【第14回】ヘソとニューヨークとわたし
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【第14回】ヘソとニューヨークとわたし

更新:2020.12.1 作成:2018.10.6

ニューヨークにいる。どうしても何か逃げたくなって、春にニューヨークに一ヶ月いく予定を立てた。莫大にお金がかかるし、ノートパソコンも持っていないから仕事もまともにできないし、友達もいないのに、頭の悪い映画の主人公みたいに唐突にニューヨークに来てしまった。

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アーティスト
チョーヒカル
1993年東京生まれ。ボディペイントアーティスト。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、日本国内だけでなく海外でも話題に。多数のメディア出演に加え、SamsungやAmnesty International、資生堂など企業とのコラボレーション、国内外での個展など多岐にわたって活動。ペイントの他にも衣服のデザイン、イラスト、立体、映像作品などの制作もおこなう。著書に『SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』がある。
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キラキラしたニューヨークから浮き立っていた

キラキラしたニューヨークから浮き立っていた

見慣れない街並みはゴミがそこかしこにあって汚くて、でもびっくりするほど綺麗だ。海を渡ったからといって何か奇跡が起こるわけもなく、いつも通り人と目を合わせないまま街を歩いて、よくわからないアートなんかを眺め、家に帰って倒れるように眠っている。

そんな中でびっくりしたのが女の子たちの服装だ。なんともフリーダムなのだ。まず、ブラが弱い。弱いというか、支える気がないブラばかり。つけてさえいない人も多い。ブラ紐が見えてもまったく構わないし、ショートパンツは、もう下着では?ってくらい短い。ヨガパンツとかいう、レギンスみたいなぴったりしたズボンを履いてる人も多くて、お尻が360度丸わかりだったりする。お腹がでていたってヘソ出しを着て、むちむちでも二の腕を出して、谷間も惜しまない。

でもちっともみっともなくないのだ。ただ自分たちが生きやすい服を選んで着ている、そんな感じがかっこいい。かたや私は紺色の長袖長ズボンで、キラキラした真夏のニューヨークから染みみたいに浮き立っていた。

そもそも日本での私の服装は「土色」が基本だ。黄色やピンクの明るくはっきりした色は「目立ちすぎる」気がして着ることができず、土やコンクリートに沈み込んでいきそうなカーキ色やグレーの服ばかりが押入れに詰まっている。もしくは黒。とりあえずの黒。完璧な肌でモデル体型じゃないと肌を出してはいけない気がして、長袖長ズボンばかり。どうせ誰もこちらを気にしていないなんて言葉は何度も聞いた。脳内ではしっかり理解できている。だけど、頭の中にいるもう一人の性格の悪い私が「お前そんな顔なのに、そんな体型なのに、そんな服着るの?」と聞いてくるのだ。

次の朝、起きて服の入ったトランクを開ける。長袖長ズボンの奥に、昔ドイツで買ったおへその出る薄手のシャツがあった。海外に浮かれて買ったはいいものの、縦筋すら入ってないはんぺんみたいなお腹を出す勇気がどうしても出ず、見事にタンスの肥やしにしていたシャツだ。時々調子に乗って着てみては、家を出る前にどうしようもない気持ちになって着替えてしまい、日の目を見ないかわいそうなヘソ出しシャツ。これ、ニューヨークで着なかったら一生着ないな。そんな言い訳を思いついた。

柔らかい袖に腕を通すと、すこし伸びた生地が体にぴたっと貼りつく。鳩尾をすこし下回るくらいの丈で、おへそは見事に丸出しである。ぷよぷよのはんぺんがあられもなく晒されている。鏡とにらめっこする。普段ならここで「アカーン!私にこの服は許されていない!!!」とシャツを脱ぎ捨てるところなのだが、なんだか悪くない気がした。ふにゃふにゃで筋肉ゼロで、でもやわらかそうで可愛いお腹な気がした。

いいじゃない。いいや。この街では、誰も私のことを知らないし。着古したジーンズとすこしヒールのある靴を履いて、ヘソと私は街に出た。

夏のニューヨークは暑い。びっくりするほど眩しい。太陽が出不精の白いお腹に跳ね返ってチリチリした。ホテルの警備員が「hey beautiful!」と挨拶をしてくれた。おもわずにやける。私、いけてるのでは?と思えてきて、心なしか姿勢が良くなった。ヒールの底をカツカツならしながら、まるでニューヨークで生まれ育ったようなつもりで前を向いて歩いた。25年間の人生の中で一番いい女っぽい瞬間だったと思う。

そう思ったのも束の間、窓ガラスに反射した自分の姿が自分の中の理想とはほど遠くてすこし心が揺らぐ。やっぱり私にはまだ早かったか?ジムに通ってからの方がよかったんじゃないか?後悔の暗雲が立ち込め出した頭をブンブン振って、「うるせー!どうせだれも私のこと知らないのだからどうでもいい!!」と奮い立たせる。一歩一歩あるくたびに、ヘソ出しシャツが体に馴染んでくる感じがした。自然になっていく。自分の体をそのまま受け入れるというのは気持ちがいい。露出された肌に当たる太陽が、その部分を肯定してくれている感じがする。

私たちって誰のために服を着ているんだろう。誰のために服を選んでいるんだろう。私はずっと、自分じゃない誰かのためだけに服を選んでいたような気がした。「これが私に似合う服」と言い聞かせて、ちっとも自分のことを考えずに服を着ていた。

私がヘソ出しを日本で着られなかったのは、文化の違いだけじゃない。日本がどう、アメリカがどう以前に、私たちは日々自分に勝手な決まりを作って生きているのだ。自分がどんな人間かを探す途中で、知らず知らず「自分はこれをやってはいけない」と決めつけてしまっていることが沢山ある。同じ環境や人々と過ごす中でそれはより強固になって、いつのまにか絶対的なルールになっている。だけどそれらは、数百キロ離れた土地に来るだけで溶けてなくなってしまうような、どうでもいいことなのだ。

海外に住むのってパラレルワールドにいるみたい。少しだけ違う世界で人生をやり直しているような感じがする。すべての過去がなくなって、まっさらなただの人間として今までできなかったことを試すことができる。地下鉄の乗り方もわからない街で、おへそ丸出しで、私はものすごく自由だった。人間は意外とやろうと思えばなんでもできるし、適当なものなのだな。

あまりにヘソ出しに慣れていなかったようで、その後二日間お腹を壊し続けた。

勝手なルールや決めつけを捨てたくなる2冊

生理ちゃん

2018年06月11日
小山 健
KADOKAWA

生理という、男性からも女性からも「触れづらい」トピックをポップに、且つ忠実に描ききっている。何とも憎めない「生理ちゃん」といろんな女の子のお話。男性が一体どうやってこれだけの情報を集めたのか、どうやって生理中の女性の心境をここまで描き切れたのが、ゴーストライターすら疑いそうになる一冊。

著者
浅生 鴨
出版日
2018-09-05

「迷子でいいのだ」の帯で既に掴まれてしまう。浅生さんの人柄ならではの可笑しく不思議な経験を、無駄なくリズミカルな文章で綴ったエッセイ集。一瞬一瞬を楽しんでいけば、事実は小説より奇なり。読んでいるうちに「次の道をあえて間違えてみようかな」なんて、迷子になってみたくなる一冊です。