いつの時代も根強い人気を誇るミステリー小説。犯人や犯行動機、トリックが解明されたり、犯人との心理戦があったりと読んでいてドキドキさせられますよね。今回は分量は短いですが、中身が濃厚で癖になることうけあいの短編ミステリーをご紹介しましょう。
表題作で登場するのは、2度の心中事件の間に自らの愛と生を歌い上げ、のちに1人で自害して果てた天才歌人・苑田岳葉。周囲は1度目の心中未遂事件の相手である銀行家の令嬢、桂木文緒を忘れられずに自死したのだと解釈しています。それは同じ日に文緒も自室で自殺していたから。しかし、2度目の心中に引っかかりを覚えた「私」は、取材を重ねるうちに意外な事実に行き当たるのでした。
- 著者
- 連城 三紀彦
- 出版日
苑田の心を知りながら死んでいった女たち。才能を世に知らしめることができずもがいていた苑田。登場人物はみな尋常でない、恐ろしいほどの情の深さです。それぞれが葛藤と哀しみを抱えています。
しかし、たった一度の人生で命を懸けるだけのものを持てたという意味では良かったのかもしれません。そして何より苑田の、歌に懸ける思いに比して、人に対してここまで無情になれるという部分に深い闇を感じます。この短い小説の中でこれだけの人間の複雑さが書かれているなんて本当にすごい小説です。
そして連城三紀彦は何といっても文章が美しい!しかし、その流麗さに心地よく流されていると、2回ひねりをしたような、あまりにも意外な結末が待っているのです。美文に加えて精巧な技術も持つ作家だったのに、胃癌のためまだまだ書けそうな65歳という年齢で他界してしまったのが惜しまれます。
表題作の「戻り川心中」は菖蒲が重要な題材となっています。その他にも藤、菊、桔梗などをモチーフに「花葬シリーズ」とよばれる、花にまつわるミステリーがおさめられていますので、花好きな方にもおすすめの1冊です。
作家であり、鉄道ファンという大阪圭吉の作品です。D50・444号は「とむらい機関車」という縁起の悪い名で呼ばれています。というのも、この機関車は轢殺事故を起こすナンバーワン機関車だからなのです。
この「とむらい機関車」が毎週日曜日ごとに近くの農場の豚を轢き殺すという事件が起きました。豚泥棒は誰なのか、そして一体何の目的で豚を轢き殺させているのか。助役がその謎に迫りますが、真実に近づいたのは更なる悲しい事件が起きてしまった後だったのでした。
- 著者
- 大阪 圭吉
- 出版日
はからずも轢死に関わってしまう機関士たちのやりきれなさ。そこから思いついた「弔い」の儀式が、さらなる悲劇を生んでしまい、人々は哀しみにくれるのです。
作者の大阪圭吉は明治生まれ。太平洋戦争に応召し、終戦の年にフィリピンで亡くなっています。機関車が登場することからもわかるように、この作品は1934年に発表されたものです。初めはやや古めかしい文体に感じられますが、読み進めるうちに、それがまた味になり、この作品を心底暗いものにはしない、奇妙な明るさを保たせるものになっていることに気付くことでしょう。
思うようにならない人生のやりきれなさ。でもまったく救いがないわけではないという不思議さもあります。古い作品ではありますが、現代の私たちにも響くのです。
表題作「とむらい機関車」の他にエッセイを含む8編が収録されている短編ミステリー小説となっています。
メルカトルは名探偵ならぬ銘探偵。自らを「長編には向かない探偵」と豪語する通り、並ならぬ推理力で登場するとすぐに真犯人を当ててしまいます。助手役は友人で売れない推理作家の美袋。メルカトルに振り回されながらも、つい同行し言うことを聞いてしまうのは作品のネタ集め、もしくは腐れ縁?それとも実は何だかんだ言ってもメルカトルが好き……なのでしょうか。
- 著者
- 麻耶 雄嵩
- 出版日
- 2011-08-19
「メルカトルって地図の技法?そして美しい袋?」……タイトルを見ても何のことか想像もつかないという読者が多いと思います。探偵はメルカトル鮎。とはいってもこれが本名なのか、素性も不明です。そして美袋は「みなぎ」と読み、美袋三条というこれも変わった名の助手役なのです。
『メルカトルと美袋のための殺人』には、美袋が容疑者になってしまう「遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる」、殺人事件の被害者はなぜ化粧をしていたのか、という謎に迫る「化粧した男の冒険」、オカルトチックな要素が絡む「水難」など7つの短編が収められています。
読みどころはやはりメルカトルのクズっぷりでしょうか。被害者の死体を乱暴に扱ったり、事件を誘発するようなチラシを撒いたり、挙句の果てに美袋を危険な目にあわせて平気な顔をしていたりします。探偵とは常に正義のために真実を追求するものだと思っている方は要注意です。語り手である美袋は「いつかメルカトルを殺す」と思っているほど。この2人のやり取りが面白く、小説ではなくツンデレ系漫画を読んでいるような気分になります。
そもそも作者の麻耶雄嵩の作風が面白く、『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』では、デビュー作にしていきなりメルカトルにとって最後の事件にしてしまうという破天荒ぶり。作中人物たちに有名小説ばかりかテレビアニメのセリフを言わせたりもしています。
小説の構造や問題提起という意味でもかなり実験的な作品も多いので、『メルカトルと美袋のための殺人』で変わった味わいだけれど何となく後をひく、癖になりそう……という方は他の作品にもチャレンジしてみてください。メルカトルや美袋の背景もわかるかもしれません。ちなみに「銘探偵」とは、「決して間違いをしない、記念碑的な探偵」ということでつけられているそうです。
貧乏学生の蕗屋は、友人の斎藤の下宿先の老婆が小金持ちであることを知り、その金を自分のものにしようと巧妙な殺人計画を立てました。綿密に練られた計画は彼の思うままに進んできますが、検事はこの事件に違和感を覚えます。そして違和感を拭うために被疑者の蕗屋と斎藤に心理試験を行うことにするのでした。
- 著者
- 江戸川 乱歩
- 出版日
- 2015-11-20
怪奇的、幻想的な作品で知られる江戸川乱歩ですが、この作品にそういった色はありません。日本の推理小説の礎を築いたのは乱歩といわれており、そんな彼の初期の本格的な謎解きミステリーとなっています。今でこそ犯罪心理学という名称も一般的になっていますが、この作品が書かれた1924年には、犯人を推定するにおいて心理学を用いるのは先駆的な試みであったことでしょう。海外作品に造詣の深く知識も多かった乱歩ならではの作品なのです。
この小説は「倒叙もの」という、はじめから犯人が明かされている形式をとっています。つまり、読者の楽しみは、犯人の計画がどう暴かれていくのかというところにあるわけです。ここで登場するのがお馴染みの名探偵明智小五郎。明智は蕗屋が頭脳明晰であり、事件におけるその無邪気さが装われたものと看破します。このあたりはドキドキの心理戦で、読んでいて前のめりになってしまうところです。明智が蕗屋の完全犯罪をどう崩していくのか、卓抜した頭脳同士の攻防戦をどうぞお楽しみください。
表題作の他にも、「芋虫」などを含む6作が収録されている短編ミステリー小説集です。
浦塩という地で、乞食同然の男が道行く人に「私の運命を決めてください」と声をかけます。そしてレストランに一緒に入っていきます。彼の名はワーシカ・コルニコフ。モスクワ生まれの貴族だと言うのです。それから、男は第一次世界大戦末期の奇妙な体験談を語り始めました。
同じ分隊であった気品ある少年兵士リヤトニコフも貴族出身らしく、2人は打ち解け、仲良くなります。ある日、思い詰めた表情のリヤトニコフはコルニコフに打ち明け話をしてきました。自分はロマノフ王家の血筋のものだというのです。
- 著者
- 夢野 久作
- 出版日
- 2016-10-28
リヤトニコフはなぜ打ち明け話をしてきたのか、それが物語後半で明かされます。しかしリヤトニコフの話は真実なのでしょうか?そして、コルニコフ自身が語っている話は本当にあったことなのでしょうか?証拠の品は本物?それとも贋物?判断は読者に委ねられます。
夢野久作は福岡出身で禅僧であり陸軍少尉であり作家でもあるというたくさんの顔を持っています。「夢野久作」というのは福岡の方言で「夢みがちな人、夢想家」という意味があり、父親からそう評されたことをキッカケにペンネームとしました。その名の通り、夢野文学には幻想的なところが多分にあり、それが独特の魅力を放っています。鏡をじっと見つめていると、ふと中に引き込まれるような気持ちになる……「死後の恋」も、そんな妖しい魅力あふれた1編なのです。
痴呆症になりかけている老人が嫁に預かった現金書留をなくしてしまい……「陽だまりの偽り」
不仲の母親とグレた中学生の息子が、不幸な事故を隠蔽する中で関係を回復していく……「淡い青のなかに」
市役所での事件と身近な悪意……「プレイヤー」
「身代金払うから息子を返さないでください」などという母親とドジな誘拐犯……「写心」
事件に巻き込まれた父と息子がお互いの傷に気づき……「重い扉が」
- 著者
- 長岡 弘樹
- 出版日
- 2008-08-07
長岡弘樹が日常に起こり得る事件を描いています。緊迫した非常事態ではあるのですが、読後にとても温かい気持ちになれます。長岡弘樹のハートフルミステリーと呼ぶべきかもしれません。
人が死んだり、残酷な描写が続いたりするショッキングなものはありませんが、人間の悪意は少しだけ垣間見えます。
ラストがとても魅力的な作品ばかりなので、読んでみていただきたい長岡弘樹の一冊です。
相続のために初めて会った亡夫の甥に心を乱される「夢の中」、働き続けることを選択した女性と、義理の両親との間に生まれた溝を描く「元凶」、離婚後に歩み寄ることのできた夫との関係性を描く「ベターハーフ」などを含め、全部で6作品が収録された短編集です。
家族との間に横たわる葛藤、愛情をなどを描いています。
- 著者
- 新津 きよみ
- 出版日
- 2016-04-06
幸せで、完結しているはずの家族の外に可能性を見つけてしまった女性たち。家族を持つ女性なら誰もが、感情移入する主人公がひとりはいるはずです。
また、夫婦別姓やセカンドパートナー、臓器移植など、議論のわかれるテーマも扱っています。家族の在り方について考えさせられることでしょう。
日常のなかに起きた小さな非日常をめぐる、彼女達の心の動きを丁寧に描いた冊です。
1998年に小説推理新人賞を獲得した「ツール&ストール」が文庫化にあたり改題されました。大倉崇裕の日常系ミステリーの代表作です。2012年には、千葉雄大主演でテレビドラマ化もされています。
就職活動中の大学生・白戸修。お人好しでいつも様々な事件に巻き込まれるところから物語が始まります。彼にとって中野駅前は鬼門中の鬼門でした。なぜなら、修がそこを訪れると決まって何かが起こってしまうのです。
- 著者
- 大倉 崇裕
- 出版日
殺人容疑で追われているという同窓生のため、真犯人を捜す「ツール&ストール」。銀行強盗事件に遭遇し、しかも犯人と戦うことになる「セイフティゾーン」など、全5編からなる連作短編集となっています。「巻き込まれ探偵」や「お人好し探偵」と呼ばれる白戸修が巻き起こす、癒し系ミステリーです。
よくあるミステリーの形式といえば、名探偵が訪れた場所で殺人が起こることが多いのですが、この作品の場合は少し違っています。巻き込まれタイプの白戸修がそのうち何となく事件を解決してしまうという独特のユルさが漂い、またそれぞれの物語も後味が良く終わるため、非常にほのぼのとした読後感を楽しめるのです。
困っている人を放っておけない白戸修は、愛される名探偵です。彼が毎回どのような酷い目に会うのかも面白さのひとつでしょう。ほのぼのとした事件を読み進めていると、突然意外なオチが現れて驚かされることも。不幸なのになぜか淡々としている修のキャラクターもアクセントになっています。
いかがでしたか?短編だからこそ、作者たちの色が濃く出ていて、凝縮された豊かな味わいをご堪能いただけることでしょう。通勤・通学や家事の合間でもさっとお楽しみいただける分量ですので、お気軽に実際の作品を手にとってみてくださいね。