20世紀の社会思想を代表するユルゲン・ハーバーマス。 彼の思想はマルクス主義を継承しつつも、新たな視座を打ち出したことで知られています。 今回の記事では、ハーバーマスの主要な思想を概観し、その特徴と歴史的意義を探っていきます。 生活世界の重視、コミュニケーション的合理性、政治的公共圏の構想など、ハーバーマスのアイデアは社会科学に大きな影響を与えました。 時代背景との関係や思想の変遷にも注目しつつ、マルクス主義を発展させたハーバーマスの学問的貢献を明らかにしたいと思います。

マルクス主義は労働を中心に社会を捉え、経済構造や生産力、そこから生じる人間の疎外に主眼を置いてきました。しかしハーバーマスは、マルクス主義の視点では見落とされがちな生活世界の意義に注目します。
生活世界とは、労働とは異なる日常生活の領域、家族、友人、住まい、休暇、娯楽などの生活様式全般を意味します。ハーバーマスにとって、この生活世界こそが人間的な充実した生を送る上で重要なのです。
労働と生産に注目するあまり、マルクス主義はこの生活世界を軽視してきた。
ハーバーマスの新たな着眼は、マルクス主義の人間観・社会観を補完し、労働以外の生の領域に光を当てる意義があったと言えるでしょう。
ハーバーマスは社会を「労働、家族、文化」など、異なる生活領域から成立するシステムと捉えました。
たとえば労働の領域では効率性が重視されますが、家族では情緒のつながりが重要視されます。それぞれの領域によって異なる価値基準が存在するため、領域間で対立や緊張関係が生じるのは自然なことです。
社会の秩序を維持するには、この領域間の緊張関係を適切に調整する必要があります。
この調整機能を担うのが「権力、貨幣、コミュニケーション」の3つです。
権力による強制、貨幣による報酬、コミュニケーションによる合意形成。これら3つのタイプによって、社会の統合が図られるとハーバーマスは考えました。
社会を多元的な視点から分析することで、マルクス主義の一面的な資本主義批判を乗り越えようとしたと言えます。
ハーバーマスは、マルクス主義の経済決定論には不十分な点があると考えました。経済や生産領域だけでなく、権力や貨幣もまた社会を規定する重要な要因だとみたのです。
国家は法律を制定し、その違反に対して罰則を課すことで、国民の行動を規制します。権力による個人の規制が国家に存在する点にハーバーマスは着目しました。
企業における上司の指揮命令系統も、権力による規制の一例です。部下は上司の命令に従う立場に置かれ、権力に服することを強いられます。
また貨幣から考えた場合、市場取引があげられます。市場では貨幣が個人の欲求を動機づけ、商品を購入するという行動へと導きます。そのため貨幣も個人を規定するメカニズムの一つだ、とハーバーマスは指摘したのです。
この権力と貨幣を通じた社会統制のメカニズムを、ハーバーマスは「システム合理性」と名付け、従来のマルクス主義を克服しようとしました。
社会を多角的な視座から分析しようとした点に大きな意義があると言えるでしょう。
ハーバーマスは権力や貨幣による社会統制を「システム合理性」と呼んだ上で、それらとは異なる新たな合理性の在り方を示しました。
それが「コミュニケーション的合理性」です。
「対話と議論を通じて相互理解を深め、納得のいく合意を形成していくプロセスを重視する」という合理性です。家族、友人、市民社会などの領域では、このコミュニケーションを基盤とした方が望ましいとするのです。
ハーバーマスが「コミュニケーション的合理性」を提唱した背景には、システム合理性に対する限界への反省、そして合理的に見えながらも、非人間的な結末を招くことへの危機感があったからです。
ハーバーマスは、近代社会における合理化の進展がもたらす問題に着目しました。官僚制の合理化や効率最優先の経済合理性が、人間の自由や人格をないがしろにする側面があることを問題視したのです。
たとえばホロコーストのように、合理性や効率性を追求するあまり、非人間的な結末を招くことへの強い懸念がハーバーマスにはありました。
そこでハーバーマスは合理性の新たな可能性として、対話と合意形成を基盤とする「コミュニケーション的合理性」を提示したのです。
人間の尊厳を中心に置いた合理性であり、冷たい効率性へのアンチテーゼとして提示された概念といえます。対話と合意のプロセスを通じて、相互理解は深まり、人間的な解決に至ると考えたわけです。
ハーバーマスは権力や貨幣を全面的に否定するのではなく、その必要性と限界を冷静に認識することが重要だと主張します。
権力による社会の制御は、状況によっては合理性があります。たとえば警察による暴力の制裁などです。
しかし、権力がすべてを支配するのは好ましくありません。
貨幣と市場も「需要と供給の調整」という意味で必要不可欠な機能を果たします。しかし貨幣がすべてを支配することの危険性も認識しなければなりません。マルクス主義的な権力と貨幣の全面否定は過ちであり、ソ連の計画経済の失敗はその典型例と言えるでしょう。
優先すべきは国家の権力と市場の効率性を相互補完的な関係に置くことであり、権力と貨幣の是正ではなく、正しい手順に基づいた新たな活用方法を見つけることです。
ハーバーマスが目指すのは、権力と貨幣によって生活世界が支配されるのを防ぐことです。
ハーバーマスは「生活世界の植民地化」とも表現し、市場経済の暴走を許さず、政治権力の行動を市民がコントロールすることが必要だと主張します。「既存の政治政党が掲げるマニフェストと大差がない」と揶揄されましたが、ハーバーマスは気にしませんでした。
ハーバーマスからすれば生活世界の自律性を守ることが目的であり、そのためにハーバーマスが提唱するのは、市民が公共の場で対話と議論を重ね、合理的な結論を導くコミュニケーションがなにより重要だからです。
「コミュニケーションの実践を通じてのみ、権力と貨幣の世界を市民がコントロールできる」とハーバーマスは考えており、コミュニケーションによって支配の抑制に対抗できると提唱しました。
社会には異なる背景を持つ多様な人々が存在しています。この多様性を前提として、対話を通じて合意形成を目指すことが重要だとハーバーマスは考えました。
そのためには自分の意見を一時的に脇に置き、他者の意見を冷静に検討する「理想的なコミュニケーション状況」が必要です。
ハーバーマスは社会学や言語哲学の知見を総動員して、理想的なコミュニケーション状況の実現条件を探究していきます。しかし、非現実的であるという批判が多いのも事実です。
これらの批判に対してハーバーマスは反論した上で、新しい概念である「政治的公共圏」を持ち出して、実現可能であることを主張しています。対話を通じた合意形成は難しい課題ですが、ハーバーマスにとっては社会の多元性を乗り越えるための唯一の道なのです。
ハーバーマスは、国家と市民の間に「政治的公共圏」が必要だと主張します。
その中心はマスメディアです。さまざまな政治・経済・社会問題について、マスメディアは報道、議論を交わします。市民はマスメディアを参考に意見を形成し、世論が作られ、またマスメディアにも影響を与えます。マスメディアと市民によるコミュニケーションから合理的な合意が生まれる、とハーバーマスは考えたのです。
マスメディアと市民の関係性は「理想的コミュニケーション」の一例になります。「政治的公共圏」は「国家と市民の間に生じる理性的対話の場を提供する機能」として、ハーバーマスは期待したのです。
理性的対話を通じた合理的な合意の前提を得るには、マスメディアは経済的自立性と公平性を備える必要があります。
欧米のマスメディアは「エリート向け」と「大衆向け」に比較的はっきりと分かれています。高級紙や質の高い政治討論番組は、一般大衆にはほとんど読まれたり視聴されたりしません。
ハーバーマスが理想とするマスメディアは、この「エリート向け」の高級メディアのことを想定しているようです。大衆向けのゴシップ記事や低俗番組は、ハーバーマスの議論からは除外されています。
このように大衆向け文化への嫌悪感を示す姿勢は、フランクフルト学派のアドルノたちが持つ問題意識と共通する面があります。ハーバーマスのマスメディア観には、大衆文化への偏見が内包されていると言えるでしょう。
ハーバーマスによると理想的なコミュニケーションの実現には、一般市民が高級メディアと適切に関わることが欠かせません。
ハーバーマスは一般市民を「気の散りやすい大衆」と見なしており、彼らがエリートの議論を理解し、そこから自分の意見を形成する必要があると言います。
「マスメディアの受け手は気の散りやすい公衆としての大衆である。彼らが熟議的な正当化プロセスにおいてふさわしい役割を果たしうるためには、エリートたちの、われわれの思うところではそれなりに合理的なディスクルス(議論)の核心を吸収し、重要な問題に関して、彼ら自身がそれなりに反省的な意見をつくることができなければならない」(『ああ、ヨーロッパ』)
つまり、メディアに登場する専門家や学者の意見を学び、自分の言葉で再構成することが市民に求められているのです。
この堅苦しく難解な表現はハーバーマスの特徴ですが、要するにエリート主導のコミュニケーションを想定していることが分かります。市民は与えられた議論を素直に学び、自分の意見を形成すべき存在と見なされているのです。
ハーバーマスは、大衆向けゴシップ紙の代わりに高級紙を、低俗番組の代わりに真面目な討論番組を選択することを市民に求めています。
ハーバーマスの要求はおそらく実現不可能であり、ハーバーマス自身も認めています。しかしハーバーマスは「これらの条件が満たされなければ近代社会そのものが機能停止に陥る」と考えています。
「理想的コミュニケーション状況」の理論がハーバーマスの代名詞ですが、その実現性の低さゆえに批判の的となるのは当然かもしれません。現実の大衆はハーバーマスの望むような存在ではないため、席上の空論と見なされても仕方がない側面があります。
1960年代末、ドイツでも学生運動が高揚します。ハーバーマスは当初、この運動に好意的でした。しかし運動が急進化し暴力的になると、ハーバーマスは反発します。急進左翼を「左翼ファシズム」と批判しました。
すると学生側からもハーバーマスへの批判が強まります。1971年、当時42歳のハーバーマスはフランクフルト大学を去ります。学内での立場が困難になったためでしょう。運動のエスカレートに伴い、学生との間に決定的な亀裂が生じたことがうかがえます。
1970年代に入ると、ドイツの新左翼運動は下火になりますが、学生運動の過激派から「ドイツ赤軍」が生まれ、彼らはテロ活動を展開しました。保守的なドイツでは、左翼への反動が強力でした。過激派への非難と左翼知識人への追放が高まる中、ハーバーマスは「理想的コミュニケーション」を再び主張したのです。
暴力的な時代背景で展開されたハーバーマスの理論は、対話と合意を重視する姿勢は再び再評価されます。以前から暴力の過激化を避けるためには、冷静な議論が必要だと訴えていたからです。
ソ連崩壊後のグローバル化によって、資本と企業の国際的な移動が活発になり、一国の権力では経済を制御できなくなっています。
このグローバル化を受けて左派は、国連などの超国家機関に期待するようになったのです。穏健派も過激派も国際機関重視の傾向があります。
グローバル化した世界の流れのなかで、かつては理想主義として軽視されたカントの「世界市民社会」構想が再評価される一方、ヘーゲルは評価を下げました。カントの「世界市民社会」構想を非現実的な理想主義として、ヘーゲルは批判しています。ヘーゲルが国民国家を自然な発展形態と考え、国連のような世界共同体は人工的であると考えたためです。ヘーゲルは世界共同体よりも国民国家を重視しました
全共闘時代の国際機関観とは完全に逆転した状況です。グローバル化がもたらした左派のパラダイム転換の象徴とも言えるでしょう。
ハーバーマスが目指す「立憲化された世界社会」の実現には、アメリカの協力が不可欠です。
ブッシュ政権下で国連軽視の姿勢がありましたが、建国の理想を失っていないアメリカは正しい方向に導ける、とハーバーマスは考えます。ヨーロッパが支援すればアメリカは自由と民主主義の価値に立ち返るだろうとし、ヨーロッパが手を取り合えば、より良い世界を創造できると訴えるのです。
このハーバーマスの見解は、かつてのアメリカ批判から大きく変化したことを示しています。
グローバル化時代におけるフランクフルト学派の新境地とも言えるでしょう。
ハーバーマス(2019)『デモクラシーか 資本主義か − 危機のなかのヨーロッパ』(三島憲一訳)岩波書店
- 著者
- ["Habermas,J¨urgen", "ハーバーマス,ユルゲン", "憲一, 三島"]
- 出版日
経済危機やEUの統合問題など2007年から2017年にかけて、ヨーロッパでは相次ぐ危機に見舞われました。その混乱の只中で発表されたハーバーマスの論考を一冊にまとめたのが本書です。資本主義の論理が社会システムのあらゆる領域に入り込んでいることが、これらの危機の根本原因であると指摘されています。ハーバーマスは自身の社会理論の視点から、グローバル化した資本主義のもたらす弊害を指摘し、民主主義の精神を取り戻すことで、公平で開かれた社会を再構築する道筋を提起しています。混迷のヨーロッパが直面する諸課題を見極め、市民が主体的に関わる民主主義の可能性を探る1冊です。現代の政治状況を考える上で欠かせない、ハーバーマスが展開する社会理論の集大成と言える作品です。
ハーバーマス(2018)『後期資本主義における正統化の問題』(山田正行、金慧訳)岩波書店
- 著者
- ["ハーバーマス", "山田 正行", "金 慧"]
- 出版日
1970年代初頭の西ドイツを舞台に、資本主義社会の根幹を揺るがす問題提起をしたのが本書です。「経済と国家のシステムが社会のあらゆる領域に介入することで、市民の生活世界が破壊されつつある…」。ハーバーマスはこの後期資本主義の弊害をあぶりだし、正統性の危機を批判します。コミュニケーション的行為の理論や、生活世界とシステムの二元論を駆使することで、支配的な「道具的合理性」に代わる新たな社会理性の形成を訴えます。市場原理主義への警鐘、生活の質の回復への思想など、混迷を深める現代社会の在り方を問い直す確かな指針が示されています。フランクフルト学派の必読文献であると同時に、今なお色褪せない社会理論の金字塔です。