少年は深淵へ堕ちる。地方都市の心中群像劇『少年のアビス』レビュー

更新:2023.1.15

2022年にドラマ化されますます絶好調の漫画、峰浪りょうの『少年のアビス』。 地方都市で繰り広げられる愛憎ドラマを描いた本作は、心中がテーマのシリアスなストーリーや、過去と現在が呼応する複雑な人物相関図が注目を集めています。 今回は『少年のアビス』のあらすじや魅力をネタバレを交え紹介していきます。

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『少年のアビス』の簡単なあらすじと登場人物紹介

主人公の黒瀬令児は地方都市在住の高校生。母は何かと息子に依存し、認知症の祖母の介護やひきこもりの兄の使い走りを頼んできます。

鬱屈した毎日を送っていた矢先、深夜のコンビニでバイト中の青江ナギと出会いました。ナギは令児の幼馴染であるチャコこと秋山朔子が推しているアイドルグループ「アクリル」のメンバーでした。

ナギに町のガイドを頼まれた令児は、嘗て小説家・似非森耕作の著作の舞台になった自殺の名所「情死ヶ淵」に言及した際、彼女に心中を持ちかけられます。

令児はナギの申し出を承諾し彼女と関係を持ちますが、直後に似非森耕作自身が登場。ナギと彼が結婚している事実が判明し……。

著者
峰浪 りょう
出版日

どこにも行けない地方都市の閉塞感

『少年のアビス』は既刊10巻、累計発行部数は100万部を突破した人気漫画。荒木飛羽主演のドラマでも知名度を上げました。

『少年のアビス』の魅力は、地方都市特有の閉塞感を切り取ったストーリー。

まず主人公・令児の家庭環境がとても悲惨。兄は暴力的なひきこもり、祖母は認知症。看護助手の母には精神的に束縛され、自分を殺して生きてきました。

令児の幼馴染のチャコや峰岸玄にも同じ事が言えます。

チャコは田舎では割と有名な女子校の生徒なもののぽっちゃり体型がコンプレックス、将来は東京の大学に進みたいと切望しています。

玄は裏社会と関りが深い建設会社の息子で、家業を継ぐことが予め決まっていました。

彼等に共通するのは生まれた場所に縛られ、どこへも行けない事。

作中、令児たちが住む町がいかに何もなく退屈な所かが繰り返し強調されます。ファミレスや本屋は国道沿いにしか存在せず、令児とチャコが登下校する道には殺風景な田畑や河原が広がっていました。

ちなみに情死ヶ淵は大分県日田市に実在する場所で、令児たちが住んでいるのも日田市だと推測されます。ここは『進撃の巨人』がヒットした諫山創の出身地でもあり、近年注目が高まっていました。

『少年のアビス』に描かれる寂れた風景や荒んだ家庭環境、始終監視されているような人間関係の息苦しさは、田舎の嫌な所詰め合わせと言った感じで寒々しさを覚えます。

24時間営業のネカフェやコンビニ、あるいはゲームセンターやカラオケボックスが居場所のない未成年の受け皿として機能する都会と異なり、田舎の少年少女には逃げ場がありません。

抑圧の捌け口を与えられない彼ら彼女らは、互いに依存し合うことで生き抜くしかないのです。

そんな不均衡な三人の関係に波風を立てるのが、東京から来たアイドル・青江ナギと小説家・似非森耕作でした。

タイトル『少年のアビス』は深淵または虚無を意味し、令児自身にも通じます。

身も蓋もない言い方をすれば、令児は近くにいる女を全員駄目にする究極のメンヘラ製造機なのです。

バッドエンド一直線なドロドロ鬱展開の連続、次々明かされる親世代の衝撃の過去。物語の進行に伴い坂道を転がり落ちるように不幸になり、あるいは破滅し、否応なく深淵に引きずり込まれていく場人物たち。

令児たちが味わっている絶望や閉塞感を二重に体験できる……まさに「深淵を覗き込む時 深淵もまたお前を見返している」ですね。

著者
峰浪 りょう
出版日

みんなアビスに狂わされる……魔性の親子の恐ろしさ

『少年のアビス』はただ鬱なだけでは終わりません。十数年前に情死ヶ淵で起きた心中事件をめぐるスーサイドミステリーとしても、高い完成度を誇ります。

この事件には令児の母親・夕子が当事者……即ち心中者の片割れとして、深く関与していました。

俗に親の因果が子に報うと言いますが、本作は夕子と令児、親子二代に亘るアビスに狂わされた人々の物語なのです。

夕子は本作のラスボスにして似非森視点のヒロイン。

「一緒に死ぬために令くんを産んだ」「家族四人では町を出られないけど二人でなら出ていけるよ」と息子に囁く心情を、単なる毒親にカテゴライズすると本質を見失います。最新十巻では身勝手な大人たちに搾取されていた過去が明かされ、現在に至る悪循環に胸が痛みました。

注目してほしいのは登場人物の名前。

令児の名前の由来は夕子と似非森の本名、野添旭から。夕と朝の間をとって零時(真夜中)、というわけです。ですが似非森は令児の父親ではありません。

幼馴染のチャコ(朔子)は朔(新月)、玄は黒の別名。

令児に近しいキャラクターに夜や闇を思わせる名前が与えられているのは、深淵の縁にいるメタファーでしょうか。

十数年前の心中事件と現在進行形の心中計画がリンクした末に導かれたのは、切なすぎるすれ違いが生んだ愛憎劇の顛末でした。

夕子と旭は何故破局に至ったのか?

高校生の夕子は何故別の男と心中したのか?

令児の父親は誰なのか?

この強烈な「何故?」がフックとなり、読者はすっかりアビスの虜と化します。

嘗ての夕子が男を駄目にする魔性の少女だったように、彼女の息子の令児もまた、関係を持った女をことごとくアビスに堕とす魔性の少年に育ちました。

むしろ自ら進んでアビスに堕ちたがる女もおり、その筆頭が柴ちゃん先生こと柴沢由里。

嵐の晩にナギと心中を企てるも失敗し、独りさまよっていた令児を偶然保護した事がきっかけで、なし崩しに関係を持ってしまったアラサー女教師です。

柴ちゃん先生は『少年のアビス』屈指のやべー女改めおもしれー女認定されており、毎回の如く令児を待ち伏せて拉致るのは序の口。

貯金900万をポンと与え一緒に東京へ行こうと唆し、それを断られるやストーカーに豹変。

教え子が乗ったワゴンRのハンドルをドラミングする、チャコと令児がネカフェの個室にINしたのを不純異性交遊と称して学校にチクるなどドン引きの極みの奇行に走り、主人公のみならず読者までも慄かせました。最終的には教職を追われます。

彼女の行動はやや極端なものの、黒瀬親子に関わった人々が大なり小なり人生をねじ曲げられたのは否定できません。

チャコは退学後にひきこもり拒食症で激ヤセ、玄は罪を犯し警察に追われ……自業自得の末路ともとれますが、夕子や令児に出会わなければここまで病まなかったのもまた事実。

唯一にして最大の違いを挙げるなら夕子は確信犯、令児は無自覚な点。考えようによっては悪意がないぶん、後者の方がより厄介で残酷です。

欲望、願望、羨望、渇望……人間誰しも自分の中に見て見ぬふりしてきた深淵(アビス)がある。

物心付いた頃から夕子に洗脳され続け、自発的な欲求や主体的な自我を持たず、流されるがまま生きてきた令児。

そんな等身大の虚無ともいえる少年に皆が惹かれてしまうのは、誘蛾灯で燃やされたがる蛾にも似た、一種の自殺願望かもしれません。

著者
峰浪 りょう
出版日

『少年のアビス』を読んだ人におすすめの本

『少年のアビス』を読んだ人には押見修造『血の轍』をおすすめします。

こちらは毒親をテーマにしており、母と息子の近親相姦的な共依存描写に、『少年のアビス』の夕子と令児の関係がフラッシュバックしました。

美しく恐ろしい、魔性の母性に惹かれる読者は必読です。

著者
押見 修造
出版日
2017-09-08
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