国語の教科書に必ず載っている偉大な詩人にして童話作家、宮沢賢治。 彼が数多世に送り出した名作の中で、『貝の火』はややマイナーな童話として位置付けられています。とはいえその面白さやシニカルな寓意は未だに古びていません。 ひばりの親子を助けたお礼に宝珠・貝の火を手に入れた子ウサギのホモイがおだてられ増長し、やがて自滅の道を辿る話は、現代人の心にこそ響くのではないでしょうか。 今回は宮沢賢治『貝の火』のあらすじや、貝の火の意味を解説・考察していきます。
『貝の火』の主人公は天真爛漫な子ウサギ・ホモイです。
ホモイはお父さんとお母さんの三人家族で仲良く暮らしていました。
ある日ホモイは川に流されたひばりの雛を発見。間一髪救助するも、無理が祟って寝込んでしまいます。
後日回復したホモイはひばりの親子に感謝され、鳥の王から宝珠・貝の火を贈られました。
ホモイが貝の火を手に入れた事は瞬く間に評判になり、キツネをはじめとする周りの動物たちが媚び諂いはじめます。
やがてホモイはリスに命じて鈴蘭の実を全部刈り取らせる、キツネが台所から盗んできた角パンを貢がせる、むぐらを地中から追い立て気絶させるなど増長。
ホモイの父はそんな事をしていると珠が濁るぞと息子を窘めるものの、貝の火の輝きは一層美しく燃え上がるではありませんか。
数日後、ホモイはキツネに動物園が好きかと問われて首肯します。次いでキツネは動物園を作ろうとホモイを唆し、草原に箱の罠を仕掛けて小鳥たちを捕らえてしまいました。
ホモイがさすがに止めようとした所がらりと態度が豹変、逆に脅してきます。
キツネに脅され逃げ帰ったホモイは、貝の火に一点白い曇りが生じているのにあせり、紅雀の毛で刷いたり油に浸けたり大慌て。
しかし貝の火の曇りはますます広がるばかり。
絶望して父に真実を打ち明けると、「鳥を助けて貰った石が、鳥を見殺しにしてそのままであるわけない」と叱責され、小鳥たちを助けに行きました。
父の助けを得てキツネと対決し、間一髪箱を取り返したホモイ。その中には例のひばりの親子もいました。
再び感謝を捧げるひばりの親子に対し、ホモイの父は貝の火が白く濁ったただの石になりはてた事を報告。そこで小鳥たちはホモイの家に押しかけ、貝の火を取り囲みます。
父が皆によく見えるように掲げた瞬間貝の火が砕け、その破片がホモイの目に刺さりました。
小鳥たちが白けて退散した後、失明したホモイの傍らで母は泣き崩れ、父は必ず目を治してやると息子に約束するのでした。
- 著者
- 宮沢 賢治
- 出版日
- 1986-03-01
『貝の火』は単純な勧善懲悪の構造にあてはまりません。
ホモイは貝の火を手に入れた事で次第に自分を見失っていきます。
貝の火自体の美しさ、素晴らしさもさることながら、様々な英雄の手を渡ってきた宝珠を贈られた事で増長し、他の動物に対し威張り散らすようになっていくのです。
とはいえ、上記の代償が失明というのは重すぎではないでしょうか。
作中、貝の火が濁るきっかけは明かされていません。
ホモイ父の発言、「鳥の王の贈り物なのだから鳥を見殺しにしたら曇る」というのはなるほど説得力がありますが、それが事実なら随分エゴイスティックでご都合主義な宝石ですね。鳥はだめでもむぐらは見殺しにして良いのでしょうか?
ホモイの罪は傲慢と虚栄でした。
ですが自発的に他者を虐げることはなく、あくまでキツネに唆され、流される形で悪事に加担しています。
翻り、この主体性のなさこそがホモイの本当の罪かもしれません。
自分の頭で考えて反省できず、常に父親の啓蒙で過ちに気付かされてきたホモイは最初から盲目だったのです。
してみるとラストで光を失うのは必然の帰結でしょうね。
- 著者
- ["宮沢 賢治", "清六, 宮沢", "義郎, 佐伯"]
- 出版日
『貝の火』を読んだ人が印象的なキャラクターとして挙げるのがホモイの父。ある意味息子で主人公のホモイや悪役のキツネより、存在感が光っていました。
ホモイの父は常に正しい行動をとります。
息子が身を挺して人助けをした時は褒め、しかし増長するなと釘をさし、悪戯をした時は叱ります。何かというと泣いてばかりいるホモイの母親とは対照的に、分別と良識を備えた理想的な家長といえました。
ラスト、貝の火の欠片が刺さって失明したホモイを父親はこう諭しました。
「泣くな。こんなことはどこにでもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから、な。泣くな」
「さいわい」は宮沢賢治作品に通底するキーワード。もっと言えば、「何をさいわいとするか」の取捨選択が登場人物たちの運命に深く関わってきました。
貝の火を手に入れた事や、周囲の尊敬を集めた事がさいわいなのではない。
「こんなことはどこにでもあり、だれにでも起こりうる」「幸せも不幸せも特別なことじゃない」と理不尽を噛み砕いて飲み込む心の強さが真の「さいわい」に繋がるのだと、ホモイ父は暗に仄めかしました。
一方、『貝の火』にはホモイを消費するキャラクターの薄情さも描かれています。
牧歌的な世界観に油断していた読者は、「毒むしをこらしめてやるのだ」とキツネに唆されたホモイが地中のむぐら一家を追い立て、末っ子を気絶させるシーンの嗜虐性にヒヤッとするはず。この際ホモイが「毒むしならいいか」とあっさり便乗しているのも怖いですね。
我々も日常の現場で、あるいはSNSで同じ事をしてないでしょうか?
誰かが「アイツは悪い奴だ」と指弾したのを皮切りに、「悪い奴なら叩いてもいいか」と正義の免罪符を得て追い込みをかける……。
キツネの従犯になったホモイが垣間見せた消極的な加害性は、私達の中にも確かにあるのです。
弱いものには強く、強いものには弱くでるキツネの造形も秀逸。
ひばり親子をはじめとする動物たちの手のひら返しも凄まじく、貝の火が濁って飛び散った瞬間に興ざめし、悶え苦しむホモイや泣き崩れる母親を一顧だにせず散っていくシーンは、好きなだけちやほやして飽きたら捨てる世間の冷たさを象徴していました。
「たった六日だったな、ホッホ。たった六日だったな、ホッホ」
貝の火に見限られたホモイを嘲笑い、追い討ちをかけるフクロウの言葉は読者の心を抉り、哀切な余韻をもたらしました。
- 著者
- 宮沢賢治
- 出版日
鉱石コレクターとしても知られる宮沢賢治。本作でも貝の火の描写にこだわり抜いており、実際に映像が浮かんできます。
さて、鳥の王の宝珠・貝の火とは何の宝石なのでしょうか?
結論を述べれば、貝の火はオパール(蛋白石)でした。
オパールは遊色の輝きが神秘的な大変美しく高級な宝石ですが、反面非常に不安定で脆く、取り扱いには慎重を要します。
永遠に不変なものなど何もなく、何もかもが時の流れとともに移り変わる……。
見方を変えれば貝の火を望まず贈られた事でホモイの運命は暗転したわけで、持ち主を試し不幸を呼ぶ貝の火は、不吉な宝石と言わざるを得ません。
ちなみにオパールは別名虹色石とも呼ばれ、特に日本人に好まれているそうです。
10月の誕生石でもあり、宝石言葉は「純真無垢」「幸運」「忍耐」「歓喜」「希望」など。一見ポジティブな単語が並んでいますが、オパールそのものの脆さや色の変化を合わせて考えると、幸運や希望の儚さを戒めているようにも解釈できますね。
『貝の火』は青空文庫でも読めるので、興味がある方はぜひチャレンジしてください。
- 著者
- おくはらゆめ
- 出版日