幕末を代表する「人斬り」と呼ばれる岡田以蔵は、現代の感覚でいえばテロリストかもしれません。しかし彼のことを知っていくと、ひとりの男に仕え続けた「義士」であるようにも見えるのです。この記事では、そんな彼の生涯と、知っておきたい意外な事実、さらにおすすめの本までご紹介していきます。
幕末の「人斬り」として知られる岡田以蔵は、1838年2月14日、土佐藩の香美郡岩村に生まれました。同郷の坂本龍馬より2歳下、同じく同郷で後に師となる武市半平太(瑞山)よりも9歳下です。身分は龍馬らと同じ下級武士である「郷士」でした。
以蔵の生涯は、武市半平太抜きには語れません。武市が高知城下で道場を開くと門下に入り、剣術の腕を磨きました。後に結成する「土佐勤王党」の面々ともこの道場で知り合ったと思われます。師である武市や道場仲間たちの影響から「尊王」や「攘夷」といった志士の世界へ足を踏み入れることになるのです。
武市が江戸へ剣術修行に出た際には随伴し、ともに鏡心明智流・桃井道場で学んでいます。1862年には武市とともに京へ上がり、幕末の風雲に乗り込んでいきました。
武市はこの間、ある重要な政治的クーデターに成功しています。当時土佐藩の政治を牛耳っていた吉田東洋を暗殺し、アンチ東洋派だった藩の重鎮たちを抱き込んで、低い身分ながらも土佐藩の方針を左右する地位を築きあげたのです。
彼は200人いる土佐勤王党の首領として、人望や行動力を兼ね備え、他藩の有力志士とも人脈をつくっていました。以蔵も土佐勤王党の一員として、歴史に名を刻むことになります。
以蔵と武市が踏み入った当時の京は、長州藩を中心とする討幕派の志士たちが暗躍し、天皇近臣である公卿も巻き込んで盛んな政治活動を展開していました。土佐勤王党もその有力な一角です。
以蔵は、主に「安政の大獄」で尊王攘夷運動の弾圧に関わった人物たちに制裁をしていきました。京都の役人や、安政の大獄を指揮した長野主膳の愛人までもがその標的にされています。彼はこの制裁を「天誅」と呼んでおり、人々から恐れられ、後に「人斬り」という異名がつきました。
岡田以蔵が暗殺に関わったとされる代表的人物は、以下のとおりです。
井上佐市郎:土佐藩の横目付(下級警官)で、吉田東洋暗殺事件を捜査していました。
本間精一郎:勤王の志士の一人でしたが、土佐藩と利害が対立する政治工作をおこなっていました。
文吉:安政の大獄で多くの志士を摘発した目明し(秘密警察)で、尊攘派に深い恨みを買っていました。
他にも多くの人の名が挙がっています。以蔵と仲間たちは、「天誅」と呼んでいた暗殺行為をくり返し、京で羽振りの良い日々を過ごしました。
しかし彼らの春は長続きしなかったのです。1863年8月、幕末史を大きく動かす政変が発生しました。
先にも触れましたが、当時の京の政局は長州藩が中心でした。反徳川幕府を鮮明に掲げる長州の志士たちは、目的を同じくする過激派公卿を担ぎ上げ、討幕運動を推進していました。吉田東洋暗殺という重大事件の首謀者だった武市に処分が及ばなかったのも、長州藩の志士たちと連携する京都政局の重鎮だったからです。
その長州藩が、敵対する会津藩・薩摩藩と対立を深め、「八月十八日の政変」と呼ばれる武力衝突を引き起こし、敗北して京を追いやられることになります。中央政界の後ろ盾を失った武市ら土佐勤王党は、土佐藩内での立場を急速に弱めていきました。
実質的な土佐藩主だった山内容堂は、長州藩の没落を見て態度を一変、土佐勤王党の弾圧に踏み切ります。吉田東洋門下の後藤象二郎らが藩政の中心に抜擢されると、土佐勤王党の面々は投獄され、激しい拷問にさらされました。後藤たちの目的は吉田東洋暗殺、そして京における様々な「天誅」事件を自白させることだったといいます。
しかしそこは国に身命を捧げた志士たち、なかなか口を割りません。ヤキモキする後藤らにとって、多くの犯行に関わっていた以蔵は、特に大事な重要参考人だったはずです。以蔵はしばらく京都周辺で潜伏生活をしていましたが、1864年に捕縛され、土佐の獄中に送られました。
以蔵の逮捕を境に、土佐勤王党の犯行が次々と明らかとなります。仲間内でも1番の修羅場をくぐってきたはずの彼が、仲間が耐えた拷問にあっけなく音をあげてしまったのです。1865年5月、以蔵は打ち首にてこの世を去ります。まだ28歳でした。前後して他の勤王党メンバーも打ち首、武市は腹を三文字に割く壮絶な切腹を遂げています。
1:旧友・龍馬の推薦で勝海舟の護衛をしたことがある
「八月十八日の政変」の後、以蔵に勝海舟の護衛という働き口を紹介したのが、旧友の坂本龍馬でした。剣の腕は冴えているので用心棒にちょうどいいと考えたそうです。
勝は開国論者だったので、攘夷派から命を狙われているはず。かつて攘夷派として動いていた以蔵は、攘夷派と敵対する立場になったのです。
しかしその腕は間違いなく、勝が京の夜道で刺客に襲われた際には、刺客のうちの1人を斬り倒し、残る2人を一喝してしまいました。勝は彼の強さに感心するのと同時に、やたらめったらに人を殺してはならないと注意をします。すると以蔵は、「もし自分がいなかったら今頃は先生がこうなっていましたよ」と言って勝をうならせたそうです。
2:「女にも劣る根性無し」と言われた
以蔵は、数々の事件や素行の悪さから、いつしか龍馬や勝にも相手にされなくなり、無宿者になってしまいます。金に困っていた彼は、ある日商家へ押し借りの罪(強引に金品を借り入れる)で幕府に逮捕されてしまい、土佐藩へ送られました。
土佐藩ではすでに土佐勤王党の弾圧が始まっており、武市を筆頭に多くの志士が投獄されています。上級武士の仲間入りをしていた武市はまだよかったですが、その他の下級武士には凄まじい拷問が加えられていました。
以蔵は女も耐えたような拷問に泣き叫び、さっさと自分の罪を自白してしまうのです。それ以降、彼の証言をもとに次々と勤王党の志士たちが捕えられていきました。
この裏切りともとれる行為が許せなかった志士たちは、以蔵の殺を武市に進めますが、反対する者もいてなかなか実行に移されません。ここから、拷問で簡単に自白をした以蔵は「女にも劣る根性なしで日本一の泣き虫だ」と、酷評されていくのです。
3:墓はひっそりとした静かな場所にある
高知県の護国神社には、戊辰戦争で没した藩士や、武市半平太ら明治維新志士四天王と呼ばれる藩士が祀られています。そして殉職した志士のために作られた南海忠烈碑銘には、武市をはじめとした数多くの志士の名が刻まれていますが、以蔵は裏切り者であると判断されたため、名前がありません。
彼の墓は高知市の真宗寺山にあり、人目につかないような場所でひっそりと眠っています。
以蔵は「天誅の達人」と称されていただけに、刀にこだわりを持っていました。彼の愛刀「肥前忠広」は元々は龍馬の刀であったとされていますが、龍馬の兄・権平が以蔵に送ったと伝えられています。これは江戸初期に生きた初代肥前忠広の作品で、最上大業物のランクがついていました。
そんな超一流の刀を持った以蔵ですが、彼の最初の「天誅」である本間精一郎を殺す際に、切っ先が欠けてしまったそうです。そしてそれ以後も、暗殺という黒い目的のみに用いられました。
ここまで、岡田以蔵の生涯を追ってきました。「人斬り」と恐れられつつも、他の人が耐えられた拷問にあっさりと音をあげてしまうなど、二面性ともとれる彼の人となりが少し感じられたのではないでしょうか。
ここからは、より詳しく以蔵のことがわかる本を紹介していきます。
表題作のほか、幕末や戦国を舞台とした8編を収録した短編集です。司馬遼太郎が歴史作家として脂が乗りきっていた時期の、佳作揃いの一冊になっています。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1969-12-17
表題作はそのタイトルとおり、「人斬り」としての以蔵イメージを定着させた作品として知られています。
以蔵は野卑で教養が無く、仲間内でも下に見られる存在でしたが、動物的な生命力と欲望だけは抜きんでていました。そんな彼が武市半平太という傑物に認められることで感激しつつも、内心では武市にも蔑まれていることを鋭く感じとり神経をささくれ立たせていくという、2人の人間関係が主に描かれています。
獄中で以蔵と武市が交わしたある駆け引きによって、作品は異様な緊張感に満ちています。武市と土佐勤王党を滅亡させる時限爆弾のような役割になってしまった以蔵。どのような結末を迎えるのでしょうか。
本書は「人斬り」という残忍でマイナスのイメージを強調された以蔵ではなく、あくまでもフラットに史実を伝えている作品です。
著者の松岡司は歴史学の手法を専門的に身に着けた人で、一次史料にあたって本来の以蔵にアプローチしました。歴史上の一人物として彼を知りたいのであれば、避けてはとおれない一冊です。
- 著者
- 松岡 司
- 出版日
- 2013-12-11
たとえば小山ゆうの『お~い竜馬』では以蔵は孤児でしたが、本作では両親と弟のいる家庭で普通に育っています。また大量の人を暗殺したイメージがありますが、実際に彼が手掛けた事件は3件しかありません。
彼は武市のことを「先生」と慕っていましたが、生涯をかけても同じ目線に並ぶことはできず、最終的には見捨てられてしまいました。史実にもとづく、強い説得力をもつ一冊です。
土佐藩の底辺で必死に剣の腕を磨いていた以蔵が、武市に見初められ、大きく出世への道を踏み出すものの徐々に黒い世界へと足を踏み入れていきます。
しかし坂本龍馬との出会いや愛する女性も登場し、運命を変えていく様子はまさに「青春小説」ともいえるでしょう。
- 著者
- 桑原 譲太郎
- 出版日
作者の桑原譲太郎はハードボイルド作家として活躍し、後年に歴史小説や時代小説も手がけた作家で、読ませる技量を感じさせます。
幕末の四大人斬りで、以蔵とともに恐れられていた薩摩藩の田中新兵衛についても描かれており、歴史が好きな方にはたまらないでしょう。
本書は、武市半平太との関係を軸にして、以蔵の切なく短い生涯を小説として綴っています。
特徴的なのは、「八月十八日の政変」が起き、長州藩や武市を中心とする土佐勤王党が失脚した後の以蔵にスポットライトを当てていること。京界隈での潜伏期間の描写が中心です。
- 著者
- 西村 望
- 出版日
潜伏期の以蔵は、史実のなかでももっとも謎に包まれている時期ですが、このころの彼は「無宿人」にまで身を落としていることがわかっています。師と仰いでいた武市がつかまり、彼は生きていくためにコソコソと悪事を働いていました。
岡田以蔵についてある程度は理解をしている方が読むとさらに楽しめる、上級者向けの一冊だといえるでしょう。
本書は「のきばしら」という一本の日本刀を巡る時代を超えた物語を、毛色の異なる多彩な作家がリレー形式で書き連ねたアンソロジーです。
- 著者
- ["中村 隆資", "火坂 雅志", "東郷 隆", "宮部 みゆき", "安部 龍太郎", "鳴海 丈", "宮本 昌孝"]
- 出版日
7つの短編のうち、以蔵が登場するのは5作目。鎌倉時代に生み出された剛刀「のきばしら」が、室町時代の足利将軍、戦国時代の千利休、江戸時代の怪異譚を経て幕末に以蔵の手へ渡りました。
さらには明治の女性剣豪、太平洋戦争末期の軍人へとつながり、一本の日本刀と持ち主たちの物語がひとつの世界を作り出し、数奇な展開をしていきます。
それぞれの編によって語り口も異なるため、一見違う物語を読んでいるようですが、いつの間にか時空を超えたひとつの大きなストーリーを紡ぎだしていることに気づいて心動かされるはずです。