高杉晋作を知る!幕末の風雲児と呼ばれる男の本5選

更新:2017.2.24

高杉晋作といえば、身分が厳密に決められていた江戸幕府下において、身分に囚われない軍隊「奇兵隊」を組織するなど、長州藩で数々の偉業を成し遂げた人物です。英雄ともいわれる彼をより知ることができる5作品を紹介します。

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伝説的な逸話がありすぎる!幕末の俊英、高杉晋作

高杉晋作は、天保10年8月20日(西暦1839年9月27日)に長門国萩城下(現在の山口県萩市)で生まれました。藩校の明倫館などで学んだ後、1857年に吉田松陰が主宰する松下村塾へ入門。その優秀さから久坂玄瑞らと供に松下村塾四天王と称されました。勉学だけでなく、柳生新陰流剣術の免許も取得していて、なかなかの腕前だった様子。

尊王攘夷の思想に傾倒しており、品川にて建設中だった英国の公使館を焼いてしまうなど、過激な活動に度々関わり、長州藩で謹慎処分を受ける事に。しかし、関門海峡を通過しようとした外国船を砲撃したことで勃発した下関戦争では、下関防衛のために奮戦するも惨敗。後に諸外国との講和を任されます。講和での争点となるのは「彦島の租借」ですが、清国への留学経験から租借とは植民地化であると見抜き、租借のみ断固拒否の姿勢を貫いたことで、日本は植民地化を免れた、と言われています。

その後朝敵となったことで発生した藩内の内乱を制して藩の実権を握り、慶応2年(1866年)坂本龍馬らの仲介で薩長同盟を締結。海軍総督として戦闘を指揮し、周防央島を奪還するなどするも、肺結核を患い、療養を余儀なくされます。闘病の甲斐なく、1867年に死去。享年29歳(満27歳)という早すぎる死でした。

まさしく光のような速さで幕末を駆けぬけた高杉晋作ですが、身分に囚われない軍隊「奇兵隊」を組織した以外にも、当時では考えられない数々の突飛な行動を起こしています。英国公使館焼き討ち後、行動をたしなめられたことで「暇をいただきます」と頭をそって10年の隠遁生活を宣言。後に5度にわたって脱藩を繰り返しています。

また大変な浪費家で、藩費で遊興はまだましなほうで、勝手に軍艦を購入するといった行動も。辞世の句とも言われる「おもしろきこともなき世をおもしろく」(「を」と「に」は諸説あり)からも察せられるとおり、豪放磊落な性格が窺えます。小柄な体格を気にしており、わざと大きな刀を差して歩いていた、というエピソードもあります。

高杉晋作にまつわる8つの逸話

1:藩の費用を女遊びに使い切ってしまうような浪費家だった

1862年、徳川幕府が上海に向けて千歳丸を派遣したときに高杉晋作は幕府使節の随員となっています。 その途中に立ち寄った長崎で千歳丸の準備が遅れ、3ヶ月逗留することになった晋作は藩から支給された出張旅費を使い込み、連日のように丸山遊郭で大騒ぎをしていました。

出航するときには藩費を使い果たし、遊郭で身請けした女性に因果を含め元の妓楼に買い戻してもらい、費用を捻出しています。

2:「東行」の号の意味は倒幕  

1863年3月に晋作は京都で10年間の暇乞いを藩に申し出て、頭を丸めて坊主になり、西行にちなんで「東行」と号します。この号には「東へ幕府を倒しに行く」という意味も込められていました。 このころは毎日酒を飲んで過ごし、持て余した藩が旅費を渡して国元に帰るように伝えるとその旅費を使い込んで遊興に当てていました。

3:面会人が少なく愚痴の手紙を送っていた

1863年の8月18日の政変で失った長州藩の勢力回復を図るために上京した晋作ですが、脱藩扱いになり3月に萩の野山獄につながれます。 そのとき面会人は1人しかおらず、友人が多いと思っていたが薄情だという内容の手紙を友人に書き送りました。

4:脱藩の心細い心境を句に残す

1864年に幕府は長州征伐を命じ、長州藩は混乱の中、高杉晋作の属する主戦派を粛正していきました。身の危険を感じた晋作は旅館の行燈に「燈し火のかげ細く見ゆる今宵かな」と書き残して脱藩します。

5:遺言に「芸妓を集めて賑やかに葬ってほしい」と書く

1865年1月に高杉晋作は奇兵隊を率い功山寺挙兵の前に、友人の大庭伝七宛てに自分が死んだら、墓の前に芸妓を集め、にぎやかに三味線などをかき鳴らして景気よく葬ってほしいと書き送っています。

6:高杉晋作は久坂玄瑞にラブレターのような手紙を送っていた

高杉は特に久坂玄瑞と親交が厚く、「識の高杉、才の久坂」と評されていました。

彼らが共に松下村塾で学んでいた当時、晋作は久坂宛に「手紙の返事がないのが不満」や「兄弟の契りを結びたい」「天下国家のことを考えるにつけ、あなたの顔が思い浮かぶ」など、恋文とも思える内容の手紙を送っていますが、久坂玄瑞から高杉への返事はなかったようです。

7:高杉晋作が結成した奇兵隊の末路

明治維新後、晋作の結成した奇兵隊の半分は藩の兵士として採用し、残りは解散という決定がされます。解散命令を受けた者たちは身分の低いものが多く、不満を持った者たちが反乱を起こし、晋作の盟友でもある木戸孝允によって鎮圧されました。 

 8:晋作死後、妻おうのは出家し高杉晋作の菩提を弔った 

高杉が亡くなったとき、おうのは24歳でしたので貞操観念の薄いおうのが、浮名を流すと晋作の名に傷がつくと考え、無理やり出家させられた等の噂もありますが、実際は井上馨や木戸孝允、伊藤博文、山形有朋などが相談し、山形有朋が住んでいた無隣庵を移築した東行庵を建て、おうのを出家させて墓を守らせました。 

おうのは出家して梅処尼と称して一身に高杉晋作の菩提を弔い、1909年に死去しています
 

奔放な幕末の風雲児、高杉晋作の生涯を描く

『高杉晋作』の作者である山岡荘八は1907年生まれ、新潟県の出身です。1920年に上京し、文選工として働いた後、印刷、製本業を営みながら雑誌編集を行います。小説家の長谷川伸に師事し、1938年『約束』でサンデー毎日大衆文芸入選をきっかけに山岡荘八は作家デビューを果たしました。1939年『からゆき軍歌』、1942年従軍作家として各地を転戦しながら『海底戦記』を発表します。

戦後の1950年、新聞連載された山岡荘八の『徳川家康』が大ヒット。全26巻に渡る徳川家康の生涯を描いた物語は、ベストセラーとなります。残された作品の多くは時代小説や歴史小説で、『坂本龍馬』や『織田信長』、『伊達政宗』といった、歴史上の人物を主人公に据えた長編を多数執筆しており、山岡荘八文庫として現在も多くの読者を獲得しています。

1968年に吉川英治文学賞、1973年に紫綬褒章を受章。政治家や文化人との交流も多かったことで知られています。1978年に満71歳で亡くなりましたが、その後従四位勲二等瑞宝章が授与されています。

本書は、1853年、浦賀にペリーが来航した頃から物語が始まります。幕府の大老、井伊直弼らが天皇の許しを得ないまま日米修好通商条約を締結したことから、締結に反対した者たちを弾圧、処罰した「安政の大獄」。幕府によって捕らえられた者の中には、高杉晋作の師である吉田松陰もいました。

著者
山岡 荘八
出版日
1986-08-28

江戸に遊学中だった晋作は、伝馬町の牢にいた松陰とたびたび連絡を取り、生活しやすいよう手配りをしながら、文を交わします。松陰が自身の死を悟っていたように、1859年に斬首刑により死去。師の志を継ぎ、高杉晋作は動乱する世を動かす歯車となっていきます。

本作は3巻からなる物語で、1巻は師である吉田松陰とのエピソードを中心に、いかに彼が高杉晋作に影響を与えた人物であったのか、と丁寧に追っていきます。2巻では桜田門外の変で井伊直弼が倒れた後、日本が混迷を極める中で勤皇の志士として活動していく姿を描いています。3巻では英国公使館焼き討ちから下関戦争、熱の入る講和のシーンを経て、病に伏して死に至るまでが描かれました。

高杉晋作の人生をなぞっていく物語ですが、ただ歴史的な事象があるわけではなく、その中に作者が想像した、晋作や歴史を彩った人物たちが苦悩し、葛藤する姿が見られます。山岡荘八は長州征伐ではなく、晩年の療養生活に重きを置き、死に至るまでの時間を丁寧に描きました。後世の人間は、歴史を過去のこととして認識しますが、その時代に生き、亡くなっていく人がいたのだということを、この療養生活が描かれた場面で改めて気付かせてくれます。

頭脳明晰で、奔放な性格だった高杉晋作が、まったく違うタイプだった師に影響され、その志を胸に突き進んでいく姿が眩しい物語。動乱の世を生きた男の人生を、より近くに感じることができる作品です。

高杉晋作がもっとわかる!日記を現代語訳した作品

1966年生まれ、兵庫県芦屋市出身の一坂太郎は、主に長州維新史を研究している研究者です。自身が学生時代から、高杉晋作の子孫である高杉勝と懇意にしています。

学芸員として高杉の墓がある東行庵の東行記念館の館長を務めた以外にも、萩博物館高杉晋作資料室長、山口福祉文化大学特任教授などに就任。高杉晋作研究の第一人者として知られています。

『高杉晋作の「革命日記」』は、晋作が生涯で残した6つの日記を現代語に訳して編集したものです。元々は漢文風に書かれていたもので、実際に晋作がそれぞれの日記を書いた順番に章立てをし、資料や解説を交えながら晋作の日記を紐解いていきます。

6つの日記はそれぞれ航海実習日記や旅日記、獄中記と、日常生活とは少し離れた、別のところに身を置いている時に記しているという特徴があります。しかし、そんな中でも国の情勢を憂い、常に考えている姿勢を見せているところが印象的です。

著者
一坂 太郎
出版日
2010-09-10

特に高杉晋作が清国に留学中に記された「遊清五録」の章では、清国を植民地化しようとする英国の脅威をより身近に感じ、危機感を募らせています。この留学での印象がのちの「奇兵隊」や講和といった行動へ繋がっていくことを考えると、学び活かす能力に長けた人物であることを改めて実感。日本の歴史の中で、高杉は果たすべき役割を与えられた人物というような印象も受けます。

頭脳明晰ながら過激派で行動派としての印象が強いですが、実はかなりの読書家であることが作中で明らかになっています。下関戦争といった大きな事件のことは記されていませんが、等身大の高杉を知ることができる、そんな一作です。

同郷の作家が描く高杉晋作とは

1925年に山口県下関市に生まれた古川薫は、宇部工業高校を卒業後、航空機のエンジニアとして航空会社に就職。沖縄戦に向かう途中で終戦を迎えます。1952年に山口大学教育学部を卒業し、山口新聞に入社します。1965年より作家活動をはじめ、『走狗』などで直木賞候補に。

1990年に『漂泊者のアリア』で直木賞を受賞。25年越し、65歳での受賞となりました。山口県出身者を題材とした作品を多く発表している郷土作家として広く認知されており、その中でも長州藩の人物を扱った歴史小説を数多く執筆しています。

高杉晋作といえば、圧倒的な行動力と時勢に囚われない柔軟な考えを持った人物ですが、その言動は後世の人間から見ても、かなり奇抜な印象を受けます。天才と称される人だからそういうものかと思いがちですが、凡人でも天才でも人は等しく考え、悩み、惑う。それは今も昔も変わらないことなのです。

古川薫の『高杉晋作―わが風雲の詩』は、高杉晋作の人生を追っていく物語ですが、彼自身が詠んだ詩が数多く引用されている点が大きな特徴です。晋作は400点以上の漢詩を残しており、そこから彼がどのような思想をもち行動していたのかを読み取ることができます。

著者
古川 薫
出版日

本作はそれだけではなく、高杉晋作という歴史上の人物ではなく、一人の人間として描いており、リアルな感情や行動を描写しようと努めています。伊藤博文に「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し 衆目駭然、敢えて正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや」と詠われたほどの人物ですが、悩みや葛藤が無かったわけではないでしょう。天才は悩まない、というイメージを覆し、より人間らしい高杉晋作像が描かれているのです。

晋作も人間であると改めて知ることができる本作。尊敬する歴史上の人物としてではなく、より身近な人間として晋作のことが好きになる。そんな作品です。

高杉晋作の歩みを考察!

奈良本辰也は1913年生まれ、山口県出身の歴史家です。京都帝国大学文学部卒業後、「文化史観」を提唱したことで知られる歴史家の西田直二郎に師事。立命館大学文学部の教授に就任したほか、1969年から2000年にかけて京都国際外国語センターの学院長を務めました。2001年に亡くなっています。

専門は近代思想史や明治維新史で、多くの書を出版。特に出身地である長州藩の歴史に関係する書籍を多数出版していることでも知られています。

奈良本辰也著『高杉晋作―維新前夜の群像1』は、中央公論新社より発行された新書『維新前夜の群像』シリーズの一冊です。大久保利通、勝海舟、木戸孝允といった明治維新に深く関わった人物にスポットを当て、その人物が果たした役割や行動の意義を検証し、考察していきます。

著者
奈良本 辰也
出版日

物語ではなく研究書のような体裁なので、これから知ろうという方よりも、一通り高杉晋作という人物を知っている読者向けの内容です。短い期間で様々なことが起こった、まさに動乱の幕末を晋作の立場から見ることができ、小説やドラマでの疑問点の補填や、他の維新志士を知る一助ともなります。

身分を問わない奇兵隊を組織したこともそうですが、藩費で遊興し、勝手に軍艦を購入するなど、現代人が実際にやってしまうと顰蹙を買う行いも多い高杉晋作。身分概念が薄い人なのかといえばそうでもなく、家や組織に縛られている姿なども、資料から窺い知ることができます。脱藩を繰り返してはいますが、繰り返すということは戻るということでもあり、故郷、ひいては自国への愛が強い人物だったのだなと察せられます。

高杉晋作は享年29歳(満27歳)という短い生涯を歩みましたが、本作のページは200ページ。20数年の生涯にこれだけ書き留めなければならないことが起こった人物というのは、そうはいないでしょう。短い分だけ凝縮された高杉晋作の人生が、この一冊に詰まっています。

どこまでが史実?司馬小説の創作と歴史の境界を解説!

司馬遼太郎といえば、言わずと知れた日本を代表する歴史小説家です。『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』、『坂の上の雲』など、様々な時代を舞台にした小説を発表。「司馬史観」と称される独自の歴史観を織り交ぜた作品は人気を博しました。その多くは映像化されるなど、没後20年以上が経過した今でも、人気は衰えません。

司馬遼太郎の小説を読んで歴史を覚えた、という読者も多いと思いますが、あくまでも作品は歴史小説。史実と虚構が巧妙に織り交ぜられています。あまりにも自然な流れのため、どこからがフィクションで、どこまでがノンフィクションなのかがわからない、と頭を抱える読者のための解説本が、一坂太郎の『司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰、龍馬、晋作の実像』です。

著者
一坂 太郎
出版日
2013-09-13

司馬遼太郎作品に登場する、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作について解説がされていますが、著者である一坂太郎の得意分野だけあってその解説は的確です。『世に棲む日日』に登場する高杉晋作の武勇伝は、元は明治期の講談であったり、司馬遼太郎の創作であるという点を指摘。辞世の句を詠む感動のラストシーンに対しても、臨終の間際に読まれたものではないなど、晋作研究の第一人者だからこそできる、創作と史実の境目を、はっきりとさせていきます。

とはいえ司馬遼太郎の小説を否定しているわけではありません。創作と史実を分けるからこそ、司馬遼太郎作品の「小説」としての面白さを味わうことができ、より一層登場する人物や作品への愛が深まっていくのです。

歴史を誰よりも調べ尽くしたからこそ、そこに独自の物語を織り込むことができた作家、司馬遼太郎。日本の歴史を生きた、偉大な人々を描くことを許された作家の魅力を一掃しることができる作品であるとともに、モチーフとなった人物の歴史を改めて知ることができる一冊です。

短い生涯を生き抜き、未だ多くの人に愛されている高杉晋作。題材にした作品が多いということは、それだけ魅力的な人物であるということでもあります。一方向からではなく、様々な人の目から見た、高杉晋作の魅力に触れてください。

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