16年間続いた連載が、作者・西原理恵子の「卒母」を以て終了した『毎日かあさん』には、西原の紆余曲折する人生と子育てのよろこびが如実に描かれています。世のお母さんを伝統や慣習の呪縛から解き放つ奔放かあさんの名言を全巻分、見てみましょう。
『毎日かあさん』は2002年10月から、毎日新聞朝刊に週1回ペースで連載されていました。作者・西原理恵子の実生活をもとに西原自身の思想・哲学とギャグがふんだんに織り込まれた漫画です。
単行本は全14巻。第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2005年には手塚治虫文化賞(短編部門)、第40回日本漫画家協会賞を受賞。
基本的に1回1話1ページで構成されていて、毎回フルカラー。母と子と取り巻く者たちやできごとを描き、それらを通して2人の子供たちの成長と母=西原の奮闘振りがギャグに昇華されています。主婦業、子育て、親戚とのつき合い、子供と子供の友達付き合いや学校生活……どの家庭にもある話題・問題が取り上げられているため、読者に興味や親近感を湧かせます。
気楽に読めてほのぼのとしているけれど、時に真面目で時に辛辣、そして泣けてしまう。まるで人生を折々に切り取って1ページずつに仕立てたような、ぼんやり読んで笑うもよし、深く読み込んで考えるもよしの自由な漫画です。
2人の子供のうち、娘ぴよ美が16歳で反抗期を迎えたのを機に、西原が「卒母」を決意。「かあさん」ではなくなったので連載が終了しました。息子ガンジが4歳、娘ぴよ美が2歳で連載がはじまり、終了時はガンジは20歳、ぴよ美は18歳。2人ともすっかりお兄さん、お姉さんになりました。
作品とともに年令を重ねてきた兄妹を、自分も親のような気持ちで作中に見ていた読者もきっと多いでしょう。2017年6月で読者も卒親することになりました。
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
- 2004-03-17
西原理恵子は1964年に高知県高知市浦戸に生まれ、17歳までそこで育ちました。高校を退学になった後、大検を経て予備校に通ったのち、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に入学。
在学中にアルバイトをしながら成人誌でカット描きをして、それが編集者の目にとまったことから1988年、「週刊ヤングサンデー」で『ちくろ幼稚園』の連載を開始します。これがデビュー作です。
西原が描くものは作風から2系統に大別されます。「無頼派」作品と「叙情派」作品です。
「無頼派」作品には『まあじゃんほうろうき』や『鳥頭紀行』シリーズ、『できるかな』シリーズなどがあります。西原自身が実際に体験したものごとが描かれるもので、身を削るというか、人生を切り売りするというか、迫力と緊迫感、それ故の笑いが醸し出される作品群です。
『まあじゃんほうろうき』などギャンブルに関する作品を多く描く時期があり、その影響か数年の間ギャンブルに熱中して、5000万円の損失を出したことがあります。この経験がのちに『この世でいちばん大事な「カネ」の話』などのエッセイにつながっていくのです。
また、『鳥頭紀行』の取材で同行したカメラマン鴨志田穣と結婚し、一男一女を設けます。これが『毎日かあさん』に登場するガンジとぴよ美です。鴨志田のアルコール依存症とそのためのDVが原因で離婚してしまいますが、その後再び同居をはじめ、西原は腎がんを患っていた鴨志田の最期を看取ります。
このような波瀾万丈の人生をもとに「無頼派」作品が生まれ出た一方で、それに西原の感性と技術が加わって紡ぎ出される「叙情派」の作品もあります。『ぼくんち』、『いけちゃんとぼく』、『パーマネント野ばら』など、主に創作ですが、舞台は西原自身の故郷である高知県高知市浦戸周辺をモデルとした土地であることが多いです。
「叙情派」の主人公となるのは少女や子供。彼女らが厳しい世の中を健気に生き抜こうとする姿は力強くもあり、もの悲しくもあります。この叙情性に心惹かれる人は決して少なくないようで、先にタイトルを挙げた「叙情派」作品はいずれも映画化されています。
『毎日かあさん』の連載を終えた西原は、今後は子育てを終えた女性の第2の人生、その悩みやしあわせを描きたいと述べました。本作完結後も、パワフルな作品が生み出されていくでしょう。
西原理恵子のおすすめ書籍を紹介した<西原理恵子のおすすめ書籍5選!文章で読む、名言や子育てについて書かれた本>、漫画やエッセイを紹介した<西原理恵子に学ぶおすすめ漫画・エッセイ5作品!>の記事もおすすめです。
六畳間より大きい部屋に住んだ事ない人は、
六畳間以上の部屋をつくってはいけません。
(『毎日かあさん』1巻カニ母編から引用)
『毎日かあさん』第1巻カニ母編「かっこようて」から、かあさんから「これから家を建てる方へアドバイス」です。
かあさん(西原)が過ごした青春時代はいわゆるバブルの頃。当時の建築の流行りはフローリングの床にコンクリート打ちっぱなしの壁、間接照明。これをかっこいいと感じて、自宅を建てるときにリビングをそのようにしてしまったかあさん。建てた新居で生活をはじめて2年経ってもリビングは未使用のままです。
リビングにいないでどこで一家が生活しているかと言えば、新居には一室しかない畳の間。育った環境は人に根付いて、簡単には変わらないよう。畳の間で育った人は畳の間でしか、狭い部屋でしか過ごしたことがない人は狭い部屋でしか生きていけないのです。
そこで第1巻の名言です。自分の家を建てるときは、生涯使用するものなのですから、それまでの人生で慣れたかたちにしておいた方が無難ですよ、というアドバイスですね。
少なすぎるものも不便ですが、足りすぎるのもまた不便だということです。これと似たことが、第1巻後半「ぷーちゃんぴーちゃん」には次のような名言となって登場しています。
しあわせも人形も自分の手に持てる範囲で。
(『毎日かあさん』1巻カニ母編から引用)
2つの手で持てる人形は2つだけ。2つの手で3つの人形は持てません。しあわせも同様だとここでは言っています。自分の身に合った数の人形を持ちましょう。自分の身に合ったしあわせを得ましょう。
そして、自分の身に合った家を建てましょう。そうすれば足りないことも持て余すこともないでしょう。
毎日かあさん2 お入学編
2005年03月26日
人生は女の方が絶対たのしい。
(『毎日かあさん』第2巻お入学編から引用)
『毎日かあさん』第2巻お入学編「祝福」から、かあさんのモノローグによる名言です。かあさんはたびたび、男よりも女の人生の方がしあわせが多い、ということを言います。ここでもそうです。それは女が女であるが故に経験する苦労と結びついています。
女は子を産み、育てます。子育ては予期せぬ難事がたくさん。子供は突然に熱を出したり、よく分からない理由でむずかったり。思うようにはいきません。そしてそれは親の都合など決して意に介することがないのです。
それでも母は子の世話をして、その上で家事をしたり、外に働きに行ったりしなければなりません。保育園に子供を預けるだけでも大わらわです。朝やっとのことで保育園に送っていき、夕に迎えに行くのも日中の仕事の都合をつけて、夜の家事との都合もつけて、ようやくのことです。
でも、そんな苦労は女にしかできないのだと、かあさんは言います。だから人生は女の方が絶対楽しいと。
子供のことでする苦労は女のしあわせだということでしょう。かあさんの「女の哲学」の一つです。
私らぐらいになるとねえ
このぐらいの赤ん坊の泣き声は 鈴の音みたいに聞こえるよ
へえ
年をとるのもわるくないもんだ。
(『毎日かあさん』3巻背脂編から引用)
『毎日かあさん』第3巻背脂編「んぎゃー。がばっ」から、パブロフおばさんの一人の台詞と、それを聞いたかあさんの台詞です。
「パブロフおばさん」というのは、どこの子であろうと赤ん坊の声が聞こえると「行かねば!」と「条件反射」で考えてしまう子育て経験者たちのことです。かあさんはある日、自分もそうなっていることに気づきます。
赤ん坊の声に誘われて行ってみると、案の定かあさん以外にもパブロフおばさんがたくさん。その中の一人、もう「おばさん」と言うより「おばあさん」の人が言ったのが「私らぐらいになると……」というこの名言です。
赤ん坊の声なんて鈴の音だ、というおばあさん。それを聞いて、かあさんは「年を取るのも悪くない」と思うのです。苦労の経験が苦労を苦労でなくすることもあるのだ、という先達からの人生訓です。
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
- 2006-04-27
毎日かあさん4 出戻り編
2007年07月20日
どこのバカかと思えば必ずウチのバカ。
(『毎日かあさん』4巻出戻り編から引用)
『毎日かあさん』第4巻出戻り編「むぎちゃん5整列!」から、息子を持つ母の思考を端的に表す名言です。
『毎日かあさん』にはたびたび、というよりほぼ常に「男子はバカである」という言及がされます。男の子はじっとしていなくて常に何かをしていて、その大抵が「おバカ行動」だというのです。
「むぎちゃん5整列!」という話では「むぎちゃん」という5人の息子を持つ母友と河原に遊びに行ったかあさん。何をしでかすか分からない男子を大勢連れて、楽しいことも危険なこともいっぱいの河原に行くなんて、ほぼ苦行のようなものですが、このときかあさんと同行したのは「男子プロ母」たち。少々のことには動じません。
河原の向こう岸で全裸になる男子がいても驚きはしませんが、「うちの息子に違いない」という危機感を母たちは持ちます。名言にあるように「どこのバカだ」と思うバカがいたらそれは大抵「うちのバカ」なのです。
しかしながら「バカとハサミは使いよう」なので、バカの操縦法はあります。男子母たちは男子を育てるうちにそれを身につけて「男子プロ母」になっていくのですね。
だからこのマイナス2万+17ってのは2万円借りたのに
17円しか返さない人間としてクズの式でっ
わかった 答えは「人としてダメ」だねっ
(『毎日かあさん』5巻黒潮家族編から引用)
『毎日かあさん』第5巻黒潮家族編「子供の質問」から、算数を教えるかあさんと教わる息子ガンジの会話です。
かあさんの小学生の子供たち2人、娘のぴよ美は質問の内容が大人びてきて、息子のガンジの質問も難しくなってきました。今日の質問は算数から「マイナスってなに?」。かあさんは即答します。「借金」!
そしてこんな名言を口にするのです。マイナス2万は2万円の借金。プラス17は返済額17円。借金で苦労してきたかあさんは怖ろしいまでに現実を直視した観点からそう述べます。だから「-20000+17」の答えは「人としてダメ」。ガンジはかあさん的には正しい答えを導き出しています。
人生哲学としてはきっと正しい。でも算数としては……。さらに別のときにガンジは言います。
お母さんのウソは仕事なの。半分に聞くの。
(『毎日かあさん』5巻黒潮家族編から引用)
算数はできないかもしれないけれど、この人間のできような何なのでしょうか。それを聞いて「もう教えることはないかも」と思うかあさんでした。
毎日かあさん 5 黒潮家族編
2008年12月13日
毎日かあさん 6 うろうろドサ編
2010年02月26日
人生 わかんなくなっちゃったら寝ちゃえ。
(『毎日かあさん』6巻うろうろドサ編から引用)
『毎日かあさん』第6巻うろうろドサ編「カンボジアにアンコール!/その3」から、かあさんが「意地寝」の傍らに洩らした名言です。
子供たちと一緒にカンボジアへ行ったかあさん。日が落ちたら星がとてもきれい。日本ではできない経験に子供たちもかあさんもドキドキです。しかし、かあさんたちが行った地域は電気が来ておらず、照明も発電機で点ける豆球だけです。
「まっくらで何すればいいの」と困る子供たちにかあさんは「意地寝」と答えて寝るのですが、そのときに洩らしたこの名言は、真理であるといえるのではないでしょうか。
困ったことが起きたとき、それがどうにもならないとき、ただ「どうしよう」と思っていても精神的な負担になるだけで、何も起きません。しんどいだけです。そんなときは寝てしまいましょう。寝れば精神的な疲れが癒えますし、寝ている間に事態には何かしら変化が起きるかもしれません。困るのはその変化を見てからでもいいのです。
イヤなことがあったり、困ったことがあったり、それでも自分では何もできなかったり、人生分かんなくなっちゃったら、かあさんが言うように寝てしまいましょう。
とりあえず人間は日に干されると大丈夫
(『毎日かあさん』7巻ぐるぐるマニ車編から引用)
『毎日かあさん』第7巻ぐるぐるマニ車編「とりあえず」から、かあさんの悟りの名言です。
何かに疲れてしまった息子ガンジ。朝になっても布団から出る様子がありません。学校はお休みにして、かあさんはガンジと散歩に出掛けます。かあさんはこのとき45歳。45年生きてきて思うけど、と言ったのが冒頭に挙げた名言です。
つらいことがあっても日に干されるといいのだ、とかあさんは言います。これも先ほどの名言と同じく、陽光を浴びてビタミンEを身体の中に増やすと、うつがいくらか改善されることが科学的に判明しており、理にかなったもの。冬場には「冬期うつ病」に罹患する人も少なくありませんが、これも冬は日照時間が短く日に当たる時間が少なくなるからだと言われています。
これを解消するために「日光を浴びてください」と医師も言います。なるたけ日中に起きて、日光を浴びる。これだけでも楽になることはあります。ちょっとしんどいな、と感じるときはゆっくりとひなたぼっこしてみるのもいいでしょう。
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
UFOも幽霊もどこにもいないのー
本当に怖いのは借金ーっ
(『毎日かあさん』8巻いがいが反抗期編から引用)
『毎日かあさん』第8巻いがいが反抗期編「イタリアから」から、取材旅行先のイタリアで日本に置いてきた息子ガンジと話すかあさんの台詞です。
ガンジはUFOや幽霊や妖怪などのオカルトが大好き。それなのに怖がりで、関連する本を読んでは寝る前に怖い思いをしています。かあさんがイタリアに取材に出掛けたこのときも、海を隔ててかあさんに泣きついてしまいます。
そのときかあさんがガンジに言い含めたのが本項の名言です。借金で苦労したかあさんは借金の怖ろしさを重々によく分かっています。借金の怖さに比べたらUFOや幽霊何するものぞ、です。
ガンジは第4巻でも「おフロ場に何かいるよ」と怖がっていますが、かあさんはやはりこう言っています。
いいこと、ユーレイも妖怪もちっとも怖くないのよ。
本当に怖いのはね、借金よ。
(『毎日かあさん』4巻出戻り編から引用)
かあさんは「これまで借金で苦労してきた」とすでに述べましたが、実を言うとこのとき土地を買って進行形で「35年ローン」しているのです。UFOや幽霊は存在しても人生にあまり影響がなさそうですが、借金があると確実に家計を圧迫します。借金は怖いです。みなさんも借金にはお気をつけください。
母の教えをしっかり守り 素直な心で反抗期
(『毎日かあさん』9巻育っちまった編から引用)
『毎日かあさん』第9巻育っちまった編「本当にすいません」からの名言です。
そろそろ反抗期の息子と娘。かあさんが言うことに従わないことも多々ありますが、その後すぐに謝ります。「ちょっとー おフロ洗って-」の声にも「ごめんなさい いやだー」、「いつもありがとう いやだー」。謝意を表しつつも拒否です。
これは子供たちが小さい頃から、かあさんがたびたびこう言って聞かせてきたからです。
ごめんなさいとありがとうはタダやから何回でも言うとけ。
(『毎日かあさん』9巻育っちまった編から引用)
この教えを守って素直にごめんなさいも有難うも言うけれど、言うことは聞きません。微笑ましい「素直な反抗期」です。名言としては語呂もよくて口にしやすく、親しみもありますね。
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
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- 西原 理恵子
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病気に負けたんじゃなくて、今までずっと頑張って闘ってきたんだから
えらかったね お疲れさまって言おうよ
(『毎日かあさん』10巻わんこギャル編から引用)
『毎日かあさん』第10巻わんこギャル編「死の夢」から、かあさんが亡くなった幼馴染みの娘さんに言った名言です。
幼馴染みは長く患った後の自死。娘さんは「やっぱり病気には勝てんのやねえ」と泣きます。かあさんもすでに鴨ちゃん(夫)を亡くした後です。「人は年に関係なく必ず病気になって必ず死ぬんだなあ」と思ったと話し、さらに娘さんに言ったのが本稿の名言です。
亡くなった人は力及ばず死んでしまったのではなく、やるだけのことをやった末に亡くなったのだ。そういうことでしょうか。
亡くなった人を惜しむ心は仕方がないのかもしれませんが、亡くなった本人の立場に立ってみれば、かあさんが言うように労ってあげるのが正解かもしれません。
お母さんどーしてもっと早く
起こしてくれたよね ありがとう
(『毎日かあさん』11巻息子国外逃亡編から引用)
『毎日かあさん』第11巻息子国外逃亡編「朝の展開」から、反抗期真っただ中の息子ガンジの名言です。
第9巻から引き続き反抗期のガンジ。朝、起こしても起きず、遅刻しそうになりながら、かあさんに怒鳴ります。でも、怒鳴った途端にかあさんがちゃんと起こしてくれたことに気付いて途中で路線変更。でも怒鳴り声のまま感謝を述べることになってしまいます。
イライラしがちな反抗期。ついつい親にも怒鳴ってしまいますが、大きな声をだすと後にひけなくなってしまうもの。けれども、ガンジはどうやら根がやさしい子。自分が間違っていることに気づくと修正はするし、かあさんが自分のためにしたことに気づけば「ありがとう」だって言います。
「怒鳴り感謝」という奇妙な語りは、反抗期ながら素直な気持ちを持った子供のおもしろみが出た名言です。
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
お兄ちゃんネタなくなって大変だろうけど
私がいろいろやらかすから大丈夫ー
(『毎日かあさん』12巻母娘つんつか編から引用)
『毎日かあさん』第12巻母娘つんつか編「私のネタ」から、娘ぴよ美の名言です。
つんつか反抗期のぴよ美ですが、かあさんのふとした呟きに大きく反応。『毎日かあさん』の連載は終わらないでほしいと言います。ガンジはこのとき海外に留学中。「お兄ちゃんネタがなくて……」というのはそのことです。
「私がいろいろやらかすから」と自分が「やらかす」体質である自覚があるぴよ美。期せずしてやらかしてしまい、そのたびにネタにされますが、そのほかにも自発的に『毎日かあさん』のためにネタを拾ってきてかあさんに提供します。
反抗期真っ最中で何かとかあさんに反抗しますが、ほんとうはかあさんもかあさんの作品も愛しているぴよ美の心が分かるエピソードです。
家なんてもっと汚くてよかった
洗たく物もためちゃえばよかった
食事なんか手作りすることなかった
(『毎日かあさん』13巻かしまし婆母娘編から引用)
『毎日かあさん』第13巻かしまし婆母娘編「思い出の夢」から、かあさんの後悔による名言です。
息子は高校生に、娘は中学生になった時、彼らがもっと小さい頃の夢を見ます。「かーしゃん、かーしゃん」とまとわりついてくる子供たちをあしらいながら、家事をするかあさん。そして夢から覚めて思うのです。「家事なんかしなきゃよかった」。
小さな子供たちはたびたび抱っこをせがんできました。かあさんは掃除や洗濯や食事の用意に追われて、抱っこしてやる時間もありませんでした。そのうち、抱っこなんてしたくてもできなくなるのに。
家が多少汚くても死にはしません。洗濯ものも少々たまったところでさほど困ることもありません。食事だってすべて手づくりじゃなくても、冷凍食品だって出来合いの惣菜だって、おいしいものはたくさんあります。何より、親が子供を抱っこできる時期は限られているのです。
それゆえ、かあさんは悔やみます。同時にこの名言は、これからお母さんになる人への「家事は多少疎かにしても大丈夫ですよ」、「その分、子供とたくさんふれ合ってください」という、かあさんからのメッセージでもありましょう。
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
なくしたのはウエストだけだったよ
(『毎日かあさん』14巻卒母編から引用)
『毎日かあさん』第14巻卒母編「おばさんになって」から、小さな頃の自分に向けてのかあさんのメッセージです。
つい先日まで娘さんだったかあさんも、2人の子供が手を離れようとしています。振り返ってみればいろいろなことがたくさんあって、気がつけば身体には脂身がたくさん。
でも、たくさん脂身がついたおかげで転んでも痛くなくて笑っていられます。それは身体についた脂身のことではなく、心や気持ちについた脂身です。いろいろあって散々転んだから脂身がついて、転んでもひっくり返ってもいつだって笑っていられます。
だから、若い頃に戻りたいかと聞かれても、まったくそうは思わないのだとかあさんは言います。おばさんになったら何でもしあわせに思えるのだと。
かあさんは、満たされて、しあわせなのです。何も不足はないのです。若々しい娘からおばさんになってしまったけれど、失ったのはウエストのくびれだけだったというのは、実に泰平。第3巻背脂編で取り上げた名言にもありますが、年を取るのも悪くありませんね。
そして本作もついに14巻にて最終回を迎えます。その集大成ともいえるエピソードは、シンプルながらも、心に響く言葉で締めくくられています。「かあさん」になることの楽しさと幸せが詰まった作品を、ぜひご覧ください。
- 著者
- 西原 理恵子
- 出版日
歩き出した子供はじっとしていることがなく、怒濤の子育ては十何年とかかるのに、案外あっという間です。西原理恵子の「母の時代」をぎゅっと詰めた『毎日かあさん』は母さんたちの、また、これから母さんになる人たちのバイブルとなり得る作品です。