雨に似合う一冊【ハナエ】
梅雨時の雨の気配は独特だ。肌に絡みつき、髪を湿らせ、まつ毛に重みを宿す。呼吸するごとに身体に染み入り、内臓までも浸すように、しつこい。確かに煩わしいが、何処か色気を含んだこの時期の雨の気配が、わたしは案外好きである。

今回は、そんな梅雨時の雨にぴったりな一冊をご紹介する。

「私の男」

著者
桜庭 一樹
出版日
2010-04-09
“私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらへ歩いてきた。”

この小説は、そんな書き出しからはじまる。24歳の腐野花と結婚相手である尾崎美郎との待ち合わせに向かう40歳の養父・腐野淳悟を、花の視点から描写した一文だ。淳悟は、自分は濡れても雨宿りをする花が濡れないようにと、会う直前に画廊の傘立てから傘を引き抜く。四十男には似合わない、赤の花柄の傘だ。花は自分の父親が傘を盗んだことに気づいているが、真剣に咎めたりはしない。没落貴族のように惨めでどこか優雅な雰囲気を纏う淳悟を、花は“すこしの軽蔑と、言葉にならない、いとしい気持ちの両方で、泣き笑いのような表情を浮かべて男を出迎え”る。この淳悟という男が、花にとっての“私の男”である。

物語は、アルバムを逆からめくるように、花の結婚から二人の過去へと遡っていく。

北海道で震災孤児となった9歳の花。彼女を引き取った25歳の淳悟。愛情に飢えたふたりはやがて互いを貪るように愛するようになる。親子の関係を超えてしまった、獣のように血生臭い愛。歪みながら、絡まりながら、互いにすがりつくしか生きる術すら失いそうなふたりの脆い愛。家族の温もりに飢えたまま大人になった淳悟は、母への憧憬を幼い花に重ねる。震災で家族を失った花は、どうしようもない孤独を淳悟の熱と欲で埋める。“近親相姦”。それは人として犯してはいけないタブー。しかし、その一言で片付けてしまうには、花と淳悟の関係はあまりにも退廃的で、美しい。

そんな禁忌を犯し続ける日々は、やがて北海道・紋別の小さな町であるひとりの住人に気付かれることとなる。花は、自分と淳悟を引き離そうとする住人を、激昂のあまり流氷に乗せて殺めてしまう。そしてふたりは東京へ逃れる。そこでも花の罪を知る刑事に追われ、今度は淳悟が刑事を刺殺する。ふたりはふたりで居ようとする故に罪を犯し、共犯者となったのだ。

淳悟と花は、人として超えてはいけない線を、共に超えてしまう。一線、どころではない。幾つも、何度も。同じ夜。同じ罪。同じ後悔。そして身体に流れる、同じ血。血は水よりも濃い。決して満たされることのない空虚を、潤おすことのできない渇きを、ふたりは血で満たし合うのだ。

文章から漂う甘ったるい空気と、少しの臭気と、暗く重たい雨の匂い。陰鬱で淀んだ色気を纏うこの小説を、梅雨時の読書におすすめする。
この小説は、実写映画化されている。ストーリーは少々端折られてるが、わたしはこちらも好きである。とにかく、花役の二階堂ふみさんと、淳悟役の浅野忠信さんのが素晴らしい。ふたりが視線を交わすごとに、肌を舐め合うごとに、重たい雨の匂いが漂ってくるようだった。

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