ピーター・ドラッカーにまつわる7つの逸話!マネジメントを発案した経営学者

更新:2021.11.10

「マネジメント」という言葉が一般的になったのは、ドラッカーが『マネジメント』という本を出して以来のことです。仕事は多岐におよび、その著作数は多数あります。今回は、そのなかから5冊を取りあげ、彼の思想を紹介していきます。

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「マネジメント」を発明した、ピーター・ドラッカーとは

 

ピーター・ドラッカーは1909年にオーストリアのウィーンにて、ドイツ系ユダヤ人の家系に生まれました。1931年にフランクフルト大学にて法学を専攻しますが、ナチスの台頭するドイツからは離れ、イギリスに移住します。その後、ロンドンで金融関係の仕事に就きました。このころジョン・メイナード・ケインズの講義を受講していたことがわかっています。

その後彼の関心はアメリカへと移り、結婚をした後に移住。大学で経済学・統計学の非常勤講師の職に就きました。

1939年にはファシズムの起源を分析した 『経済人の終わり』 を発表すると、大変な評判を呼び、イギリス首相のチャーチルまでもが激賞しました。政治学、社会学の研究で認められるようになると、産業界からの研究の依頼もくるようになります。これが「マネジメント」の高祖としての始まりとなりました。

1943年にゼネラル・モーターズ(GM)社の経営方針と組織構造を研究をはじめ、1945年に『会社という概念』という著作にまとめます。この本はフォード社の改革でも役立てられました。ゼネラル・エレクトリック(GE)社も1950年、ドラッカーをコンサルタントとして迎えますが、ここでは組織原理の分権化を提唱します。

1950年代以降、彼の名声はますます高まるのです。ニューヨーク大学大学院経営学部教授に就任し、「現代の世界革命は、ほかならぬ“アメリカ製”である」の一文で始まる『新しい社会と新しい経営』を刊行しました。その後、60年代にかけての「マネジメント・ブーム」を巻き起こす『現代の経営』を発表し、「マネジメント」の発明者と呼ばれるようになりました。

さらに経営戦略を論じた世界初の書である『創造する経営者』、優れた分析力で未来を予測して書かれた『断絶の時代』、ソ連邦の崩壊を予告した『新しい現実』などを次々と世に出し、ビジネス界のみならず、社会の変化を見通す人物として広まるようになります。

2005年95歳で死去するまで、鋭い視線で世界を見つめ続けます。彼は死の直前に、今後の世界経済において「日本が最も苦労する国になるでしょう」と語りました。日本通であった彼は、日本の復活の期待を込めてそう残したのでした。

 

「マネジメント」を発明したドラッカーに関する7つの逸話

1:企業人だったことはない 
 

彼は、企業の組織のなかで働いていた経験はほとんどありません。証券会社や保険会社で短い期間、仕事をしただけです。組織のマネジメントに深く関わることはなかった彼ですが、外部の人間として企業を調査しているうちに、「マネジメント」を体系化したのでした。彼自身は自らを「社会生態学者」と称していました。「自分は『見る人間』だ」という自覚があったようです。

2:社会生態学者だった

「社会生態学」とはいったいどのような意味なのでしょう。「生態学」とは、ある事柄を観察し、変化を生み出す背景を分析し、本質を定義していく学問ですが、それを社会の変化をとらえることで応用しました。

社会の変化とともに組織を「マネジメント」し、時代に対応してゆくことを提唱したのです。社会は常に変化しますが、それが大きく時代の変化としてはっきりとわかるのは後になってのことです。ドラッカーは変化のなかから、次の時代がどのようになるか予兆を見出す力が突出していました。多くの著作でそれは証明されています。

3:1本の電話に救われた 

彼のマネジメント理論のもととなったのは、GM(ゼネラルモーターズ)の研究でした。このころ「企業経営の基本」を理論化するという着想を得てはいたものの、企業経験のないドラッカーは調査の対象となる企業が見つからずに困っていたました。そんなときに、『産業人の未来』に感銘を受けたGMの副会長から電話が入り、自社を研究対象にすることを認めてくれたのです。

その後1年半の間、当時としてはこの世界最強の企業組織を克明に調査し、『企業とは何か』を執筆しました。GMの調査はマネジメント理論に発展し、世界の経営哲学を大きく変えることになります。

4:発明した多数のキーワード

「マネジメント」の発明者として名高い人物ですが、多数の著作とともに、経営用語として一般的に知られている言葉をいくつも生み出しました。

「分権化」「民営化」「知識労働者」「コンサルティング」「企業の社会的責任」などは、経済を解説するうえで欠かせない言葉として使われています。そのことはドラッカーが社会の動向をいち早く見抜き、その事態が示す内容を、先取りして言葉にしていたことを示しています。

5:彼にもっとも影響を与えたのは妻だった

妻であるドリスのことを、彼は「わたしたちは才能も専門的な興味もまったく違うが、私にとってのお手本として、計り知れないほど重要な存在だった。」とインタビューで述べています。妻ドリスは実業家としての才能も発揮した、社交的で行動力のある女性でした。

6:ドラッカーを尊敬している企業家たち

多くの経営者、起業家に影響を与えたドラッカーですが、彼らはドラッカーの影響をどのように語っているでしょうか。ユニクロの柳井社長は、大ヒットしたフリースのことを「ドラッカーの言葉を信じ、それを追求したことで生まれた商品である。」と自著で述べています。GEの元CEOであるジャック・ウェルチはインタビューのなかで「ワクワクドキドキしてやっている事業以外は、すべて止めたらどうだろう」と言いました。

他にもP&Gの元CEOであるA・G・ラフリー、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊、パナソニック元社長中村邦夫、『ビジョナリー・カンパニー』の著者であるジム・コリンズ、 イギリスのサッチャー元首相など、枚挙に暇がありません。 

7:日本古美術コレクター

イギリスに移住したころ、ロンドンで開かれていた日本美術の展覧会を偶然見たことがきっかけとなり、彼は日本の美術、特に室町水墨画を愛しました。日本美術に関して、大学で教鞭を取ったこともありました。

彼は1959年に初来日し、その時に購入した水墨画が最初のコレクションとなります。海外で人気の高い江戸時代の浮世絵には、あまり関心がありませんでした。

ピーター・ドラッカーの代名詞

ドラッカーといえば、というより、「ビジネス書といえばこの本」というほど定番中の定番となっているのが本書です。ソフトカバーで手軽に手に取って読みはじめることができます。翻訳なので少し読みづらいところもでてきますが、慣れてしまうと名言として一度どこかで言ってみたくなるような節が多くでてきます。

著者
ピーター・F・ドラッカー
出版日
2001-12-14

「マネジメントとは、人と組織を活かして成果を上げることである」「マネジメントとは、生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげさせなくてはならない」など、タイトルから期待される内容はもちろん、マーケティングやイノベーションの意義も教えてくれるのです。

何らかの組織に所属して、役割を果たしている人であれば、この本を読み返すたびに、その時の課題を解決するヒントを発見できることでしょう。

働き方改革のすすめ!

この本は『マネジメント』に次いで人気のあるのではないでしょうか。ドラッカー自身が自らの著作から重要な部分を選択し、加筆・削除・修正して発表した本です。個人の生き方と働き方がテーマとなっています。どのように個人が成果をあげ組織に貢献し、自己実現を図っていくかについて詳しく述べています。

著者
P・F. ドラッカー
出版日

『マネジメント』がやや難解に感じた人でも、本書に書かれていることは、実際になんらかの職業につかれている人であれば、馴染みやすいのではないでしょうか。半期ごとに目標を設定し、その成果が賞与に反映される会社にお勤めならなおさらです。

「本当に知られるに値する事は人を素晴らしい人に変える」という一節が特に印象に残ります。「何によって知られたいか」と自分に問うことが目標設定になります。これは即、人事評価制度の目標設定に使える考え方です。

その実現への努力を通じて、「自分の強み」「仕事の仕方」「価値観」を磨き、自分の時間の使い方を管理し、フィードバック分析する、これら一連の流れをくり返すことが、成果をあげて成長できることだと理解しました。何かと戸惑うことの多い人事評価における目標設定の仕方と、成果をあげるための戦略が見えるかもしれません。

ドラッカーによる、至極のビジネス格言集

本書についてドラッカーは、まえがきに以下のようなメッセージを寄せています。

「本書『仕事の哲学』は、今の日本にとって、とくに意味があるはずである。二十一世紀初めの今日、日本で起こっているのは社会の転換である。その転換の中心にある流れが、大量生産システムを基盤とする社会から、個たる人間の責任、成果、生産性という、まさに本書のテーマとなっているものを基盤とする社会への移行である」(『仕事の哲学』より引用)

この本が世に出たのは2003年ですが、ドラッカーが、十数年たった今の日本がこの転換をうまく図れているかを評価するとしたら、なんと言うでしょう。

著者
P・F・ドラッカー
出版日
2003-08-01

約2000の名言とその解説が収録されていますが、気軽に読み進めることができます。ビジネスマンが行動規範として心得るべきことが満載されているので、どこからでも読みはじめられます。ぱらぱらとめくって、気に入ったフレーズだけを拾い読みしているうちにいつの間に完全読破することもできるでしょう。

お互いを尊敬しあった理想の夫婦

95歳でその生涯を閉じたドラッカー。最後まで夫を支えた妻のドリスは103歳で夫の死の9年後の2014年亡くなりました。

ドリスは、ユダヤ人として迫害から逃れイギリスにわたり、そこで大学のゼミで仲間だったドラッカーと再会し、結婚します。そして2人はアメリカに渡ることになるのですが、実行力のあるドリスがリードして進めたアメリカ移住でした。

生前のインタビューでは、「重要な決断はいつもドリスがしてきた」と語っていたそうです。ドリスとの出会いは彼自身だけではなく、その後に彼が残した数々の業績にも大きく貢献していることは間違いないでしょう。

著者
ドリス・ドラッカー
出版日
2011-03-30

本書は彼が妻のドリスに出会うまでのことが書かれています。日本でいえば明治時代の終わりごろに生まれた女性が、女性の社会進出のために奮闘して道を切り開いていったことが語られています。

そのパワフルで行動力のある姿は、学者然としているドラッカーとは対照的です。ドリスは若き日には医学や化学を志した、理系女子でもありました。

ピーター・ドラッカーという知的大陸の案内図

ドラッカーの著作をすべて翻訳してきた上田惇生による入門書です。

彼の経歴と、その背景となった社会の変遷に触れながら、主要な著作を解説しています。個人的にも懇意であったことから、ドラッカーの半生をともにしたともいえる著者ならではの入門書であることには間違いありません。

平易な文章で、ドラッカーという広大な知の大陸を俯瞰する地図の役割を果たしています。とりあえず一通り知っておきたいという方には最適な本です。

著者
上田 惇生
出版日
2006-09-23

書店では「ビジネス」「経済」「経営」などの分類に並べられているドラッカーですが、その思想の大枠は世界の文明の発展を見通すことであり、歴史の意思を哲学的に思考していることがよく解説されている本であるといえます。これまでドラッカーを読んできた読者には認識を改めたり、理解を深めたりする機会が提供されることでしょう。

いかがでしたでしょうか。ドラッカーが書き残したものはまだまだ、当分の間、私たちの人生の大部分を占める仕事について、多くの示唆を与え続けるでしょう。仕事のヒントであるだけでなく、世界史を考える、文明を考えるというふうに視野を広げても、それに応える懐の深い教えが満載です。ぜひ読んで見聞を広めていただければ幸いです。

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