1989年のベルリンの壁崩壊は、ドイツのみならず世界に大きな影響を与えた歴史的事件でした。 当時60歳だったハーバーマスはフランクフルト学派の中心的な理論家として、この出来事にどのように向き合ったのでしょうか。 このときハーバーマスはすでにマルクス主義から距離を置き、新たな可能性を見出そうとしていました。 またナチス・ドイツへの反省から過去との向き合い方を重視し、ドイツ再統一後も歴史の重要性を訴え続けます。 フランクフルト学派内での立場をめぐっても、新左翼的な過激さを避ける独自の道を歩んでいったのです 今回の記事では、変動する時代の中でハーバーマスの思想がどのように変遷し、独自の理論を構築していったのかを見ていきます。

1989年に起きた「ベルリンの壁」崩壊は、東西冷戦構造の終焉を告げる出来事であり、ソ連を頂点とする共産主義陣営に大きなショックを与えました。
資本主義陣営に位置する西側のフランクフルト学派では、創始者のホルクハイマーやアドルノがすでに他界しており、ハーバーマスが中心的な理論家として君臨する時代に突入していました。
ハーバーマス自身はマルクス主義からすでに一定の距離を置き、近代のリベラルに基づいた「未完成プロジェクト」の実現にコミットする姿勢を明確にしていました。
したがって、共産主義の終焉を決して悲観的には捉えておらず、むしろ非共産主義的なリベラル左翼の可能性を探るべきだと主張したのです。
ハーバーマスは、変動する時代の中で左翼理論の再定義を迫られていたと言えます。
1970年代からハーバーマスは、少しずつマルクス主義からの距離を置き始めます。当時の共産主義国家の非効率性や全体主義的な側面に強い疑問を抱くようになっていからです。
計画経済の非合理性や、民主主義の欠如による個人の自由の制限を指摘し、共産主義に幻滅していきました。その一方で、資本主義国の民主主義と法の支配、福祉政策の発展などを積極的に評価するようにもなります。
ハーバーマスが目指したのは、資本主義の枠内での改良を通じた「未完成の近代プロジェクト」を深めることでした。
そのため1989年の「ベルリンの壁崩壊」は、共産主義の決定的な敗北とは受け止めておらず、むしろ新たな可能性を見出だしていたのです。
長期にわたる共産主義からの距離間が、こうした冷静な姿勢の背景にあったと言えます。
第二次世界大戦中、ハーバーマス自身がヒトラー・ユーゲントの一員として戦争への協力を経験しており、自らの反省からドイツの過去に強い関心を寄せるようになりました。ヒトラー・ユーゲントとは、ヒトラーを支持するドイツの青少年組織です。
戦後ドイツ社会がナチズムを糾弾する姿勢に及び腰だった時期、ハーバーマスはドイツ国民全体の戦争責任と歴史的自覚を繰り返し訴えています。過ちを二度と繰り返さないための教訓の確立、ナチズムの根源的原因の解析に取り組み、過去に対する歴史認識の重要性を指摘しました。
冷戦終結後に実現したドイツ再統一のときにも、右傾化しがちな世論に警鐘を鳴らし、過去への緊張感が緩んではならないと主張しています。
ドイツの過去と不断に向き合うことは、ハーバーマスにとって、民主主義を維持する上で欠かせない態度だったのです。
第二次世界大戦後、ハーバーマスはフランクフルト学派の一員として、ホルクハイマーらの助手を務めていました。1964年、テオドール・アドルノの後任として、フランクフルト大学の教授および社会研究所の所長に就任。次世代の理論家として注目を集めるようになります。
しかしホルクハイマーからは、常に警戒されていた存在でした。ホルクハイマーはハーバーマスのマルクス主義的な側面を危険視し、フランクフルト学派が過激なイメージを持たれることを強く恐れていました。
ハーバーマスはむしろ穏健な社会民主主義的な立場であり、ホルクハイマーの警戒は杞憂に過ぎませんでした。
1960年代の学生運動の高揚の中で、新左翼的な運動は過激な言動をエスカレートさせていきます。ベトナム戦争への反対運動などで暴力的手段が正当化される風潮も生まれたのです。
しかし暴力的革命路線を選択する新左翼的な過激さを、ハーバーマスは自らの理論・運動から意識的に排除しました。論理的な理論構築を重視し、データに基づく実証主義的アプローチを取り入れることで、非科学的な意見の介入を最小限に留めようとしたためです。
新左翼的な熱狂から距離を置くことで、冷静な議論を可能にし、幅広い支持を得られる社会科学者としての道を選択したのです。
しかし世代や思想的な立場の違いから、ホルクハイマーとの溝は埋まることなく、ハーバーマスの排除へとつながってしまいます。ハーバーマスはフランクフルト学派からの退去を迫られ、事実上追放されることになります。
1971年からマックス・プランク研究所(ミュンヘン)に移籍し、12年間勤務します。
そして1983年、再びフランクフルト大学へと戻り、フランクフルト学派の第二世代を代表する役割を担ったのです。
1990年のドイツ再統一後、旧東ドイツ地域でのナショナリズムや過去への歴史認識の希薄化が懸念される状況が生まれました。
ハーバーマスはこうした動きに警鐘を鳴らし、ナチズムの過去への反省なくして民主主義は前進しないと主張しました。過去から目をそらせば歴史修正主義が台頭し、ナチズムの再来につながる危険性を指摘したのです。
ハーバーマスにとって、過去の過ちとの不断の向き合いこそが、民主主義の根幹をなすものだったのです。
歴史認識を巡る論争では、ハーバーマスは大きな影響力を持ち、冷戦後の新たなドイツ・アイデンティティを模索する上で重要な役割を果たしました。
ハーバーマスはマルクスの資本主義批判を継承しつつも、マルクス理論の限界を認識していました。近現代の資本主義社会の動態を説明する上で、マルクス理論だけでは不十分であると考えていたのです。
そこでハーバーマスは、ウェーバーの合理化に関する概念やパーソンズの社会システム理論などを取り入れて、マルクス理論の補完を図ろうとしました。複数の社会科学理論の長所を総合することで、現代社会の複雑な様相を多角的に分析しようとしたわけです。
「1つだけの理論では社会の全体像を捉えきれない」という認識がハーバーマスにはあり、だからこそマルクス主義だけでなく様々な社会科学に関する知見も取り入れて、総合的な社会理論を構築しようとしたのです。
J.ハーバーマス(2000)『近代 未完のプロジェクト』(三島憲一訳)岩波書店
- 著者
- ["J.ハーバーマス", "三島 憲一"]
- 出版日
現代社会の疎外感と非人間性の原因は近代にあるのか。それとも近代こそが人類にとって、希望の可能性を実現する最良の時代なのか。
本書を通じて、ハーバーマスは近代の課題に切り込みます。
フランス革命で誕生した「自由・平等・博愛」という近代の輝かしい理想を再評価し、その実現こそが人間の尊厳と幸福の条件である、とハーバーマスは主張します。資本主義の欠陥を打開するには、コミュニケーション的対話と参加が不可欠だと説くのです。
ハーバーマスの主張は果たして説得力を持つのでしょうか。
近代へのアンビバレントな思いを抱く、すべての人にとって必読の一冊になっています。
ハーバーマスが展開する斬新な近代観は、あなたの思考を確実に揺さぶるはずです。
中岡成文(2018)『増補ハーバーマス − コミュニケーション的行為』筑摩書房
- 著者
- 成文, 中岡
- 出版日
ハーバーマスのコミュニカティブ行為理論の核心をわかりやすく解説した一冊です。
ハーバーマスは、言語を通じた理性的対話こそが人間の本質であるとし、そこから対立や分断を乗り越える新しい民主主義の可能性を追求しました。合理的な議論を経て形成された合意が正統性の基盤となる、コミュニカティブな民主主義の思想です。
本書では民主主義の根底にある対話と討議の重視、人間の理性への信頼が丁寧に描かれています。意見の対立が先鋭化する現代社会にあって、ハーバーマスの示唆する「言葉による力」の可能性は大変重要ではないでしょうか。コミュニカティブ理性の可能性を探る入門書として、とても参考になる内容です。
ホルクハイマー ,アドルノ(2007)『啓蒙の弁証法 - 哲学的断想』(徳永恂訳)岩波書店
- 著者
- ["ホルクハイマー", "アドルノ", "Horkheimer,Max", "Adorno,Theodor W.", "恂, 徳永"]
- 出版日
近代理性のなかに光と影が入り混じる謎を解き明かそうとする、ホルクハイマーとアドルノの代表作です。先ほど触れましたが、ホルクハイマーはフランクフルト学派からハーバーマスを排除した人物です。
近代化によって人類は豊かさと自由を手に入れましたが、また同時に、新たな疎外感と不安を味わうことにもなりました。なぜ理性は悲劇的な運命をたどるのでしょうか?
ホルクハイマーとアドルノは辛抱強く理性の歴史をたどり、対話と合意を重視する「コミュニカティブな理性」の必要を説きます。
「コミュニカティブな理性」とは、対話と合意形成を基盤とする理性を意味します。理性には支配的な側面と解放的な側面の二面性がある、とホルクハイマーとアドルノは考えました。支配的理性は個人の利益を推し進める反面、他者への配慮が欠如しています。一方のコミュニカティブな理性は、他者との対話と合意を重視することで、より良い社会を目指そうとするのです。
この対話と合意を通じて社会を作っていくコミュニカティブな理性が、理性の解放的な可能性を発揮するとし、コミュニケーションを基盤とする理性こそが、人間の自由と尊厳を守ると説いたのです。
現代社会の問題点を的確に診断する書として、本書は大きな役割を果たすはずです。