ミステリー作家である東野圭吾が、30周年を記念して書いた作品。作者は、自分でも「とんでもないものを書いている」と口にしているように、本作はとても奥が深いテーマを扱っています。脳死……それは果たして、「死」なのでしょうか。これは脳死を巡る、ある親子の物語です。本作は2018年11月に映画化も公開予定。こちらも気になるところです。 この記事では、そんな本作のあらすじから結末まで詳しく解説。ぜひ、最後までご覧ください。
本作のテーマ。それは、脳死です。
中心人物の瑞穂は、6歳の少女でした。彼女はある日プールに遊びに行き、排水溝から指が抜けなくなって溺れてしまいます。その後、病院に運ばれましたが、長い間呼吸をしなかった影響で意識が戻ることはありませんでした。
医師は脳死と判断するために、母・薫子と、父・和昌に臓器提供の意思確認をします。2人は、1度は臓器提供に同意しようとしたのですが、脳死テストをおこなう瞬間に瑞穂の手が動いたと感じ、娘はまだ生きているから提供はしないと断るのでした。
結局、瑞穂は人工呼吸器をつけられながら、植物人間状態のまま、薫子の介護を受けながら生き続けていくことに。世の中からみれば、彼女はもはや死体なのかもしれません。しかし薫子たちは、心臓は動いているし立派に生きていると考えています。
この部分が、この『人魚の眠る家』の重要なテーマだと考えられるでしょう。
物語を読み進めていくと、共感できる部分、そして、どこか違和感を感じる部分が巧みに入り混じっており、まるで読者にこの作品をどう考えるかを迫ってきているようです。
最後まで読んだ時、あなたには、どんな考えが浮かぶでしょうか。
- 著者
- 東野 圭吾
- 出版日
- 2015-11-18
そんな本作の見所を、出版当時の広告からもご紹介します。
執筆中、ふいに気づきました。自分は今、とんでもない話を書いていると。
こんなものを自分が書いていいのか?今も悩み続けています。東野圭吾
(「幻冬舎広告」より引用)
「答えてください。娘を殺したのは、私でしょうか」
(「幻冬舎広告」より引用)
「この世には狂ってでも守らないといけないものがある」
(「幻冬舎広告」より引用)
作者自身の振り返りもそうですが、上記のキャッチコピーもかなり衝撃的ですよね、特にこのコピーは、物語において重要な言葉となります。これだけでも、本作を読みたくなってしまうのではないでしょうか。
また本作は、2018年11月に映画が公開予定。篠原涼子、西島秀俊、坂口健太郎、川栄李奈など、人気俳優が多く出演します。本作の世界観が映像でどのように表現されるのか、こちらも楽しみなところです。
作者はなぜ、本作に関して「自分が書いていいのか」と言ったのでしょうか。それは、この作品が、答えのない人の倫理観に問いかけている点にあると考察することができます。つまり、人の命をテーマとして扱っているからです。
彼の問いに対する正解はありません。命というものに関しては、人それぞれ捉え方がまったく違うからです。何が正解かは、誰にもわからない問題なのではないでしょうか。本作で扱う脳死のケースは、特に正解のわからないものであるといえるでしょう。
ミステリー作品を本業とする彼が扱うテーマとしては、確かに大きすぎるものであるのかもしれません。
それだけ、ある意味、読者を混乱させることになるかもしれないですし、批判をされる可能性もあったのでしょう。ですが「人の死」は、誰しもに共通する、避けられない未来。いつかは待ち受けるものなのです。
これだけ自分のことのように考えられるという作品は、なかなか他にはないのではないでしょうか。
『人魚が眠る家』に登場する人物をご紹介させていただきます。
『人魚の眠る家』でメインに扱われているテーマが、脳死です。脳死とは言葉のとおり、脳が機能しなくなること。そうなると脳死と判断され、臓器提供に同意した人は、提供ができる心臓、腎臓、肝臓などが取り出され、必要としている患者のもとに届けられるのです。
脳死と判断されても、そのときは心臓も動いていますし、他の臓器も機能しているため、周りから見ると眠っているだけのように見えます。脳死と判断されるにはテストを実施する必要があり、2回目のテストをおこなった時点で死亡と判断されると、それが死亡時刻になるのです。
人それぞれですが、小さな子どもの場合、ほとんど脳死の状態となっても、それから数年も臓器が動き続け、生きている状態もあるようです。瑞穂の場合も、その状態で何年も生き続けます。
ですが2回目のテストをおこなって脳死と判断されれば、そこで死亡が確定。臓器提供する者は臓器を摘出し、しない者はすぐにお通夜や葬儀となり、死体として扱われることとなるのです。
多くの国では、脳死は死だと認められており、たとえ心臓が動いていたとしても治療は打ち切られます。しかし日本の場合は、延命治療を受けることが可能なのです。
この場合、身内が死か、それとも死でないかを選択できるということになります。これは、実際に体験した方にしかわからない、とても大きな問題でしょう。大抵の親であれば、目の前にまだ心臓が動いている我が子がいたとすれば、なんとしてでも生かしてやりたいと考えるのではないでしょうか。
また、いつかは目を覚ましてくれると、奇跡を信じるかもしれません。脳死と言われて「はい」と納得できる日本人は、まだまだ少ないのではないでしょうか。
瑞穂は薫子の介護を受けながら、自分の家で暮らしていきます。もちろん、意識はありません。もはや動くことができない美しい少女が、家の中で眠ったまま生活しているのです。
人魚が陸上では動けないように、プールの事故の影響で、車椅子に座ったまま動けない少女。そんな彼女がいる家は、タイトル通り、まさに「人魚の眠る家」なのでしょう。
外で人にあっても彼女は珍しがられ、薫子の「死と認めない」という考えは、とうてい理解されるものではありませんでした。夫の和昌も、妹の美晴も、和昌の父も、しだいに彼女のことを理解できなくなってしまいます。
そして瑞穂と薫子は、しだいに孤立していくのです……。
娘は生きていると信じている薫子。そんな彼女に、星野は横隔膜ペースメーカーというものを教えます。これを手術で埋め込むことによって、瑞穂は人工呼吸器なしでも呼吸ができるようになるのです。
これによって、意識の回復が見込めるということはありません。しかし、娘のためを思い、薫子は手術を受けさせることに決めたのでした。
さらに瑞穂には、星野の協力のもとで、いろいろな機械が取り付けられていきます。それによって電気信号を送ると、筋肉に電流が流れ、まるで自分の意思で動いてるかのように、手足を動かして運動させることができるのです。
そうして運動をしているうちに、彼女はどんどん成長し、肌のツヤもよくなり、顔色もよくなっていきました。瑞穂が目を覚ますその日に向けて、薫子は娘のためにこれらをおこなっていったのです。
一読者である私たちには、彼女の気持ちは到底理解できないものかもしれません。しかし、実際に彼女と同じ立場であったらどうでしょうか。いつか目を覚ますことを信じて、その時に向けてベストな状態にしてあげる。そうした行動を、自分たちも取ってしまうかもしれません。
現実に目を背け続けている彼女の姿は痛々しくもありますが、一方で共感してしまう部分もあるはず。そういったことを考えながら読むと、非常に胸が締め付けられてしまうことでしょう。
ほぼ脳死と判断された人間が、機械によってどんどん健康になる。それは、普通では考えられないことです。しかし、ここで2つの考えが薫子の前に立ちはだかります。
1つは瑞穂の心臓は動いており、また彼女自身もどんどん成長しているため、きちんと生きているという考え方。そして、もう1つが、体がどれだけ生命活動をしていようとも、脳が機能していない以上そこに彼女自身の意思はないため、死んでいるという考え方です。
薫子はもちろん前者ですが、世間や周りはほとんど後者でした。しだいに彼女の行動は、周りから気味悪がられていくことになります。
そしてある日、事件は起こります。薫子は狂ったように、瑞穂のことを殺そうとするのです。
今ここで我が子を殺したとすれば、それは殺人罪に問われるのか、と。もし娘が生きていると認められていれば、瑞穂を殺害した場合に彼女は殺人罪で捕まり、刑に服すこととなります。
彼女は、瑞穂が生きていると認められることができればそれが本望であり、喜んで刑に服すと言うのでした。彼女は、日本国に問いかけたのです。もし瑞穂が死体として扱われているのなら、彼女を殺した場合、それは殺人罪として立件できるかどうかわかりません。
薫子は自分の人生をかけて、この問いを投げかけたのでした。
果たして、2人の運命はどうなってしまうのでしょうか。そして、薫子が出した決断とは……。続きが気になる方は、ぜひ本を手に取ってみてください。そして、その切なすぎるラストを見届けてください。
最後に、本作の名言をご紹介させていただきます。
- 著者
- 東野 圭吾
- 出版日
- 2015-11-18
「この世には狂ってでも守らなきゃいけないものがある。
そして子どものために狂えるのは母親だけなの」
(『人魚の眠る家』より引用)
薫子のセリフです。お腹を痛めて産んだ我が子のために捧げる、母の深い深い愛情が感じられる言葉となっています。父親では到底達することができない世界。母親はいつも子どものことを考えているのでしょう。
「この大切な命をくれた子は、深い愛情と薔薇の香りに包まれ、
きっと幸せだったに違いない」
(『人魚の眠る家』より引用)
宗吾のセリフです。彼は、無事に命を繋ぎ止めることができました。人は死んでも、その人の想いは消えないと感じさせるようなセリフですね。