中国の歴史の中でも三国志は様々な小説や漫画の題材になって日本人にもなじみ深いのではないでしょうか。魏・呉・蜀の三国が並び立つ時代の戦乱と魅力ある人物たちを知ることのできる本をご紹介します。
漢王朝は始皇帝の秦の次の王朝でB.C.206年からA.D.220年まで続きました。一度「新」という王朝に滅ぼされたことがありますがすぐ回復し、それ以前を前漢それ以降を後漢と呼びます。漢王朝の末184年に黄巾の乱という反乱が発生し、さらに王朝内での権力争いで衰え、220年漢王朝最後の献帝から魏の曹丕(そうひ)へ政権が譲られ、滅亡するのです。
漢王朝末の混乱の中から成長した三つの国、魏・呉・蜀の時代を三国時代といいます。『三国志』とはこれらの時代を記した歴史書のことです。歴史書『三国志』は西晋時代(280年~316年)に陳寿(ちんじゅ)によって書かれました。この中では西晋が魏から政権を受け継いだので魏を正統な王朝として扱っています。そののち14世紀後半、蜀を正統とする羅貫中(らかんちゅう)作の『三国志演義』という小説ができました。
陳寿の記した『三国志』のなかの「魏書」東夷伝にある倭人の条を一般に『魏志倭人伝』と言いならわしています。邪馬台国(やまたいこく)やその国の女王卑弥呼(ひみこ)のことが記述されており、239年魏に使者を送ったとされています。
三国が並び立つ前の後漢の末期、宮中の宦官(かんがん)という役割の者たちが権力を握り、黄巾の乱も起こって国は混乱のていを示していました。反乱を鎮圧したものが朝廷にはばをきかせ、漢王朝の築き上げてきた秩序が崩壊し、新しい時代が誕生するきざしが現れつつあったのです。
三国志の時代とはそういうはざまの時でした。漢王朝が滅ぶ220年から三国と呼ばれる魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)が統一される280年までのわずか60年間を三国時代といいます。
- 著者
- 入澤宣幸
- 出版日
- 2014-08-25
三国時代はわずか60年間ですが、私たちが想像する『三国志』の時代というのは後漢末184年の黄巾の乱からではないでしょうか。この時代はまだ漢の皇帝がいて、その臣下たちの勢力争いがしばらく続くのです。
この争いの中から頭角をあらわしたのは曹操(そうそう)でした。彼は漢の皇帝、献帝を保護するという名目で権威を手に入れたます。
一方、漢の皇帝の子孫とされる劉備(りゅうび)は、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)という仲間とともに傭兵集団として反乱の鎮圧などの戦いに参加しながら徐々に力をつけていきました。
漢の時代に呉郡と呼ばれた地域には孫権(そんけん)がいました。父や兄が築いたその地域の勢力を堅固に維持し続けます。
曹操が死んで子の曹丕(そうひ)が220年に漢から政権を譲り受け、魏という国をおこしてその後、劉備が蜀を、孫権が呉を建国して三国鼎立の時代が始まるのです。
この本は地図によって各戦いの行軍の様子を示したり、活躍した武将や軍師たちを紹介して複雑な三国志の国同士、人間同士の関係をわかりやすく教えてくれます。
魏・呉・蜀三つの国が並び立つ三国時代はそれぞれの建国までの人物、国の基盤を作った人、運営を任された人たちが入れ代わり立ち代わりして、誰と誰が同時に生存していたのか、だれが先に死んだのかとても複雑で三国志関連の本を読んでいると混乱して分からなくなります。
魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備と並び称されますが、曹操が最初に死んで魏はまだ建国してなくて、孫権は結構長く登場していて、劉備は建国してすぐ死んだから諸葛亮(しょかつりょう)が国を任されて……と、時系列を整理したい方は年代順に出来事をならべ、歴史の流れを理解しやすくしたこの一冊はどうでしょうか。
- 著者
- 土岐 秋子
- 出版日
- 2010-09-29
208年の名高い「赤壁の戦い」は曹操と孫権・劉備連合の戦いでした。天下統一を目指す曹操は黄河より北を支配下におくことに成功して南下を始めます。
このころ劉備は名軍師となる諸葛亮を迎えていました。諸葛亮は孫権のもとへ使者として訪ね、劉備と協力すれば曹操を退けられると説得し、同盟を結ぶことに成功します。
孫権は周瑜(しゅうゆ)に水軍を託し、曹操を迎えうつのです。曹操軍は大軍でしたが水上での戦いに不慣れなうえに軍中に疫病も流行り、その勢力は拮抗状態になっていきます。そこで船がひしめく中、黄蓋(こうがい)が周瑜に火攻めを提案し、降伏すると見せかけて火を放ち身動きのとれない船団を火の海にしたのでした。
ここで曹操の南下をとどめることができ、三つの勢力が並び立つことになります。この後もまだまだ続く三つの国の波乱万丈、そして滅びを知るためにおすすめの一冊です。
『三国志』はなぜ小説や漫画、ゲームの題材として取り上げられるのでしょう。それは何といっても魅力あふれる人々が活躍し国の興亡にかかわることで、人間関係や喜怒哀楽の心理が複雑にからみ合っているからではないでしょうか。
魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権だけでなく、彼らを支える周りの武将、軍師たちの奮闘、寝返りやだまし討ちの知恵。そのような人々の生き死にがこの三国志の時代を形作っているのです。
この本はそんな魅力的な人たちをたっぷり紹介してくれます。
- 著者
- 出版日
- 2013-10-05
勇猛で弓や馬術に秀でた呂布(りょふ)は名馬赤兎(せきと)にまたがり、仕える相手を変えながら獅子奮迅の戦いぶりを見せますが曹操に降服することになります。曹操は彼を用いようとしましたが劉備の諫言に従い、惜しみつつも処刑してしまうのです。
劉備に仕えた趙雲(ちょううん)は曹操の大軍に攻め寄せられたとき自軍が壊乱する中、劉備の妻子をかかえて突破し助け出します。
呉の孫策(そんさく)の友周瑜(しゅうゆ)は友亡き後、名声と勢力を持っていながら孫策の弟孫権を支えるのです。
軍略家の賈詡(かく)はまだ曹操が一勢力に過ぎなかったころに主人に進言して曹操に降りました。以後、曹操の参謀の一人として長く魏に仕え、天寿を全うしました。
法正(ほうせい)は戦の好機を逃さず重要な拠点である漢中を劉備に取らせることに成功させます。
孫権の部下呂蒙(りょもう)は若いころはただ強いだけの武将でしたが猛勉強して戦略も立てられるようになり、劉備の腹心の関羽(かんう)を討ち取るのでした。
こんなエピソードが盛りだくさんの三国志の時代。どのページを開いてもよし。パラパラとめくるだけでも楽しい三国志の興亡にかかわる3000人のデータは圧巻です。
三国志の時代は戦いのくりかえしで、その戦いの勝った負けたがそれぞれの国や人の転機となります。敗戦の責任を負ったり相手につかまったりして処刑される者。降服したら重用されて寿命をまっとうする者。周りの人たちに支えられて支配者になったり、裏切られて転落したり。乱世は人々の命運の差がはっきりと現れるのです。
当時の経済基盤や有力者たちの影響力などにも触れながら、正史『三国志』、小説『三国志演義』の記述を引用しつつ、それぞれの戦いを分析した一冊です。
- 著者
- 渡邉 義浩
- 出版日
- 2016-03-01
漢王朝末の反乱を皮切りに領地や権力を争って離合集散をくりかえす勢力の中から集団をまとめるリーダーが生まれ始めます。そしていったん同盟を結んで共通の敵を倒しても、お互いの利害が一致しなくなると敵対。そんなことを繰り返しながら三国鼎立の状態へと勢力がまとまっていくのです。
200年の官渡(かんと)の戦いで勝利した曹操は末期の漢の中で実権を握ることができました。
208年の赤壁の戦いでは孫権と劉備の連盟により曹操に大勝し、孫権が荊州(けいしゅう)という土地を劉備に貸与する形で天下を三つに分ける構図が出来上がります。その後荊州をめぐって劉備と孫権が争うことになり、劉備は腹心の将、関羽を失うことになるのです。
222年の夷陵(いりょう)の戦いは関羽を失った劉備の私情による戦いでした。結局劉備は孫権に敗れ白帝城というところで生涯を終えることになります。
要点をおさえわかりやすく簡略的に主要な戦いを書いてくれている読みやすい一冊です。
三国志の時代は戦いにあけくれ、数々の豪傑たちが活躍します。そしてその背後には戦略・軍略を巧みに編み出す「軍師」たちがいたのです。
自軍を勝利に導くために情報を収集したりニセ情報を流して敵を欺いたり、三国志の時代が面白いのは彼ら軍師のはたらきにより、一筋縄ではいかない勝った負けたの群像劇があるからではないでしょうか。
主君と周囲の反対や批判を浴びながら三国の命運にかかわる戦にたずさわっていく軍師たちの人間模様を紹介してくれる本です。
- 著者
- 出版日
- 2009-04-11
三国志の時代、軍師たちが動かす軍はどのようなものだったのでしょうか。たびかさなる戦で武器や武具が殺傷力のあるもの、攻撃を防げるものにどんどん改良されていきます。鉄器の生産技術の向上で鋭く強靭な槍や刀、薄くても防御力のある甲冑を作ることができるようになったのです。弩(ど)というボーガンに似た弓は射程距離が長いため騎馬隊に対して有効でした。
兵士は流賊を吸収したり貧しい農民や窮民から兵を募ったり、降伏兵や征服地の民を使ったりしました。豪族の私兵を借りたりもして戦力としていたのです。
魏は軍馬を調達しやすく優秀な騎馬軍団を持っていました。呉は地理的な条件から赤壁の戦いでの周瑜(しゅうゆ)の作戦のように、水軍を使うのが巧みです。蜀は地形的に不利なところで糧食や兵力に不足しがちでしたが歩兵・騎兵・車兵などを巧みに使い分け、ほかの二国に負けない戦いぶりと勢力を維持します。
これらの軍は厳しい軍律・軍規で統制されていました。だましだまされ、そして時に涙をのんで国の命運を担う軍師たちの智謀を読むことのできる一冊です。
魏の曹操・曹丕、呉の孫権、蜀の劉備・諸葛亮がいなくなったあとの、この三国の行く末はどうだったのでしょう。280年に晋王朝に統一されるまで、これら三国の内部では先人が培ってきたものが崩壊していく様々な争い、失策、戦の敗北が起こるのです。
この本は、魏が漢王朝から帝位を奪ったのと同じように晋に帝位を取られる様子、諸葛亮という国の支えを失った蜀が消滅していく成り行き、孫権の跡継ぎを決める混乱による呉の国力の消耗からの滅びのさまを教えてくれます。
- 著者
- 守屋 洋
- 出版日
- 2015-04-18
蜀では234年五丈原で諸葛亮が死んだことは国にとって大きな支えを失ったようなものでした。しかしその後を任された蒋琬(しょうえん)その後の費禕(ひい)は堅実で無駄な戦をせず、豊かな蜀の地の利を生かして国力の回復に努めます。惜しむらくは二人とも短命で彼らの死後、蜀はそれまで抑えてた戦を繰り返すようになり、政治では宦官が実権を握り、国力は消耗し、263年魏によって滅ぼされるのです。
魏は曹操亡きあと息子の曹丕が帝位について魏王朝を興します。堅実な政策で国の基礎を作りつつありましたがその半ばで死んでしまうのです。その後臣下の司馬懿(しばい)が頭角を現し、クーデターで実権を握り権力は受け継がれ、司馬炎の時に魏より政権を譲られ、晋王朝を興します。
呉はまず孫権の存命中に後継者を決める際の争いですでに混乱と重臣の損失がありました。孫権がなくなると幼帝が立ち、重臣同士は争い合いのていをなします。その中、諸葛恪(かく)が実権を握りますが、魏との戦に大敗した後斬殺され、孫一族の専横が始まるのです。呉の最後の皇帝となる孫晧(そんこう)は重臣を次々に誅殺することにより臣下の心は離れていきます。そして280年晋によって滅ぼされ、三国時代は終わりを告げました。
英雄と呼ばれた人たちが築き上げてきたものがあっという間に崩壊していく。この本には宴のあとのような国々の衰退のありさまが描かれています。
中国にとって三国時代の魏が正統な王朝なのか、それとも蜀なのかという議論が長く続いていたのだそうです。どちらを正統とするかで、悪玉善玉が入れ代わってしまう。ですから「正史」と呼ばれている史書もまるっきり史実が書かれているとは考えられません。
小説『三国志演義』で劉備が善人で諸葛亮が活躍するように書くことができるのは漢を滅ぼした曹操に悪役を引き受けてもらっているからです。
歴史を検証するうえで創作物やそれらが参照した書物を活用することの重要性を教えてくれる本をご紹介します。
- 著者
- 渡邉 義浩
- 出版日
正史といっても正しいことが書かれているとは限りません。陳寿(ちんじゅ)は晋という国が正統であることを書くべき時代背景の中で三国の歴史を書きました。魏を正統としながらも魏のために晋と戦ったものはいい評価を与えません。
また『三国志』は内容が簡潔すぎ、晋に気兼ねして書けなかったであろうことをのちの時代の裴松之(はいしょうし)が詳細な註を付けました。陳寿が採用しなかった史書も引用されているので三国時代の歴史を検証するうえではこの註も重要な役割を果たしてくれます。
日本と中国での『三国志』のとらえ方の違いや蜀の関羽が信仰の対象になっている理由などを正史『三国志』や『三国志演義』が書かれた時代背景から検証した本です。
人の上に立ち組織を運営するためにはどのような資質が求められ、組織に良くないタイプとはどういう人物なのでしょうか。
国も組織も創業は決断力や行動力が必要で、部下を持てばその用い方のよしあしで組織力が決定づけられます。部下の方はどのような上司に就くか見極める力が必要ですし、時勢や周りの変化に臨機応変に対応できるかどうかで能力の良し悪しが判断されるのです。
三国志の時代を生き抜いた人々からその要素を見出すことはできるのでしょうか。
- 著者
- 守屋 洋
- 出版日
- 2008-09-20
漢王朝という国が混乱に陥り、崩壊に向かいつつあるときは、誰かか新しい権威となることのできるチャンスの時でもありました。そんな時に求められるのは大勢の人を率いまとめられるリーダーではないでしょうか。また自分はリーダーの器ではないという人は「誰につけばいいか」ということを考えるでしょう。
例えば、家柄という背景があり人脈もある袁紹(えんしょう)には人はたくさん集まりましたが有能な人材を使えなかったばかりか他人の才能に嫉妬する人でした。「官渡の戦い」で曹操に惨敗します。
曹操はたたき上げの人で、はかりごとにも戦略にも有能でした。決断が素早く自ら先頭で指揮をとる人です。息子に代替わりするころには国の基盤はできていました。
劉備は自分の勢力をなかなか築けず情に流され、優柔不断なところもある人物です。しかし、部下には全幅の信頼をおき、才能のある人を尊重してくれます。
孫権は上の二人ほど天下統一には意欲的ではなく兄から受け継いだもともとの基盤を守ることに徹しました。
みなさんはどんなリーダーにつきたいでしょうか。この本はそのほかに、処世術に長けた部下、頼りにされる部下そして向上心の重要性などを三国志の人物になぞらえて教えてくれます。
中国の歴史を見ていくと必ず昔から伝わる思想である儒教(じゅきょう)の価値観というものが人々の行動の中に見え隠れしています。親を大切にして子孫を絶やさないとかそういう基本的なことから始まり、王朝が正統と認められるかという基準も「儒教的に見て」どうなのかということに重点が置かれるのです。
三国志の前の漢の後期の時代は儒教という思想を国教としていました。官僚を選ぶときにも儒教の知識が求められたのです。その儒教的価値観を受容しながら新たな価値観を作り出そうとする、三国志の時代はそういうときでもあったとこの本は教えてくれます。
- 著者
- 渡邉 義浩
- 出版日
- 2012-06-12
三国志に関係する本を読んでいると、よく「禅譲(ぜんじょう)」という言葉が出てきます。これは帝王がその位を世襲するのではなく、支配者としてふさわしい素質を持ったものに受け継がせるという方法です。儒教での理想の政権交代の形でした。
平和的に政権を譲ることが本来の目的ですが、実際には前の王朝の皇帝を殺さず「禅譲」されたという形をとって新たな王朝をおこすのです。このパターンを踏まないと正統な王朝と認められないという恐れがあります。魏の曹丕は漢王朝最後の献帝から、魏の滅びの時は司馬炎という臣下が禅譲を受けた形をとって晋王朝を興しました。
また、儒教的価値とは違った基準を作ろうとしたのが曹操でした。官僚を採用するときに道徳的に優れているかを重視するのではなく才能を評価するようにしたのです。また「文学」によっても人事の基準にしようとしました。後継者を長子である曹丕にするか、詩に優れた曹植にするか迷ったのも自ら作り出した価値基準に従うかの選択に迫られたといえます。ちなみに「文学」によって人材を選ぶという考えは後の唐の時代の官吏登用試験「科挙(かきょ)」にも受け継がれることになるのです。
この本は儒教の価値観に引きずられ続けるこの時代の考え方を記しています。
歴史上の人物や事実を多くの史料から抽出するのは大変なものです。記録者の信念や当事者の印象、傍観者の判断などさまざまな思惑があり、白黒をはっきり決定づけられてしまうこともあります。
陳寿(ちんじゅ)の書いた三国に関する史書、「三書」が『三国志』と呼ばれるようになるいきさつや、約150年後に裴松之(はいしょうし)が膨大な量の註をつけたことにより『三国志』といえば今やこの註と一緒に含めて見られていることなどを紹介し、陳寿の書いた「魏書」「蜀書」「呉書」を註のない原文で読んでみようと試みている本です。
- 著者
- ["中村 愿", "安野 光雅"]
- 出版日
この本は『三国志』を書いた陳寿に対して著者が思いをめぐらせて、歴史家の彼がどのように三国の時代を見ていたのかを想像してその推測を記述しています。
蜀の政権に仕え、晋が天下を統一してからは晋の文書官となった陳寿。諸葛亮の著作の整理を仕事とするかたわら、魏・呉・蜀の三つの史書を書きあげました。かれが何故史書を書こうとしたのかを著者はその「三書」の中から読み取ろうとしています。
陳寿はもともとの蜀という地域の人でした。その人から見れば劉備、諸葛亮は侵入者にちがいなく、彼らが漢王朝復興のために建てた蜀という国に仕え、さらに天下を統一した晋にも仕えたという陳寿の心理はどのようなものだったのでしょうか。
さらに蜀という国が国家としての記録をあまりにも残していないことに対して諸葛亮の思惑を掘り当てようとする興味深い著作です。
美しい安野光雅の画と、著者が中国を旅して見た実際の風景の記述とで三国志に思いをはせつつ読むことができます。
様々な形でメディア化してきた『三国志』。今回は、コメディ作品で多くのヒット作を生み出してきた福田雄一が解釈した『三国志』が『新解釈・三国志』として映画化し、2020年12月11日に公開します。
主人公は、蜀の初代皇帝・劉備玄徳に大泉洋を迎えています。福田監督は「劉備が大泉洋でなければやる意味がなかった」というほど。
初めてタッグを組む二人の化学反応が気になりますね。
映画『新解釈・三国志』公式サイトでは、ビジュアルや最新情報が公開されていますので次日ご覧ください。
メイキング映像も公開されており、笑いの絶えない緩い雰囲気の撮影現場を覗き見することができます。あわせてご覧ください。
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三国志を理解するための本の数々、いかがでしたでしょうか。ひとびとの思いが錯綜する時代が今の私たちをひきつける、そんな魅力を伝えてくれる本です。これらの本を書いた著者も三国志を好きな人たちにちがいありません。