芸能プロデューサー×直木賞・芥川賞“ルサンチマン?”の物語|ダメ業界人の戯れ言#13

更新:2023.8.31

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を主軸としたカルチャーコラム。幅広い読書遍歴を樹形図のように辿って本を紹介しながら、自身の思うところを綴ります。 今回は、2023年上半期の直木賞を受賞した『極楽征夷大将軍』と『木挽町のあだ討ち』、そして芥川賞受賞作の『ハンチバック』を読んで、ある共通点にたどり着きます。

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直木賞・芥川賞“ルサンチマン?”の物語

僕は子どもの頃から『忠臣蔵』が好きなのですが、江戸時代に芝居小屋でこの演目が上演される際は、かたきの名前が、吉良上野介(きらこうずけのすけ)ではなく高師直(こうのもろなお)に変えられていたらしい、と言うのを知ったのはまだ数年前のことです。

元禄時代の記憶がまだ生々しい時期に、リアルな人物名を出すことに抵抗があり、そうなったらしいのですが、しかし高師直もれっきとした実在の人物で、とは言えいまいちよく知らないこの人物のことを、この7月に直木賞を受賞した垣根涼介の大作『極楽征夷大将軍』を読んでいろいろと合点が行きました。

著者
垣根 涼介
出版日

この作品、室町幕府の初代将軍・足利尊氏がある意味お気楽で無責任な男だったと言う仮説に基づいて書かれているのですが、この小説の主人公が、尊氏の弟・直義(ただよし)と尊氏の一番家来であった高師直なのです。この作家の文章の巧みさのおかげで、主人公の二人はもちろん、尊氏や後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞など昔歴史の教科書で読んだ人物たちのキャラや立ち位置もよく分かって、時ならぬ室町幕府成立の歴史勉強にもなりました。

こんなに凄いお話だったのですね。

wikiで高師直を検索して読むと、歴史上の評価としてはだいぶひどいことをして、恨みを買った御家人から親のかたきと狙われ最後は惨殺されてしまう人生なのですが、垣根氏の筆は、師直を理知的ではあるが非常に血の通った人物として描くことで、なぜ後世に高師直がひどい人間であったと言う認識が広がっていくことになったのかを理解できるような文章になっていて、何と言うか、それこそ膝を打つ読書体験でもありました。

ちなみにNHK大河ドラマでは1990年に『太平記』という作品でこの時代を取り上げているのですが、主役の尊氏を真田広之、後醍醐天皇を片岡孝夫、楠木正成を武田鉄矢、新田義貞を根津甚八、足利直義を高嶋政伸、高師直を柄本明がやっているらしく今さら少し見てみたい気持ちを刺激されております。

それはそれとして“かたきうち“からの連想と言うわけでもないのですが、今回直木賞を受賞したもう一作、永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』のほうにも手を出さずにはいられませんでした。木挽町というのが今の歌舞伎座から新橋演舞場あたりの、駅で言うと地下鉄東銀座駅界隈の旧名で、そこにある『こびき』と言う飲み屋に個人的にたまに行くと言うのもあって、タイトルを見た瞬間、何となく看過できない小説だなと言う気がしました。

著者
永井 紗耶子
出版日

一読、こちらはもうあっぱれ、と言うしかない、実に面白く、琴線にぐいぐいと触れてくる作品でありました。直木賞選考委員の浅田次郎が、今回の2作、いずれも甲乙つけ難く同時受賞となりました、と述べていたのも肯けます。

この物語、木挽町で起きた男どうしのあだ討ち騒ぎを発端に、少し時間を経てからこの事件の真相を知ろうと事件の場所の目の前にある芝居小屋にやって来た一人の武士が、その小屋でさまざまな仕事に携わる人に一人一人話を聞いていく、と言うスタイルで話が進んでいきます。ある意味、それぞれの証人が語る落語調のような感じなのですが、しかしそれぞれが持つあまりにも切ない事情なども相まって、そのためにいちいちきゅんきゅんし、その話の中から一つずつ皮を剥いていくように想像もしなかった真相が明らかになって、はっとする。そんな、きゅんきゅん!はっ!の連続物語でございました。何とも“粋”な小説です。

ちなみに舞台となるこの芝居小屋でも『忠臣蔵』が上演されていて、そこでは時代的にも高師直がかたき役として出演しており、今回の直木賞二作の偶然の符合にほくそ笑んでしまう、ということもありました。

 

そしてこの二作が、自分的に実に秀逸なものに感じられたのもあって、同時に芥川賞を受賞した市川沙央の『ハンチバック』も読んでみることにしました。僕自身、長い読書生活の中で、同期の芥川賞直木賞全作品を一気にコンプリートしたのは恥ずかしながら初めての体験です。

難病に侵され四肢の動きもままならない主人公の女性が、男性とセックスをして妊娠して中絶したいと考えていることが軸になっているこの小説。僕は物語に出てくるヘルパーの田中さんという34歳の男性とのモラハラの応酬とも言うべきやり取りに、ヒリヒリとした感動を覚えました。

著者
市川 沙央
出版日

主人公は重度の障害者である一方大変なお金持ち、一方で田中さんは健常者であるものの、身長155センチでお金もない非モテ(主人公が使う言葉で言えば、インセル!)男。こう言う組み合わせだと、ハラスメントも一方的ではなく、応酬が可能になるのだということをこの本を読んで初めて知りました。

この小説の主人公自体の体型がハンチバック(せむし)なのですが、身長は165センチあり、彼女が田中さんから入浴介護を受ける際に、立ち上がった時に一瞬彼を見下ろす形になる、と言う描写があります。背中が曲がっている以上、たとえ身長差が10センチあっても見下ろすタイミングはなさそうな気がしますが、会話ではなく文章でも意識的にそう表現するところに、何とも言えぬ形で人間の本質が見える気がしました。

もはや“障害者の性”とか言うある意味ありきたりとも言える問題をはるかに越えて、人間のいかんともし難い醜い部分を描出してあまりある小説でした。僕はこの小説にもかなりの共感をおぼえたのですが、自分自身は健常者だから、こんな小説は絶対書けないな、と作家でもないのにそんなことを思いました。意味もなく白旗を上げたくなる気分になる、そんな読書だったのです。

 

そして今回の3作を読んで、乱暴ではあるがしかし唯一の共通点を発見しました。3つとも広いレンジで見ると、かたき討ちの話なのです

何のかたき、なのかはさておき、3作ともネガティブな状況に置かれた主人公の意趣返しの物語である、とは言うことができそうな気がします。

哲学用語に「ルサンチマン」と言うのがありますが、あえて言うなればあれですね。『ハンチバック』の主人公もこの言葉を使っていましたが、僕は若い頃にこの言葉のニュアンスを掴むことができず、何か実例はないものか、と思っていたところ、具体的情報を目にしてなるほど、そういうことを指すのか!と急に腑に落ちたことがあるのでそれをご紹介しておこうと思います。

読売新聞の社主も勤めた渡邉恒雄は、若い頃、東京大学の中でもとても優秀な学生であったにも関わらず、就職活動で一番行きたかった「中央公論社」の入社試験に落ちて読売に入社し、長い年月を経て“読売新聞のドン”としての地位を築いて行きます。その間に中央公論社は業績が上がらず半ば倒産の危機に陥り、それをナベツネは、他の取締役などの猛反対も押し切って買収、「中央公論新社」として再建するのです。これを「ナベツネのルサンチマンがこの買収を引き起こした」と言う評論家の文章を読んで、僕は「ルサンチマン」という言葉の意味を明確に理解することができました。

たぶんそれは「ジェラシー=嫉妬」とかでは足りません。もっと時間的にも肉体・精神的にも執拗に使い尽くす恨みつらみと愛のないまぜのような精神を指すのでしょう。僕のような軽薄な人間には縁のない心理ではありますが、そう言えば芸能界にもそう言う人いるな、と思わずにはいられないのでありました。


 

info:ホンシェルジュTwitter

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