5分で分かるマルクーゼの人生|ドイツからアメリカへ、そして新左翼の誕生へ|元教員が解説

更新:2025.4.11

マルクーゼは20世紀を代表する政治哲学者の1人です。 ドイツのユダヤ人家庭に生まれたマルクーゼは、第一次世界大戦を経験したあと、マルクス主義に傾倒していきます。 ナチス政権の台頭を避けてアメリカに亡命したマルクーゼは、1960年代に代表作を執筆する一方で、学生運動の精神的指導者として君臨します。 旧左翼とは一線を画す新左翼の旗手として、マルクーゼは消費社会への批判という新たな視点を提供しました。 学生たちの支持を集めたマルクーゼの思想は、1960年代の学生運動やフェミニズム、環境運動など新しい社会運動に大きな影響を与えたのです。 時代の変化を敏感に捉えたマルクーゼの哲学は、今日の政治や社会を考える上でも重要な手がかりを提供しています。 今回の記事では、マルクーゼの生涯と思想形成の過程をたどり、その影響力と現代的意義を探っていきたいと思います。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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ドイツのユダヤ人家庭に生まれたマルクーゼ

1898年、マルクーゼはドイツのベルリンで生まれました。裕福なユダヤ人実業家の家庭に生まれています。

当時のドイツではユダヤ人への差別が根強くあり、ユダヤ人に対して完全な市民権は認められていませんでした。

しかしマルクーゼの両親は裕福な中産階級出身で、マルクーゼもドイツ語を母語とするなど、ドイツ文化の中で育ちます。

その一方で、ユダヤ人としてのアイデンティティも持ち合わせており、シオニズム運動にも理解を示していました。

「ユダヤ人であること」と「ドイツ社会で育ったこと」の狭間で、マルクーゼはアイデンティティの揺らぎを抱えながら成長したと考えられます。

のちのマルクス主義への傾倒やナチスからの亡命は、この複雑な過去が影響していたかもしれません。

第一次世界大戦からマルクス主義へ

1914年に勃発した第一次世界大戦で、マルクーゼはドイツ陸軍として従軍しました。戦争の残酷な実相に接したことで、マルクーゼは平和主義的な思想を抱くようになります。

1918年の戦争終結後、マルクーゼはベルリン大学で哲学を学び始めます。フサールやハイデガーの下で現象学を学んだマルクーゼは、資本主義社会への批判的視点を養っていきます。

1920年代に入ると、マルクーゼはマルクスの著作に強く傾倒するようになりました。マルクス主義が提供する資本主義批判と世界革命の理論は、マルクーゼの問題意識と合致するものでした。

悲惨な戦争体験と哲学的探求がマルクーゼのマルクス主義への傾倒を導いたのです。

1930年代、ヒトラー率いるナチスが勢力を拡大すると、マルクーゼにとってドイツでの生活は困難になります。

マルクーゼはユダヤ人であり、またマルクス主義者でもあったためです。人種主義と反共主義を掲げるナチス政権からの迫害を避けることはできません。1933年にナチスが政権を取ると、マルクーゼはフランクフルト大学の教授職を解雇されます。

1934年、政治的な迫害を避けるため、36歳のマルクーゼはアメリカへと亡命しました。

ナチス政権からの亡命と学生運動の指導

第二次世界大戦後、マルクーゼはアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校で哲学の教授となりました。

1960年代にかけて、マルクーゼは代表作となる『一次元的人間』や『エロスと文明』などを執筆。これらの著作では、消費社会の批判や人間の疎外概念を展開し、新左翼の重要な理論的支柱となりました。

一方で学生運動が高まる中、マルクーゼは学生の集会に積極的に参加しています。既成概念への反発を訴えて、現状の資本主義社会を「抑圧的寛容」と批判したのです。学生たちから熱狂的な支持を集めたマルクーゼは、新左翼運動の精神的指導者としての地位を確立しました。

理論と実践の両面においてマルクーゼは、新左翼運動を代表する思想家として大きな影響力を発揮したのです。

新左翼は旧左翼とは異なる背景から生まれました。

旧左翼はマルクス主義の影響を強く受け、主に工場で労働するプロレタリアを対象とした労働者のための運動でした。低賃金と過酷な労働環境に置かれていた工場労働者の生活改善を目指した旧左翼は、労働組合の結成やストライキなどの労働運動を通じて、労働条件や賃金の改善を訴えていました。

そのイデオロギーの根底には、社会主義革命によって資本主義を打倒し、労働者が主導する社会を実現するという目標がありました。このように旧左翼は、工場労働者の生活改善を中心的な政治目標として掲げた「労働者のための運動」でした。

1960年代の先進資本主義国では、高度経済成長に伴って労働者の所得が向上し、生産性向上と賃金引き上げによって労働者の生活水準は大きく向上しました。自動車や家電製品などの耐久消費財が大衆に普及したことで、大量消費社会が実現しました。裕福な中産階級が拡大する一方、貧富の格差も残存していました。

大衆がテレビや冷蔵庫を手に入れ、生活水準が向上したことは明るい側面でした。しかし、人間の疎外感や消費主義の台頭といった暗い面も同時に存在していました。

新左翼は、この大量消費社会を「資本主義の欺瞞」と批判しました。既存のマルクス主義では消費社会の問題点を十分に批判できないと考えたのです。

新旧左翼の理論的対立

新左翼は従来の労働運動や体制内の改良ではなく、より過激な資本主義体制の打倒を唱えました。家父長制や性道徳への反発からジェンダー意識やカウンターカルチャーを重視するなど、既成概念への強い反発を特徴としています。

新左翼の担い手が主に学生だったことから、新左翼は既成の政党から自由な運動を志向することができました。既成政党が既存の政治制度や資本主義制度の枠組みの中で、段階的に改革を目指すのに対して、学生はシステムそのものの否定を訴えることができます。

学生は既成政党の党派性から自由で、自由な社会改革を訴えることが可能でした。またマルクス主義の教条にとらわれず、新しいアイデアを取り入れる柔軟性もありました。

学生時代の経験から自然に反体制的思考を持ち、社会の既得権益からも自由で、理想主義的な政治運動を展開することができたのです。

新左翼は自由な学生中心の運動を志向し、既成政党とは異なる存在でした。このように新左翼は、既存のマルクス主義や旧左翼と一線を画した運動と言えます。

1960年代の先進国では、経済が成長して一般の人の生活は豊かになりました。 しかしお金や物だけが豊かになっただけで、心の豊かさは伴っていませんでした。画一化された消費社会に満足できず、個人の自由や権利を求める声が高まっていたのです。

それまでの労働組合を中心とした旧左翼の運動では、新しい時代を生きる人々の要求に応えることができませんでした。人々は単に経済的な豊かさだけでなく、個人の尊重や社会の多様性を認める文化の変革を望むようになったのです。

旧左翼の運動では新しい時代の要求に応えられないため、新左翼の運動が生まれることになったと言えるでしょう。

対抗文化運動の高まり

1960年代あたりから、管理され過ぎた社会への反発から、フェミニズムや環境、LGBTの権利を訴える対抗文化運動が起こりました。これらの運動は保守やリベラルの区別とは関係なく広がったため、むしろ旧左翼がそれまで支持基盤としていた工場労働者などの保守派からは嫌われる傾向がありました。

対抗文化運動は当初、特定の政治イデオロギーとは無関係な文化的な運動でした。しかし時間が経つにつれて、この運動の中から既存の政治体制や社会への反発が強まっていきます。

具体例としてフェミニズム運動では、男女平等を訴えるだけでなく、社会のパターナリズム(男性支配体制)そのものへの批判に発展します。また環境運動でも、個人のライフスタイルだけでなく、資本主義的な経済構造への反発に繋がりました。

1960年代のアメリカでは、ヒッピー文化が対抗文化の象徴として、既成概念への強い反発を示しました。

このように対抗文化運動は、徐々にラディカルな左翼的な反体制運動へと変化していったのです。1960年代の文化・政治の変動が、マルクス主義とは異なる新しい左翼(新左翼)台頭の背景になったと言えるでしょう。

1960年代から展開された文化・社会の変容を鋭く捉えたのが、マルクーゼら新左翼の思想家たちです。

マルクーゼは新しい社会運動の理論的支柱となり、新左翼の精神的指導者として君臨します。新旧左翼の対立の中で、マルクーゼは新左翼を代表する思想家としての地位を確立したのです。

マルクーゼを理解するためのオススメ書籍

マルクーゼ(2016)『ユートピアの終焉』(清水多吉訳)清水書院

著者
["マルクーゼ", "清水 多吉"]
出版日

本書を通じてマルクーゼは、産業社会の発展に伴う「抑圧の論理」の台頭を分析し、自由と幸福のユートピア的理想がどのようにして「終焉」を迎えたのかを描いています。労働の合理化、生産性の向上、消費社会の台頭といった資本主義社会の「合理性」の拡大が、人間の自発性や創造性を制限し、新たな抑圧の構造を生み出したことを論じています。マルクーゼの理論は、60年代の学生運動などの新左翼に大きな影響を与え、資本主義社会への批判的なまなざしを形成しました。現代の消費社会批判の源流として、今もなお重要な書籍だと言えます。

細見和之(2014)『フランクフルト学派 - ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』中央公論新社

著者
細見 和之
出版日

「資本主義と人間」の関係性を考え抜いた、フランクフルト学派の知的冒険をたどれるのが本書です。マルクス主義から始まりハーバーマスを経て、フランクフルト学派は今日まで時代とともに批判の角度を変えてきました。資本主義と個人の関係を見つめ続けるフランクフルト学派の知的営為に迫る本書は、近代社会の在り方を考える手がかりとなるはずです。もちろんマルクーゼの思想も紹介されています。グローバル化と個人の解放をめぐる問題提起も斬新であり、資本主義社会を深く考えたい方にオススメの1冊です。

仲正昌樹(2005)『日本とドイツ 二つの戦後思想』光文社

著者
仲正 昌樹
出版日

第二次世界大戦敗戦後のドイツでは、マルクス主義が学生を中心に広く受け入れられました。その理由は何でしょうか?本書ではドイツの敗戦処理やGHQの政策、戦前の思想的な蓄積が詳しく説明されています。ナチズムへの反省からマルクスへの関心が高まり、60年代にはフランクフルト学派を始めとする新左翼思想が支持を集めることになります。一方、日本ではマルクス主義はタブー視されていきました。このような思想的背景の違いから、本書では両国の学生運動や思想的展開の相違が詳細に分析されています。日本人のアイデンティティや歴史観、価値観を相対化する考え方こそ、本書の目的とするところです。グローバル化時代を生きる知的課題に正面から向き合う、貴重な一冊と言えるでしょう。

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