【第三回】斜線堂有紀の『××にハマる徹夜本10選』【ノンフィクション編】

更新:2021.12.10

 今回はノンフィクションの徹夜本10選をお送りします。事実は小説より奇なり──というと、小説家である自分は少し悔しくなってしまうのですが、この驚くべき物語が自分達の生きているこの世界に実際にあったこと、というのはやはり面白いものです。これらの本は私達を楽しませてくれるだけでなく、今を生きる私達の可能性をも広げてくれるもののような気がしてならないのです。

ブックカルテ リンク

「食べる人類誌―火の発見からファーストフードの蔓延まで」フェリペ フェルナンデス=アルメスト

著者
["フェルナンデス=アルメスト,フェリペ", "Felipe Fernandez-Armesto", "勝子, 小田切"]
出版日

 食べ物という切り口から一気に人類の歴史をおさらいすることが出来る一冊。人間がどれだけ食べ物を軸に発展していったかが分かりやすく説明されているので面白い。食べるものが無ければ生きていけない、というシンプルな原則に則って人間は脈々と生き続けてきたのです。

 その無類の読みやすさもさることながら、思わず他の人間に話したくなるような食べ物に関するエピソードが沢山盛り込まれているのがこの本の特徴です。特に、貴族が客人をもてなす際に「あそこの家の料理は不味かった」と言われないように、予め前菜にマジックマッシュルームを混ぜ、客人を全員アッパーにして乗り切っていた話などは、当時の貴族の価値観と食事の重要性が窺い知れるエピソードで、誰かに教えたくなること間違いなしです。

「ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語」ヴィトルト・リプチンスキ

著者
["ヴィトルト リプチンスキ", "Witold Rybczynski", "春日井 晶子"]
出版日

 ねじの歴史は容易に辿ることが出来るのに、ねじ回しの歴史はそうはいかない。ねじには絶対にねじ回しが必要だが、ねじが出来る前にねじ回しが発明されることはない。一体この『ねじ回し』はどこから来たのか? ということを探るノンフィクション。この問い自体が魅力的なのですが、本書が優れているのはこの着眼点だと思います。歴史上目立つ活躍をした道具たちの影に隠れた、それでも絶対に必要な脇役達に目を向けさせてくれる、いわば発想の転換を与えてくれる本なのです。

 これが気に入った方には、是非ともヘンリー・ペトロスキーの「フォークの歯はなぜ四本になったか」を読んでください。更に道具というものに向ける目が変わったものになるかもしれません。

著者
["ヘンリー・ペトロスキー", "忠平 美幸"]
出版日

「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」サイモン・ウィンチェスター

著者
["サイモン ウィンチェスター", "Winchester,Simon", "主税, 鈴木"]
出版日

 世界最大にして最高の辞書であるオックスフォード英語大辞典(OED)の誕生秘話の物語。この辞書の編纂事業の中心人物・マレー博士には、手紙で用例を送ってくれる謎の協力者・マイナーがいた。実はこのマイナーは、心を病んで人を殺してしまい、今なお精神病院に収監されている『狂人』であったのだ……という、本当にあった辞書編纂ノンフィクションです。謎の協力者との小説のような交流だけでなく、辞書編纂という仕事の途方も無さもあますことなく描いているのが魅力。たとえばAnnounceという単語を辞書に載せる時は、沢山の書籍からAnnounceという単語が使われている例文を出来るだけ多く収集しなければならないのです。

 労力と時間を無限に要求してくるこの作業に何故か協力してくれるマイナーの心の内には一体何があるのか? という心に触れるミステリでもあります。なんとこの傑作ノンフィクションが昨年映画化されたので、本書に魅せられた方はそちらも楽しんでみるといいかもしれません。

「シークレット・レース: ツール・ド・フランスの知られざる内幕」タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル

著者
["ハミルトン,タイラー", "コイル,ダニエル", "Hamilton,Tyler", "Coyle,Daniel", "修, 児島"]
出版日

 この世で最も過酷な自転車レースとも呼ばれるツール・ド・フランスにおける大規模な薬物スキャンダルを追ったノンフィクション。過酷すぎるレースの中で一秒でも速く走る為に、あるいは完走を果たすためにドーピングという禁断の手法に頼るようになってしまった選手達の悲劇を描いています。この有名なレースにここまで深くドーピングの問題が食い込んでいるのか、という驚きには、かくあらねば戦えないという勝負の世界の悲しさが伴っています。

 そうした知られざる内幕よりも注目すべきなのは、著者でありかつてドーピングを行った選手の一人であるタイラー・ハミルトンの独白でしょう。選手として活躍し始めた頃のタイラーはむしろドーピングに対しては否定的であり、自分は一生手を染めないと固く誓っています。ですが、彼を襲う挫折と『戦わなければならないライバル達はみんなドーピングをしている』=『ドーピングをしなければ同じ土俵に上がることも出来ない』という現実から、やってはならないことに手を染めてしまうまでの過程は、人間が何故善人でいられないのかを追うノンフィクションでもあるのです。

「私はフェルメール 20世紀最大の贋作事件」フランク・ウイン

著者
["フランク・ウイン", "小林頼子/池田 みゆき"]
出版日

 かの有名なフェルメールの絵画の偽物を作り続けた〝天才画家〟ハン・ファン・メーヘレンの生涯を追ったノンフィクションです。有名画家には贋作がつきものですが、メーヘレンが数多の贋作作家と違うところは、彼が作り上げた贋作は本当に誰にもバレず、真作として扱われ続けたということ。

 特に作るのが難しいとされているフェルメールの贋作を、メーヘレンは贋作に四つの段階を設けることでクリアしていきます。この辺りの手法は、まるでクライムサスペンスのようで読んでいる私達をハラハラとさせてくれます。メーヘレンはそうして精巧な贋作を作り上げるだけでなく、巧みな語りによって批評家を騙していきます。メーヘレンの贋作は、批評家達が求めていた理想の絵画であったのです。

 この完全犯罪は、完全犯罪であったが故に崩壊していくのですが、この顛末ですらドラマティックです。小説よりも奇なりな世紀の詐欺事件を読み解いていくにつれ、私達は美術を何で評価しているのか? という根源的な問いにも触れることが出来ます。

「歯痛の文化史 古代エジプトからハリウッドまで」ジェイムズ・ウィンブラント

著者
["ジェイムズ・ウィンブラント", "忠平美幸"]
出版日

 数ある文化史の中でも最も変わり種であるだろう、歯の痛みに関する文化史です。今でさえ多くの人が避けたがる歯の治療。医療が発達した今でさえ苦痛を伴いがちなその行為は、どのように進化してきたのか……という物凄くニッチな、それでも気になる一冊。古代から中世に至るまでは物理的に抜いてしまうか、あるいは呪術的な治療に頼るかの大きな二択に分けられるのですが、後者のバラエティーの豊かさは必見。ある意味でこの治療は当時の文化を大きく反映しているように思えます。そういったスピリチュアルに頼らなければ耐えられないほどの苦痛を伴う歯の治療にも思いを馳せずにはいられません。

 中世になると一転して、歯の治療はエンターテインメントとしても消費されていくようになり、目の前で抜歯を行ったものの患者が痛がる素振りを見せないという抜歯ショーなんかも演じられるようになっていきます。他のどの医療行為よりも、歯の治療というものがどれだけ特異な位置を占めていたかがこの文化史からは読み取れます。

「なりすまし: 正気と狂気を揺るがす、精神病院潜入実験」スザンナ・キャハラン

著者
["スザンナ・キャハラン", "宮﨑 真紀"]
出版日

 その名の通り、正気を保ったまま精神病院に潜入するという1973年のローゼンハン実験を描いたノンフィクションです。この本は冒頭から、精神病院が不都合な身内を体良く厄介払いする為の場所として機能していたという衝撃的な話で始まります。金を払って入院させてしまえば、もう二度と戻って来られない追放の地として機能していた精神病院。その役割を重々理解しているからこそ絶対に快癒の診断を下さない医師達と、それに抗おうとする正常な患者の静かな闘争の行く末は、現在の精神医療事情と相まって考えさせられるものがあります。

 亜紀書房はこれだけではなく年間ベスト級のノンフィクションをどんどん出版しているので、気になる方は出版社読みもいいかもしれません。特にロックフェラー失踪事件を扱った「人喰い」がおすすめです。

著者
["カール・ホフマン", "奥野 克巳", "奥野 克巳", "古屋 美登里"]
出版日

「眠れない一族: 食人の痕跡と殺人タンパクの謎」ダニエル T.マックス

著者
["ダニエル T.マックス", "柴田 裕之"]
出版日

 突然『致死性家族性不眠症』(FFI)という奇病を発症し、死ぬまで眠ることが出来なくなってしまった一族から、かつて人類にあった食人習慣を追うノンフィクションです。カニバリズムという禁忌は、一体何故禁忌なのか。食人を行うと、どうして人間は死に至るのかを歴史と科学の両面から解き明かしていく本書は、人間であれば一読しておきたい名著です。一族を襲う奇病の正体を探る医療ミステリーの側面もあり、どうやって人間が未知の病に立ち向かっていくかを巡る話であるという点では、リチャード・プレストンの「ホットゾーン」にも似ています。

著者
["リチャード・プレストン", "岩田 健太郎", "高見 浩"]
出版日

 興味深いのは、この本を読むことで安全な食人の方法を知ることが出来ることです。食人のタブーは科学的に説明でき、それさえ避ければ食人をすることは可能なのです。本書で紹介された食人文化とその意味合いを考えた時、自分達は何故それをタブーだと思うのか? というところまで思考が向かっていくのです。

参考:致死性家族性不眠症(MSDマニュアル)

「予言がはずれるとき」L・フェスティンガー

著者
["フェスティンガー,L.", "シャクター,S.", "リーケン,H.W.", "Festinger,Leon", "Schachter,Stanley", "Riecken,Henry W.", "博介, 水野"]
出版日

 世界滅亡を予言する団体は数多くありますが、いざそれが外れた場合、予言を信じていた信者達はどんな反応を示すのか? その答えが本書の中にあります。ここで取り上げられているサナンダおよびサナット・クマラ協会は

1954年12月20日に大洪水が起きて世界が滅亡するが、協会の信者達だけは舞い降りたUFOによって救われる

という予言を行います。このタイトルなので当然外れるのですが、この荒唐無稽な予言を受けた人々が滅亡の日までをどのように過ごすのか、そしていざ予言が外れた瞬間どのような反応を示すのか、という詳細な経緯は読み応えがあります。特に前半は予言を信じ、それに則って行動する人々が丹念に描かれるので、先の崩壊を知っているのにもかかわらず幸せな日常を見せられる構図が出来上がってしまうのです。

 この本を読んでいる時の何とも言えない感覚は、傑作ドキュメンタリー映画である「ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-」を観た時と似ています。こちらは地球が平面であるということを何が何でも信じる人々を追ったドキュメンタリーなのですが、自分が信じると決めた一線と、そうはいっても折り合いがつけられなかった一線は、その人の人生を反映しているのかもしれません。

「未熟児を陳列した男:新生児医療の奇妙なはじまり」ドーン・ラッフェル

著者
["ドーン・ラッフェル", "林 啓恵"]
出版日

 衝撃なタイトルですが、内容は新生児医療の発展を切り開く光に満ちたノンフィクションです。かつて、未熟児は産まれた瞬間から切り捨てられ、生きる術を与えられませんでした。それを良しとせず、全国に保育器を広める為──未熟児達にはちゃんと生きる術があるのだと広める為に未熟児陳列を行った興行師、ドクター・クーニー。彼は幾度となく挫折しながらも、興業で未熟児を救うための金を稼ぎ、そして何より未熟児に対する情報を広く知らしめる為に活動を続けていきます。

 生涯をかけて6500人から7000人の未熟児を救ったとされるクーニーの活動は、今まであまり表に出ることはありませんでした。ですが、この一冊が出版されたことで、弱いものが排除されていた時代において、興業により時代に抗ったエンターテイナーが知られることにこそ希望があります。この『埋もれた事実が広く知られることの喜び』も、ノンフィクションならではのものでしょう。

 

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