- 著者
- 中村 明日美子
- 出版日
- 2010-06-09
中村明日美子は、神奈川県出身の漫画家であり、2000年の大学生時代に『月刊漫画F』のエロティックスマンガ賞で佳作を受賞後、数々の作品を輩出している人物です。
2010年と2012年に第1巻、第2巻が発売されている『ウツボラ』。誰か分からない死体から物語は始まり、死んだと思われた女性のそっくりさんの登場や、作家の突然死など、謎だらけのサスペンスとなっています。この記事では、『ウツボラ』のあらすじや登場する謎の考察について書いていきたいと思います。
中村明日美子のおすすめ作品を紹介した<中村明日美子の世界観に浸るおすすめ作品4冊。『同級生』だけじゃない!>の記事もおすすめです。
ある女性がビルから飛び降りて死んでしまいました。彼女は上半身が見る影もないほどに壊れてしまい、身分が分かるものも身に着けていなかったためどこの誰かも分かりません。
唯一の手掛かりが彼女のものと思われる携帯電話です。履歴は2件のみ、本作の主人公である作家の溝呂木舜(みぞろぎしゅん)と、三木桜(みきさくら)の名前がありました。一体死んだのは誰なのか、飛び降りた女性であるとされる藤野朱(ふじのあき)と同じ容姿をしている桜はいったい何者なのか?そして「ウツボラ」とは……。謎が謎を呼ぶサスペンスとなっています。
非常に謎が溢れている本作ですが、まずはどのように物語が展開されているのか時系列順に整理してみたいと思います。
第1巻第1話の表紙をめくると、女性がビルから飛び降りる描写が目に飛び込んできます。それが本作の最大の謎である女性の死です。
飛び降りて亡くなった女性の携帯電話の履歴をもとに呼ばれたのが溝呂木舜と三木桜。死体は破損が激しく誰なのか見当がつくものではありませんでしたが、同じく携帯電話から彼女が藤野朱なる人物である可能性が浮上します。溝呂木も過去に作家のパーティーで朱とは面識があり、朱という人間の存在を認めるひとりということになります。
そこへ同じく呼ばれた三木と顔を合わせることになるのですが、溝呂木が知っている朱と、三木という女性はまったく同じ顔をしていたのです。朱の双子の妹であると説明する三木に何かを感じた溝呂木は彼女を呼び止め連絡先を交換したのでした。
そして、物語の中で初めて「ウツボラ」という単語が登場します。溝呂木は本作のタイトルと同名の作品を連載していたのです。
第2話では溝呂木と古くからの付き合いがあり、同じ作家でもある矢田部(やたべ)が登場します。相撲鑑賞に誘われた溝呂木は矢田部から相撲話の合間に、「ウツボラ」に対する高評価の旨や、以前のパーティーで会った女性のことについて尋ねます。
その裏では、溝呂木の家に居候している姪のコヨミ(こよみ)と、溝呂木の担当編集である辻真琴(つじまこと)が接触していました。面識はあるようで、辻はコヨミについて溝呂木のことやコヨミ自身のことを尋ねました。
溝呂木の携帯に警察から連絡が入ります。その内容は、三木桜という人物はそもそも存在しないという信じがたいものでした。三木桜の存在が証明出来ないという事は、そもそも飛び降りた女性が朱であるという証明も難しくなります。顔がわからない死体の存在を朱と繋げている存在が溝呂木だけになってしまいました。
第3話では、今度は三木から溝呂木に連絡が入り、ふたりは再会することになります。朱の家であるとされるマンションに入室したふたりでしたが、三木が席を外している間に、溝呂木は何かを探し始めます。それを見た三木が原稿用紙を手にしながら溝呂木に問いかけました。
「先生は姉の作品を盗作なさっていたのでしょう?」(『ウツボラ』1巻より引用)
きっかけは、たまたま矢田部に連れられて編集部へと足を運んだことでした。辻と初めて顔を合わせた日に、机の上に封筒がいくつも積み重なっていることに気が付きました。それが新人賞に応募された小説であることを知った溝呂木はそのうちのひとつを無断で持ち帰ってしまったのです。
第4話では、「ウツボラ」の原稿を辻に渡した溝呂木は再び警察に呼び出されます。警察は、飛び降りた女性の持っていた携帯電話の契約主が秋山富士子(あきやまふじこ)という女子大生であったことと、三木桜と藤野朱は同一人物なのではないかという可能性を語り、飛び降りた女性の謎について溝呂木に意見を求めます。
そんな謎に包まれた事件に関わってしまった溝呂木のことなど何も知らないコヨミでしたが、第5話では秘かに思いを寄せている溝呂木の様子がおかしいことや、突然の電話に対して姿を消してしまうことに一喜一憂を重ねるのです。
第2巻第7話冒頭では溝呂木の小説を読む女性と、本棚に並んでいた本の表紙から適当にもじって、三木桜と名乗る女性の会話シーンが描かれています。
晩御飯を作ったコヨミでしたが、溝呂木が帰ってこないことを知り、辻と矢田部を家に招きます。そこで矢田部から、辻に対して「ウツボラ」は誰が書いているんだという質問が投げかけられました。矢田部は辻が書いているのではないかと疑っていたようですが、溝呂木が誰かの作品を盗作しているのではないかという思惑は二人の中で徐々に確信へと変わりつつありました。
第9話となり、辻は藤野朱を名乗る女性と会っていました。朱は「ウツボラ」が自分の作品であることや次回作を持っていることを話し始めます。そんななかで、朱は辻に対して誘惑を始め、次のシーンでは二人はベッドで体を重ねていました。
しかし、朱は去り際に、「先生は、辻さんがなさったようなことはなさいません」と言い捨てていきました。何を言っているのか理解できなかった辻でしたが、ベッドのシーツについた血痕を見て、彼女が言っていたことを悟ります。
第10話では、溝呂木は矢田部と酒を交わしていました。昔話を懐かしみながら語る矢田部でしたが、溝呂木に対して「ウツボラ」はつまらないと断言したのです。
朱からもらった原稿と溝呂木から送られた原稿を確認し、作品の盗作を確信した辻は、編集部に事実を伝えます。しかし、その答えは辻の望んだものではなく、作品のことを考えるのであれば、無名作家として公表するよりこのまま、溝呂木の作品として押し通すべきだというものでした。それを聞いた辻は、やりきれない思いを胸に、溝呂木の家を訪ねます。そこで逃れきれない証拠でもある藤野朱の名が書かれた「ウツボラ」の原稿を見つけ出します。
第11話になり、辻に盗作である事実がばれてしまったことを知った溝呂木は、その場から逃げ出そうとしましたが辻に捕らえられます。辻の口からは盗作に対する言及ではなく、自分が憧れていた作家の落ちぶれに対する怒りが溢れました。
さらに辻は盗作の事実を黙っている代わりにコヨミを1日貸すように要求し、溝呂木は不承不承ながら了承しました。しかし、コヨミと会った辻はただ彼女を抱きしめることしかできず、その後行方不明となってしまいます。
第12話では溝呂木と朱を名乗る女性がビルの屋上で再会します。「ウツボラ」を書いたのが自分であると明かす朱に対して溝呂木は、ボツにしようと提案しました。
そんな溝呂木の発言に取り乱した朱は手すりの上に立ち上がり、いつでも飛び降りられる姿勢を保ちます。それを見た溝呂木は慌てて発言を取り消し、続きを書くことを彼女に約束するのですが、朱はビルを飛び降りてしまったのです。
第13話は溝呂木が「ウツボラ」であろう原稿を必死に書く姿から始まり、警察が施していた対策のおかげで、朱は一面を取り留めたことが明らかになります。
看護師の目を盗んで病院か抜け出した朱は溝呂木の家に向かいます。そこには「ウツボラ」を書き上げた彼の姿がありました。
翌朝、溝呂木は矢田部宛の手紙を手に朱と共に海へ向かいます。付き合いたてのカップルのようにはしゃぐふたりでしたが、朱が手紙をポストに投函しに行っている間に、溝呂木は海の方へと歩き出します。そして、その翌日に溝呂木の死体があがったのです
エピローグでは藤野朱と編集部の人間が「ウツボラ」の出版について話すシーンが描かれています。そして、溝呂木の墓石を前にコヨミと矢田部が再会するシーンも描かれており、溝呂木が死んだ理由やコヨミの気持ちをお互いに語り合います。
最後には墓場を去るコヨミとすれ違う、朱かと思われる女性が登場するのですが、彼女のおなかは大きく膨れている描写をあとに物語は終わりを告げます。
それでは次に物語の重要な点について確認していきましょう。
まず秋山富士子というのは、溝呂木の熱烈的なファンです。自分の名前をもじり藤野朱名義で大量のファンレターを送ってします。
図書館で秋山富士子と「三木桜」を名乗るOLは出会います。
秋山富士子は藤野朱名義で新人賞に応募しました。それと同時に三木桜は秋山富士子が書いた原稿を藤野朱名義で出版社へ送ります。
結果的に出版社に届いた藤野朱名義のふたつの「ウツボラ」は、ひとつは辻が隠し、もうひとつは溝呂木が盗みました。
溝呂木が盗作し読み切りとして発表したことで、 秋山富士子と三木桜は、お互いに原稿を別々に出版社に送ってしまった事実を知ります。
その後、三木桜は藤野朱を名乗り出版社のパーティーへ潜り込みました。それをきっかけに三木桜は溝呂木と関係を持ちます。
秋山富士子は三木桜に似せて整形を受けました。そして、同じ容姿になった彼女たちのどちらかが、ビルの上から飛び降りました。 これが第1話で女性が飛び降りるまでの流れです。
第12話では、屋上から飛び降りようとする三木桜に対して溝呂木が「君がウツボラを書いたんだね?」という問いに対して「そうです」と答える描写がありました。
熱烈的な溝呂木のファンであった秋山富士子が書いたという意味であり、この三木桜は秋山富士子であり、飛び降りた女性がOLであることを示しています。
しかし、第13話では自殺に失敗した三木桜に対して溝呂木は 「僕はウツボラの作者には一度きりしか会っていない、そうだね?」と問いかけ、その問いに対して泣き出す彼女の姿があります。これが三木桜にとって肯定を示しているのであれば、この三木桜はOLであり、飛び降りた女性が秋山富士子だという事になってしまうのです。
最大の謎である飛び降りた女性の謎と、物語の矛盾については下記で考察していきたいと思います。
物語の最大の謎であり、すべてを握るキーポイントでもある死んだ女についてですが、結論から言えば、秋山富士子であると言える伏線がいくつか隠れています。その中でも個人的に決定的だと感じたのが、12話で病室にいる三木桜に、秋山富士子が好物だったとされるショートケーキを警察官が差し入れるシーンです。
何でもないようなシーンですが、そもそもこの描写の必要性はどこにあるのでしょうか?この後、三木桜は病室を抜け出すのですが、それなら警察官が顔を出し、三木桜が飛び降りた後の溝呂木の行方は不明である事実だけを告げればいいのに、わざわざケーキを差し入れする描写を挿入することには、意味があると感じます。
そこで鍵となるのが、第1話で三木桜と溝呂木が一緒にお茶をするシーンです。三木桜が注文していたのはチーズケーキでした。つまり、三木桜は秋山富士子ではないことが予想されます。このことからも飛び降りた女の正体は秋山富士子である可能性は高いでしょう。
第2巻の最後で、身籠っている三木桜の描写がありますが、お腹の子供は溝呂木の子ではないかと思われます。辻と三木が関係を持ったのが9月のことであり、三木がビルから飛び降りたのが翌年4月のことです。そして、矢田部のあと三月で溝呂木の1周忌だという発言からも、三木の飛び降りから約9か月程度経っていることが分かります。
消去法ではありますが、大前提として辻もしくは溝呂木の子供だと考えると、溝呂木の子供ではないかという結論になるでしょう。
それぞれの女というのはOLと秋山富士子についてです。
まず、秋山の目的についてですが、これはとても明確であり、溝呂木に愛されることです。彼の熱烈的なファンであった彼女は溝呂木に対して恋愛感情を持っていました。しかし、それが無理であることを悟り、自ら命を絶つことで、溝呂木の作品になることを彼女は望みました。
一方、OLの目的については、描写が少ないうえに途切れ途切れで把握できなかった人も多いかと思いますが、秋山富士子の幸せです。OLは秋山に対して愛情を抱いており、当初は溝呂木のことをあまりよく思っていませんでしたが、秋山が自殺してしまったことにより、「ウツボラ」を溝呂木の手によって書き上げることこそが、彼女の生を捨ててまでの望みであることを悟ります。つまり、秋山の幸せを願い、溝呂木に作品を書かせることがOLを目的であったと考えられます。
第1巻の表紙を捲ると、上記のようなメッセージが並びます。この中に出てくる「世界のさかいめ」というのは一体何を表しているのでしょうか?
まず、このセリフは誰のものなのか、についてですが、飛び降りた女性である秋山富士子のセリフなのではないでしょうか。そして、あっちとこっちというのは生と死を対比にしているのではないかと考えられます。
飛び降りる彼女は生と死は表裏一体であり、生きているからこそ死ぬものであり、死ぬからこそ生きているという事を意識します。そして同時に、生きている自分は溝呂木との恋が実らない、自分が死ねば溝呂木の作品の一部として彼から愛してもらえる、そのように考え始めました。
つまり、「世界のさかいめ」というのは、生死のことなのではないか考えられるのです。
物語では一切誰も触れることのない大きな謎の一つが作品タイトルの意味です。ウツボラとはそもそも何なのか?何が由来になっているのか?こちらに関しても作者から言及がないため明確な回答は存在しませんが、空洞のことをウツボラという事から、キャラクターたちの「からっぽ」な特徴を強調しているという説がひとつ。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
一方で、ストーリー構成が似た作品である手塚治虫の「ばるぼら」への敬意や作者の思うところからタイトルを似せているのではないかという考えもあります。からっぽというよりは、虚ろなキャラクターたちととらえる方が自然ですので、「うつろ」と「ばるぼら」から『ウツボラ』というタイトルになっているのではないかという説です。
その真相はわかりませんが、あなたが感じたものからこちらも考察してみるもいいかもしれません。すべてに意味がありそうで、ついつい深く考えてしまうという魅力がタイトルにまで仕掛けてあるというのもすごいですね。
- 著者
- 中村 明日美子
- 出版日
- 2012-05-17
中村明日美子といえばBL漫画に代表作が多いことで知られている作家ですが、本作は彼女の多才さを実感できる名作です。
時系列の入れ替えと要所要所を隠したことで複雑になっていくミステリー要素と、鬱漫画とも言える不穏な空気、人間の恐ろしさを感じさせる描写は、その完成度の高さで多くの人を虜にしました。
作品としては知名度は低いかもしれませんが、自信を持ってミステリー鬱漫画としての名作と言えます。この記事をきっかけに興味を持っていただければ幸いです。自分の目で考察する価値ある作品だと思います。
霧の中を歩くような心許なさ、真実の周囲をなぞるような展開に、どんどんハマってしまうこと間違いなしです。
おすすめのサイコホラー作品を集めた<人間の心理が怖いサイコホラー漫画おすすめランキングベスト21!>の記事もおすすめです。気になる方はぜひご覧ください。
この記事ではストーリーや考察についてご紹介していきました。物語の中ではあまり重要度が高くないため、記事ではあまり紹介しなかったキャラクターの一人に溝呂木の姪のコヨミという女性がいるのですが、彼女の心情についても興味深い点がいくつか描かれていますので、そちらについてもぜひチェックしながら作品を読んでみることをおすすめします。