本作は、筋ジストロフィーという病を背負ったある1人の男性の生きざまを追った、ノンフィクション小説です。その姿から、生への貪欲さや自由に生きることの素晴らしさを伝えてくれます。 この記事では、2018年12月に映画化が決定している本作のあらすじや見所まで解説。ぜひ最後までご覧ください。
本作は、難病である筋ジストロフィーにかかった鹿野靖明の生きざまと、それに携わった介護ボランティアの方を描いたノンフィクション小説です。内容はすべて、事実をもとに描かれています。
鹿野靖明は生まれつき筋ジストロフィーという難病に犯されてしまい、介護生活を余儀なくされました。この病にかかった患者は、2つの選択肢のなかで生きなければなりません。
それは、一生親の介護を受けながら生活するか、一生を障害者施設で過ごすこと。そうしなければ、生きていくことができないのです。
しかし鹿野は、そのどちらの道も選ぶことはありませんでした。彼は第3の道にチャレンジしたのです。
- 著者
- 渡辺 一史
- 出版日
- 2013-07-10
それは「自立」の道。
自立といっても筋ジストロフィーになった患者は、絶対的に介護を必要とするため、1人で生きていくということではありません。1人で生きる道を作っていく、という意味での自立です。
そのため彼は、自分自身で介護をおこなってくれるボランティアを募集。24時間介護を必要とする病ですから、ボランテイアの数も1人や2人ではまったく足りません。述べ数百人単位でボランティアの方と関わりました。
『こんな夜更けにバナナかよ』は、ボランティアの方が記録していた介助ノートをもとに、当時の介護の様子や、他のボランティアのメッセージ、当事者の感情をそのまま載せながら物語が描かれています。
怒り、悲しみ、恋、失恋、友情、愛情などといった、ありとあらゆる感情が、この小説に含まれているのです。
本作を読んでいると、まるで鹿野が身近にいるように感じ、彼の言動に感化されて一緒に悲しくなったりと、読者の感情が揺さぶられます。それくらい彼のありのままが描かれており、1人の人間の生きざまがしっかりと伝わってくるのです。
本作は2018年12月28日に、映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』が全国で公開予定。大泉洋、三浦春馬、高畑充希などの名だたる俳優陣が出演しています。大泉は役作りのために体重を10キロも落とし、鹿野役を務めました。こちらも合わせて、ご覧になってみてはいかがでしょうか。
作者である渡辺一史は、名古屋生まれ、大阪育ち。北海道大学在学中に、キャンパス雑誌の編集と出会い、以来、北海道を拠点としたフリーのライターとして活動しています。
本作で講談社ノンフィクション賞を受賞し、大宅壮一ノンフィクション賞も受賞している注目のノンフィクション作家です。その他、2冊目の『北の無人駅から』でも林白言文学賞、サントリー学芸賞など、数々の賞を受賞しました。
- 著者
- 渡辺 一史
- 出版日
- 2011-11-01
自立の道を選んだ鹿野の生き方は、時に自分自身の思いを貫きとおそうとするがあまり勝手な振る舞いにも感じられ、渡辺は内心複雑な思いを感じながら執筆に取り組んだのだそう。
この状況をどのように本に書いたらよいのか戸惑いながらも、最終的には障害者と介護者の感動話として仕上げるのではなく、その先を伝えるために、ありのままを書いて本作が完成しました。その結果生まれた綺麗事なしの内容が、読んだ人から「泣ける」という感想をもらうことに繋がったのです。
筋ジストロフィーとは、骨格筋の懐死・再生を主病変とする遺伝性筋疾患の総称。簡単にいうと、筋肉が動かなくなってきて、徐々に運動機能が低下してしまう病気です。足が動かなくなり、手が動かなくなり、自分で自分自身の体を自由に動かせなくなってしまいます。
それだけならまだしも、この病気の難しいところは内臓の筋肉も徐々に低下していってしまうというところ。呼吸ができなくなったり、食べ物が食べられなくなってしまうのです。
言葉も話せなくなってしまい、最終的には延命治療に頼らなければ生きていけなくなります。
- 著者
- ピーター・ハーパー
- 出版日
この病気に、完治はありません。徐々に低下していく筋肉の動きを受け入れていくしかないのです。鹿野も歯を食いしばりながら、自分の現実をなんとか受け入れて生きていました。しかし、それでも「死」という不安は、ずっと隣にい続けます。
健康な人でも、死を意識することはあると思いますが、それよりもずっと身近に、まるで自分の影かのように死を感じ続けてしまうのが、筋ジストロフィーという病なのです。
鹿野もずっと、その不安と戦いながら懸命に生きていました。
本作の主人公である彼は、いったいどんな人物だったのでしょうか。
1959年、札幌市内に生まれました。生まれつき筋ジストロフィーであった彼は、15歳まで国立療養所八雲病院に入院しています。
通常子どもは保育園や幼稚園、小学校で他人と関わりありながら、遊び、学び、そして時にはケンカをしながら社会で生きていく術を学んでいきます。こんなことをしたら誰かが喜ぶ、こんなことをしてはいけないといったような、他人の心を勉強していくのです。
しかし彼には、そんな心を学べるチャンスがありませんでした。ずっと入院していたからです。そのためか、とてつもなくわがままに育ってしまいます。ボランティアの方にも、すべて自分自身のためにやってくれているにも関わらず、「帰れ」とか「辞めろ」といったような言葉を平気で吐いてしまうのでした。
そんな彼のわがままに耐えられずに辞めていったボランティアの方は、数多く存在します。しかし、だからこそ常に本音でぶつかる彼は人間くささがあり、生きることに対して、とても貪欲。そんな姿に魅力を感じたボランテイアの方が、これまた数多くいるのも事実です。
嫌われてしかいない存在であれば、『こんな夜更けにバナナかよ』のような小説は成立するはずもなく、誰も彼を知ることもなかったでしょう。みんなに愛されていたからこそ、ボランティアだけで成り立つ生活を実現させることができたのです。
そして彼は、1987年には結婚もしています。相手はボランティアに通っていた方で、障害を乗り越えての結婚でした。しかし残念なことに、5年という期間をもって離婚にいたってしまいます。お子さんはいなかったようです。
障害があっても、全力で生きる。そんな彼の勇姿に、感銘を受けた方は多いのではないでしょうか。
本作に登場する主人公以外の人物を、簡単にご紹介させていただきます。
他にもさまざまな、個性豊かなボランティアの方が存在します。
本作のタイトルの由来は、深夜に鹿野が「バナナを食べたい」と言い出したことに対して、学生ボランティアである国吉が耐えきれずに怒りを交えて、「こんな夜更けにバナナかよ」と思ったこと。
このように、鹿野に遠慮はありません。深夜であろうとなんだろうと、容赦なくあれをしろ、これをしろと注文してきます。
- 著者
- 渡辺 一史
- 出版日
障害者であることに対して卑屈にならず、支えられて当然とする態度が逆に潔く、いつしか怒りがボランティアの方からなくなってしまうようなのです。ボランティアの方も、彼のたくましさや強さを大いに学びながら、お互いがお互いを支え合って生きていきます。
そのため彼との出会いで考え方が変わり、進むべき道を見つけたボランティアの方は多く、後に彼に感謝をしている人が多々存在するのです。
自分の命を削りながら、みんなに愛と勇気を与えていた彼は、その恋の行方も含めて、その後どうなったのでしょうか。
彼の晩年を描いたということで、その結末はもちろん涙無くしては読めないもの。しかし、ただ悲しいだけではなく、人と支え合って生きる素晴らしさ、障害があっても自分の意思を貫く難しさと大切さが感じられる最後となっています。
具体的な結末が気になる方は、ぜひ本編でご覧ください。