5分で分かるハーバーマスの哲学|ハーバーマスが描く理想の社会とは?|元教員が解説

更新:2025.4.19

20世紀の社会思想を代表するユルゲン・ハーバーマス。 彼の思想はマルクス主義を継承しつつも、新たな視座を打ち出したことで知られています。 今回の記事では、ハーバーマスの主要な思想を概観し、その特徴と歴史的意義を探っていきます。 生活世界の重視、コミュニケーション的合理性、政治的公共圏の構想など、ハーバーマスのアイデアは社会科学に大きな影響を与えました。 時代背景との関係や思想の変遷にも注目しつつ、マルクス主義を発展させたハーバーマスの学問的貢献を明らかにしたいと思います。

大学院のときは、ハイデガーを少し。 その後、高校の社会科教員を10年ほど。 身長が高いので、あだ名は“巨人”。 今はライターとして色々と。
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マルクス主義への疑問

マルクス主義は労働を中心に社会を捉えてきました。

経済構造や生産力、そこから生じる人間の疎外に注目し、資本主義を批判するという視点は強力でしたが、ハーバーマスはそこに弱点を見出します。

人間の生活は労働だけで成り立っているわけではありません。家族との時間、友人との交流、休暇や娯楽といった日常の領域があります。

これをハーバーマスは「生活世界」と呼び、人間的な充実を考える上で欠かせない領域だと位置づけたのです。

労働と生産に注目するあまり、マルクス主義はこの生活世界を軽視してきた。

ハーバーマスの問題提起は、ここから始まります。

システムと生活世界

ハーバーマスは社会を二つの層に分けて捉えました。

まずは「システム」があります。経済や行政といった領域で、効率性や機能性が重視される世界です。企業は利潤を追求し、官僚機構は規則に従って動く。そこでは人々の意図や感情よりも、組織としての合理性が優先されます。

その一方「生活世界」があります。家族、友人、地域社会といった領域で、人々が日常的なコミュニケーションを通じて意味を共有し、関係を築いていく世界です。

この二つの領域は異なる論理で動いています。システムでは効率が、生活世界では相互理解が基本的な価値となり、ハーバーマスの社会理論は、この区別を出発点としています。

システム合理性の論理

システムを動かしているのは、権力と貨幣です。

国家は法律を制定し、違反には罰則を課します。企業では上司が部下に命令を下し、従わなければ不利益が生じる。権力はこのようにして人々の行動を規制しています。

その一方、市場では貨幣が人々の行動を方向づけます。

商品を買い、サービスを売る。需要と供給が価格を決め、価格が人々の選択を導く。

貨幣もまた、強力な調整機能を果たしているのです。

これらをハーバーマスは「システム合理性」と呼びました。

権力と貨幣は、対話や合意を経ることなく、人々の行動を効率的に調整することができます。複雑な現代社会を運営するうえで、こうした調整機能は不可欠なものです。

もう一つの合理性

しかしハーバーマスは、システム合理性だけでは不十分だと考えました。

効率性を追求する合理性には、危険な側面があります。官僚制の合理化が人間の尊厳を踏みにじった例として、ハーバーマスはホロコーストを挙げています。あの残虐行為は、非合理な狂気ではなく、むしろ冷徹な効率性の論理によって遂行されたのです。

そこでハーバーマスが提示したのが「コミュニケーション的合理性」でした。対話と議論を通じて相互理解を深め、納得のいく合意を形成していく。このプロセス自体を合理的なものと見なす考え方です。

権力による命令でもなく、貨幣による誘導でもなく、言葉による説得と納得。家族や友人との関係、市民社会における議論は、本来このようなコミュニケーションを基盤としているはずでした。

生活世界の植民地化

ハーバーマスが危惧したのは、システムの論理が生活世界に侵入することでした。

市場原理があらゆる領域に浸透し、教育や医療や福祉までもが効率と採算で評価されるようになる。行政の論理が私的な領域にまで入り込み、数値目標や評価基準が人間関係を規定するようになる。

ハーバーマスは「生活世界の植民地化」と呼びました。本来は対話と相互理解によって営まれるべき領域が、権力と貨幣の論理に支配されていく事態です。

この植民地化に対抗するには、市民が公共の場で議論を重ね、政治や経済の暴走を監視し、コントロールする必要がある。ハーバーマスの理論は、この実践的な問題意識と結びついていました。

政治的公共圏という構想

では、どのような場でコミュニケーションは実現されるのでしょうか。ハーバーマスは「政治的公共圏」という概念を提示しました。

国家と個人の間に位置する、議論と対話の空間です。マスメディアがさまざまな問題を報道し、市民がそれを参照して意見を形成し、世論が作られていく。この循環を通じて、合理的な合意が生まれるとハーバーマスは考えました。

ただし厳しい条件がつきます。自分の意見を一時的に脇に置き、他者の主張に耳を傾ける。感情的な反発を抑え、論理的に検討する。ハーバーマスが「理想的コミュニケーション状況」と呼んだこの条件は、現実にはなかなか満たされません。

ハーバーマス自身もこの困難を認めています。しかしこうした条件が満たされなければ、民主主義社会は機能不全に陥ると彼は考えました。

理想が実現困難であることと、理想を放棄してよいこととは別の問題だというのが、ハーバーマスの立場です。

理論への批判

ハーバーマスの構想に対しては、さまざまな批判が向けられてきました。

とりわけ問題視されたのは、彼が想定するコミュニケーションのあり方でした。ハーバーマスが念頭に置くのは、質の高い新聞や真面目な討論番組です。大衆向けのゴシップ記事や娯楽番組は、議論の対象から外されています。

また市民に求められる役割も高度です。専門家やジャーナリストの議論を理解し、自分の言葉で再構成することが期待されている。これはフランクフルト学派に共通する、大衆文化への懐疑的な姿勢の延長線上にあります。

理想的コミュニケーションの実現可能性に対する疑問は、ハーバーマス批判の中心的な論点であり続けています。

暴力の時代に対話を説く

1960年代末、ドイツでも学生運動が高揚しました。ハーバーマスは当初この運動に好意的でしたが、運動が急進化し暴力的になると一転して批判に回ります。彼は急進派を「左翼ファシズム」と呼び、学生との間に決定的な亀裂が生じました。

1970年代には学生運動の過激派から「ドイツ赤軍」が生まれ、テロ活動を展開します。暴力と報復が連鎖する時代にあって、ハーバーマスは対話と合意の重要性を繰り返し訴えました。

このような姿勢は、時代を経て再評価されることになります。

グローバル時代への展開

ソ連崩壊後、資本と企業の国際的移動が活発化し、一国の政府だけでは経済を制御できない状況が生まれました。

この変化を受けて、ハーバーマスは視野を国際社会へと広げていきます。国連のような超国家機関を通じて、グローバルな問題に対処する「世界市民社会」の構想です。

かつてカントが唱え、ヘーゲルが非現実的と批判した理念を、ハーバーマスは現代に蘇らせようとしました。

ハーバーマスの思想はフランクフルト学派の批判理論を継承しながら、対話と合意による社会統合という独自の方向へと発展しました。

その理想主義は批判の対象ともなりましたが、暴力や分断が深まる時代にあって、対話の可能性を問い続ける意義は失われていません。

ハーバーマスを理解するためのオススメ書籍

ハーバーマス(2019)『デモクラシーか 資本主義か − 危機のなかのヨーロッパ』(三島憲一訳)岩波書店

著者
["Habermas,J¨urgen", "ハーバーマス,ユルゲン", "憲一, 三島"]
出版日

経済危機やEUの統合問題など2007年から2017年にかけて、ヨーロッパでは相次ぐ危機に見舞われました。その混乱の只中で発表されたハーバーマスの論考を一冊にまとめたのが本書です。資本主義の論理が社会システムのあらゆる領域に入り込んでいることが、これらの危機の根本原因であると指摘されています。ハーバーマスは自身の社会理論の視点から、グローバル化した資本主義のもたらす弊害を指摘し、民主主義の精神を取り戻すことで、公平で開かれた社会を再構築する道筋を提起しています。混迷のヨーロッパが直面する諸課題を見極め、市民が主体的に関わる民主主義の可能性を探る1冊です。現代の政治状況を考える上で欠かせない、ハーバーマスが展開する社会理論の集大成と言える作品です。

ハーバーマス(2018)『後期資本主義における正統化の問題』(山田正行、金慧訳)岩波書店

著者
["ハーバーマス", "山田 正行", "金 慧"]
出版日

1970年代初頭の西ドイツを舞台に、資本主義社会の根幹を揺るがす問題提起をしたのが本書です。「経済と国家のシステムが社会のあらゆる領域に介入することで、市民の生活世界が破壊されつつある…」。ハーバーマスはこの後期資本主義の弊害をあぶりだし、正統性の危機を批判します。コミュニケーション的行為の理論や、生活世界とシステムの二元論を駆使することで、支配的な「道具的合理性」に代わる新たな社会理性の形成を訴えます。市場原理主義への警鐘、生活の質の回復への思想など、混迷を深める現代社会の在り方を問い直す確かな指針が示されています。フランクフルト学派の必読文献であると同時に、今なお色褪せない社会理論の金字塔です。

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