“貧しい”とは何なのか?「貧困」のリアルを考えるヒント

“貧しい”とは何なのか?「貧困」のリアルを考えるヒント

更新:2021.12.17

こんにちは、富永京子です。現在は夏から秋にかけて刊行予定の著書を執筆している真っ最中なのですが、その中では「貧困問題」も扱っています。いろいろな社会組織で、「貧困」は問題の核になってきましたし、貧困の捉え方も世代や地域によって大きく異なっています。貧困そのものというより、何を貧困とするか、貧困によって何を奪われるのかということが問題を引き起こす事態も少なくありません。

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こんにちは、富永京子です。現在は夏から秋にかけて刊行予定の著書を執筆している真っ最中なのですが、その中では「貧困問題」も扱っています。いろいろな社会組織で、「貧困」は問題の核になってきましたし、貧困の捉え方も世代や地域によって大きく異なっています。貧困そのものというより、何を貧困とするか、貧困によって何を奪われるのかということが問題を引き起こす事態も少なくありません。

貧困とは、お金がない状態、貧乏であること、食べるものや住むところがない状態を指すと思いがちですが、実はもう少し色々な分析軸があり、時代によって異なった形で捉えられてきました。今回は5つの漫画から、それを考えてみましょう。
 

貧困が若者の特権だったころの肖像

著者
松本 零士
出版日

「バーサン」が管理をする古びた下宿で、四畳半の下宿に住まいながら極貧生活を送る主人公・大山昇太の悲しいが人情味あふれる青春を描いた1970年代の作品です。森雪やメーテルを連想させる、スラリとしたザ・松本零士作品という出で立ちの美女たちとの間に起こるひとときのラブ・ロマンスも見どころの一つです。

1970年代の少年向け名作漫画には、極貧からスタートする作品が珍しくありません。(今回紹介できないのが本当に残念ですが)ジョージ秋山の『銭ゲバ』はもちろんのこと、梶原一騎原作の『巨人の星』の星一徹は日雇い労働者ですし、『あしたのジョー』の舞台もドヤ街です。『ドカベン』(水島新司)の山田の実家も長屋だったりします。生まれ育ちはそれほど貧困ではありませんが、『まんが道』(藤子不二雄Ⓐ)のトキワ荘メンバーなどもお金に困っている方かもしれません。

彼らの貧困は、後で紹介する『キーチVS』の貧困のように、悲劇や問題としては描かれていません。むしろある種の日常であり、その描き方は喜劇的ですらあります。さらに重要なのは、いつか解消されてしまうものとして見られていることです。山田太郎も星飛雄馬も早々にヒーローになって家族を豊かにします。『男おいどん』はこれらの作品とは異なり、終始昇太の貧困しか描かれません。それが日常でありコメディとして成立したのは、この貧困が青年期における一時のものであり、いつか終わるという前提が共有されていたからではないでしょうか。

プロ野球選手や漫画家といった壮大な夢のために、貧困を乗り越えて努力する。努力が叶い、豊かになることが、主人公たちの「幸せ」である。日本経済が高度経済成長期を経て、誰もが豊かになることが前提である中で、貧困は「帰結」ではなく、「過程」でした。貧困の中を生きる大山昇太は、いつか終わってしまう青春の象徴でもあったのでしょう。
 

女性と男性では、その貧しさもまた異なる?

著者
西原 理恵子
出版日

「成功するまでの貧困」「若き日の貧困」というモチーフは、自叙伝の側面が色濃い西原理恵子氏の作品にも数多く描かれています。映画化もされた『ぼくんち』は貧困コミュニティのもとに生まれ育った兄弟のお話ですし、『女の子ものがたり』の主人公たちも決して裕福とは言えない地域や家庭の状況を経験しています。

『上京ものがたり』は、絵で自立する夢を思い描きながら、美大に進学するために上京してきた少女の物語です。『男おいどん』に描かれた1970年代と西原理恵子氏が青春を過ごした1980年代で大きく違うとはいえ、決していいとは言えない経済状況、古びた下宿、ファッションビルに行っても何も購入できず、自分より豊かに見える「東京の人々」に圧倒されるさまなどは、青年期の貧困としていつの世も共通しているのかもしれません。

どんなバイトをしてもお金が出て行く一方の主人公は、ミニスカパブのアルバイトに邁進し、店長のセクハラに耐え、寂しさを埋めるために「ヒモ」の彼氏と同棲しています。無理に表情を作り続けているので、顔面麻痺になることもあります。こうした労働の状況は、『男おいどん』であったり、同じく上京した貧しい主人公が夢を叶えようとする作品、例えば『まんが道』や『俺節』(土田世紀)にも見られないものです。

若い女性が稼ぐこと自体は、都市ではそれほど難しくありません。だからといって、彼女たちが貧困と無縁かといえば、全くそんなことはありません。不安定な就労状況の中で体を壊せば医療費もかかるでしょうし、心理的な穴を埋めようとすれば、パートナーの金銭的な依存を許してしまうこともあります。つまり、同じ若年期の貧困とはいっても、男性と女性とではその種類が全く違うのです。女性は確かに短時間軽作業で稼ぐことができますが、若いことを資源にしている以上、いつまでも主人公がミニスカパブで稼げるわけではありません。持続性のない収入、感情労働、パートナーとの関係性、貧困にもやはり女性特有の要素があることになります。
 

不可視化された貧困は文化的な格差という形で現れる

著者
阿部 共実
出版日
2014-05-08

勉強ができなくて、身体も小さく、言葉も上手に話せない中学2年生の、ちょっと足りない「ちーちゃん」。その表題からも、表紙のイラストからも、彼女を主人公とした作品のように捉えられがちですが、実はちーちゃんの親友・ナツがこの漫画の主人公です。

ちーちゃんとナツは、同じ団地に住む小さい頃からの幼なじみ。ちーちゃんは毎日楽しく過ごしているようですが、ナツはちーちゃんとのいつも同じ二人遊びに飽きてしまっているようです。頭もよくて、家もお金持ちで、恋人もいて、親から箸の正しい使い方を教えてもらえる同級生に憧れやコンプレックスを持つナツは、少しずつ周囲への疑心暗鬼やちーちゃんに対する鬱陶しさで心をいっぱいにしていきます。経済的な資本が、親からのしつけや友達の多さ、コミュニケーション能力や成績といった非経済的な「文化資本」に影響を与え、ナツの剥奪感や不満感へと至るさまはとてもリアルです。

1980年代以降、貧困が不可視化されていく過程で、男おいどんやドカベンのように「貧困」を日常として描いた作品も減少します。真っ向から貧困を描こうとすれば、生活保護を描いた『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ)や負債者と貸金業のやりとりを描く『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平)のように、どちらかといえば「社会派」という色彩が強くなります。

しかし、一見豊かにみえる社会では、細かな格差が問題視されます。その格差は、確かに経済状態と連動しているのです。ナツは食べるものも住むところもあるという点で「絶対的貧困」ではありませんが、友達との比較において「相対的貧困」を感じています。

ただ、実際にナツの貧困がすべてを決定しているわけではありません。ちーちゃんは新しい友達を作りますし、学力も上がっていきます。リア充で一見嫌な奴に見える級友もそれなりの葛藤を抱えて生きています。「ちょっと足りない」自分を何もかも奪われた存在と捉えるか、何でも付け足せる存在と考えるか。あなたがナツに感情移入できるか否かは、貧困の捉え方にもかかわってくるかもしれません。
 

少数の権力者が独占する富、多数の庶民たちに押し付けられる貧困

著者
新井 英樹
出版日

老いていく痴呆の母の面倒を介護する中年男性。介護負担が重くのしかかり、仕事も失い、生活保護も受けられない。食卓には河原の草がのぼるようになり、家賃も払えなくなったある日、母子は樹海に向かう――。実際の事件をモデルにしたこの冒頭は、ネット上でも注目を集めたので、気になっていた人も多いかと思います。新井英樹による作品『キーチ!!』の続編です。

「真っ当でいろ」というスローガンのもと世直し活動に励む主人公・染谷輝一が出会ったのは、貧困のあまり母子心中を決意した男・日下、在日米軍によるひき逃げ事故で最愛の息子を喪った女・あや、元工場経営者の近藤……といった多様なメンバーによる集団「劇団波羅蜜多」。実はこの集団は、日本の支配層・権力者の殺人テロを目論む反政府組織でした。あるきっかけから、輝一もまた彼らの活動に関わるようになります。

少数の権力者が富や法、暴力を独占するという世界の現状に対して、さまざまな権利を損なわれた「弱者」たちが抵抗し公正を訴える運動は、近年、特に「オキュパイ・ムーブメント」や、G20やG7サミットといった首脳会議への対抗運動といった形で見られています。貧困に限らず、人権を蹂躙されたり生活環境を汚されたりといった多種多様な人々が「権力者への抵抗」という同一目的のもとで同じ活動に従事するという点が特徴的な活動です。
キーチと劇団波羅蜜多のやろうとしたことは――手法はかなり過激ではありますが――、理念はこうした運動と共通しており、キーチが前作から掲げていた世直しのひとつであると考えられるでしょう。
 
輝一らが立ち向かう「権力」は、マスコミによる報道や狂牛病、日米関係など幅広い課題とともに語られているため、必ずしも貧困だけが本作品のテーマではありません。しかし、この作品がネット上で話題になったのは、やはりプロローグで描かれたような、政府が日下とその母に押し付けた貧困が人々にも共有されうるものだったためではないでしょうか。

ちなみに、前作『キーチ!!』も非常に社会的なテーマを取り扱っており、キーチの生き方そのものが非常に「社会運動」的でもあります。また機会があれば、ぜひ前作の紹介もできればと思います。おすすめです。
 

不安定であることが「自由」と考えられていた時代

著者
西村 しのぶ
出版日
2005-02-10

少し重い作品が続いてしまったので、最後にライトというか、気楽な作品を紹介して終わりにします。西村しのぶ『一緒に遭難したいひと』は、1990年にスタートした作品で、現在も断続的に刊行が続いています。フリーライターのキリエとバニーガールの絵衣子は、神戸のマンションでルームシェア中。まとまった稼ぎのない彼女たちは、いつもどちらかのボーイフレンドにご飯をごちそうしてもらい、部屋は贈り物のシャネルとアルマーニ、払い下げの電化製品であふれています。

2000年代からこの連載を読み始めた人には、この作品のもつ魅力や面白さが少しわかりづらいかもしれません。キリエや絵衣子の気ままな生活は、フリーターが「自由で気楽」という文脈で語られていたバブル期を背景としています。フリーターは「就職できなかった可哀想な人」ではなく、いつでも正社員になれる時代の柔軟な働き方として1980年代に出現したのです。彼女たちには東京で働くキャリアウーマンの友人「ショーコ」がいますが、特にどちらが上で、どちらが下であるといったこだわりもありません。正社員志向の女性も増えてきた中で、フリーターもまた選択肢の一つとして扱われ始めた時代でした。

これでもかと言わんばかりのハイブランド・DCブランドや長髪長身の男性、肩が特徴的なドレスなど、バブルを体現するようなキリエと絵衣子の気ままな生活は、連載が続き、バブルが崩壊した後も変わらず続いています。絵衣子は社員になりましたが、海外への弾丸旅行をいきなり思いつくなど相変わらずその日暮らしの生活の二人です(もちろん、ファッションやライフスタイルは現代に合った形で展開されていますが……)。

不安定が「柔軟」で「自由」であり、定まらないことが「気楽」で「気軽」とされ、今であれば貧困な立場の人々が、貧困とは称されなかった頃。貧困に苦しみつつも、しかしそうしたライフスタイルを楽しむ彼女たちの生活から過去を垣間見るのも楽しいかもしれません。
 


今回はこれで終わりです。「貧困」は生活と密着しているだけに本当にいろいろな漫画に見出すことが出来ます。ここで取り上げられなかった作品も、なるべく文章中で言及してみましたので、そちらもぜひ読んでみてください。

この記事が含まれる特集

  • マンガ社会学

    立命館大学産業社会学部准教授富永京子先生による連載。社会学のさまざまなテーマからマンガを見てみると、どのような読み方ができるのか。知っているマンガも、新しいもののように見えてきます。インタビューも。

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