アイルトン・セナにまつわる7つの逸話!音速の貴公子と呼ばれたF1レーサー

更新:2017.9.27

自動車レースの最高峰であるF1が現在のような形になってからの歴史は、きら星のごとく居並ぶワールドチャンピオンの歴史でもあります。そのチャンピオンの中から、今回は「音速の貴公子」と呼ばれたアイルトン・セナに注目し、関連した4冊を取り上げます。

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「音速の貴公子」アイルトン・セナとは?

1960年、ブラジル・サンパウロに生まれたアイルトン・セナの本名は、アイルトン・セナ・ダ・シルバと言います。F1でのドライバー登録は、ヨーロッパでの仕事がしやすいように「アイルトン・セナ」と短くしました。「セナ」は母の家の姓ですダ・シルバ家の長男として誕生し、ビジネスで成功をおさめていた父はセナが4歳の時にレーシングカートをプレゼントします。それ以来、彼はカーレースの虜になり、F1を目指してレースに人生をささげることになります。

13歳のころには国際的なカートレースで活躍するようになり、20歳を過ぎると活動の拠点をイギリスに移しました。セナはF1の下位のカテゴリーであるF3でイギリス王者になりF1への切符を手にします。有力チームに入るチャンスには恵まれず、下位に位置していたトールマンと契約しました。しかし1984年、F1デビューの第2戦、南アフリカGPで6位となり、初の入賞を果たすと、第6戦モナコGPでは2位となる躍進を見せます。

この活躍により、翌シーズンからは名門チームのロータスへ移籍し、移籍第2戦ポルトガルGPで、予選ではポールポジション(PP)を初めて獲得、レース本選でも独走し、初優勝を飾りました。

ワールドチャンピオンへの道が開かれたかのように見えましたが、それには決定的に足りないものがありました。それは当時最強のパワーを誇ったホンダエンジンのマシンです。ロータスでホンダエンジンの強さを実感した彼は、さらに強いマシンを求めて、1986年からマクラーレン・ホンダのドライバーになりました。ここからがセナの黄金期です。3回のワールドチャンピオンの獲得しました。

セナに栄光をもたらしたホンダがF1から撤退すると、1994年にルノーと契約しチャンピオンマシンを手に入れます。ワールドチャンピオンに返り咲くことを誰しもが疑いませんでしたが、開幕から不調が続きました。そして第4戦、サンマリノGPでの事故により帰らぬ人となりました。すべてをレースに捧げた34年間の生涯を閉じたのです。

アイルトン・セナに関する7つの逸話

1:予選での脅威の速さ!まさに「ポールの狩人」

ホンダエンジンが全盛のころ、ポールポジション(予選1位)はセナの指定席と言われていました。1988年に年間でのポールポジションを13回獲得し、それまでの記録9回を大きく更新します。8戦連続という記録もこの年でした。翌1989年も13回を記録します。予選の終了時刻ギリギリに、トップの記録をたたき出すセナの速さに、他チームからはため息しか聞こえなかったと言われています。

2:ホンダを愛し、ホンダに愛されたセナ

アイルトン・セナがホンダとの関係を大切にしていたことは広く知られています。ホンダのエンジンで世界王者になったのだから当然かもしれませんが、セナは特にホンダの技術者の誠実で真面目な仕事ぶりに絶大な信頼し、ホンダもセナの勝利へ努力を惜しまない姿を誇りとしました。本当にレースが好きな者同士が、その力を極限まで高めた栄光の時代でした。

F1の年間表彰式において、セナはホンダの創設者、本田宗一郎から「これからもナンバーワンエンジンを作るよ」と声をかけられ、感動の涙を流したそうです。

3:伝説の勝負!宿敵プロストとの対決

1989年、第15戦は日本の鈴鹿サーキットで開催されました。連続王座まで後の無くなったセナと、勝てば文句なくワールドチャンピオンが決定するプロストの、チーム同士の戦いが話題となりました。雌雄を決する戦いは、思わぬ結果で終わります。レースの終盤、2位を走っていたセナが、トップのプロストと接触したのです。プロストはリタイア、セナはレースに復帰し1位でゴールしますが失格となり、プロストのチャンピオンが決定するという後味の悪い結果となりました。

翌年も鈴鹿で両者はレース開始早々に接触し、ともにリタイアしています。この時はセナがワールドチャンピオンを決めました。

4:モナコマイスターと呼ばれた強さ

世界をめぐるF1グランプリですが、その中でひと際、格別な香りがするのはモナコGPです。地中海に面したモナコ公国の市街地をレースコースにしたこのGPは、テレビ中継でも、高級ホテルの上層バルコーや大型クルーザーから観戦する上流階級が映し出され、F1はヨーロッパ文化のひとつであることを思い起こさせます。

この伝統のレースでセナは5連勝を含む、通算6勝をあげました。そのなかでも1992年、ナイジェル・マンセルとのバトルは語り継がれる名勝負となり、開幕から圧倒的な強さを見せていたマンセルの開幕6連勝を阻んだのです。モナコマイスターのプライドが光りました。

5:天才ゆえの苦悩

天才的なドライビングテクニックによる圧倒的な強さを見せるようになったセナ。しかしF1の社会はこのブラジルからやってきた天才を簡単には受け入れませんでした。元F1チャンピオンのジャッキー・ジャッキスチュワートはセナに対してのインタビュー中に「君は危険な運転をすることが多い」と発言、セナは「理解できない」と反論しました。

他のドライバーができないような高速の走行は、見方を変えれば危険とも言えるかもしれません。それでもアグレッシブなドライビングスタイルを変えなかったセナは、理解者が少なかったとも言われています。

6:アイルトン・セナの休日

人生のすべてをレースのために捧げたセナには、自動車の他に趣味は多くありませんでした。ラジコンの飛行機やヘリコプターを飛ばすことには熱中していたことは、セナのプライベートを紹介したビデオでも見ることができます。他には水上オートバイも好きでしたが、レースの天才も水の上では勝手が違うらしく事故を起こし、頭を縫ったままグランプリに出場したことがありました。

7:呪われたGP 1994年サンマリノGP

アイルトン・セナが事故死した1994年のサンマリノGPは、呪われたGPとも言われるほど事故が多く発生しました。予選初日、セナと同郷のルーベンス・バリェッロが大クラッシュし、命に別状なかったものの入院しレースを欠場。その直後、ローランド・ラッツェンバーガーがコースアウトして、コンクリートウォールに激突する事故を起こし死亡しました。この事態にセナは激しく動揺し、「走りたくないが、僕の仕事だから走らなくてはならない」と話すほどでした。

騒然とした空気の中、決勝レースがスタートします。しかしここでもスタート直後にマシン同士が激突しクラッシュが発生、レースは混とんとしたまま再開されるという展開となりました。快調に先頭を走るセナでしたが、6周目のカーブでコースアウトし、コンクリートの壁に激突したのです。

ひとつのGPで2人のドライバーの命が牛われた例はありませんでした。セナの亡くなったコーナーは改修され、安全対策を行いサンマリノGPは続けられましたが、現在では中止されています。

死後20年を経て、明らかになった事実

この本はイタリアのF1ジャーナリストがセナの死から20年を経た2014年に発表しました。セナのファンであれば特別な感想を抱かずにはいられない内容の本です。20年前にセナが語ったことが、まるでタイムカプセルのように、今に蘇るような感覚に囚われます。

著者
Leo Turrini
出版日
2015-09-15

この本はイタリアのF1ジャーナリストがセナの死から20年を経た2014年に発表しました。セナのファンであれば特別な感想を抱かずにはいられない内容の本です。20年前にセナが語ったことが、まるでタイムカプセルのように、今に蘇るような感覚に囚われます。

タイトルにある「確信犯」とは、アイルトン・セナが強い意志をもって行ったあることを著者に語っていたことに由来します。そのあることとは、F1のファンはもちろん、F1の関係者ですら思いもよらないことではないでしょうか。想像を超えた事実が長い年月を経て明らかになりますが、レースにかける思い、レース哲学から導かれた結論を語る部分では、セナというレーサーのスピリットが伝わってきます。セナを忘れられない人には格別な思いが到来するはずです。

ただひたすらに、速さを求めたアイルトン・セナの生涯の全貌

「このストーリーは、頂点を目指すアイルトン・セナの軌跡である」と著者が冒頭で書きているように、セナの幼少時代からカートに夢中になった10代を経て、イギリスでドライバーとしてステップアップしていった事実を、多くの関係者からの証言を用いて描いています。

著者
クリストファー ヒルトン
出版日

「このストーリーは、頂点を目指すアイルトン・セナの軌跡である」と著者が冒頭で書きているように、セナの幼少時代からカートに夢中になった10代を経て、イギリスでドライバーとしてステップアップしていった事実を、多くの関係者からの証言を用いて描いています。

セナはF3時代から注目を集め、F1関係者との交流が早い時期から始まっていたことがわかります。才気に溢れた若き天才は執念と努力、そして意地をもって困難な道を切り開いて行きました。

F1の第一線で活躍するようになると、チーム内部の人間関係や政治的な話も多くなり、レースだけに集中することが難しかったこと様子が伺えます。才能だけでは勝利者になることはできませんでした。当時、リアルタイムでF1を見ていた人には、当時のことを思い起こさせ、その裏事情を改めて知ることができる一冊です。

最強ドライバーのテクニックがここに!

著者
アイルトン セナ
出版日

アイルトン・セナが自らのドライビングの秘密を明かした唯一の著書です。セナ自身がこのように寄せています。

F1マシンを操縦することがが前提になっていますが、コーナーのタイプに応じた基本的ライン取り、ブレーキング、スタートやオーバーテイクなどのドライビング技術に関してはカートなどでもレベルアップが図れる内容になってます。図解と写真が豊富なので、直観的に理解しやすい内容ではないかと思います。

他にもレースにむけたトレーニング方法やレース前の食事内容、メンタル面のトレーニングについてまで書かれていて、レースに参加しているドライバーの活動が想像できる一冊です。

あの事故の原因は解明されたのか?

著者のフランコ・パナリッティーはジャーナリストしてF1の取材を続けてきた中で、セナとも直接会話する関係でした。彼は、セナがホンダエンジンを失ってから、強いチームに移籍することを願い、それを実現させる過程での内面的変化があったことを示唆しています。

また当時のF1において急速に進むテクノロジーの革新が、大きくレーシングドライバーに影響したこと取り上げ、事故が起きた当時の背景が浮かびあがってくるという点では興味深い内容です。

著者
フランコ・パナリッティー
出版日
2009-04-28

著者のフランコ・パナリッティーはジャーナリストしてF1の取材を続けてきた中で、セナとも直接会話する関係でした。彼は、セナがホンダエンジンを失ってから、強いチームに移籍することを願い、それを実現させる過程での内面的変化があったことを示唆しています。

また当時のF1において急速に進むテクノロジーの革新が、大きくレーシングドライバーに影響したこと取り上げ、事故が起きた当時の背景が浮かびあがってくるという点では興味深い内容です。

天才アイルトン・セナはなぜあのような事故で亡くなることになったのか?この事件に関しては検察当局に事故調査団が作られました。事故の映像からは、何かが破損して制御できなかったようには見えません。かといって、セナほどのドライバーが回避行動も取らずに、壁に突っ込んでいったをことを信じるには無理がありました。

本書ではこの謎について、調査団がどのように調査を進めたのが記録されています。チーム関係者の証言と証拠となるデータから、意外な事実が判明してくる展開はスリリングです。真相がどうだったのかは、実際に読んでみることをおすすめします。

F1で最強のドライバーは誰か、という話題となると議論は尽きません。セナはもちろん、ラウダ、プロスト、シューマッハなどファンそれぞれの旨に熱い思いを抱かせたF1ドライバーがいるからです。F1にはドライバーの他、エンジンメーカーやデザイナー、チームオーナーなど多くの関係者の思惑が交錯する場でもあり、速くマシンを走らせることができるドライバーが強い訳ではないことが、今回紹介した本にも書かれています。あとは読んだ皆さんの判断に任せたいと思いますので、ぜひ手に取ってみてください。

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