『無限の住人』や『波よ聞いてくれ』など、様々なジャンルで活躍する漫画家・沙村広明。 『ブラッドハーレーの馬車』はそんな彼が2007年に刊行した、全一巻の傑作漫画です。 本作はゴシック鬱漫画の金字塔とも呼ばれ、登場人物に与えられる過酷な試練や容赦ないエログロ展開がマニアックな読者に支持されました。 今回は沙村広明の漫画、『ブラッドハーレーの馬車』のネタバレあらすじレビューを書いていきます。
舞台となるのは近世ヨーロッパの某国。
貴族院議員ニコラ・A・ブラッドハーレー公爵は国中の孤児院から14歳になる少女を各一名選んで集め、「ブラッドハーレー聖公女歌劇団」を主宰しています。
孤児の少女たちはきらびやかな「ブラッドハーレー聖公女歌劇団」に憧れ、公爵の馬車が迎えに来る日を夢見ていました。
今年ブラッドハーレー公爵に選ばれたダイアナは幸せの絶頂でした。親友のコーデリアは別れを惜しみながらもダイアナを祝福し、彼女が乗る馬車を笑顔で見送ります。
その後孤児院の庭に戻ってみると、レベッカ先生がひっそり泣いていました。
「ダイアナは幸せなりにいったんだもの」とコーデリアは励ますものの、レベッカ先生はダイアナの身に降りかかる悲惨な運命と残酷な真実を予期し、暗い顔で俯きます。
その頃ダイアナを乗せた馬車は、高い塀を巡らした威圧的な建物に到着。
使者に案内された先でダイアナが見たものは、自分を慰み者にしようと舌なめずりして待ち受ける囚人たちでした。
この国では嘗てヘンズレーの暴動と呼ばれる集団暴動・脱獄事件が起き、政府は後発事案の防止策として、年に一度孤児の少女を監獄に送り込み、パスカの羊として囚人に与えていたのです。
そしてパスカの祭りの提案者こそ、ブラッドハーレー公爵その人なのでした。
- 著者
- 沙村 広明
- 出版日
- 2007-12-18
沙村広明は実写映画化された『無限の住人』やラジオ番組のパーソナリティーを主人公に据えた『波よ聞いてくれ』が有名です。その一方エログロゴア描写の凄惨さ、女体の損壊・改造への偏執的こだわりからコアなファンを獲得し、カルト作家の地位を確立しました。
- 著者
- 沙村 広明
- 出版日
- 2016-08-23
- 著者
- 沙村 広明
- 出版日
- 2015-05-22
『ブラッドハーレーの馬車』は原則一話完結のオムニバス。欧州の架空の小国が舞台で、沙村広明の中で類似策を挙げるなら、革命期のロシアを舞台にした『春風のスネグラチカ』が挙げられます。
- 著者
- 沙村広明
- 出版日
『ブラッドハーレーの馬車』の見所といえば、まず第一に登場人物の少女たちが辿る悲惨極まる運命。収録作はほぼ全話バッドエンド。主人公たちの願いは叶わず祈りは報われず、凄惨な結末に至っています。
本作のキーパーソンとなるブラッドハーレー公爵ですが、タイトルに名前が入ってるにもかかわらず、ほんの数コマ……それも後ろ姿しか登場しません。
物語は彼と彼が主宰する劇団に憧れる少女たち、および看守や囚人・記者など周辺人物の視点で進行し、ブラッドハーレー公爵が極秘立案した政策・「1/14計画案」の恐るべき実態が暴かれていきます。
第一話のダイアナは輝かしい未来を信じて監獄行きの馬車に乗り込みました。行き先が地獄と知らず、急転直下の悲劇に見舞われた少女たちの絶望はいかほどでしょうか。
連日の暴行でボロボロになっていく少女たちの姿が経過を追って詳細に描かれることで、読者の怒りや悲しみ、嫌悪感もまた煽り立てられます。
『ブラッドハーレーの馬車』はオムニバス形式にのっとっており、話ごと主人公が異なります。全員が必ずしも監獄に行くとは限らず、外側でストーリーが展開されることも。
パスカの羊の巧妙な所は、「ブラッドハーレー公爵の養女となる孤児も少数だが実在する」ということ。全員がパスカの羊になるわけではなく、奇跡的に幸運を掴んだ例外もいるのです。
それが第七話の主人公・レスリー。
彼女は「ブラッドハーレー聖公女歌劇団」の花形として脚光を浴びる傍ら、他の仲間たちと城で幸せな日々を送っていました。しかし同じ孤児院出身のメイティと再会したことで、ブラッドハーレーに引き取られた建前になっている友人・マーガレットの消息不明を知り、独自に調査を開始します。
第一話でパスカの羊の末路を嫌というほど見せ付けられた後、第七話にてレスリーの華やかな生活ぶりが描写される構成は絶妙というほかありません。
もし本作の視点人物がパスカの羊に選ばれた少女に固定されていたら、幸せと不幸せ、希望と絶望のコントラストが浮き彫りにする皮肉な余韻や苦い感傷は生まれませんでした。
各話の登場人物の関係性にも注目。
第四話の主人公トマス・リンはある監獄の囚人。例年の祭りを忌々しく思い、毎回不参加申請をしていました。そんな彼に接触を持ってきたのは元政治記者のクリフ・ガードナーでした。
クリフと組んで監獄内を嗅ぎ回ったトマスは、パスカの祭りの提案者がブラッドハーレー公爵で、「パスカの羊を抱いた囚人は機密保持の為二度と外に出れない」と知らされます。
第六話の主人公は青年看守のケネス・アービング。パスカの祭り初日に自殺を図った少女・リラを助け、励まし続けるうちに淡い想いが芽生えるものの、脱獄計画は失敗してしまいました。
パスカの祭り制度が悪魔の発想なのは間違いありませんが、パスカの羊全員が孤立無援の状況下で独り寂しく死んでいったとのかというと、必ずしもそうとは言いきれないのが『ブラッドハーレーの馬車』の奥深い点。
我が身の危険を顧みず少女に手をさしのべた良心的人物も少数ながら存在しており、彼等彼女らの人としての気高さが、パスカの羊を取り巻く悪意を浄化する救済装置足り得ています。
『ブラッドハーレーの馬車』第二話の主人公はステラ。
パスカの羊として監獄に連れてこられた彼女は、宿舎の隣室にいるのが嘗て同じ孤児院にいたプリシラだと気付きました。
プリシラは「一週間耐え抜けばまた馬車が迎えにきて、今度こそブラッドハーレー邸に行ける」と示唆し、ステラはそれだけを心の支えに六日間生き延びました。
結局ステラの願いは叶わず、一週間目に死体となって宿舎が運び出されるのですが、そこで衝撃的な事実が発覚します。
なんとステラにあてがわれたのは角部屋で、隣に部屋など存在しなかったのです。
前夜まで壁越しに話していたのはプリシラは何なのか?
極限状況に追い込まれたステラの妄想が生み出した友人なのか、パスカの羊として非業の最期を遂げた幽霊なのか?
プリシラの発言「一週間耐え抜けば正式な養女になれる」の真偽も明かされないまま、恐らくはステラを延命させる為の嘘だろうと読者にほのめかし、物語は幕を閉じます。
一見美しい友情……ですがパスカの羊として生き延びる事は、苦痛と絶望が続く事を意味しました。
息を引き取る間際、ステラはブラッドハーレーの養女に指名されたプリシラを妬み、彼女のドレスを切り裂いた過去の罪を懺悔します。
プリシラは「知ってた。ステラだったら許そうと思っていた」と返したものの、もしこれが嘘で、ステラを罰する為に偽りの希望を与えて生かしたのだとしたら……背筋が寒くなりますね。
上記のように考察がはかどり、何通りもの解釈が成立するのが『ブラッドハーレーの馬車』の魅力です。
『ブラッドハーレーの馬車』を読んだ方には竹良実『辺獄のシュヴェスタ』がおすすめです。
本作は16世紀の神聖ローマ帝国を舞台に、魔女狩りで最愛の養母を失った少女・エラが、魔女の遺児を集めた女子修道院でサバイバルを繰り広げる話。
シュヴェスタとはドイツ語で「姉妹」をさし、のちにエラが出会うかけがえのない仲間たちをさします。『ブラッドハーレーの馬車』と同じく目を背けんばかりの拷問シーンが頻出するものの、極限状況下で育まれた友情に涙する隠れた傑作です。
- 著者
- 竹良 実
- 出版日
- 2015-06-12