5分で分かるナチス!ヒトラーがなぜドイツを支配できたのか解説

更新:2021.11.30

21世紀の今、経済がグローバル化たことにより人の流動性が高まり、人種や宗教による対立が再び問題化してきています。かつてナチスが過激な人種主義により大きな災いをもたらしたことを再考する必要があるのではないでしょうか。それに役立つ4冊を紹介します。

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ナチスとは。概要を簡単に解説

「ナチス」とは国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの通称です。1933年1月に政権を奪取してから、第二次世界大戦で敗北し崩壊する1945年までの間、ドイツを戦争に導き、人種主義によるユダヤ人の迫害を強行しました。

ナチスの母体は1919年1月5日ミュンヘンで結成されたドイツ労働者党です。反ユダヤ主義と、労働者および中産階級の救済を目的としていました。

1919年9月にヒトラーが入党します。彼は演説がうまく、しだいに支持を拡大させていきました。1920年2月には、25ヶ条からなる党綱領(二十五ヶ条綱領)を公布し、このころから党名を国民社会主義ドイツ労働者党と改称しました。

ヒトラーはその後党首となりましたが、1923年に企てた反乱が失敗し、投獄されます。一時党勢は弱体化しますが、短期間で彼が釈放されて復帰すると、再建され急拡大。1925年の得票数はわずか2万7000人だったのが、その後群小右翼団体を吸収して膨張、1929年には17万6000人、1931年に80万6000人、1933年に390万人に膨れあがります。

1930年9月の総選挙でナチスは得票率18%を獲得し、第2党になります。それに続く1932年7月の総選挙では 37%を得て第1党に躍進。ヒトラーは軍部や財界との関係を強くしていきました。

その結果、1933年にはついに政権を奪取することに成功、ナチス・ドイツを誕生させたのです。

ナチスの指導者となったアドルフ・ヒトラーとは

アドルフ・ヒトラーはオーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として1889年に誕生しました。両親を早くに失い、ウィーンで画家になろうとしましたが、叶いませんでした。オーストリア・ハンガリー帝国内の民族闘争に関わるうちに、政治的な野心が芽生えていきます。

1913年の春に、ウィーンからドイツのミュンヘンに移住します。このころにはドイツ民族至上主義者となり、国際主義的なマルクス主義を憎み、ユダヤ人を目の敵にするようになりました。

第一次世界大戦が始まると母国のオーストリア軍には入らず、ドイツ軍に志願して入隊します。軍隊生活は彼に適したものであり、一級鉄十字章を授かるような功績をあげ、軍隊内の戦友愛や規律、団結の精神が人生の規範となるべきだと考えるようになりました。 

1919年9月、ナチスの母体となるドイツ労働者党に入党します。当時から演説を得意とし、聞くものを虜にする才能を発揮しました。宣伝活動を主導し、党勢力の拡張に貢献、そして1921年7月に党首の地位を得ます。

1923年11月8日から9日にかけて、「ミュンヘン一揆」と呼ばれるクーデターを起こすものの失敗し、1924年12月まで投獄されます。その間、彼は自らの主張を書物にまとめることに着手。後に『我が闘争』というタイトルとなり、1925年に1巻が出版されました。この本の中で、東ヨーロッパを征服して生存圏を東方に大拡張するプランが明らかにされています。

ヒトラー率いるナチスは1930年9月の総選挙に大勝して第二党に躍進、1932年春の大統領選に立候補し、ヒンデンブルクに敗れはしたもの得票率で33%となり、無視できない存在であることを示しました。

同年7月の総選挙で第一党となり支配勢力各層の有力者が彼を支持するようになったので、1933年1月、ヒトラーはついにヒンデンブルグから首相に任命されました。

すぐに議会で全権委任法を成立させ、独裁制の樹立に成功します。翌年はヒンデンブルクの死とともに大統領を兼ね、総統と称するようなり、生涯その地位に居続けました。

彼は和戦両様を使い分け、巧みな外交を展開し、第一次世界大戦におけるベルサイユ条約を無効化。ドイツが失った領土を回復するとともに、並行して再軍備を進め、強いドイツの復活に国民は狂喜しました。

しかし各国の譲歩は長くは続かず、1939年のポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。ヨーロッパのほとんどを占領しましたが、連合国からの反攻が始まると急速に戦況が悪化します。

1945年4月30日、ベルリンを包囲され、陥落直前に自殺。ナチス・ドイツは崩壊しました。戦後ドイツは東西に分割され、再統一されるまでに40年以上かかっています。

ドイツでナチスが支持された理由

第一次世界大戦に敗北したドイツにとって、その講和条約は屈辱的なものでした。領土は縮小され、植民地は戦勝国のものになり、軍備は制限されました。なにより莫大な賠償金が課せられ、国内経済は破綻状態になり、国民の生活は長期に渡り混乱したのです。1929年に起こった世界恐慌も、さらにその状況を悪化させました。

ナチスはドイツ民族の優秀さを説き、失っていた自信と誇りを取り戻すための政策は、政府に不満を持つ中産階級を取り込んでいきます。

具体的にはベルサイユ条約の破棄、植民地の再配分、ユダヤ人の排斥を唱え、当時の国際秩序に挑戦し、他民族を攻撃する手法を取りました。表面的には社会主義政策をかかげて、国民生活の安定を約束します。こうして選挙のたびに票を伸ばしていきました。

しかし支持したのは、民衆だけではありません。ナチスとともに、政府への不満を吸収していたのは共産党も同じでした。共産党の台頭を恐れた資本家や軍部はナチスを支援することに傾き、それもナチスの急速な勢力拡大に寄与する形となりました。

ナチスのユダヤ人迫害

ヒトラーは首相になると、従来から主張していたユダヤ人の排斥の実行に着手します。ゲルマン民族は優秀な民族でユダヤ民族は劣っているという極端な民族主義で、ユダヤ人という理由だけで、ドイツ社会から強制的に排除しようとしました。

ヨーロッパには伝統的に反ユダヤの感情があり、ドイツ国内が一致してナチスを支持させるために利用したのです。同時に、ユダヤ財閥が所有する多額の資産を没収する狙いもありました。

初期においては、ユダヤ人を集めて拘留するための強制収容所を建設します。ナチスと対立する政治思想の人たちも対象とされました。1933年から1945年にかけて、ナチスが建設した収容所の数はおよそ2万にものぼり、強制的に収容されたユダヤ人の数は数百万人に達しました。 

1938年11月、「水晶の夜」と呼ばれる大規模なユダヤ人迫害が起こります。ドイツ各地でユダヤ人の居住する住宅や店舗が次々と襲われました。ユダヤ人住民が殺害されたり、強制収容所に送られる異常な事件でした。

これ以降ユダヤ人の強制収容は厳しくなり、ドイツが統治する領土全体でその活動が展開されます。

1939年9月にドイツはポーランドに侵攻、第二次世界大戦がはじまりました。ナチスは占領したポーランドに絶滅収容所を作り、占領地帯のユダヤ人を集めて送り込むようになります。ポーランドはユダヤ人の人口が多く、効率的に「最終的解決」を進めていきました。

「最終的解決」とは、ユダヤ人を絶滅させることです。 絶滅収容所は大量殺戮を効率的におこなうために建設されました。アウシュビッツ収容所の一部として作られたビルケナウ絶滅収容所のガス室では、毎日6000人ものユダヤ人が殺されたといわれています。

ドイツがポーランドから撤退するまでの数年間で、絶滅収容所では300万人以上のユダヤ人が殺害されたそう。人類の歴史上でも前例のないこの大規模な虐殺を「ホロコースト」といいます。生き延びた人はごくわずかでした。

 

ホロコーストについて詳しく知りたい方はコチラ
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4822
 

ナチスの最期

1944年、アメリカ・アイゼンハウアー総司令官を中心とする連合軍が、総力を結集して反攻作戦を開始しました。フランスのノルマンディーにて史上最大規模の上陸作戦を決行し、8月までにパリがドイツの支配から解放されます。

連合国にノルマンディー上陸を許したという知らせはドイツ軍幹部に衝撃を与え、クーデターによりヒトラーを排除する計画が実行されます。しかしこれは失敗に終わり、彼に反対する者は粛清されました。

この事件はヒトラーの独裁政権をより強固なものとし、本土決戦によるドイツ国内の破壊は避けられないものとなりました。

その後もヨーロッパの西から米英軍は進撃を続け、翌年の1945年3月にはライン川に到達します。一方で東側では、ポーランドのドイツ軍もソ連によって追い払われ、バルカン諸国も次々と解放。さらに東方からドイツ本土に進入し、ベルリンを目指して進撃を続けます。

1945年2月、クリミア半島のヤルタで米英ソの首脳がナチス敗戦後のドイツの処理について会談し、分割占領、非軍事化、非ナチ化、戦犯裁判などを合意しました。しかし、ヒトラーはあくまで戦争継続を主張し、3月にはあらゆる軍事施設などの破壊を命じる焦土作戦の決行を命じます。 

4月になるとソ連軍がベルリンに迫り、1945年4月30日、ソ連軍の包囲網のなかヒトラーは地下壕で拳銃自殺。側近たちにも自殺者が相次ぎ、ナチスの指導層が崩壊します。

5月、東西から連合軍に包囲されたベルリンは陥落。ドイツは連合軍に対して無条件降伏し、ナチス政権は完全に終焉しました。

 

ヒトラーについて詳しく知りたい方はコチラ
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1646
 

ナチスに関する歴史をよく知るための本

歴史的なヨーロッパの強国であり、文化的にも発展を遂げてきたドイツが、なぜひとりの独裁者を中心とした狂信的な政治グループに支配されたのでしょうか。

概要を知っただけでは理解できない出来事が多く、より真実に近づきたい人のために、参考になる本4冊をご紹介します。

わかりやすい最新の入門書

本書は、ナチスがいかにして一党独裁を実現し、ヒトラーがドイツを戦争に導いたかということと、ユダヤ人を迫害しホロコーストをどのように進めたのかという2つをテーマに書かれています。

ヒトラーを選んだのは国民で、彼は民主主義のルールにもとづいて政権を奪取し独裁者となったといわれていますが、本書はほかにもさまざまな事情があったことを明らかにしています。

選挙の結果など、客観的な事実を用いて平易に説明しているので、歴史に詳しくない読者にもわかりやすい内容となっており、入門書としても適しているでしょう。

著者
石田 勇治
出版日
2015-06-18

ユダヤ人の迫害がエスカレートして、国家が大量虐殺を指導していった様子を詳しく解説するとともに、人種以外の理由でも弱者を作り出し、安楽死させていた事実にも言及しています。

他者の排除をおこなうその理由を突き詰めると、現代にも通底する背景が見えてきます。どんなに民主的な政府と、理性的な国民だったとしても、人間の心のすきをつかれ偶然が重なれば、ナチスのような政治体制が生まれる可能性があることがわかるでしょう。

この悲劇的な歴史に目を背けることなく、歴史から学ぶことを厭わない人にはぜひおすすめしたい一冊です。

ナチスが戦争により成し遂げたかったこと

彼らはどのような目的を掲げて、国民を戦争に導いていったのでしょうか。

ナチスは開戦から1年たらずでイギリスを除く西ヨーロッパのほぼ全体を支配し、その後はイギリスの征服と、ソ連への侵攻を企てていました。

近代史においては、領土の拡大、資源と市場を求め国家が対立、勝敗が決すれば講和をするというのが戦争でした。しかし従来とはまったく異なるイデオロギーに支配されていたナチスは、そのような考えをもっていません。

彼らは戦争の目的を領土や資源ではなく、民族を殲滅することにしていたということを、イデオロギーがどのように実践されたかを詳しく追及することで実証しています。

著者
リチャード・ベッセル
出版日
2015-09-24

ナチスの人種主義はユダヤ人の迫害だけでなく、他の劣った民族の殲滅であり、それはドイツ人であっても能力が欠如していれば生存を許さなかったというくらい徹底していました。

ヒトラーは戦争が必要な表向きの理由を、ドイツ人のような優秀な民族がヨーロッパを統治し、ソ連のある東方の地域を植民地として経営することとして国民に示します。第一次世界大戦の敗戦により貶められたドイツの復讐、戦争に大義があるのは当然です。

しかし裏でおこなわれた経済運営はすべて対外戦争のためであり、軍拡で喜んだ軍人と資本家たちもナチスの恐ろしい野望の本心を知ることありませんでした。戦争が進んでそれに気づいてから反対してみても、排除されるだけでした。

戦争終結期になると、劣った民族が滅びることが必然であれば、戦争に負けたドイツは破滅するしかなく、降伏するのではなく滅びるまで戦うという狂信者のみが軍を指導していた、という恐ろしい事実を本書は語っています。

ナチスのイデオロギーの実践がどのような惨劇を生んだのかを知るためには、本書を丹念に読むことで事足りるでしょう。

最後に、タイトルを『ナチスの戦争1918-1949』とした著者の意図はどのようなものでしょうか。彼によれば、ドイツ民族の最大の悲劇は、終戦を迎えた1945年では終わりませんでした。その理由を知ることこそ、この本の価値であるといえるでしょう。

創造者としてのナチスドイツの思想がわかる本

ナチスはドイツ民族の優秀者を誇示するために、さまざまな先進的な取り組みをします。そのなかには、現在では文化として一般的に根付いたものもあります。国民の生活改善のために、大胆な改革を断行したこともナチスが支持された理由でした。

ヒトラーの演説だけで国民が熱狂したのではなく、本書に収録されている工業製品から社会インフラにたるまでの、広い範囲での「発明」も、国民の支持を得るひとつの理由だったのです。

著者
武田 知弘
出版日
2011-09-20

本書では、工業製品であるジェット機、テープレコーダー、テレビ電話のようなものから、少子化対策、所得税の源泉徴収、扶養者控除、がん撲滅運動、8時間労働制のような社会政策、さらには国威発揚のためのオリンピックの開催や聖火ランナーなどを列挙しています。

科学技術を戦争に利用した悪魔の発明のようなものも一部ありますが、多くは国民生活の発展に寄与するもので、今では多くの国でその利益を得ているものもあるのです。

他民族には冷酷な仕打ちをしてきたナチス政権でしたが、自国民には手厚い福祉、社会保障を推進していたという意外な事実は、世界史に関する見聞を広め一読に値します。

ナチスからみる政権の問題点

本書を書店で手に取ると、帯にある「自民党が狙う緊急事態条項の正体!」という文字が目に飛び込んできます。

本書が企画された背景には、自民党が憲法改正にあたり「緊急事態条項」を設けることを計画していることがあります。これに酷似しているのが、ワイマール憲法の「大統領緊急措置権」です。

「ナチスの手口」において「大統領緊急措置権」をどうのように利用したのかをあらためて検証し、それは現代の日本においても危険なものになるのかについて、憲法学者とドイツ史研究家が討議します。

著者
["長谷部 恭男", "石田 勇治"]
出版日
2017-08-19

ヒトラー政権がドイツ国民の熱望により誕生したという言説が誤解であることを説きながら、少数内閣であったナチスが、議会制を破壊することで強引に全権委任法を成立させた過程を振り返ります。

この全権委任法は、ナチスの政府がワイマール憲法を停止し、議会を経由せずに無制限に立法権を行使できることを認めており、これによりナチスの独裁が可能になったのです。ワイマール憲法に代わり、彼らがすべての法律を支配しました。

憲法の定め以上に重要なのは、議会制民主主義が機能しているかを常に国民がチェックすることです。それは選挙であり、選挙を通じて国民が政治に関心を持つことで、独裁は防げることを本書は示唆しています。

各国での「緊急事態条項」は 厳格な運用プロセスが定められており、ここでも立憲主義の堅持が前提であることが国民に十分浸透していることが述べられています。つまり国家権力の強化だけに使われることがないよう、国民が監視できるのです。

この点において日本がどのような状態であるか問うことを、本書は求めています。「緊急事態条項」の制定を企図する政権の問題点を整理し、あらためて立憲主義と議会制民主主義が危機にさらされていること認識すべきだと警鐘を鳴らします。

日本の将来を憂い、未来に何らかの貢献をすることを望むのであれば、この本は大いに参考になる内容です。

ナチスとヒトラーに関する歴史的検証は、ドイツそのものが破滅し戦後は東西に分割されていたため、いまだに謎を残したままです。今後はさらに研究が進み、歴史の闇が晴れることが期待されます。たくさんの教訓がこれからも発掘され、それを知り現代に生かすことこそが、戦禍に斃れていった多くの人々の弔いになるはずです。冷酷で悲惨な事実も多いナチス関連の本ですが、風化させてはいけない記憶であることも忘れてはいけません。

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