5分でわかる江戸川乱歩『人間椅子』あらすじ解説 フェティシズム炸裂の怪作

更新:2022.9.25

名探偵明智小五郎と助手の小林少年の活躍に胸躍る『怪人二十面相』シリーズにとどまらず、エログロナンセンスに彩られた数々の小説を生み出してきた奇才・江戸川乱歩。 『芋虫』『孤島の鬼』『D坂の殺人事件』など、倒錯したタナトスとエロスが迸る作品群は現代も色褪せない磁力を放ち、読者を虜にしてやみません。 今回は江戸川乱歩の短編小説の中でも傑作と名高い『人間椅子』のあらすじや魅力を解説・考察していきます。

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『人間椅子』の簡単なあらすじと登場人物紹介

『人間椅子』の主人公は外交官夫人の佳子。雑誌に小説を寄稿している才媛です。

書斎でファンレターをチェックしていた佳子は、分厚い手紙が紛れ込んでいるのに気付きました。

問題の手紙は佳子に「奥様」と呼びかける、「私」の一人称で綴られていました。「私」は生まれながらにとても醜い男で、貧しい椅子職人でした。しかも佳子に手紙を送った動機は懺悔だというのですから穏やかではありません。

得体の知れない胸騒ぎに駆られて手紙を読み進める佳子。

「私」は容姿に根強いコンプレックスを持ち、贅沢な暮らしを夢見る一方で報われず、親から継いだ椅子職人の仕事をこなしていました。そんな「私」の唯一の楽しみといえば、自分が作った椅子に腰かける人物を想像すること。

「私」は理想の美女が自分の椅子に身を委ねる光景を想像し、彼女が住む豪邸を思い描いてうっとりしました。

かたや現実と妄想の落差にうちのめされた「私」は、こんなうじ虫のような毎日が続くなら死んだほうがマシだと自虐し、どうせ死ぬならもっといい思いをしたいと欲を出します。

時同じくして外国人が経営する高級ホテルから発注がきました。「私」は気合を入れて制作に取り組み、最高傑作の椅子を完成させます。

その出来栄えがあまりに素晴らしかったので手放すのが惜しくなり、中身をくりぬいて潜り込む「私」。特に怪しまれることなくホテルに移され、様々な紳士淑女の体を受け止めます。

しかしホテルの経営者が日本人に代わり、「私」は椅子ごと売られる羽目に。

その後「私」が恋に落ちたのは、買い取られた先の美しい人妻でした。外国人の体型に飽き始めていた「私」は、革越しに伝わる夫人の肉感に激しい劣情を覚え、彼女こそ運命の人と思い定めます。

そして夫人に気に入られる為、椅子の中で微妙に姿勢を調整し、ある時は静かに揺するなどして極上の座り心地を追求しました。すると夫人の方でも椅子を愛用し、無防備な状態で身を委ねてくるではありませんか。

この夫人こそ佳子でした。

「私」は圭子に一目会いたいと懇願、逢瀬の合図に窓際にハンカチをかけてほしいと訴えました。

衝撃の告白に恐れ慄く圭子。

そこへ女中が現れ、「私」による懺悔は『人間椅子』と題した自分の創作だと暴露する信者の手紙を渡すのでした。

著者
江戸川 乱歩
出版日
2008-05-24

江戸川乱歩のフェティシズム炸裂、禁断の女体美に酔い痴れる

以上があらすじです。何度か映画化されており、青空文庫amazonkindle電子書籍でも無料で読めます。

『人間椅子』で焦点があたっているのは女体への異常な執着、ならびにレザーフェティシズム。

「私」は醜い故異性と向き合えず、椅子の中に潜んで女体を堪能することに悦楽を見出します。しかも相手は気付いてないときて、罵られる心配がありません。

狭く暗い椅子の中にひきこもり、むしろ「私」は解放されたのです。

触覚に描写の比重が割かれているのも特筆すべき点で、座る人間により千差万別異なる骨格や体重、肉感のイメージが大変生々しく伝わってきました。

一方世の中には革製品の匂いや感触に興奮する人々がいます。「私」も革を通した女体の感触に溺れているので、レザーフェチに分類できます。江戸川乱歩はまだレザーフェチの概念が存在していなかった日本に、新たなる変態の在り方を知らしめたのです。

『人間椅子』における革越しの人体描写は偏執的なほどで、女体の曲線へのこだわりは常軌を逸していました。声や匂いをはじめ、視覚に頼らない情報も仔細に書かれています。

まさしく江戸川乱歩のフェティシズムの極み、暗闇で花開いた想像力に脱帽。

革一枚隔てて意中の人をもてあそべるなら……あなたも椅子に入ってみたくなりませんか?

著者
江戸川 乱歩
出版日
2015-03-20

日常に潜む狂気、見えないストーカーに戦慄

翻り、圭子視点ではどうでしょうか?

『人間椅子』は「私」と圭子、どちらに感情移入するかで全く印象が変わってきます。

「私」の変態性に共感した読者は新しい扉を開けますが、その妄想の対象たる圭子はただひたすら恐怖するしかありません。

椅子は私たちにとって日常の象徴。自室にも学校にも会社にもホテルにも、あらゆる施設に存在する代表的な家具といえます。あなたもお気に入りの椅子に寄りかかり、居眠りした経験があるのではないでしょうか。

プライベートな空間で愛用の椅子に掛ける時、人は完全に無防備になります。椅子が安心できる居場所のメタファーだとしたら、その中に潜むストーカーは、日常を破壊する異物にほかなりません。

『人間椅子』の怖い所は、読む前と読んだ後で世界の見え方ががらりと変わる点です。

自分が座っているこの椅子やあの椅子に見えざる侵入者が隠れていたら、自分が寝入るのを待ち外に出てきたら……。

そんな被害妄想を植え付け、凄まじい恐怖と生理的嫌悪、加えて猜疑心を煽り立てるのが本作の真骨頂。

即ち本作は入れ子構造のホラー小説であり、フィクションの垣根をこえた『人間椅子』の狂気が、現実に浸蝕してくるように感じさせるのです。

してみると賛否が分かれる最後の二行は、『人間椅子』に作中小説のオチを付けることで虚実を曖昧にする乱歩の企みでしょうか。

著者
["江戸川乱歩", "長山靖生"]
出版日

近寄りがたい人と一体化?無機物への変身願望

「私」が隠れた椅子は様々な貴賓に座られました。その中には偉大な詩人でもある外国の大使や世界的に有名なダンサーも含まれ、「私」は感動に打ち震えます。

処刑用の電気椅子でもない限り、警戒しながら椅子に掛ける人間は稀。

「私」に座る人々はいずれも寛いでおり、殺すことは容易いです。

娑婆にいた頃は近付く機会さえ与えられず、一生触れることもできないと諦めていた有名人が目の前にいて、他ならぬ自分こそが生殺与奪の権を握っていたら……全能感に酔い、力を行使したくなりませんか?

作中にて、「私」は徹底して醜く卑しい人間として書かれています。見た目だけでなく品性も下劣、異性とも無縁。そんな「私」は椅子に化けたことで長年悩まされていた劣等感から脱却し、生まれ変わりました。

蝶は蛹から脱皮し完全体となりますが、「私」は革を着ることで完全体になります。

「私」の行動原理は無機物への変身願望と疑似的・間接的な性行為を兼ね、椅子を介して近寄りがたい対象と一体化するのが真の目的でした。

周囲の人間は椅子に犯人が隠れているとは露知らず、したがって証拠を残さず完全犯罪が遂げられます。自らが主導権を握り状況をコントロールする快感は、性的興奮に引けをとりません。

至高の隠れ蓑、人間椅子。

もし実在するなら……座りたいですか、入りたいですか?

著者
["江戸川 乱歩", "咎井 淳"]
出版日
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