う福祉事業団体ですが、実情は反政府組織「五共和国派」等のテロリストに対するカウンターテロ組織です。そこは身体障害者の少女を集め、「義体」と呼ばれるサイボーグ化と洗脳を施し、彼女達に暗殺等の実働を行わせる超法規的組織でした。
メインで語られることの多いヘンリエッタは、元は裕福な家庭で育ちましたが、一家惨殺事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負いました。暴行を受け死を望んでいた彼女は、義体の元になる素体を探していたジョゼッフォ・クローチェ(ジョゼ)に見出されます。義体化されたヘンリエッタは、事件直後の痛ましさが嘘のように愛くるしくジョゼに付き従うのでした。
ジョゼの兄、ジャン・クローチェも公社に籍を置いてリコという名前の義体少女と行動しています。ジョゼとジャンは数年前、ある決意で二人同時に公社に転職しました。実はふたりの決意と公社の設立には深い関係があって……。
- 著者
- 相田 裕
- 出版日
義体はジョゼのような担当官と二人一組で運用されます。担当官に指揮される少女達は自己犠牲を厭いません。薬物・暗示による洗脳(劇中では条件付けと呼ばれる)によって記憶を消去されて担当官に盲従するよう調整されるからです。非人道的行為を行うテロリストを撲滅するために非人道的行為を行う、という自己矛盾を公社と担当官は抱えています。
担当の運用方針で洗脳の強度は異なります。洗脳は記憶や感情を奪いますが、中には記憶を保持する子や、感情豊かな子もいます。その差から来る各チームの少女と担当官の微妙な距離も見所です。少女の妄信的な愛は洗脳によるものか、あるいは芽生えた感情なのか。義体化洗脳の副作用で少女達の寿命は短く、どちらにせよ決して実ることはありません。
本作はイタリアが舞台であることもあり、欧州製のPDWや短銃身のブルパップ式銃が多く登場します。これは義体とはいえ少女が使うには大型銃器が扱いづらいこと、室内戦では取り回しの良さが求められるという理由からでしょう。無骨な銃と可憐な少女の組み合わせはフェチシズムを喚起させられますが、ミリタリーの観点から本作を鑑賞するのも面白いかも知れません。
人間の醜悪な暗部、残虐性はしばしば「グロテスク」として美術や文学に取り上げられてきました。人はグロテスクに対しては嫌悪感や軽蔑感、あるいはもっと別な感情を呼び起こされます。普段とは異なる新たな刺激を受けられるのか否かはあなた次第です……。